降ってきた結婚

文月 青

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挙式の準備中に知ったのだが、私と拓海の勤務先は意外にも近かった。おかげで独身時代よりも通勤時間を短縮できる場所にアパートを借りることができ、しかも電車一本で済むので、朝のうちに家事を片付けられるという、私にとっては利点だらけの環境だった。

「じゃあな」

会社の最寄駅の改札を抜けたところで、拓海が素っ気なく手を振って背を向けた。一緒に家を出るということは、当然一緒に電車にも揺られるということ。さすがにここからは方向が違うので、左右に分かれて私も歩き出す。

「ぼけっとしてんなよ、野田。あ、大場か」

数歩進んだところで、いきなり後頭部を叩かれた。出勤途中でこんな真似をする人物は一人しかいない。

「大馬鹿って聞こえるんですが」

むすっとして振り返ると、そこには入社時からお世話になっている先輩・久慈健人くじけんとが朗らかに笑って立っていた。

「私も同意」

その横には二年前に社内結婚をした同期の遠藤えんどうかすみが、堪え切れずにふるふると肩を揺らしている。

「今日も同伴出勤か、相変わらず仲がいいよな」

「台詞が微妙ですけど」

私は憮然として答えた。同伴という言葉を選択するのがそもそも間違っている。

「いや、あれは絶対男避けのためだぞ」

「毎朝よくやるわよね」

私と拓海の結婚の経緯を知っているのに、二人は口元を歪めて拓海が去った方を眺める。男避けというのは冗談にしても、なまじ出勤時間が一緒なので、拓海が私に保護者よろしく付き添っているように見えるらしい。

「忙しいなら先に出ても大丈夫だよ」

途中までとはいえ用もないのに、毎朝夫婦揃って出勤するのは如何なものだろうと、そんな提案をしてみたものの、

「俺もこの時間がちょうどいいだけだ」

もっともな答えが帰ってきた。拓海にしてみれば本当に時間が重なっているだけなのだろうが、ラブラブでもあるまいにとため息が出る。これはやはりあの夜の一言が原因なのだろうか。

「詩乃、まさか、初めてなのか?」

お祖母ちゃん達の喪が明けたばかりなので、身内だけでこじんまりとした結婚式を挙げた夜、新居のベッドでようやく体を繋げた拓海は、私以上に辛そうな表情で呻いた。

「二十五にもなって、何で」

経験のない痛みに身を縮ませていた私は、悔しいやら恥ずかしいやらでぷいっと顔を逸らした。

「遊ぶ女はそれなりにいるが、特定の女はいない」

初対面の日に口にした通り、拓海は女性に慣れているようだった。打ち合わせで会っていた数少ない中でも、必ずと言っていい程女性から連絡が入ったし(メールじゃなくて何故か電話なのよこれが)、枯れる年齢には早いことからもお相手には事欠かないのだろう。実際私の裸を目にしても冷静で、嘘をつかれるのは嫌だけれど睦言の一つもなく、淡々と義務的に済まそうとしている感がありありだった。

「ったく、この馬鹿が」

涙目で唇を噛む私に、癖なのか動きを止めた拓海はチッとお約束の舌打ちをした。

「どうして黙っていた」

「二十五にもなっていますんで。遠慮はいりませんから、どうぞ適当に済ませて下さい」

自分でも子供じみた八つ当たりだと分かっていたけれど、優しさの欠片もない言動に私は泣きたくなった。私が初めてだろうが百回目だろうが拓海には関係ない。でもちょっとは怖かったし、想像より遥かに痛いしで、心は完全に折れかけていたのだ。

「揚げ足を取るな。そうじゃなくてやりようがあるだろ。自制できるかどうかは別にして」

珍しく焦った拓海の声が尻すぼみになる。

「性急すぎた。悪かった。その、痛いか?」

「どうぞお構いなく」

「お前な……」

はーっと深く息を吐いて拓海は私の頬に触れた。もの凄く近い距離でみつめあうなり、彼は先程の質問を再び繰り返した。

「どうして黙っていた?」

理由は幾つかあった。恋人でもないのに気遣いを求めるのは気が引けたし、他の女性と比べて面倒だと思われたくもなかった。

「好きな人が、いたせいかな」

ぼそっと呟くと、見下ろしていた双眸が大きく開かれた。

「男はいないって」

「いないよ。片想いだったから」

第一その人にはもう想いを残していない。そう続けたけれど、呆然とする拓海には聞こえていないようだった。結局よく分からないうちに作業(?)は終ったが、彼はこの夜以来私を抱こうとはしなかった。代わりに同伴出勤(この表現どうにかならないものかな)の日々が始まるのである。

所詮パピコ王子と神経衰弱女の結婚。お似合い以前に、割れ鍋に綴じ蓋という具合にもならないらしい。お互い好きなわけじゃなくても、例えそれが過去の恋でも、男女とあらば拗れるものなのだろうか。疑問だ。

「男なんか要らないって顔して、ちゃっかり結婚してしまうんだからなあ。野田、あ、大場か、には驚かされる」

悪意のない久慈さんの台詞で我に返ると、かすみが呆れたようにあんぐりと口を開ける。

「幸せな人よねえ」

私達の含み笑いは、溌溂と前を歩く久慈さんの耳には届いていなかった。



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