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番外編
大輔の夏休み 2
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「板倉はこれから帰省するのか?」
近隣の大学との練習試合が午前中に終了して、それぞれが道具の片付けやグラウンド整備に勤しむ中、バットを数本担いだ石井が話しかけてきた。
今日は石井も俺も先発出場。五対一で勝利を収めたせいもあるが、春のリーグ戦で押し出しから敗戦を喫したことを気に病んでいた彼は、無四球の結果にも満足しているようだった。かくいう俺も三打数二安打、打点二、失策無しでまずまずだ。
「そのつもり」
俺はトンボを持つ手を一旦止めた。本当はお盆に合わせて帰省するつもりだったが、練習試合が八月下旬に組まれていたので、今回はそれが終わってからに予定変更していた。
「文緒ちゃんも一緒?」
「途中で合流する」
文緒を連れて来いという祖母ちゃんの希望を聞き入れ、彼女は本当に俺の実家にも顔を出してくれることになった。サークルは一足先に休みに入るので、最初に自分の実家や岸監督に挨拶に行き、その後荒木のじいさんの家で俺を待っているという。
「そっか。また喧嘩するなよ」
笑って石井は去っていった。途中でタオルやクーラーボックスを抱えた二階から、さりげなく半分ほど荷物を受け取り、揃って部室まで歩いてゆく。
最近二人は仲がいい。石井の話によると、一度文緒と水野さんの洗礼とやらを受けた二階が、そのときに全うな意見を述べた彼に安堵を覚えたせいらしい。発想が似ているあの二人が何をしたかは想像したくない。
「板倉くんのことが好きでした」
実は夏休みに入る直前、二階から告白めいたものをされた。既に吹っ切れているとのことで、しっかり過去形だった。
「無意識でも桂さんの話ばかりなので、諦めたというよりは納得した感じなの。板倉くんには桂さんしか見えていないんだなぁって」
正直なところもしかしてと思わないわけではなかった。でも単なる自惚れかもしれないし、俺の中には文緒しか居場所がないのだから、本人が行動を起こしてもいないのに気を揉むのも失礼な気がした。もっともそのせいで文緒に誤解されて、じいさん達に叱られる羽目になったが。
「安心したか?」
同じように石井と二階を眺めながら、水野さんがぼそっと訊ねてくる。この人は一見デリカシーが無さげなのに、何故か人の心の機微に聡い。これが野球以外にも働けば振られないのにと、しばらく前に石井が苦笑していた。
「そうですね」
二人が上手くいってくれるといい。俺は静かに頷いた。
「おかえり、大輔」
荒木のじいさんの家を訪ねると、文緒が元気に出迎えてくれた。久々の笑顔に可愛いなぁと眦が下がったのも束の間、俺は彼女の出で立ちに目を剥いた。タンクトップに短パン。そんな露出の高い格好でドアを開けるな。他の男だったらどうする。というか自分が鼻血を噴きそうだ。
「もう少し体を隠せ」
目のやり場に困って注意喚起をする。文緒は暑いんだもんとぼやきながら、俺を家の中に招き入れた。練習試合が終わるなり電車に飛び乗った俺は、文緒が用意してくれた麦茶を一気に飲み干してから室内を見回した。
「じいさん達は?」
「買物に行ってる。実はこれから板倉のお祖父ちゃんとお祖母ちゃんも来ることになって」
寝耳に水の話に俺は驚いた。確か予定では明日うちの実家に向かうことになっていた筈だ。
「大輔のお父さんとうちのお母さんが、昔恋仲だったって話憶えてる?」
「ああ、高校生の頃って言ってたっけか」
俺と文緒が並んでいる姿を見て、お互いの祖母ちゃんが手を取り合ってはしゃいでいたのは五年前。思えばそこから半ば冗談で、俺達を結びつける動きが始まったのかもしれない。
「どうもそのせいで、大輔のお父さんが私が遊びに来ることに難色を示したみたい」
「何だそれ。文緒が気に入らないっていうのか」
聞き捨てならない台詞に口調がきつくなる。文緒はびっくりして両掌を俺に向けた。
「違う違う。私がどうこうじゃなくて、大輔のお母さんもその話を知っているから、昔の彼女の子供を合わせるのは拙いだろうって」
「昔の彼女も何も、その頃の自分達よりでかい子供がいるくせに、訳の分からんことを抜かしやがって」
うちの両親はいい年齢していつまで若い二人気分なんだ。馬鹿馬鹿しい。奴らの思惑がどうあれ、息子の恋路を邪魔するのは止めてもらいたいもんだ。
「でもその逆も然りなのかな? うちのお母さんも私と大輔が仲よくするの、嫌なのかな」
「そんなふざけた理由で反対されてたまるか」
俺は不機嫌に毒づいた。
「今更文緒以外の女を好きになんてなれねーぞ」
それができるくらいなら苦労はしていない。
「その言い方も嫌いじゃないけどね」
ところが苛々と歯噛みする俺に、文緒は残念そうに口を尖らせた。
「じゃあ何をどう言えっていうんだよ?」
「野球以外に取柄はないけど、絶対不幸にしない、とか?」
「それは小沢のじいさんのプロ…」
危うく吹き出しそうになってはたと気づいた。頭の中がぐるぐる回り出す。俺は今文緒に何を告げた? それに文緒はどう答えた?
近隣の大学との練習試合が午前中に終了して、それぞれが道具の片付けやグラウンド整備に勤しむ中、バットを数本担いだ石井が話しかけてきた。
今日は石井も俺も先発出場。五対一で勝利を収めたせいもあるが、春のリーグ戦で押し出しから敗戦を喫したことを気に病んでいた彼は、無四球の結果にも満足しているようだった。かくいう俺も三打数二安打、打点二、失策無しでまずまずだ。
「そのつもり」
俺はトンボを持つ手を一旦止めた。本当はお盆に合わせて帰省するつもりだったが、練習試合が八月下旬に組まれていたので、今回はそれが終わってからに予定変更していた。
「文緒ちゃんも一緒?」
「途中で合流する」
文緒を連れて来いという祖母ちゃんの希望を聞き入れ、彼女は本当に俺の実家にも顔を出してくれることになった。サークルは一足先に休みに入るので、最初に自分の実家や岸監督に挨拶に行き、その後荒木のじいさんの家で俺を待っているという。
「そっか。また喧嘩するなよ」
笑って石井は去っていった。途中でタオルやクーラーボックスを抱えた二階から、さりげなく半分ほど荷物を受け取り、揃って部室まで歩いてゆく。
最近二人は仲がいい。石井の話によると、一度文緒と水野さんの洗礼とやらを受けた二階が、そのときに全うな意見を述べた彼に安堵を覚えたせいらしい。発想が似ているあの二人が何をしたかは想像したくない。
「板倉くんのことが好きでした」
実は夏休みに入る直前、二階から告白めいたものをされた。既に吹っ切れているとのことで、しっかり過去形だった。
「無意識でも桂さんの話ばかりなので、諦めたというよりは納得した感じなの。板倉くんには桂さんしか見えていないんだなぁって」
正直なところもしかしてと思わないわけではなかった。でも単なる自惚れかもしれないし、俺の中には文緒しか居場所がないのだから、本人が行動を起こしてもいないのに気を揉むのも失礼な気がした。もっともそのせいで文緒に誤解されて、じいさん達に叱られる羽目になったが。
「安心したか?」
同じように石井と二階を眺めながら、水野さんがぼそっと訊ねてくる。この人は一見デリカシーが無さげなのに、何故か人の心の機微に聡い。これが野球以外にも働けば振られないのにと、しばらく前に石井が苦笑していた。
「そうですね」
二人が上手くいってくれるといい。俺は静かに頷いた。
「おかえり、大輔」
荒木のじいさんの家を訪ねると、文緒が元気に出迎えてくれた。久々の笑顔に可愛いなぁと眦が下がったのも束の間、俺は彼女の出で立ちに目を剥いた。タンクトップに短パン。そんな露出の高い格好でドアを開けるな。他の男だったらどうする。というか自分が鼻血を噴きそうだ。
「もう少し体を隠せ」
目のやり場に困って注意喚起をする。文緒は暑いんだもんとぼやきながら、俺を家の中に招き入れた。練習試合が終わるなり電車に飛び乗った俺は、文緒が用意してくれた麦茶を一気に飲み干してから室内を見回した。
「じいさん達は?」
「買物に行ってる。実はこれから板倉のお祖父ちゃんとお祖母ちゃんも来ることになって」
寝耳に水の話に俺は驚いた。確か予定では明日うちの実家に向かうことになっていた筈だ。
「大輔のお父さんとうちのお母さんが、昔恋仲だったって話憶えてる?」
「ああ、高校生の頃って言ってたっけか」
俺と文緒が並んでいる姿を見て、お互いの祖母ちゃんが手を取り合ってはしゃいでいたのは五年前。思えばそこから半ば冗談で、俺達を結びつける動きが始まったのかもしれない。
「どうもそのせいで、大輔のお父さんが私が遊びに来ることに難色を示したみたい」
「何だそれ。文緒が気に入らないっていうのか」
聞き捨てならない台詞に口調がきつくなる。文緒はびっくりして両掌を俺に向けた。
「違う違う。私がどうこうじゃなくて、大輔のお母さんもその話を知っているから、昔の彼女の子供を合わせるのは拙いだろうって」
「昔の彼女も何も、その頃の自分達よりでかい子供がいるくせに、訳の分からんことを抜かしやがって」
うちの両親はいい年齢していつまで若い二人気分なんだ。馬鹿馬鹿しい。奴らの思惑がどうあれ、息子の恋路を邪魔するのは止めてもらいたいもんだ。
「でもその逆も然りなのかな? うちのお母さんも私と大輔が仲よくするの、嫌なのかな」
「そんなふざけた理由で反対されてたまるか」
俺は不機嫌に毒づいた。
「今更文緒以外の女を好きになんてなれねーぞ」
それができるくらいなら苦労はしていない。
「その言い方も嫌いじゃないけどね」
ところが苛々と歯噛みする俺に、文緒は残念そうに口を尖らせた。
「じゃあ何をどう言えっていうんだよ?」
「野球以外に取柄はないけど、絶対不幸にしない、とか?」
「それは小沢のじいさんのプロ…」
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