降ってきた結婚

文月 青

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その日の業務を滞りなく終え、珍しくかすみと久慈さんと三人で退社すると、会社の前に人待ち顔の久慈くんが立っていた。久慈さんの披露宴で紹介され彼の弟と、二次会の幹事として関わったかすみは、相変わらず無駄に美少年だわと吐息を洩らした。

傷心中だった私は全く覚えていないのだが、久慈さんの同期である女子社員から舐めるように可愛がられていたそうで、帰りは無事に家に辿り着けないだろうと、他の出席者は半ば本気で思っていたのだとか。実際どうなったのかは知らない(笑)。

「直人、こんな所で何をやってるんだ?」

弟の存在に気づいた久慈さんが声をかけると、久慈くんはお疲れと片手を上げた。会社から出てきた人達がちらちらと窺いながら去ってゆく。目立つんだよね、久慈兄弟。

「おつかい。詩乃ちゃんに伝言を頼まれて」

「詩乃ちゃん?」

久慈さんとかすみが怪訝そうにこちらを振り返ったので、私は久慈くんが拓海の同僚だと打ち明けた。世の中狭いなと頷きあった後、再び久慈くんに視線を戻す。

「で? 野田、あ、大場か、に伝言とは?」

「いい加減大馬鹿はやめて下さいよ」

「いやー、癖って怖いな」

むくれる私を愉快がる久慈さんとかすみを睨むと、三人の間では定番のやり取りを眺めていた久慈くんが肩を竦めた。

「大場が迎えにくるから、帰りも車で帰ろうって」

そんなことメールで充分なのにと訝しみつつ、冷やかす久慈さんとかすみを見送っても、何故か久慈くんは私の横を動かない。しかも俺はお目付け役なのと異なことを言う。

「俺も信じ難いんだけどね。大場が今日、適当な理由をつけてまで車を出したのはどうしてか分かる?」

無言で首を振る私に久慈くんがわざとらしくため息をつく。

「兄貴と同じ電車に乗せたくなかったからだよ」

「意味が」

「仲良さげに大馬鹿なんてやりあってるのが、嫌だったんじゃないかな。俺もたった今腑に落ちた。もっとも大場の嫉妬する姿、微塵も想像できないけど」

「考え過ぎでは」

確かに写真よりは実物の方が好みだと話してくれたし、久慈さんに片想いしていた事実も伝えてある。でも拓海ははっきり私に恋愛感情はないと断言したのだ。さすがに嫉妬することまではない筈だ。けれど久慈くんは眉を八の字に下げた。

「詩乃ちゃん、一つだけ訊いてもいい? もしかして大場は朝まで君と同じベッドにいられたの?」





「相手のどこに惹かれたか」

せっかくなので私はこの質問をかすみにもしてみた。実は彼女のご主人は十歳年上。仕事をバリバリこなしてエリート街道を驀進中だったある日、かすみに出会うなり恋に落ちて速攻プロポーズした。なまじ仕事一筋だったせいかその変化のギャップは激しく、現在は周囲も引くほどの溺愛ぶりである。

「とりあえず私一直線のところかしらね。あれだけ想われたら絆されますって」

あっという間に子供が十人くらい産まれそうだな。社内でまことしやかに囁かれていた噂については黙っておこう。ついでに渋る久慈さんにもリサーチ。

「どうだっていいだろ」

奥さんは結婚退社したのだが、同期だったのでやはり照れ臭いのか、勝手にしろとほざいて散々逃げ回った挙句、

「あいつほど俺という人間を分かっている奴はいないんだよ」

最後に蚊の鳴くような声で教えてくれた。普段そういったことを口にしない人の言葉は重い。それだけで奥さんを大切にしているのをひしひしと感じる。

ーーではそれらの感情抜きで始まった結婚は、一体どこにどんな形で行きつくのだろう。

「何を塞いでいる?」

唐突に拓海の顔が目の前に現れた。既にエンジン音が途切れた車がアパートの駐車場に止まっている。どうやら呆けている間に我が家に到着したらしい。

かすみと久慈さんと別れてから程なく、拓海は伝言通り車で私の会社まで迎えに来てくれた。当然同乗すると思っていた久慈くんは、命が惜しいから一人で帰ると頑なに誘いを固辞した。

「案外大丈夫だったみたいですよ。これまでの彼女は鼾でも酷かったんでしょうかね」

先程の問いの答が衝撃だったようで、二十歳の頃につきあっていた人以来かも、という微妙な含みを残して雑踏の中に消えていった。たぶんその方は私の成人式の写真を「けばかった」と宣ったときに、拓海がつきあっていた女性に違いない。初耳だ。

「拓海、本当に嫉妬してるの?」

頭の中を久慈さんの台詞が占拠しているせいだろう。前後の脈略なく吹っかけてしまった。意味不明な上に図々しいことこの上ない。私は一番じゃないのに。

「また藪から棒にこの馬鹿女は」

運転席に背を押しつけ、拓海はこめかみを押さえながら疲れたようにぼやいた。

「いい加減慣れてきたが、その発想はどこから湧いた」

「久慈くん」

あいつめ、と悔しそうに唸ったものの、幾分冷めた調子で続ける。

「あのな、詩乃。俺はお前を好きになりたくはないんだ」

ごちゃごちゃしていたものが全て飛んでいき、私の頭は有り難いことに空っぽになった。



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