とうもろこし畑のダイヤモンド

文月 青

文字の大きさ
52 / 55
番外編

文緒の帰郷 2

しおりを挟む
炎天下のグラウンドに長時間いるのはきついので、司と真琴の練習が終わったのを見計らって、岸監督は道具を積んだ車で帰っていった。私達三人は久し振りの顔合わせなので、一旦自宅で汗を流してから司の家で落ち合うことにした。

「野球の本しかない」

初めて入った司の部屋が、あまりにも想像通りだったので私は苦笑を洩らした。文句があるなら出ていけと司は嘯いたが、真琴は他のことに気が行ったらしい。

「桂先輩、岸くんの部屋初めてなんですか? 昔からの友達なのに」

真琴にとっては単純な質問だったのだろうが、司はしまったと言わんばかりに焦っている。おそらく彼女は度々この部屋に招かれているのだろう。

「私と司はグラウンドだけのつきあいだからね。野球チームの面々も然り。自分の領域に入れた女の子なんて、真琴くらいのもんじゃないの」

ぱちぱちと瞬きを繰り返す真琴に微笑むと、司は口をパクパクさせて私を睨んだ。

「そうですよね。他の人はみんな上手いから、課外授業は必要ないですもんね」

課外授業って……。呆れて司に視線を送ると、彼はバツが悪そうに頬を掻いている。竹を割ったような性格の持ち主だが、事恋愛においてはそうもいかないらしい。まあ真琴も相当鈍いけれど。

いやそれは私も同類か。大輔も文緒は鈍いといつもぼやいていた。

「板倉と二階のことならもう大丈夫だよ」

帰省する前に石井さんにいきなりそう言われた。二階さんが好きだったと、想いを清算するように過去形で告げたことで、一応の決着を見たのだそうだ。

「二人でキャッチボールをするのに、誰にも遠慮はいらないよ」

けれど私は大輔からその話を聞かされていないし、そもそも彼は私のアパートにも、ここのところ足を運ばなくなっている。最後にキャッチボールをしたのはいつだったろうか。

「大輔も練習や試合で忙しいんじゃないかな」

「文緒ちゃん」

何気なく洩らした台詞に、珍しく石井さんが低い声を出した。

「板倉が君をどれだけ大事にしてるか分かってる?」

私は曖昧に首を傾げた。もちろんいつも心配してくれていることはちゃんと知っている。喧嘩しているときでさえも。

「本当は自分の傍にいてほしいのに、それでは文緒ちゃんが自分らしくいられないからと、あえて自由にさせて見守っているんだよ。毎日一緒にいても手も出さずにね」

男にはきついよ、と石井さんは苦笑した。

「今度はさ、文緒ちゃんから板倉の懐に飛び込んであげてよ。きっとあいつ、喜ぶよ」

それともう一つ。そうして石井さんが補足したのは、到底信じられないことだった。

「板倉の初恋は文緒ちゃんだから。というか他に好きになった女の子、いないんだって。びっくりだよね」

あまりに驚き過ぎて返事ができなかった。結局その後すぐに帰省したので、大輔とは顔を合わせずじまい。

「ところで新たに立ち上げたサークルはどうなんだよ?」

気持ちを立て直した司が、監督と同じことを訊ねてくる。何だかんだ言って、相変わらず面倒見がいいのは父親譲り。

「一応軌道に乗ったよ。現在メンバーが七人で、中学野球の経験者も二人入ったから、個々の基礎とレベル上げに専念してる。まずは九人揃えて紅白戦を目指すよ」

「桂先輩は大学でも、私みたいな人達に門戸を開いてくれているんですね」

嬉しそうに真琴が目を細める。廃会の責任を負わせてしまったけれど、それでも彼女は同好会に入れてよかったと、悔いは一つもないと笑ってくれた。

「そんな立派なものじゃないよ。私がみんなと野球をやらずにいられないだけ。我儘なんだよね」

「違いますよ。だってやりたくても、そう声にできる場所、私にはずっとなかったんですから」

「真琴……」

穏やかな表情で頷く真琴と、現在彼女を支えて、支えられている司の姿に、自分と大輔が投影される。

「ありがとう。そう言ってくれて。じゃあいつかは真琴が、司と一緒にそういう場所を作っていって」

「はい! と胸を張りたいですが、岸くんからは怒られてばっかりで……」

せっかく指導を受けているのに、上達しない自分が歯痒いようだ。

「見込みがあるから煩くしているだけで、別に怒ってんじゃねーよ」

慌てて司が口を挟む。

「でも本当は岸くん、野球部に入部したいんじゃないの? 桂先輩に私を頼まれたから」

「頼んでないよ」

申し訳なさそうな真琴に私は即答した。ぽんぽんと頭を撫でる。

「私がお願いしたのは、同好会の存続がかかった二週間のみ。それ以降は司の意思だよ。真琴と一緒に野球をやりたくて」

「おい、桂!」

再び焦る司に頑張れと拳を握って見せる。

「仕方なくつきあってくれてたんじゃないの?」

不安げに確かめる真琴に、司はしどろもどろ気味に説明を始めた。

「そ、そんなわけないだろ。俺は暇じゃねーんだぞ。ったく、馬鹿なこと考えんな」

「絶対?」

「当たり前だ」

微笑ましいやり取りを続ける二人に気づかれぬよう、私はトイレに行く振りをして部屋を出た。真琴はずっと司に引け目を感じていた。自分のせいで彼が犠牲になっているのではないかと。たぶんそれは私が百回違うと言っても拭えない。けれど司がたった一度、自分の正直な思いを告げてくれたら簡単に解れるのだ。

この分ならきっと上手くいくだろう。数日後には会えるというのに、私も無性に大輔が自分を叱る声が聴きたくなった。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

灰かぶりの姉

吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。 「今日からあなたのお父さんと妹だよ」 そう言われたあの日から…。 * * * 『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。 国枝 那月×野口 航平の過去編です。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

雪の日に

藤谷 郁
恋愛
私には許嫁がいる。 親同士の約束で、生まれる前から決まっていた結婚相手。 大学卒業を控えた冬。 私は彼に会うため、雪の金沢へと旅立つ―― ※作品の初出は2014年(平成26年)。鉄道・駅などの描写は当時のものです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...