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橋本編 鬼畜の片想い
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茂木がどんな魔法をかけたのか、はたまた醜い呪いを解いたのか、奈央は最近とびぬけて綺麗になった。もともと素地は良かったのだろうが、手をかける、いやそれを表に出すのを嫌がっていたというべきか、とにかく「女」としての自分を隠していたように思う。それがカタツムリの王子様のおかげで変身した。
「内面から滲み出る美しさよねぇ、あれは」
集荷を終えてトラックの運転席に乗り込もうとしたとき、感嘆のため息を洩らしながら近づいてくる人物がいた。日曜の午後の賑わう店内で忙しく動く奈央を、ウインドウの外から優し気にみつめている。
「湊くんの力だとしたら大したもんね」
どうでもいいがあいつは周囲の人間には下の名前で親しまれているのに、何故か肝心の奈央からはいまだに名字で呼ばれている。
「そこは同感ですね。あの枯れ女をここまで変えるとは」
一応先日ご利用頂いたお客様なので、きちんとした対応を心がける俺は大人だ。
「本当に。奈央ちゃん、もう笑うことなんてないんじゃないかと…」
茂木の意中の人が奈央だと白状されたとき、正直何かの間違いではないかと思った。俺の担当区域の菓子店で働くその女は、決して愛想が悪いわけではないし、むしろ挨拶は気持ちいいくらいしてくれるが、感情の振り幅が極端に小さいように感じられた。上手くは言えないが喜ばない代わりに悲しまない、といったふうに。
その奈央の印象が覆されたのは、配達のついでに茂木から預かった弁当箱を返したときだ。お礼の手紙が入っていたらしく、それを読んだあいつの顔はすぐさま茹蛸状態になった。
「あんまりそういう顔、茂木以外の男に晒すなよ。俺みたいな鬼畜に食われるぞ」
呆れて注意してやると、まるで頬を染めた少女の如き様相で俺を睨みつけてくる。人のことを鬼畜呼ばわりする癖に、とても自分と同年齢とは思えない初心さ加減。
ーー可愛い。
さすがの俺も言葉に詰まって、すぐに尻尾を撒いて退散した。茂木は奈央の本来の姿を見抜いていたのだろうか。前の彼女がろくでもなかったせいもあり、茂木が奈央を本気で想っていることだけは実感した。
「面に出てるよ、橋本」
相変わらず口が悪い。
「何で茂木はくん付けで、俺は呼び捨てなんでしょうかね」
文句を垂れながら横に立つ藪を窺えば、彼女も何とも言えない表情で俺を眺めている。気の毒とも同情ともつかないその色が気に食わなくて、
「あんたにもそんな人が現れたら、少しはましになるんじゃねーの」
仕事の邪魔だと手で追い払う真似をしつつ吐き捨てた。
「お互い様だっつーの」
藪はあっさり切り返して笑ったが、ほんの一瞬辛そうに見えたのは気のせいだろうか。
茂木が奈央と同居を始めてから、俺も度々あいつらの家に呼ばれて飯をご馳走になる機会が増えた。で、大抵その場には藪もいる。確かめるまでもなく狸店長の仕業だ。げんなりする俺を余所に、藪は勘づいているのかいないのか、全く普段通りにいけ好かない老け女のままだ。
茂木経由で狸店長が寄越した情報によると、藪は元々地元を離れていたのだそうだ。父親が脳梗塞で倒れたのを機に実家に戻り、既に嫁いだ姉に代わって両親と三人で暮らし始めた。それがちょうど奈央が店長宅に引っ越してきた頃と重なるので、彼女のことを陰ながら気遣っているらしい。
幸い父親はリハビリが功を奏したのか順調に回復し、日常生活なら特に支障なく送れるようになったが、藪は会社勤めをしながらこの地に留まっているのだという。
「出戻りじゃなかったのか」
「結婚歴はないそうですよ」
年齢を聞いて頭の上にバッテンが付いているのかと勝手に想像していたが、どうやらそれ以前の問題だったようだ。
「貰い手なさそうだもんな、あれじゃ」
「いえ、どうやら結婚話が決まりかけていたらしいです」
「へぇ」
物好きもいたものだ。でも現在独身だということは結局破談になったのだろう。ご愁傷様。俺はそもそも結婚なんて濃い関係はごめんだが。
「いつまでも油売ってないでさっさと仕事しな、カタツムリ」
ばしんと勢いよく藪が俺の腕を叩いた。
「てめぇが話しかけてきたんじゃねーか」
毒づく俺に片手を振って藪は踵を返す。ったく、何なんだあの女は。マジでいけ好かない。俺はチッと舌打ちしてトラックに乗り込んだ。
「内面から滲み出る美しさよねぇ、あれは」
集荷を終えてトラックの運転席に乗り込もうとしたとき、感嘆のため息を洩らしながら近づいてくる人物がいた。日曜の午後の賑わう店内で忙しく動く奈央を、ウインドウの外から優し気にみつめている。
「湊くんの力だとしたら大したもんね」
どうでもいいがあいつは周囲の人間には下の名前で親しまれているのに、何故か肝心の奈央からはいまだに名字で呼ばれている。
「そこは同感ですね。あの枯れ女をここまで変えるとは」
一応先日ご利用頂いたお客様なので、きちんとした対応を心がける俺は大人だ。
「本当に。奈央ちゃん、もう笑うことなんてないんじゃないかと…」
茂木の意中の人が奈央だと白状されたとき、正直何かの間違いではないかと思った。俺の担当区域の菓子店で働くその女は、決して愛想が悪いわけではないし、むしろ挨拶は気持ちいいくらいしてくれるが、感情の振り幅が極端に小さいように感じられた。上手くは言えないが喜ばない代わりに悲しまない、といったふうに。
その奈央の印象が覆されたのは、配達のついでに茂木から預かった弁当箱を返したときだ。お礼の手紙が入っていたらしく、それを読んだあいつの顔はすぐさま茹蛸状態になった。
「あんまりそういう顔、茂木以外の男に晒すなよ。俺みたいな鬼畜に食われるぞ」
呆れて注意してやると、まるで頬を染めた少女の如き様相で俺を睨みつけてくる。人のことを鬼畜呼ばわりする癖に、とても自分と同年齢とは思えない初心さ加減。
ーー可愛い。
さすがの俺も言葉に詰まって、すぐに尻尾を撒いて退散した。茂木は奈央の本来の姿を見抜いていたのだろうか。前の彼女がろくでもなかったせいもあり、茂木が奈央を本気で想っていることだけは実感した。
「面に出てるよ、橋本」
相変わらず口が悪い。
「何で茂木はくん付けで、俺は呼び捨てなんでしょうかね」
文句を垂れながら横に立つ藪を窺えば、彼女も何とも言えない表情で俺を眺めている。気の毒とも同情ともつかないその色が気に食わなくて、
「あんたにもそんな人が現れたら、少しはましになるんじゃねーの」
仕事の邪魔だと手で追い払う真似をしつつ吐き捨てた。
「お互い様だっつーの」
藪はあっさり切り返して笑ったが、ほんの一瞬辛そうに見えたのは気のせいだろうか。
茂木が奈央と同居を始めてから、俺も度々あいつらの家に呼ばれて飯をご馳走になる機会が増えた。で、大抵その場には藪もいる。確かめるまでもなく狸店長の仕業だ。げんなりする俺を余所に、藪は勘づいているのかいないのか、全く普段通りにいけ好かない老け女のままだ。
茂木経由で狸店長が寄越した情報によると、藪は元々地元を離れていたのだそうだ。父親が脳梗塞で倒れたのを機に実家に戻り、既に嫁いだ姉に代わって両親と三人で暮らし始めた。それがちょうど奈央が店長宅に引っ越してきた頃と重なるので、彼女のことを陰ながら気遣っているらしい。
幸い父親はリハビリが功を奏したのか順調に回復し、日常生活なら特に支障なく送れるようになったが、藪は会社勤めをしながらこの地に留まっているのだという。
「出戻りじゃなかったのか」
「結婚歴はないそうですよ」
年齢を聞いて頭の上にバッテンが付いているのかと勝手に想像していたが、どうやらそれ以前の問題だったようだ。
「貰い手なさそうだもんな、あれじゃ」
「いえ、どうやら結婚話が決まりかけていたらしいです」
「へぇ」
物好きもいたものだ。でも現在独身だということは結局破談になったのだろう。ご愁傷様。俺はそもそも結婚なんて濃い関係はごめんだが。
「いつまでも油売ってないでさっさと仕事しな、カタツムリ」
ばしんと勢いよく藪が俺の腕を叩いた。
「てめぇが話しかけてきたんじゃねーか」
毒づく俺に片手を振って藪は踵を返す。ったく、何なんだあの女は。マジでいけ好かない。俺はチッと舌打ちしてトラックに乗り込んだ。
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