とうもろこし畑のダイヤモンド

文月 青

文字の大きさ
51 / 55
番外編

文緒の帰郷 1

しおりを挟む
かつて自分が在籍した少年野球チームの練習に久しぶりに参加した。本当は見学だけのつもりだったが、ついでだから子供達の指導の手伝いをするよう、監督と補佐を務める司に勧められたのだ。大学の夏休みを利用しての帰郷はこうして幕を開けた。

「新しく立ち上げたサークルはどんな具合なんだ?」

グラウンドでは練習を終えた子供達が解散し、司と真琴が二人でキャッチボールに取り組んでいる。暑い日差しと風が吹く中、バックネット脇のベンチに並んで座った岸監督は、そんな二人を好もしそうに眺めていた。

「メンバーが七人になりました。男子も二名入っています」

卒業までに立ち上げられない可能性も踏まえた上で、一人で始める筈だった軟式野球サークル。実際は大輔はもちろん、軟式野球部の大幅な協力を得て、私が目指す形を整えつつある。

「荒木さんがお前を可愛がる理由が分かるな」

ふいに岸監督が小さな笑みを洩らした。司のボールを受け損ねた真琴が、彼にどやされて口を尖らせている。言葉遣いは相変わらず良くないが、司の真琴への視線は想像以上に優しい。

「初めて私の元を訪れたときに仰っていたんだよ。文緒は誰よりも野球を楽しむ子だと」

「お祖父ちゃんが?」

「ああ。そしてきっと一緒にいる者も、野球に惹かれていくだろうとな」

高校時代といい現在といい、お前の周囲には野球好きが集まるだろう? 悪戯っぽく唇の端を上げる岸監督。

「司でさえも桂には適わないとぼやいていた。次から次へと目標を掲げるからな。もっともあいつもようやく夢中になれるものを見つけたようだが」

さすが息子の恋心もお見通しのようだ。

「ところで監督。監督はどうして指導者の道を選んだんですか?」

長いつきあいだが今まで一度も訊ねたことがなかった質問だった。私にとっては出会ったときから教えを授けてくれる人だったのだ。

「高校時代の恩師の影響かな」

甲子園に出場経験のある岸監督は、お祖父ちゃん達が記憶する程有名な先生の教え子だと聞いている。

「とにかく厳しい人だった。練習においても普段の生活においても。その代わりどんなに下手だろうと伸び悩もうと、絶対生徒を見放すことはしなかった。部員の人数がかなり多かったのに、一人一人の性格も癖も趣味まで、一番把握していたのは先生だった」

楽しそうに話す岸監督の言葉が、そっくり自分や司、少年野球チームのメンバーの思いに繋がる。私達も子供ながらに岸監督のことをそういう人物だと、だからこそ誰も辞めることなく着いていった。

「私は先生のような人格者ではない。だが先生との出会いで野球をやっていて良かったと心底思えた。それをまだ野球を知らない、やってみたいけど躊躇している子供達に伝えたかった」

その熱意がまだ少年野球チームのなかったこの地に、新たにチームを発足させることになった原動力。私はそっと目を閉じた。再び開いた先に何度もボールのやり取りを繰り返す、かつてのチームメイトが笑っている。

「焦ることはない。自分の思うようにやってみればいい」

岸監督の声がお祖父ちゃんと重なる。私は間違っていなかった。先走りした感のあるサークル立ち上げだったけれど、今ここに私の信じたものが確かに根を下ろしている。私は私の道を行く。もう迷わない。

「そういえばメンバーが少なかったですね。今日は休みの子が多いんですか?」

自分の気持ちを再確認したところで、私は野球チームの練習中に気づいたことを訊いてみた。岸監督は小さなため息を一つつく。

「いや。全員参加していた。子供の数と野球人口が減っていることが理由だ」

言われてみれば私が現在住んでいる地域でも、少年野球チームを見かけたことがない。私の行動範囲が狭いだけかもしれないが、中学や高校の野球部の生徒とはすれ違っても、バットやグローブを担いでいる子供とは殆ど行き合わない。

「特にキャッチャー離れは深刻だぞ。疲れる、汚れる、危ないと。聞いただろう? 司の高校の野球部も、キャッチャーは外野の子がやっている」

私は無言で頷いた。今でも司が野球部から入部を打診されるのは、彼がキャッチャー経験者という点が大きい。それに嬉しさを覚えながらも、司は迷わず真琴の手を取った。

「勝つのは大事だ。でもそれとは無関係なところにも、必死な奴はいるよな」

野球が好きで、でも下手だからと一度は諦めた真琴の力になりたくて。

「例えメンバーが一人になろうとも、私は指導者でありたいと願っているがな」

岸監督の願いが胸を締め付ける。そしてやはり親子。司は意識せずとも、岸監督ちちおやの背中を追いかけている。

突然眼前にとうもろこし畑が広がった。茶色いでこぼこのグラウンドで、楽しそうに駆け回る中学生の大輔が浮かび上がる。やがて景色は大輔の通っていた中学校の校庭に変わった。

「そもそも子供の数が少ないから、チームを組むことすらできないのよ」

たった五人しかいない野球部の事情を、基礎すら満足に教われない環境を嘆いていたのは、大輔のお祖母ちゃんだった。

ああ、そうか。すとんと何かが自分の中に落ちたとき、グラウンドにいたのは司と真琴だった。馬鹿だ、私。今頃気づいた。何故あんなにもサークルを立ち上げたかったのか。

ーー環境に恵まれず、野球を学びたくても学べなかった、中学の頃の大輔が根底にあったからだ。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

✿ 私は夫のことが好きなのに、彼は私なんかよりずっと若くてきれいでスタイルの良い女が好きらしい 

設楽理沙
ライト文芸
累計ポイント110万ポイント超えました。皆さま、ありがとうございます。❀ 結婚後、2か月足らずで夫の心変わりを知ることに。 結婚前から他の女性と付き合っていたんだって。 それならそうと、ちゃんと話してくれていれば、結婚なんて しなかった。 呆れた私はすぐに家を出て自立の道を探すことにした。 それなのに、私と別れたくないなんて信じられない 世迷言を言ってくる夫。 だめだめ、信用できないからね~。 さようなら。 *******.✿..✿.******* ◇|日比野滉星《ひびのこうせい》32才   会社員 ◇ 日比野ひまり 32才 ◇ 石田唯    29才          滉星の同僚 ◇新堂冬也    25才 ひまりの転職先の先輩(鉄道会社) 2025.4.11 完結 25649字 

処理中です...