降ってきた結婚

文月 青

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それから一ヶ月は何事もなく過ぎた。うちの会社は沙月さん経由で加奈さんとの遭遇率が高いので、拓海の車での送迎も渋々やめてもらった。久慈さん夫婦の間でどんな話が交わされたかは定かでないが、沙月さんも一度も姿を見せない。

でも先日の一件がむしろ功を奏したのか、私と拓海は少しずつお互いの距離を縮めつつある。幼い頃から始まって、学生時代の出来事や社会人になってからの失敗。他愛もないことばかりだけれど、それぞれが綴ってきた物語を擦り合わせて、現在を中心にこれまでとこれからが一本の道になってゆくようだ。

「小学の五年生くらいだったかな。実は詩乃を見かけたことがあるんだ」

帰省の期日が重なった年のこと。三船のおばあちゃんに呼ばれて、二瓶の庭で従姉妹達と戯れている私を垣根越しに見たのだそうだ。

「そこにうちの従兄弟共も混ざってたから、お前も行けとけしかけられたけど、俺はガキの時分から愛想がなかったし、女と遊ぶのが気恥ずかしくもあって、眺めるだけに留まった」

祖母ちゃんには意気地なしと笑われたけどな、と拓海は懐かしそうに目を細める。

「私が不細工で興味が湧かなかったんじゃないの?」

「いや、お世辞を抜いても詩乃は可愛かったよ。本当は話しかけてみたかったが、残念ながらおはようすら言えなかった。たぶんあれが下地になってるんだろうな。だから写真の詩乃に一発でやられた。あのときの娘だって」

「一発目はけばいだった」

「根に持つな。成人式の写真は素のお前じゃないだろう? 二枚目ですぐ落ちたんだからむくれるな」

頭を撫でながら私をみつめる拓海に、体中がむずむずしてくるのを感じる。最近の彼はずっとこの調子なのだ。どうも私自身も分かっていなかったのだが、拓海が察したところによると、例のトイレ閉じこもりの際に私が泣いたのは、

「おそらく俺の言葉が足りなくて、嫌われたと詩乃に勘違いさせたのが原因だろう?」

なのだそう。口数が少なかった筈の拓海は、目下私を泣かせない為に手を尽くしている。その気持ちは凄く嬉しい。が、諸々の思いを言葉にされるのは、かえって羞恥を生むものであったらしい。

可愛いだの綺麗だの連発されているだけでも、正直身の置き所がないのに、それがベッドの中でもとなると、初心者の私には悶絶もので。

「詩乃の弱い所、触ってもいいか?」

「詩乃、もっと啼いて。感じてるんだろ?」

泣かせないって言ったくせに、もう窒息寸前。許可なんて取らなくていいから、作業を進めてくれと叫びたくなる。いっそのことトトロを歌って下さいと平伏したい今日この頃だ。




「初めまして」

そんなこんなで平和な日々を送っていたある日、退社後に最寄駅に足を踏み入れるなり、正面から歩いてきた淑やかな女性にいきなり挨拶をされた。かすみと久慈さん、いまだお目付役を押しつけられている久慈くんも残業で、タイミングよく私は一人だった。

ちなみに以前私を見初めたと嘯いていた久慈くんは、我が家を唐突に訪れた日に失恋していた。慰めてもらうつもりで駆け込んだ同僚の家で、兄の後輩である「遺言結婚」の私と再会し、驚きのあまり涙も吹っ飛んだそうだ。

「大場を揶揄っただけなんだけど、次の日お灸を据えられちゃったよ。二人は本当に恋愛結婚じゃないの?」

後に恨みがましく訴えられた。お灸がどんなものかは聞かずにおこう。

「野田詩乃さん、でよろしかったんですよね?」

答えを返さない私に不安を覚えたのだろう。加奈さんと思しき女性は心細げに訊ねる。旧姓を呼ばれているにも関わらず、その頼りなげな風情に庇護欲をそそられた。

「すみません。失礼しました。えーと、一応大場詩乃です」

「こちらこそ不躾にすみません。市原加奈いちはらかなと申します」

やはり加奈さんだった。訂正した案件はさらっとスルーされたものの、彼女には値踏みするような視線も蔑む様子もない。何故か切羽詰まっている感じがひしひしと伝わってくる。

「少しで構いませんので、お時間を頂けないでしょうか」

危害を加えられる心配はなさそうなので、私はその申し出を了承した。一旦駅を出て近くのカフェで向かい合う。加奈さんは沙月さんに拓海との再会と、私の存在を知らされたと言った。

「実は野田さんにお願いがあって参りました」

その上での直接対決(?)なのだろうか。旧姓呼びは……もういいや。

「拓海を一日貸して欲しいんです」

暮れなずむ街が見える窓際の席で、私はコーヒーを口に含んでから、加奈さんの台詞を咀嚼した。

「レンタル?」

私の脳裏には一泊二日の襷をかけた拓海が、嬉しそうに加奈さんに連れられてゆく姿が、かなりリアルに浮かび上がる。

「あの、野田さん?」

怪訝な面持ちの加奈さんに問われ、私は慌ててぶんぶんと首を振った。

「貸すとはどういう意味なのでしょうか?」

「夫として、私の祖母に会って欲しいのです」

夫と祖母。我が家のキーワードとも取れる単語の登場に、私はまたまた返事を忘れていた。




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