とうもろこし畑のダイヤモンド

文月 青

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番外編

文緒の帰郷 3

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「げっ! 鬼の桂が何でいるんだよ? 大学追ん出されたのか」

翌朝。涼しい時間に練習をするという司と真琴に合わせ、市営グラウンドでランニングに励んでいた私に、母校の野球部のユニフォームを着た鹿妻が喚いた。練習に行く途中なのだろう。乗ってきた自転車をバックネット裏に止めて、呆然と私を眺めている。

「おやおや、弱小野球部の鹿妻選手。ずいぶんなご挨拶だね」

ベンチに置いていたタオルで汗を拭い、自分より背が高い後輩の額を指で弾く。

「いってえ。相変わらずだな、暴力女」

どこかで聞いた台詞だ。そういえばこいつは大輔に負けず劣らずの暑苦しい男だった。

「で? どっちの誘惑?」

真琴のペースを崩さないよう、ゆっくり伴走する司に視線を投げる。ずっとこうして寄り添ってきたのだろう。真琴の息が殆ど上がっていない。ほんの数ヶ月でだいぶスタミナがついている。さすがだ。

「嫌な聞き方するなよ。真琴の方は最初から見込みがないのは分かっていたからな。現在は岸一本に絞ってる」

昨年はともかく今年の春にあいつが現れてから……といつも無駄に元気な鹿妻がしんみりと呟く。彼は真琴の同級生の野球部員で、ずっと野球部のマネージャーになるよう誘っていた。人手が欲しいのも事実だが、単純に真琴が好きだったのだ。

そして捕手の経験者がおらず、強肩の外野手がマスクを被っている現野球部に、司を引き込もうとしている張本人でもある。

「誤解を招きそうだよ」

遊撃手として入学早々レギュラーを張っている鹿妻は、この地域にあるもう一つの少年野球チームの出身だった。勝つことに重きを置くチームに在籍していただけあって、守備も打撃も群を抜いて上手かった。

家庭の事情で強豪校ではなく、自転車通学できる母校に入学を決めたが、正直部員の数はそれなりにいるのに、経験ポジションの偏りでチームが回らない現象に頭を抱えていた。

「あんたが男だったらと切に願ったよ」

週に一回でもいいからグラウンドの隅を貸して欲しいと、同級生でもある野球部主将の元に頼みに行った際、遊びで野球をやっている奴に貸してやる場所などないと、若干一年生ながら豪語したのが鹿妻だった。で、大輔言うところの単細胞のこの私。

「軟球でエースから一本打ってみろ」

慌てて反対する主将を押しのけ、その提案を飲んでしっかりかましてやりましたとも、キャッチャーは要らないホームランを。

「シートノックに入れ」

どこまでも生意気な要求も、ショートに居座ってばしばしボールを捌いてやりましたとも。部員のみんなは軟球に触れなくなって久しいし、ちゃんと手加減してくれていたけれど。

「あんたは女じゃない。この鬼桂!」

それ以来鹿妻は私を鬼と呼ぶ。いちいち咎めないのは彼の野球に対する姿勢が、見かけに寄らずどこまでも真摯だから。ちなみにこの過去は大輔はもちろん司も知らない。

「鬼の桂は今はどうしてるんだ? 大学で野球をやってるのか?」

「ああ、またサークル立ち上げたんだ。経験の有無も老若男女も問わない、誰でも入れる軟式野球サークル」

どうせ呆れられるだろうと踏んで喋ったら、鹿妻は珍しくくすっと小さな笑みを洩らした。

「やっぱりな。あんたならやると思った」

鹿妻の存在に気づいた司が、ランニングを終えて真琴と一緒にこちらに歩いてくる。

「あんたと野球やりたかったよ」

「司の次に?」

「いや。岸は野球部には必要だが、俺が個人的に欲しいのは鬼の桂の方だ」

夏の大会の県予選は一回戦敗退だったと聞いている。新体制に変わったばかりで、いろいろ躓きもあるのかもしれない。淋し気な鹿妻にふとそんな感慨を受けた。

「もしかして告白? 鹿妻は桂先輩が好きだったの?」

鈍さ百パーセントの真琴に、当の鹿妻も同様に彼女を好きな司も苦笑いしている。

「そうだな。これはある意味恋かもな。野球を通じて焦がれているというか」

おやと目を瞬くと彼はゆっくり頷いた。

「本当だ。桂といると自分の知らなかった一面が引き出される。楽しくて仕方がなくなる」

お祖父ちゃんや大学の軟式野球部のメンバーの声と重なる。

「待て。マジで桂が好きなのか? 鹿妻先輩」

「さあな。でも今は岸の捕縛が先だ」

にやりと口の端を上げる鹿妻に、司は途端に苦虫を噛み潰したような表情になった。

「司を落とすのは難しいよ? 中途半端なことはしないし、一度関わった人間は最後まで面倒を見るし」

ちらっと真琴の方を窺ってから続ける。

「彼女なら尚更」

ところが肝心の真琴がこてんと可愛らしく首を傾げた。

「え? 岸くん彼女いたの?」

二重の意味で顔を引きつらせる司に、私と鹿妻は揃って眉間に皺を寄せた。

「昨日お膳立てしてやったのに、まさかまだ先輩後輩のままだとは」

「じれったいの通り越して馬鹿馬鹿しくなってきた」

ひそひそと囁く私達を尻目に、司は必死になって真琴に弁解を試みている。

「恋は人をヘタレに変える」

遠慮なくこき下ろす私に、鹿妻はお腹を抱えて爆笑した。まだ笑うのかとぼやきたくなる程、ひーひー苦しそうにしていた彼は、やがて真顔に戻ってきっぱりと言った。

「連絡先を教えていけ、桂文緒」



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