バツイチの恋

文月 青

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蹲っていたのは一分やそこらだったのかもしれない。ふいにざっざっという砂を蹴るような音が聞こえた。遠ざかった筈の足音が再び近づいてくる。もしかして修司さんが戻ってきてくれたのだろうか。顔を伏せたまま拳を握り締める私の肩を、大きな手がとんとんと叩いた。

「どうしたの? 一ノ瀬さん」

それは主任の声だった。のろのろと面を上げると、心配そうにこちらを見下ろしている。つい今しがた自分が通用口まで送った部下が、敷地の中でしゃがみ込んでいるのだ。当然驚くだろう。でもごめんなさい。私は修司さんじゃなくてがっかりしてしまいました。

「すみません。あの」

こっそり涙を拭ってから立ち上がる。

「やっぱり体調不良だったんだね。とりあえず休んだ方がいい」

戸惑っているうちに主任は勝手に私の背を押して、大丈夫と訴える間もなく桜屋の控室に押し込んだ。ちょうど夕食の時間に重なっているせいか、幸い従業員は一人もいなかった。

「一ノ瀬さんに倒れられると困るからね。他のパートさん達も感謝してるんだよ」

「そんなことは」

人から悪く思われたくなくて、断って態度を変えられるのが怖くて、嫌と口にできないまま何にでも頷いてきただけだ。誰かのためじゃない。全部自分のため。

「お金を稼ぎたかっただけですし」

「それでも周囲は実際助かってる。その気持ちを受け取ってもらえないと、こっちも結構がっかりするよ。信用されていないんだなって。甘えまくっている俺が言えた義理じゃないけど」

主任は腕時計を一瞥すると、落ち着いたら帰って構わないからと残して控室を出ていった。私はずっとため込んでいた長い息を吐く。気を使ってくれた主任に嘘をついたようで申し訳ない。

やり切れなくて右手をみつめる。修司さんはどうしているのだろう。連れの女性と食事をしている? お風呂に入っている? それとも…。同じ場所にいると要らない妄想に苛まれる。

私にとって修司さんとの時間はとても大切なもの。けれど彼にとっては日常の些細な一コマでしかなくて、それを特別視していた自分がつくづく恥ずかしい。なのに分かっていても考えてしまう。日曜日に桜屋の駐車場で白い車を目にすることはもう二度とないのだろうか、と。

しばらく桜屋の控室で休んだ私は、バスの最終時刻になったので重い腰を上げた。外は既に陽がとっぷりと暮れている。駐車場に停めてある数台の車の色も、外灯の明かりで滲んで見える。とぼとぼとバス停までの道を歩き出したとき、バッグの中で着信音が鳴った。スマホを手に取れば電話の主は何と修司さん。

「どこにいるんだ!」

もしもしと応答する前にいきなり叫ばれた。びっくりしてスマホを落としそうになる。

「富沢さんと、同じ所ですけど」

おずおずと返した途端ちっと舌打ちされた。

「あんた、今俺がどこにいるか知ってんの」

「桜屋ですよね?」

妙な問いかけに首を傾げていると、先程の比ではない大声が耳を直撃した。

「懲りずにふざけてんのか! あんたのアパートの前だよ!」




一体何がどうなっているのだろう。私は狐につままれたような気分で、コンビニのお弁当をかき込む修司さんをそっと窺った。ここは私の狭いアパート。部屋の中央に置かれた小さなテーブルを挟んで、私達は何故か向かい合っている。

「そこから絶対動くな」

半ば命令口調で電話を切った修司さんは、それから二十分足らずで車で桜屋までやってきた。事情が掴めない私を助手席に詰め込み(この表現がぴったりなくらいの荷物扱いでしたとも)、車をスタートさせると同時に雷が落とされた。

「全くちょろちょろしやがって! 勝手に消えてんじゃねーよ!」

ハンドルを指で叩く仕種で苛ついているのは充分伝わっているものの、その理由については少しも心当たりがない私は、むしろ修司さんが桜屋ではなく私のアパートにいた事実の方が気になった。

「富沢さんはどうしてアパートに?」

「あんたがいなくなったからだろうが」

「いなく…?」

意味が分からなくておうむ返しをする私に、修司さんは盛大なため息をついた。

「ごゆっくりお寛ぎ下さいませ」

私にそう言葉をかけられた修司さんは、立ち話では埒が明かないと判断し、一旦駐車場に車を取りに戻ったのだそうだ。ところが移動してくれば私の姿はどこにもなく、バス停かと思いきやそこにも人っ子一人おらず、タイミングよくバスに乗れたのかとアパートを訪ねてももぬけの殻。

もしかしてまた別れた夫が接触してきたのではないかと、慌てて電話したのに当の私はとんちんかんなことを宣う始末。さすがに堪忍袋の緒が切れて怒鳴ってしまったらしい。

「まさかまだ桜屋にいたとは。あんたはどれだけ俺を振り回せば気が済むんだか」

主任の勧めで桜屋で休んでいる間にすれ違ったと知った修司さんは、もう怒るのもあほらしいと疲れたように肩を落とした。

「すみません」

恐縮する私にももう罵倒すらしてくれない。途中でコンビニに寄って買物をした後は、私のアパートまでずっと無言だった。

「話、したいんだけど」

なのにいざ車を降りようとしたら、遠慮がちにそんなことを洩らす。しかも助手席で居住まいを正した私に、お弁当が二つ入ったコンビニの袋を掲げた。これは部屋で…という解釈で正しいのだろうか。

「女の人の部屋は禁忌だったんじゃ」

「ここで持ち出すか?」

そんなやり取りがあって現在、私達は二人一緒にいるわけなのだけれど。修司さんの常ならぬ言動にも、連れの女性を放っておいている状況にも、ただただ不安を覚えるばかりの私だった。



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