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番外編
大輔の夏休み 5
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朝食を食べた後、ばあさん達は俺と文緒の今後について策を巡らせていた。じいさん達は別に今すぐ結婚するわけじゃなし、なるようにしかならないだろうと面倒臭がっていたが、女性陣に睨まれて大人しく作戦会議に参加している。
俺と文緒は涼しいうちにトレーニングをするという名目で逃げ出し、住宅街を縫うように並んで走っていた。そういえば文緒がサークルを立ち上げてから、こんなふうに一緒に走る機会はめっきり減った。キャッチボールもずっとしていないし、そもそも文緒のアパートにも行っていない。練習で顔を合わせるから毎日会っているつもりでいたが、よくよく考えれば個人的な関係は後退している。
もっとも後退も何も、俺は文緒とデートすらしたことがない。同じ部屋で一緒に飯食って一晩明かしたことはあるのに、野球以外のことをしたことは皆無だなんて間抜けな話だ。
「文緒は夏休み中に他に行きたい所はないのか?」
出発点の公園に戻ってきてすぐ、クールダウンすべくゆっくり体を解しながら俺は訊ねた。太陽が真上に近づいているせいか、さすがに散歩をする人もいない。どうせ「練習」か「特にない」のどちらかだろうと踏んでいたら、
「特にないけど」
案の定想像通りの答えが返ってきた。岸監督にも司にも会って、荒木のじいさんにもうちの祖母ちゃんにも顔を見せた。こいつの頭の中にはもう、俺と遊びに行くなんて考え自体備わっていないのだろう。
「強いて言えば球場かな」
ところが珍しく続きがあった。球場と指定するあたり野球絡みではあるが。
「もう一度楽天の球場で試合を観たい」
文緒が楽天を好きになったきっかけが、優勝した年のクライマックスシリーズを本拠地で観戦したことだった。投手の好投と球場の一体感に圧倒されて、それ以来気になる球団になったと。
「対戦相手がロッテなら、一緒に行ってやってもいいぞ」
現在は楽天生命パークとかいう名称だったか。球場までの距離や移動時間、電車料金等を脳裏に浮かべる。一体どのくらいかかるんだろう。いろんな意味で。
「一人で平気だよ」
俺も素直じゃないがこいつも素直じゃない。
「そういうときは連れていってと言え」
「恩着せがましい。大輔はロッテの本拠地に行けばいいじゃん。一石二鳥だよ」
「効率の良さだけを求めるな」
睨みつけられてもどこ吹く風で、文緒は俺にグローブを放ってよこした。久し振りのキャッチボールに、お喋りをやめて無言でボールを投げ合う。ずっとこうしていられたらいいのに。文緒はいつだって俺の隣には収まってくれない。
「大輔」
どのくらい黙ってやり取りしていただろう。タオルで拭ってもお互いが汗だくの状態のなか、文緒がふいに俺の名前を呼んだ。
「連れていってね」
唐突な一言に体の動きが止まる。真っすぐに飛んできたボールが俺の肩にぶつかった。
「いってえ」
「そこまで再現しなくてもいいのに」
くすくす笑いながら文緒が歩み寄ってくる。妙に記憶にある展開だと思っていたら、五年前にとうもろこし畑でキャッチボールをしていた小沢夫妻が、今と似たようなことをやらかしていた。
「汚ねーぞ、この野郎」
「どこが? 教えられた通りにしたのに」
そこで文緒は俺の肩に小さな手を当てた。小首を傾げて確かめる。
「一緒に行こうね、大輔」
「おお」
逆らえる筈がない。俺はつくづくこいつに弱い。
「いい度胸だな、お前ら」
不穏な声に振り返ると、そこには既に各々グローブをはめたじいさんとばあさんが集合していた。こんな炎天下に出てきて大丈夫なのかと問いたくなる。
「どこまで覗いてやがったんだ」
おそらくたった今の再現ドラマを見られていたのだろう。笑いを堪えている年寄りメンバーの中に、約一名喧嘩腰のじいさんがいる。
「たまたまだ。しかも五年前だぞ。もう時効だろ」
「やかましい、このヘタレが!」
救いを求めて文緒に視線を移せば、小沢のばあさんと手を取り合って肩を揺らしている。
「さて、我々はウオーミングアップといくかの」
荒木のじいさんは涼しい顔で肩を回し、
「よし、今日は荒木の球は俺が受けるか」
うちの祖父ちゃんは何故持っているのかキャッチャーミットを構え直し、
「夏は腰が痛まなくていいわねえ」
荒木のばあさんとうちの祖母ちゃんはラジオ体操を始め、
「あーああ、あーあ、きょうもー、一発打ちたいなー」
上福元夫妻は歌い出す。ちなみにそれも野球アニメの歌なのか? 初めて聴いたぞ。この二人はどれだけレパートリーがあるんだ。
「よーし。覚悟しとけよ、へタレ。今日は寝かさねーからな」
じいさんにそんな台詞を吐かれても嬉しくない。大体痛めつけて寝られなくする気満々のくせに。
「そうだ、文緒。お前、楽天の球場に行きたいんだったよな?」
返事をしない俺にほくそ笑み、小沢のじいさんは文緒に話しかけた。頷いた彼女に更に黒いオーラが増す。
「せっかくだから旅行がてら、全員揃っていくとしようぜ」
げっ! 勘弁しろよ。一応初デートなんだぞ、初デート!
「対戦相手はどこにする」
「名物は牛タン? 萩の月?」
顔を引攣らせる俺など最早眼中にないのか、じいさんばあさんはこれまた初の仙台行きに盛り上がっている。小沢のじいさんのこれみよがしな笑顔が恨めしい。この人は実は俺と文緒の邪魔をしに来たんじゃないのか。
「そろそろ試合開始だ、へタレ」
がっくりと項垂れる俺の耳に、それは楽しそうな悪魔の囁きが落ちた。あーあ。
俺と文緒は涼しいうちにトレーニングをするという名目で逃げ出し、住宅街を縫うように並んで走っていた。そういえば文緒がサークルを立ち上げてから、こんなふうに一緒に走る機会はめっきり減った。キャッチボールもずっとしていないし、そもそも文緒のアパートにも行っていない。練習で顔を合わせるから毎日会っているつもりでいたが、よくよく考えれば個人的な関係は後退している。
もっとも後退も何も、俺は文緒とデートすらしたことがない。同じ部屋で一緒に飯食って一晩明かしたことはあるのに、野球以外のことをしたことは皆無だなんて間抜けな話だ。
「文緒は夏休み中に他に行きたい所はないのか?」
出発点の公園に戻ってきてすぐ、クールダウンすべくゆっくり体を解しながら俺は訊ねた。太陽が真上に近づいているせいか、さすがに散歩をする人もいない。どうせ「練習」か「特にない」のどちらかだろうと踏んでいたら、
「特にないけど」
案の定想像通りの答えが返ってきた。岸監督にも司にも会って、荒木のじいさんにもうちの祖母ちゃんにも顔を見せた。こいつの頭の中にはもう、俺と遊びに行くなんて考え自体備わっていないのだろう。
「強いて言えば球場かな」
ところが珍しく続きがあった。球場と指定するあたり野球絡みではあるが。
「もう一度楽天の球場で試合を観たい」
文緒が楽天を好きになったきっかけが、優勝した年のクライマックスシリーズを本拠地で観戦したことだった。投手の好投と球場の一体感に圧倒されて、それ以来気になる球団になったと。
「対戦相手がロッテなら、一緒に行ってやってもいいぞ」
現在は楽天生命パークとかいう名称だったか。球場までの距離や移動時間、電車料金等を脳裏に浮かべる。一体どのくらいかかるんだろう。いろんな意味で。
「一人で平気だよ」
俺も素直じゃないがこいつも素直じゃない。
「そういうときは連れていってと言え」
「恩着せがましい。大輔はロッテの本拠地に行けばいいじゃん。一石二鳥だよ」
「効率の良さだけを求めるな」
睨みつけられてもどこ吹く風で、文緒は俺にグローブを放ってよこした。久し振りのキャッチボールに、お喋りをやめて無言でボールを投げ合う。ずっとこうしていられたらいいのに。文緒はいつだって俺の隣には収まってくれない。
「大輔」
どのくらい黙ってやり取りしていただろう。タオルで拭ってもお互いが汗だくの状態のなか、文緒がふいに俺の名前を呼んだ。
「連れていってね」
唐突な一言に体の動きが止まる。真っすぐに飛んできたボールが俺の肩にぶつかった。
「いってえ」
「そこまで再現しなくてもいいのに」
くすくす笑いながら文緒が歩み寄ってくる。妙に記憶にある展開だと思っていたら、五年前にとうもろこし畑でキャッチボールをしていた小沢夫妻が、今と似たようなことをやらかしていた。
「汚ねーぞ、この野郎」
「どこが? 教えられた通りにしたのに」
そこで文緒は俺の肩に小さな手を当てた。小首を傾げて確かめる。
「一緒に行こうね、大輔」
「おお」
逆らえる筈がない。俺はつくづくこいつに弱い。
「いい度胸だな、お前ら」
不穏な声に振り返ると、そこには既に各々グローブをはめたじいさんとばあさんが集合していた。こんな炎天下に出てきて大丈夫なのかと問いたくなる。
「どこまで覗いてやがったんだ」
おそらくたった今の再現ドラマを見られていたのだろう。笑いを堪えている年寄りメンバーの中に、約一名喧嘩腰のじいさんがいる。
「たまたまだ。しかも五年前だぞ。もう時効だろ」
「やかましい、このヘタレが!」
救いを求めて文緒に視線を移せば、小沢のばあさんと手を取り合って肩を揺らしている。
「さて、我々はウオーミングアップといくかの」
荒木のじいさんは涼しい顔で肩を回し、
「よし、今日は荒木の球は俺が受けるか」
うちの祖父ちゃんは何故持っているのかキャッチャーミットを構え直し、
「夏は腰が痛まなくていいわねえ」
荒木のばあさんとうちの祖母ちゃんはラジオ体操を始め、
「あーああ、あーあ、きょうもー、一発打ちたいなー」
上福元夫妻は歌い出す。ちなみにそれも野球アニメの歌なのか? 初めて聴いたぞ。この二人はどれだけレパートリーがあるんだ。
「よーし。覚悟しとけよ、へタレ。今日は寝かさねーからな」
じいさんにそんな台詞を吐かれても嬉しくない。大体痛めつけて寝られなくする気満々のくせに。
「そうだ、文緒。お前、楽天の球場に行きたいんだったよな?」
返事をしない俺にほくそ笑み、小沢のじいさんは文緒に話しかけた。頷いた彼女に更に黒いオーラが増す。
「せっかくだから旅行がてら、全員揃っていくとしようぜ」
げっ! 勘弁しろよ。一応初デートなんだぞ、初デート!
「対戦相手はどこにする」
「名物は牛タン? 萩の月?」
顔を引攣らせる俺など最早眼中にないのか、じいさんばあさんはこれまた初の仙台行きに盛り上がっている。小沢のじいさんのこれみよがしな笑顔が恨めしい。この人は実は俺と文緒の邪魔をしに来たんじゃないのか。
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