いい加減な夜食

秋川滝美

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1巻

1-2

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 原島邸で働いていて、株式会社原島を意識しないほど高潔ではない。
 かといって、当主や宮野に応募することを言い出すほどの厚顔さは持ち合わせておらず、あわよくば……と書類を出してみたが、旧帝大でも六大学でもない大学の生徒である佳乃は、エントリーシートだけで門前払いを受けたのである。


「なぜ受けることを言わなかった?」
「夜食係ですけど仕事下さいって? 言えるはずないじゃないですか」
「言うやつは言うぞ」
「まあ、そういうふうには育ってないものですから……」
「まったく……よくぞそんなに無欲に育ったもんだ」
「とにかく私は、株式会社原島には不要な人間だということです」
「それを判断するのは私だ。お前一人ぐらいどこにでも入れられる」

 そりゃそうでしょうよ。
 佳乃は心の中で毒づいた。
 社長のコネは最強だ。どこの部門でも、ははーっと受け入れるに決まっている。
 大喜びで入社する人間はたくさんいるだろうが、佳乃はごめんこうむりたい。

「けっこうです。私は、掛け値なしで私を採用してくれる会社で働きます」
「頑固者め」
「ということで、二月で辞めさせていただきます」

 佳乃はそう言うと、俊紀に向かって深々と頭を下げた。
 このバイトのおかげで佳乃の生活はずいぶん楽になった。それまでのように安い時給で、あるいは高い時給と引き替えに激務を強いられることもなくなり、ある程度学業に専念できるようになった。
 正直、原島俊紀にはいくら感謝してもたりないほどだ。
 化学調味料とB級グルメ万歳である。

「考え直す気はないか」
「ぜんぜんありません」
「仕方がないな……では前村の社長に電話をする」
「え?」
「谷本佳乃は前村物産には就職させない。もちろん他のどこにも」
「そんなことが……」
「できるに決まっているだろう。私を誰だと思っている。株式会社原島の原島俊紀だぞ。前村物産程度の会社が、私を敵に回してまで雇いたい人間がそうそういるとは思えない」

 そう言うと、彼はにやりと笑った。言っていることが無茶苦茶である。
 確かに、自分がそんなにまでして雇いたい人間ではないことなど百も承知であるが、それを言ったら、俊紀が佳乃にそこまでこだわる理由もないはずだ。
 化学調味料を操る魔性の手? 馬鹿馬鹿しい。目の前にカップリゾットと電気ポットでも積み上げてやろうか。

「心配するな。夜食係だけではさぞかし暇だろうから他にも仕事をやる」
「はあ!?」
「この屋敷は大きい上に古い。きちんとした管理が必要だが、そろそろ宮野一人の手には余ってきている。フルタイムで宮野の補佐にする。給与、待遇は株式会社原島に準じる」

 あまりの成り行きに絶句している佳乃を尻目に、俊紀は至ってご機嫌であった。

「ああ、言い忘れたがもちろん住み込みだ。部屋は好きなところを使え。家賃もかからないし、通勤の必要もない。こんないい話は滅多にないだろう?」
「お断りです。そんな横暴な話、聞いたことありません!」
「黙れ。これは決定事項だ。前村には明日一番で電話を入れる。お前は内定辞退だ。まだ八月だからそんなに大きな問題にはならないし、後輩にも迷惑はかからないだろう。だが、これ以上ご託を並べるなら、今後一切お前の大学からは採用するなと言い添えるぞ」

 何という言い草だろう。
 私の人生、どこでどう間違ったのだ……
 佳乃は深く深くため息をついた。
 原島邸に、管理人補佐兼夜食係として就職……誰がどう聞いても、あり得ないと言うだろう。
 同窓会名簿の職業欄にだって書けやしない。
 ことの成り行きを見守っていた宮野が、気の毒そうに佳乃に言った。

「とりあえず今夜はお帰りになって、落ち着いて考えられてはいかがですか? よく考えれば、決して悪いばかりの話ではないと思いますよ」

 その言葉に退路を得て、佳乃は部屋を後にした。
 厨房に荷物を取りに行こうとする佳乃の後ろから宮野がついてくる。

「谷本さん、どうか前向きに検討なさってください」

 前向きも後ろ向きも、私に選択権なんかないじゃない……と佳乃はやさぐれる。

「このまま、二度とここに来ないってことはできないのでしょうか……」

 疲れ果てて佳乃が言うと、宮野は即答した。

「あり得ません。俊紀様があそこまでおっしゃることはまれです。明日一番で前村物産に電話を入れるでしょう。そして、ああまでおっしゃるのですから、あなたが二度とここに来ないことなど、お許しになるはずがありません」
「なぜこんなことに……」

 まいがしそうな頭を二、三度振って勝手口から帰宅しようとすると、恐ろしいことにそこに俊紀が立っていた。

「まだなにか?」

 けんか腰で問いかける佳乃を笑いながら俊紀は言った。

「遅くなった。物騒だから送ってやる」
「結構です!」

 確かに時刻は午前一時を回っている。だが、この精神状態でその元凶たる俊紀と一緒にいるぐらいなら、暴漢に襲われた方がましである。

「大事な夜食係に何かあっては困る」
「大丈夫です。私は柔道の黒帯ですし、このあたりの治安は悪くありません」

 問題は治安云々ではなく、もう終電が出てしまっていることにあったが、佳乃は、この際そんなことはどうでもいい、朝まで歩いたってかまいはしない、と思っていた。
 けれど、そんな佳乃の憤慨など俊紀はものともしなかった。

「いちいちうるさい奴だ。私が送ると言ったら送るんだ。とっとと乗れ」

 いつの間に回したのか、そこには黒のアウディが停められていた。
 一口にアウディと言ってもクラスはいろいろある。
 もちろん、彼が乗っているのは最高級クラスで、価格は二千万近い。いうなれば、走る札束である。普段は運転手付きの車で移動している俊紀だが、自分で運転するのも嫌いではない、といつだったか宮野が言っていた。
 それにしても、何という俺様ぶりであろうか。佳乃はもはや反論する気力もなくし、黙って彼の性格そのものの色をしたアウディに乗った。
 原島邸から佳乃のアパートまでは車で三十分。その間、佳乃は意地でも口を開くまいと決めた。
 だが、佳乃の道案内などなくても、最先端のカーナビのおかげで、車は至極スムーズに佳乃のアパートに到着した。

「ありがとうございました」

 それだけ言って車を降りようとする佳乃に、俊紀は釘を刺した。

「シフトどおりにきちんと出勤しろよ。まあ、まだ卒業もしていないし、生活費は必要だろうからそうそう休むわけにもいかないはずだがな」

 返事もせずに、佳乃はドアをたたきつけるように閉めた。アウディに罪はないことはわかっているのだが、どうにも腹立ちを抑えられなかった。


   * * *


「それはまた……すごい話だね」

 翌日、話を聞いた佳乃の友人、田宮朋香たみやともかは呆れたように言った。
 朋香は子どものときからの親友で、かつては家も近所だった。佳乃が事故で両親を失ったときは、家族ぐるみで佳乃の面倒を見てくれたし、大学のそばにアパートを借りた今でもちょくちょく夕食をご馳走になりに行っている。朋香の父裕也ゆうやも、母のひとみも、兄の宗治そうじも、佳乃にとっては家族のようなものであった。

「でも、株式会社原島っていったら、ものすごい一流企業だよ。前村物産よりずっと良いよ」

 朋香はその端麗な容姿を武器に百貨店への就職を決めている。もともと流通志望であったし、接客に向いているという自覚もあったようなので、不満はないだろう。

「株式会社原島じゃなくて原島邸の家政婦だ! どこがいいんだよそんなの~」
「だったら会社の方に入れてもらえばよかったじゃない。意地張らずにさ」
「やだよ。そんな見え見えのコネで入ったら、お局様とかにいびり倒される」
「まあそれもそうか……じゃあ諦めて管理人補佐やりなさいよ。イケてるんでしょ? 原島俊紀って」

 確かに、見ようによってはいい男である。全く自分の人生に関わりのない、ただの観賞用として見るならば。
 旧帝大卒業後、海外でMBA取得。三十歳にして原島財閥の総裁。容姿端麗性格最悪。なんとしてくれよう、である。
 唯一の救いは、この男がワーカーホリックに近い仕事人間で、勤務地が原島邸である限りほとんど顔を合わせる機会がない、ということである。
 何せ夜食係として勤めた一年間でたった二度会っただけ、そのいずれもが雇用に関する呼び出しであった。ということは、通常は勤務していても出くわす確率は非常に低いと言えよう。百年会わなくても不思議はない。

「え……でも住み込みなら、もうちょっと顔を見る機会がありそうじゃない? そもそも夜食係だけじゃなくて、管理人補佐にもなるんでしょう。相談事とかも増えると思うけど」

 朋香は期待いっぱいの顔でそう言うが、そんなものは宮野に任せておけばよい。フルタイムであろうがなかろうが、結局のところ夜食係がメインに違いないのだから。

「ま、せいぜい頑張ってください。休みになったらまた遊びにおいでよ」
「全然頑張る気にならないんだけど……」

 そう言って、佳乃は本日何度目かの深いため息をついた。



   第二章 新しい生活


 佳乃の前村物産内定辞退は、非常に速やかに行われ、あっという間に春が来た。
 ご立派な革表紙付きの卒業証書を受け取りながら、佳乃は思う。
 歯を食いしばってバイトで稼ぎ、必死で卒業したものの、就職先はその学問とはいっさい関わりのない住宅管理業務である。いったい何のための四年間だったのか……
 アパートを引き払い、ほんの少しの荷物を持って、四月から原島邸に住み込む。どこでも好きな部屋を使ってよいと言われたが、佳乃が選んだのは厨房と勝手口に一番近い部屋。部屋というよりも納戸と呼ばれるところだった。
 宮野はさすがに気にして、もっと良い部屋を使うように勧めてくれたが、佳乃はそこで十分だった。
 何より、あるじの部屋から一番遠く、出くわす可能性が最も低いところが気に入っていた。


 四月一日は、全国的に入社式が行われる日である。
 ご多分に漏れず、株式会社原島も、本社のある赤坂で盛大な入社式が行われる。
 もちろん、社長である俊紀はそちらに出席する。
 とはいえ佳乃は、通いだった原島邸に住み込みになるというだけのこと。呑気にいつもどおり勝手口から入ったところで、宮野に迎えられて逆に驚いてしまった。

「本日からあなたは原島邸の管理人補佐として正規雇用されます。とりあえず、職務内容を説明しますので、図書室にお越しください」

 なんで図書室? といぶかりながら、佳乃は宮野について一階奥にある図書室に入った。
 原島邸には一年半以上通っているが、佳乃は厨房以外の場所にほとんど入ったことがない。図書室ももちろん初めてで、佳乃はその蔵書の膨大さに驚かされた。

「ここってどれぐらい本があるのですか?」
「区立図書館の分館ぐらいの量はあるでしょう。俊紀様のご注文で、どんどん新しい本が届きますが、なかなか整理が追いつきません。ここの本の管理はあなたにお願いいたします。確か司書資格をお取りになりましたよね?」

 ちょっと待て……確かにいくつかの図書館学の講義を受け、司書資格は得ていたが、そんなものがこの膨大な図書を前にどれだけ役に立つというのだろう……

「まあ完璧には無理でしょうし、誰もそこまで求めてはいませんから、おおざっぱに分類して書架に入れるぐらいで十分です」

 宮野はしれっとそんなことを言う。
 そのおおざっぱな分類のためには、まずこの本の山を一冊一冊読破しなければならない。
 近年出版された本であれば、図書分類コードという極めて便利な分類基準が記載されているが、古い本にはそんなものはない。

「屋敷の管理等はこれまで私一人で行ってきましたが、俊紀様の身の回りのことなどは、おいおい谷本さんに引き継ぐ予定です。そこには俊紀様の生活の管理なども含みます。まあ簡単に言えば秘書ですね」
「簡単に言わないでいただけませんか。話が違いすぎます。夜食係の延長だとばかり……」

 あわてて佳乃はそう言ったが、宮野はとりつく島もなかった。

「俊紀様のご指示です。これらの仕事は、あなたの適性や能力から考えて妥当なものだと思いますが? もちろん待遇もそれなりのものです」

 そういって渡された辞令には、目を見張るような給与額が記載されていた。確かに株式会社原島の社員準拠、もしかしたらそれ以上かもしれない。ただ、それが佳乃の能力に対して妥当かどうかは大いに疑問である。そもそも夜食係に辞令とは……

「住み込みですし、拘束時間はかなり長いです。加えて俊紀様はあのご性格。そのことを思えばまあ、こんなものではないですか? もちろん、あなたが本当はここで働くことを是としていないことも含めて」

 いかにして佳乃が雇われたか、最初の経緯から知っているだけに宮野は佳乃に同情的であった。もらえるものはありがたくもらっておけ、とでも言いたそうである。

「わかりました……でもあの人に会う機会はそんなにはないでしょうね?」
「さあ……それはどうでしょう……」

 言葉を濁しながらも、宮野は、俊紀が頻繁に佳乃に接触するつもりではないか、と考えていた。
 なにせ囲い込み方が尋常ではない。佳乃は知るよしもないが、これまでこんな強引な形で使用人を雇用したことなどなかったし、女性の使用人を住み込みで採用したこともなかった。
 俊紀の佳乃への興味が何を意味するかはうかがい知れないが、佳乃が考えるほど状況は甘くないだろう。現に先ほど、株式会社原島の入社式の最中だというのに、無事佳乃が原島邸に到着しているかを確認する電話が入っている。予定どおり来ている、と答えた宮野に、俊紀はこう言ったのだ。

「今日は定時に帰宅する」
「かしこまりました」

 俊紀の定時帰宅など何年ぶりだろう。社長就任以来初めてではないだろうか。
 いったいあるじはどうしてしまったのだろう……。宮野は、呑気に本の山を調べ始めた佳乃を眺めながら主の心中を思った。


 俊紀の身の回りに関する仕事の説明は夕食後ということで、その日一日、佳乃は図書室で過ごすことになった。
 膨大な数の本が、適当な書棚につっこまれている。古いものは、まだいくらかの規則性をもって整理されているようだが、新しいものは野放図である。
 これではどうしようもない……。一度全部の図書を書庫から出して、並べ替えを行う必要がある。その作業は想像するだに大変であったが、佳乃は実は喜んでいた。
 無類の本好き。本の虫。活字中毒。それらが示す矢印はいつも佳乃を指していた。
 字を読めるようになった頃から、佳乃は常に本を読んできた。買っていてはとても追いつかないので、図書館は都立、区立を問わず複数館利用し、常時貸出限度数いっぱいの本を自宅に置いていた。本さえあれば幸せ……佳乃はそういう人間であった。
 従って、この図書室の整理を任されたときも、膨大な仕事量だとは思ったが、嬉しくもあった。締め切りのない作業であること、利用者がほとんどいない状態であることを思えば仕事も進めやすい。
 何よりここにこもっていれば俊紀と顔を合わせる機会は少ないはずだ。


 しかし佳乃はすぐに、その考えが非常に甘いことを思い知らされることになった。
 年度初めの四月一日。新入社員の歓迎や新年度の方針発表、各種懇親会がにぎやかに行われるはずのその日、社長である原島俊紀が帰宅したのは、こともあろうに午後六時であった。

「初日から頑張りすぎると後が続かないぞ」

 図書室で、分類作業に没頭していた佳乃は、いきなり声をかけられて飛び上がった。

「なんでこんな時間に……」
「我が社の終業時刻は午後五時だ。定時に終業すれば当然この時刻に帰宅となる」
「年度初日に定時で仕事を終える社長がどこにいるんですか」
「ここにいる。あいかわらずごちゃごちゃとうるさい奴だな。どうでもいいが腹が減った。夕食にしてくれ」
「新入社員の歓迎会とか、新年度決起パーティとかなかったんですか?」
「あったが面倒だからパスした」

 パス……? は、いかんだろう……と思うが、もうすでにここにいる俊紀が、今更会社に戻るわけもない。佳乃は諦めて宮野を探しに行った。
 宮野は、ダイニングで夕食のセッティングの最中だった。もちろん、俊紀が帰宅したことは知っているらしい。

「もう数分で食事にできます。俊紀様は?」
「図書室でおなかがすいたと騒いでいます。なんでこんな時間に帰ってるんでしょう?」
「さあ? とにかく、食事の用意ができたことをお伝えください」

 私は伝書鳩か……と佳乃は軽く不満を感じながら図書室に戻った。

「食事の用意ができたそうです」
「山本の料理か?」
「当たり前です。この家のシェフは山本さんです」
「私はお前の料理の方が好きだ」
「私の料理を四六時中食べてたら体に悪いです。山本さんのお料理の方が、絶対にバランスが良いしおいしいんですから、さっさと召し上がってください!」

 佳乃の声はよく通る。厨房にいた山本はその声を耳にし、思わず失笑した。
 厨房での彼の絶対的な地位をおびやかした佳乃。でも彼女は自分の料理にプライドなんてこれっぽっちも持っていない。
 手っ取り早さが命、という信念も山本には新鮮である。今時の娘にしては、非常に器用にあれこれを作るが、そのどれもがなんちゃって料理である。
 だからこそ山本は、安心して面白がっていられた。わけても、あるじが彼女の料理を気に入っているのか、彼女自身を気に入っているのかは興味深いところであった。


 ダイニングには、珍しく早い時間に帰宅した俊紀のために、夕食がたっぷりと用意されていた。
 三品の前菜、スープ、肉料理、魚料理……サラダにデザート、各種のパン。
 初めてその様子をかいま見た佳乃は、山本にこっそり告げた。

「毎日あれぐらいしっかり食べたら、夜食なんていらなくなりますよね!」

 いや、だから、そうなったら君は失業するんじゃないのか? と山本は思ったが、それは言わぬが花である。

「俊紀様があんな夕食を召し上がることはめったにない。今日は帰宅が早いとあらかじめわかっていたからフルコースを組んだが、通常は夕食を家で食べることの方が珍しい。私はもっぱら従業員と来客時の料理担当だ」
「それはそれで体に悪そうですね」
「だから君が夜食係に雇われたんだろう?」
「私の料理は体に悪いって言ってるのに……」

 俊紀本人がそれをおいしいと思って食べているのならそれでいいのでは? と山本は思う。
 それに佳乃が作っている料理が、それほど体に悪いとも思えない。
 むしろ短時間で作れ、シンプルでカロリーが少なく、夜食に適しているものが多い。味も適当に作っているわりには、かなりおいしい方だと思う。
 レトルトや簡易調味料、冷凍食品を器用に組み合わせて、あっという間に作り上げる。
 何かが足りないと感じがちな既製のものに、足りない何かを加えて、これぞと思う味に仕上げてしまう。
 もともと料理のセンスが良いのかもしれない。きちんと勉強させたら、結構良い料理人になるような気がする。
 もちろん、そんなことを本人は望みもしないだろうが……


 夕食の給仕は、当然のことながら宮野の仕事であった。
 おかげで佳乃は、時間を忘れて図書の整理に没頭し、宮野が図書室に入ったときは、脚立の上で最上段の文学全集を並べ替えようと、四苦八苦しているところだった。

「ちくしょー、文学全集って何でこんなに無駄に重い紙使ってるの? 中身が重いんだから、紙ぐらい軽くしとけっちゅうの!」

 その重さに辟易へきえきしながら呟いていると、後ろから忍び笑いが聞こえた。

「なかなかの肉体労働のようですね」
「あ……失礼しました。なんかもう重いやら、かび臭いやら……」
「それはそれは……清掃担当に注意しておきます」
「いいえ、とんでもない! こんな上の方、かび臭くて当然です。デフォルトです!」

 と佳乃は慌てて首を振った。本当は手も振りたかったが、文学全集でいっぱいだったのだ。

「そういうものですか。それよりも、もう八時過ぎですよ」
「え……もうそんな時間ですか。全然気づきませんでした」
「食事もまだでしょう? 早く召し上がってください。山本の力作が冷めてしまいました」
「私たちの食事も山本さんが作ってくださるのですか?」
「当然です。彼は当家で食事を必要とする、すべての人間のためのシェフです」

 山本は、朝十時に出勤して昼食作りを始める。そしてよほどのことがない限り、午後七時に夕食と翌朝の支度を終えて帰宅する。給仕と朝食の仕上げは宮野の仕事だった。
 住み込みであればもう少し違うやり方になるのだろうが、住み込みは山本自身がいやがっている。
 それはそうだろう……この屋敷と同化しているような宮野を除けば、あの気むずかしいあるじと寝食を共にしたい人間がそんなにいるとは思えない。
 厨房に行ってみると、確かに佳乃の分と思われる食事が残されていた。
 この家で夕食を必要とするのは、主の俊紀と宮野、それに佳乃の三人だけである。
 宮野はすでに食べ終えたらしいので、これは佳乃の分である。俊紀が食べていたのと同じぐらい上等な食事だ。
 毎日こうだったら一ヶ月で豚になるな……
 佳乃は食事をしっかり平らげた後で、そんな心配をした。


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