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洗い物を終えてエプロンを外したところで、新聞片手にコーヒーを飲んでいた男が腕時計に目を落とした。一般的には良い男の部類に入るであろう、スーツ姿の夫と呼ぶべき人は、ちらっと私を一瞥してから立ち上がる。恋愛もおつきあいもすっ飛ばして、他人同然、よくて友人止まりのまま成された結婚だ。俄か妻に興味が持てないのは仕方がない。
「出るぞ」
素っ気なく声をかけられて、はーいと間延びした答えを返せば、眉間に皺を寄せて正される。
「返事ははい、だ」
つっけんどんだが意地悪ではない夫に内心苦笑した。
「行ってきます」
二人でリビングに飾られた写真に手を合わせる。そこには畑仕事に勤しむ二瓶・三船両家の祖母が、並んで楽しそうに笑っている。これは私達が結婚してから、毎日繰り返されている当たり前の光景だ。
「またおいで」
拓海と三船のおばあちゃんを訪ねた日の夜、彼女はうちのお祖母ちゃんの後を追うように、安らかな眠りについた。同じ年に隣同士の家に嫁いでから、ずっと支えあってきた二人は、人生の幕引きまで一緒だった。
「最後に祖母ちゃん孝行ができた。感謝する」
両家の祖母の四十九日が済んだ後、どこか力が抜けたような拓海にお礼を伝えられた。
「詩乃と、俺の嫁にと望んでいたお前と話せて、祖母ちゃんは嬉しそうだった」
果たしてそうだろうか。三船のおばあちゃんも、うちのお祖母ちゃんとそっくり同じ遺言を残している。どちらの祖母にも不義理をしていた私は、それを責められるならまだしも、喜ばれる筋合いではない。
「どうして私と大場さんだったのかな」
お祖母ちゃんの仏壇の前で、今更ながらシンプルな疑問が零れた。二瓶に孫は五人、三船には七人いる。しかも本家にはそれぞれ三人。なのに縁の薄い外孫同士を娶せようとしたのは何故なのだろう。
「それに関しては俺も異論があるが」
私の呟きを拾った拓海は、そう前置きする傍ら苦笑しつつ教えてくれた。
「仲よしばあさん二人組は両家の孫が幼い頃、全員の顔写真を用意して、男女別に各々気に入ったものを選ばせたんだそうだ。そのとき唯一合致したのが俺とお前の組み合わせだったというわけだ」
まるで神経衰弱の如く遊びの延長にある写真お見合いに、空いた口が塞がらなくなった私は、呑気に微笑んでいるお祖母ちゃんの遺影を軽く睨んだ。どこまで悪戯好きなんだか、全く。
「その頃からばあさん二人の間では、俺達は許嫁ってことになっていたらしい」
遺言を作成したのもこの時期だというから恐れ入る。けれど私はもちろん、両家の親戚も誰一人その事実を知らされていなかったので、お祖母ちゃん達が亡くなった後で慌てる羽目になったのだ。
「あなたはいつ遺言のことを知ったの?」
「四年前だ」
「そんなに前から? やっぱり狡い」
「無沙汰していたお前が悪い」
三船のおばあちゃんの前で交わした会話の再現に、拓海が幾分表情を和らげた。大人の男だったら馬鹿馬鹿しいと切り捨てそうなものなのに、拓海は最初からあっさり遺言の存在を受け入れていた。本当に祖母を慕っていたのだろう。
「遺言のことなんだが」
二瓶の伯父と三船のご当主が改まって口を開いたのは、そろそろ自宅に戻ろうと腰を上げたときだった。
「お前達の両親とも協議したんだが、いくら故人の希望でも、面識のない相手との結婚は些か無謀だと思う。だから責任を感じずともよい」
秋の風とは程遠い生温い風が、私と拓海の間を吹き抜けていった。
「結婚して即離婚、家庭不和などという状況が生まれれば、悲しむのもまたおばあちゃん達だ」
遺言を反故(?)にできるか否かは知らないが、身内の意見としてはもっともだった。お祖母ちゃん達の願いは叶えてやりたいが、みすみす若い者を不幸にするわけにもいかないのだろう。
「配慮はありがたいですが、俺と詩乃は既に結婚の意思を固めていますので」
分かりましたと頷こうとした瞬間、拓海はしれっと出まかせを吐いた。
「むしろこのまま見守って頂ければと」
年上だと踏んでいた拓海は実は同い年で、こんなふうに先人を煙に巻く姿は、やけに堂々としていて驚かされる。その後も場は揉めに揉めたが、結局拓海に押し切られるようにして、一年後に遺言通り私達は結婚した。
とはいえ拓海が私に好意を抱いているかというと、そんな事実は微塵もなく、挙式までの準備期間も打ち合わせ以外では殆ど会わず、彼が祖母の遺言を守りたかっただけなのは容易に知れた。
つまり「結婚」という体裁を整えることのみが目的で、それを達成した以上恋も愛も必要ないに等しい。が、ぎすぎすしているかというとそうでもなく、仕事ですれ違うとき以外は食事は一緒に取るし、休日には頼めば買物を手伝ってくれるし、話しかければ簡潔でも答えは返ってくる。
基本家事は苦手なようで私に一任されているが、その代わりご飯が不味いとか部屋が汚いといった文句は一切口にしない。なので2LDKのアパートに二人で住み始めて一ヶ月、この暮らしは案外快適だったりするのだ。
「出るぞ」
素っ気なく声をかけられて、はーいと間延びした答えを返せば、眉間に皺を寄せて正される。
「返事ははい、だ」
つっけんどんだが意地悪ではない夫に内心苦笑した。
「行ってきます」
二人でリビングに飾られた写真に手を合わせる。そこには畑仕事に勤しむ二瓶・三船両家の祖母が、並んで楽しそうに笑っている。これは私達が結婚してから、毎日繰り返されている当たり前の光景だ。
「またおいで」
拓海と三船のおばあちゃんを訪ねた日の夜、彼女はうちのお祖母ちゃんの後を追うように、安らかな眠りについた。同じ年に隣同士の家に嫁いでから、ずっと支えあってきた二人は、人生の幕引きまで一緒だった。
「最後に祖母ちゃん孝行ができた。感謝する」
両家の祖母の四十九日が済んだ後、どこか力が抜けたような拓海にお礼を伝えられた。
「詩乃と、俺の嫁にと望んでいたお前と話せて、祖母ちゃんは嬉しそうだった」
果たしてそうだろうか。三船のおばあちゃんも、うちのお祖母ちゃんとそっくり同じ遺言を残している。どちらの祖母にも不義理をしていた私は、それを責められるならまだしも、喜ばれる筋合いではない。
「どうして私と大場さんだったのかな」
お祖母ちゃんの仏壇の前で、今更ながらシンプルな疑問が零れた。二瓶に孫は五人、三船には七人いる。しかも本家にはそれぞれ三人。なのに縁の薄い外孫同士を娶せようとしたのは何故なのだろう。
「それに関しては俺も異論があるが」
私の呟きを拾った拓海は、そう前置きする傍ら苦笑しつつ教えてくれた。
「仲よしばあさん二人組は両家の孫が幼い頃、全員の顔写真を用意して、男女別に各々気に入ったものを選ばせたんだそうだ。そのとき唯一合致したのが俺とお前の組み合わせだったというわけだ」
まるで神経衰弱の如く遊びの延長にある写真お見合いに、空いた口が塞がらなくなった私は、呑気に微笑んでいるお祖母ちゃんの遺影を軽く睨んだ。どこまで悪戯好きなんだか、全く。
「その頃からばあさん二人の間では、俺達は許嫁ってことになっていたらしい」
遺言を作成したのもこの時期だというから恐れ入る。けれど私はもちろん、両家の親戚も誰一人その事実を知らされていなかったので、お祖母ちゃん達が亡くなった後で慌てる羽目になったのだ。
「あなたはいつ遺言のことを知ったの?」
「四年前だ」
「そんなに前から? やっぱり狡い」
「無沙汰していたお前が悪い」
三船のおばあちゃんの前で交わした会話の再現に、拓海が幾分表情を和らげた。大人の男だったら馬鹿馬鹿しいと切り捨てそうなものなのに、拓海は最初からあっさり遺言の存在を受け入れていた。本当に祖母を慕っていたのだろう。
「遺言のことなんだが」
二瓶の伯父と三船のご当主が改まって口を開いたのは、そろそろ自宅に戻ろうと腰を上げたときだった。
「お前達の両親とも協議したんだが、いくら故人の希望でも、面識のない相手との結婚は些か無謀だと思う。だから責任を感じずともよい」
秋の風とは程遠い生温い風が、私と拓海の間を吹き抜けていった。
「結婚して即離婚、家庭不和などという状況が生まれれば、悲しむのもまたおばあちゃん達だ」
遺言を反故(?)にできるか否かは知らないが、身内の意見としてはもっともだった。お祖母ちゃん達の願いは叶えてやりたいが、みすみす若い者を不幸にするわけにもいかないのだろう。
「配慮はありがたいですが、俺と詩乃は既に結婚の意思を固めていますので」
分かりましたと頷こうとした瞬間、拓海はしれっと出まかせを吐いた。
「むしろこのまま見守って頂ければと」
年上だと踏んでいた拓海は実は同い年で、こんなふうに先人を煙に巻く姿は、やけに堂々としていて驚かされる。その後も場は揉めに揉めたが、結局拓海に押し切られるようにして、一年後に遺言通り私達は結婚した。
とはいえ拓海が私に好意を抱いているかというと、そんな事実は微塵もなく、挙式までの準備期間も打ち合わせ以外では殆ど会わず、彼が祖母の遺言を守りたかっただけなのは容易に知れた。
つまり「結婚」という体裁を整えることのみが目的で、それを達成した以上恋も愛も必要ないに等しい。が、ぎすぎすしているかというとそうでもなく、仕事ですれ違うとき以外は食事は一緒に取るし、休日には頼めば買物を手伝ってくれるし、話しかければ簡潔でも答えは返ってくる。
基本家事は苦手なようで私に一任されているが、その代わりご飯が不味いとか部屋が汚いといった文句は一切口にしない。なので2LDKのアパートに二人で住み始めて一ヶ月、この暮らしは案外快適だったりするのだ。
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