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「詩乃、会社の同僚を招んでもいいか?」
十月初めの穏やかな日曜日。洗濯物を干し終えてリビングに戻ると、右手にスマホを持った拓海が、渋面を作って訊ねてきた。
「いいよ」
結婚してからこの家にお客様をが迎えるのは初めてだ。しかも夫の同僚とあらば粗相は許されない。計画的に段取りを組み立てねば。
「実はもうアパートの駐車場に来てるんだが」
歯切れの悪い拓海を置いて、私はキッチンにダッシュした。冷蔵庫を覗いて肩を落とす。
「どうしよう。今日買物するつもりだったから、残り物しかない」
「構わん。ろくでなしの悪友だ。もてなす必要はない」
苦々しげに拓海が吐き捨てたとき、唐突にチャイムが鳴った。
「たっくーん、来ちゃったよ~」
スマホからも陽気な声が拓海を呼んでいる。きっと同僚さんだろう。どすどすと床を踏み鳴らしながら、玄関に突き進んでゆく彼を私は慌てて追った。
「初めまして。図々しく押しかけてすみません!」
ドアを開けるなり飛び込んできたのは、拓海とは正反対の可愛い男の子、失礼、男性だった。
「俺は大場の同期で、いてっ!」
拓海の同期なら私とも同い年だろうか。たぶん基本的に他者との間に壁を作らないタイプに違いない。満面に笑みを浮かべて私の両手を握った途端、拓海にこっぴどく叩かれていた。
「少しは礼儀を弁えろ。一人じゃねーんだぞ」
ぶつくさ文句を垂れながら、拓海は同僚さんの首根っこを掴んでリビングに引きずってゆく。
「だって奥さんに会いたかったんだよ。大場は結婚式の写真も見せてくれないしさ」
親しいかどうかはさておき、遠慮の要らない同期に写真すら伏せておくようじゃ、よほど妻として紹介するのが嫌らしい。そこまで不細工なのか私。
「でも奥さん、どこかで会ったような」
ソファに放り投げられた同僚さんが、立ちはだかる拓海にめげず私に視線を向ける。
「俺の嫁をナンパするな」
再び拓海が拳骨をお見舞いしたが、そういえば私もこの顔に憶えがある。誰だっけ。
「もしかして、兄貴の……えーっと、確か遺言結婚した野田詩乃ちゃん?」
いきなり旧姓を叫んで、閃いたと言わんばかりに同僚さんはぽんと手を打ったが、拓海は間髪入れずに足を蹴飛ばしていた。
冷蔵庫は空っぽだが、とりあえずお茶を淹れてリビングに戻ると、拓海が腕組みをして同僚さんを睨んでいた。一方の同僚さんは興味津々で、部屋の至る所をきょろきょろと見回している。あからさまにそんな真似をされたら、さすがに不快感を募らせそうだが、彼の場合は何故か許せてしまうから不思議だ。
「改めまして、久慈直人です」
同僚さんはソファに座り直し、膝を揃えてぺこりと頭を下げた。
「久慈健人の弟の」
その補足を聞くまでもなく、名字を名乗られた段階で私は合点がいった。久慈さんの披露宴に招待された際、二言三言話した記憶がある。おそらく久慈さんから聞いたのだろう。「遺言結婚」という造語(?)で確実になった。
「こちらこそ改めまして、野田、いえ大場詩乃です。久慈さんにはお世話になっております」
プライベートでの偶然の再会とはいえ、お世話になっている職場の先輩の身内には違いない。テーブルにお茶を並べてから私も丁寧にお辞儀をした。
「くじけんととは誰だ」
茶器を乗せてきたトレイを片付け、隣に腰かけるつもりでソファに近づくと、私を振り返りもせずに拓海が問うた。
「俺の兄貴。結構イケメンだよ」
のほほんと答える久慈直人さんに、お前には聞いていないと拓海がげんなりする。久慈さんよりも人懐こく、開けっぴろげな感じがおかしかった。
「会社の先輩。拓海も駅で姿を見かけたことがある筈だよ。通勤の電車が一緒だから。よくかすみと私に絡んでるでしょ。あの人が久慈直人さんのお兄さんなの」
「ああ、あの男か」
物騒な気配を漂わせた後、
「何故こいつはフルネームなんだ」
今度は同僚さんの呼び方に眉を顰める拓海。
「先輩を久慈さんと呼んでいるから、同じだと訳が分からないでしょ」
「俺はどっちでもいいよ、詩乃ちゃん。直人くんだと更に嬉しさ倍増」
同性の友人のような感覚の久慈直人さんに、拓海は嫁を勝手にちゃん付けするなと再び噛みつく。私としては他人の前で嫁扱いされていること自体、不思議な光景なのだけれど。
「兄貴からよく詩乃ちゃんの話を聞かされていたから、数年来の友人みたいな気がするんだよね」
「どうせろくでもないことですよね? 久慈さん鬼だから」
「ううん。素直で頑張り屋の可愛い後輩だって。結婚して少し淋しがってる。妹を取られたみたいなんだろうね」
予想外の返答に私は戸惑った。毎朝大馬鹿なんて揶揄ってくるひとが、よもや淋しがっているとは。それにも増して普段なら決して言わない、素直で頑張り屋なんて言葉をもらってしまい非常に照れ臭い。照れ屋は久慈さんの十八番なのに。
「まあでも、詩乃ちゃんは俺に任せてってことで、痛い痛い!」
「てめえはとっとと帰れ」
そこには正面から久慈直人さんの両耳を引っ張る、本物よりも怖い仁王様が構えていた。
十月初めの穏やかな日曜日。洗濯物を干し終えてリビングに戻ると、右手にスマホを持った拓海が、渋面を作って訊ねてきた。
「いいよ」
結婚してからこの家にお客様をが迎えるのは初めてだ。しかも夫の同僚とあらば粗相は許されない。計画的に段取りを組み立てねば。
「実はもうアパートの駐車場に来てるんだが」
歯切れの悪い拓海を置いて、私はキッチンにダッシュした。冷蔵庫を覗いて肩を落とす。
「どうしよう。今日買物するつもりだったから、残り物しかない」
「構わん。ろくでなしの悪友だ。もてなす必要はない」
苦々しげに拓海が吐き捨てたとき、唐突にチャイムが鳴った。
「たっくーん、来ちゃったよ~」
スマホからも陽気な声が拓海を呼んでいる。きっと同僚さんだろう。どすどすと床を踏み鳴らしながら、玄関に突き進んでゆく彼を私は慌てて追った。
「初めまして。図々しく押しかけてすみません!」
ドアを開けるなり飛び込んできたのは、拓海とは正反対の可愛い男の子、失礼、男性だった。
「俺は大場の同期で、いてっ!」
拓海の同期なら私とも同い年だろうか。たぶん基本的に他者との間に壁を作らないタイプに違いない。満面に笑みを浮かべて私の両手を握った途端、拓海にこっぴどく叩かれていた。
「少しは礼儀を弁えろ。一人じゃねーんだぞ」
ぶつくさ文句を垂れながら、拓海は同僚さんの首根っこを掴んでリビングに引きずってゆく。
「だって奥さんに会いたかったんだよ。大場は結婚式の写真も見せてくれないしさ」
親しいかどうかはさておき、遠慮の要らない同期に写真すら伏せておくようじゃ、よほど妻として紹介するのが嫌らしい。そこまで不細工なのか私。
「でも奥さん、どこかで会ったような」
ソファに放り投げられた同僚さんが、立ちはだかる拓海にめげず私に視線を向ける。
「俺の嫁をナンパするな」
再び拓海が拳骨をお見舞いしたが、そういえば私もこの顔に憶えがある。誰だっけ。
「もしかして、兄貴の……えーっと、確か遺言結婚した野田詩乃ちゃん?」
いきなり旧姓を叫んで、閃いたと言わんばかりに同僚さんはぽんと手を打ったが、拓海は間髪入れずに足を蹴飛ばしていた。
冷蔵庫は空っぽだが、とりあえずお茶を淹れてリビングに戻ると、拓海が腕組みをして同僚さんを睨んでいた。一方の同僚さんは興味津々で、部屋の至る所をきょろきょろと見回している。あからさまにそんな真似をされたら、さすがに不快感を募らせそうだが、彼の場合は何故か許せてしまうから不思議だ。
「改めまして、久慈直人です」
同僚さんはソファに座り直し、膝を揃えてぺこりと頭を下げた。
「久慈健人の弟の」
その補足を聞くまでもなく、名字を名乗られた段階で私は合点がいった。久慈さんの披露宴に招待された際、二言三言話した記憶がある。おそらく久慈さんから聞いたのだろう。「遺言結婚」という造語(?)で確実になった。
「こちらこそ改めまして、野田、いえ大場詩乃です。久慈さんにはお世話になっております」
プライベートでの偶然の再会とはいえ、お世話になっている職場の先輩の身内には違いない。テーブルにお茶を並べてから私も丁寧にお辞儀をした。
「くじけんととは誰だ」
茶器を乗せてきたトレイを片付け、隣に腰かけるつもりでソファに近づくと、私を振り返りもせずに拓海が問うた。
「俺の兄貴。結構イケメンだよ」
のほほんと答える久慈直人さんに、お前には聞いていないと拓海がげんなりする。久慈さんよりも人懐こく、開けっぴろげな感じがおかしかった。
「会社の先輩。拓海も駅で姿を見かけたことがある筈だよ。通勤の電車が一緒だから。よくかすみと私に絡んでるでしょ。あの人が久慈直人さんのお兄さんなの」
「ああ、あの男か」
物騒な気配を漂わせた後、
「何故こいつはフルネームなんだ」
今度は同僚さんの呼び方に眉を顰める拓海。
「先輩を久慈さんと呼んでいるから、同じだと訳が分からないでしょ」
「俺はどっちでもいいよ、詩乃ちゃん。直人くんだと更に嬉しさ倍増」
同性の友人のような感覚の久慈直人さんに、拓海は嫁を勝手にちゃん付けするなと再び噛みつく。私としては他人の前で嫁扱いされていること自体、不思議な光景なのだけれど。
「兄貴からよく詩乃ちゃんの話を聞かされていたから、数年来の友人みたいな気がするんだよね」
「どうせろくでもないことですよね? 久慈さん鬼だから」
「ううん。素直で頑張り屋の可愛い後輩だって。結婚して少し淋しがってる。妹を取られたみたいなんだろうね」
予想外の返答に私は戸惑った。毎朝大馬鹿なんて揶揄ってくるひとが、よもや淋しがっているとは。それにも増して普段なら決して言わない、素直で頑張り屋なんて言葉をもらってしまい非常に照れ臭い。照れ屋は久慈さんの十八番なのに。
「まあでも、詩乃ちゃんは俺に任せてってことで、痛い痛い!」
「てめえはとっとと帰れ」
そこには正面から久慈直人さんの両耳を引っ張る、本物よりも怖い仁王様が構えていた。
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