降ってきた結婚

文月 青

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「二つ上の加奈とは大学に入って半年経った頃、サークルの先輩を通じて知り合った」

食事とお風呂を済ませて、寝室のそれぞれのベッドに入ったところで、拓海がやおら加奈さんのことを語り出した。ちなみに沙月さんも含めた三人は、同じ大学に在籍していたのだそうだ。

「最初は大勢のうちの一人として会っていたが、まあ、段々とそういう関係になったわけだ」

「友達から恋人にってやつですね?」

「茶化すな」

決して口数が多くない拓海と大人しい加奈さんは、その分お互いの気持ちが理解できたのか、静かに深く想いを育んでいった。言葉がなくても繋がっている二人のつきあいは、周囲からも温かく見守られていたのだという。

けれど年上の加奈さんが先に就職して、慣れない仕事にいっぱいになっていた頃、一方の拓海も就活に追われて疲弊し、徐々にすれ違うことが増え始めた。

それでも何とか時間を捻出し、連絡だけは取り続けたものの、やがてスマホは加奈さんからの着信を知らせなくなり、拓海が彼女のアドレスを開くこともなくなった。

「俺では支えにならなかったんだろうな」

性格上自然消滅を好まなかった拓海は、最後に加奈さんに会って面と向かって別れを告げたのだそうだ。それ以来二人は一度も顔を合わせていないらしい。

「でも好きだったんでしょ?」

「何でそんな言い方するんだよ。まあ、事実だけど」

頭の下で腕を組み、拓海は天井の一点をみつめている。失恋とは違い、自分で終わらせたつきあいだけれど、きっと本当に加奈さんが好きだったんだろう。 

それ程までに好きだった人とは別れて、興味はあっても人となりどころか、声すらも聞いたことがない私を選んだ拓海。恋愛で結ばれた謂わば理想の久慈さんやかすみ。時代背景故に親の決めた人生を辿ったお祖母ちゃん達。

全てが不幸に繋がるわけじゃないし、自ら独身を謳歌する人もいるけれど、そうなると結婚とは一体何なんだろう。

「あれ? じゃあ私は拓海の心の隙間を埋める要員だったということに」

「だから何でそんな意地悪言うんだよ」

「それはさておき、拓海」

「あ?」

「今日はしなくていいの?」

「ったく、この状況でそれを訊くか、馬鹿女!」

不機嫌に私を罵りつつ、拓海はいきなりこちらに枕を放り投げる。

「一般的な頻度が分からないから、教えを請うたのに」

「そんなの知るか」

「間に合ってるなら別にいいけど」

私はベッドに落ちた枕を放り返して、掛け布団を肩まで引っ張り上げた。予期せぬ出来事があってさすがに疲れた。

「おやすみ」

「いや、待て、詩乃、あの」

焦って起き上がった拓海の台詞が、規則正しく宙に浮く。大きな欠伸をしていると、遠慮がちな夫の声が降った。

「そっちに、行ってもいいか?」




のそのそと私のベッドに入った拓海は、半ば夢の中に足を突っ込んでいる私を、やんわりと抱き締めた。いつもの作業もせずに、ひたすら温もりを確かめるような仕草に、私は肝心なことを聞き忘れていたことに気づいた。

「加奈さんとはいつもこうやって眠ってたの?」

既に呂律が回らない。でもちゃんと通じたのだろう。拓海は不機嫌にぼやいた。

「またお前はこんな場面で他の女の話題を出す」

「そっか。分かった」

「分かるな」

そこで小さく息を吐いて、起きろと私の頭を小突く。

「朝まで一緒に眠っていたよ。こうやって並んで。初めのうちは平気だったんだがな。そのうち一睡もできなくなっていた」

「ときめいていましたか」

「それもあったとは思う。だけどいつまで経っても、加奈の隣で目覚めることに慣れなかった」

本来なら離れがたい筈が、段々夜が明けるのを待っている自分に気づいて愕然とした。好きな人を裏切っているような罪悪感に捕らわれ、別れるまで同じベッドで朝を迎え続けた。

「それが拙かったのか、もはや誰かと同じベッドで眠ることは苦痛になっていたな」

だからいくら詰られようと、すぐに振られようと、その後つきあった女性とは一切朝まで共寝はしなかった。これが原因でつきあうサイクルが短かったのが尾を引き、遊ぶ女はいるという発言に繋がった。

「なのに詩乃とは大丈夫だった。人の気配を感じると神経が逆立つのに、こんな狭いベッドで密着しても、お前の傍では熟睡できる矛盾に戸惑っている」

と言いつつ、あっさり私の上に乗っかっているのは何故だ。

「今からするの?」

「その情緒のなさも嫌いじゃないなんて、俺は相当いかれてる」

苦しげに息を吐き出して、拓海は私の耳たぶを食んだ。

「おわっ?」

「何だその雄叫び」

「びっくりしたんだよ! 新技か!」

今のひと噛みですっかり目が覚めてしまった。ろくでもない悪戯だ。

「少しは恥じらえ、馬鹿女」

おかしそうに笑う拓海に口を尖らせると、彼は双眸に柔らかな光を宿した。

「加奈と会うつもりはないから」

「向こうが会いたがっても?」

「詩乃が嫌がることは極力しない。トイレで泣かせたくはないからな」

拓海の意味ありげな一言に、私は心底目を剥いたのだった。




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