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第一話 アストリアの冒険
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王都エルクの空は、雲ひとつなく晴れていた。将校用の軍服で正装した二人の若者が並んで馬に乗り、賑やかな石畳の大通りを、ゆっくりと進んでいる。
「ロイド、恋人は出来たか」
二人のうちの片方が、長く伸ばした金色の髪をかき上げながら、軽口を叩いた。彼の名は、デニス・クライン卿。地方の村の小領主である。
「兄上、その話は昨日もしたでしょう。訓練が忙しくて、そのような暇はありません」
ロイドと呼ばれた真面目くさった顔の男が、デニスの質問を受けて、無愛想に答えた。ロイド・クライン。彼はデニスの異母弟で、先代領主の次男坊に当たる。
「お前なあ。騎士の本分は何だと思ってるんだ」
「国王陛下の盾として、武門一筋に生きることでしょう」
「バカか。違うだろう。恋をすることだよ」
デニスの口調はふざけていたが、ロイドに投げかける視線は、真剣そのものだった。
「俺は、狭いながらも領地を相続して、悠々自適だ。今後、誰を妻にしようが、愛人を囲おうが、誰にも文句は言わせん。だが、領地がないお前はどうする」
デニスは言葉を続けた。彼は、本来連れるべき従者も雇わず、従者代わりにロイドを連れ回す程度には、この異母弟のことが嫌いではなかった。その将来を気にかけていたのだった。
「平和な時代の騎士は旅をして、恋をして、貴婦人のお気に入りになるしか出世の道はないぞ。覚えておけ」
ロイドは兄の言葉を遮るように、馬の足を早めて先に進んだ。
「兄上、騎士道物語の読み過ぎですよ」
二人が目指すその先には、王宮がある。デニス・クライン卿は、儀式に参列せよと王室から命令を受けて、王都に来たのだった。ロイドは、そのお供だった。
明日、国王の息子であるエーベル王子が十八歳の誕生日を迎える。エーベルを正式に次期国王予定者と定める「王太子選定の儀式」が、王宮の東宮殿で行われることになっていた。
王宮は、四つの区画に分かれる。主に政務と来客の応接を行う正宮殿、国王夫妻と女官たちが暮らす後宮殿、エーベル王子の東宮殿。そして、西宮殿である。
西宮殿で暮らす十六歳のアストリア王女は、生まれつき病弱だった。西宮殿とその庭から出た経験は、指で数えるほどしかなかった。
いつも西宮殿の一室に座って、バイオリンを弾いたり、アクセサリー作りで時間を過ごすのが、アストリアの普段の生活だった。
「姫様のバイオリン、音楽家庭教師のジュベール先生も驚いてましたよ。『もう私には教えることがない』なんて言って」
「そうなの?」
乳母のリディアは、彼女の才能を常に励ましてくれたが、一方で、病気だから無理はするなと常に口やかましかった。
「ええ、ええ。姫様の腕前はもう確かなんですから、どうか、体に差しさわる練習は、なさいませんように」
音楽も工芸も、この国の王族・貴族としては平凡な趣味だった。だが、西宮殿に引きこもって有り余る時間を過ごすアストリアの趣味のレベルは、既に非凡の領域に達していた。
「ありがとう。疲れたから、少し休むわ」
アストリアの表情には、いつも、体のだるさがにじみ出ていた。朝起きて、食事を取るだけで精一杯の日もある。外の空気を吸いに庭に出ることすら、めったにない。
そんなアストリアであったが、その夜、彼女は生まれて初めての大冒険に打って出た。
西宮殿をひとりで抜け出して、兄のエーベル王子が住む東宮殿に忍び込んだのだ。
寝間着にガウンだけを羽織り、息を切らせながら、暗い廊下を進む。
「やっと、着いた……」
幼いころに、乳母に連れられて一度だけ訪れたことがある兄の部屋の前に立つと、緊張感が少し和らぐのを感じた。
何分くらい、扉の前にたたずんでいただろうか。彼女はそっと深呼吸をすると、ようやく意を決して、ドアノブに手を伸ばした。だが、扉は開かなかった。
(やっぱり、鍵は閉まってたか……)
アストリアは、扉をノックしようかと考えた。しかし、多忙な兄の安眠を妨げることは、やはり迷惑だと思い直した。部屋の前に贈り物を置いて、立ち去ることにした。
「お兄様、お誕生日おめでとう……」
アストリアは小声でつぶやきながら、包みを床にそっと置こうとした。
しかしその時廊下の奥から、何人かの足音が響いてきた。アストリアは反射的に扉を閉め、包みを持ったままで、廊下の柱の陰に身を寄せた。
「そこに、誰かいるの?」
若い女性の甲高い声が、暗闇の向こうから聞こえてきた。必死に身を隠すアストリアの鼓動はますます速くなり、肌には冷や汗がにじんだ。
アストリアは、柱の陰で固まったまま、このまま通り過ぎてくれるようにと、心の中で願った。
だが、願いもむなしく、複数の足音がアストリアのほうへ、ツカツカと近づいてきた。気がつくとアストリアは、二人の男に、両腕を取り押さえられていた。
「ロイド、恋人は出来たか」
二人のうちの片方が、長く伸ばした金色の髪をかき上げながら、軽口を叩いた。彼の名は、デニス・クライン卿。地方の村の小領主である。
「兄上、その話は昨日もしたでしょう。訓練が忙しくて、そのような暇はありません」
ロイドと呼ばれた真面目くさった顔の男が、デニスの質問を受けて、無愛想に答えた。ロイド・クライン。彼はデニスの異母弟で、先代領主の次男坊に当たる。
「お前なあ。騎士の本分は何だと思ってるんだ」
「国王陛下の盾として、武門一筋に生きることでしょう」
「バカか。違うだろう。恋をすることだよ」
デニスの口調はふざけていたが、ロイドに投げかける視線は、真剣そのものだった。
「俺は、狭いながらも領地を相続して、悠々自適だ。今後、誰を妻にしようが、愛人を囲おうが、誰にも文句は言わせん。だが、領地がないお前はどうする」
デニスは言葉を続けた。彼は、本来連れるべき従者も雇わず、従者代わりにロイドを連れ回す程度には、この異母弟のことが嫌いではなかった。その将来を気にかけていたのだった。
「平和な時代の騎士は旅をして、恋をして、貴婦人のお気に入りになるしか出世の道はないぞ。覚えておけ」
ロイドは兄の言葉を遮るように、馬の足を早めて先に進んだ。
「兄上、騎士道物語の読み過ぎですよ」
二人が目指すその先には、王宮がある。デニス・クライン卿は、儀式に参列せよと王室から命令を受けて、王都に来たのだった。ロイドは、そのお供だった。
明日、国王の息子であるエーベル王子が十八歳の誕生日を迎える。エーベルを正式に次期国王予定者と定める「王太子選定の儀式」が、王宮の東宮殿で行われることになっていた。
王宮は、四つの区画に分かれる。主に政務と来客の応接を行う正宮殿、国王夫妻と女官たちが暮らす後宮殿、エーベル王子の東宮殿。そして、西宮殿である。
西宮殿で暮らす十六歳のアストリア王女は、生まれつき病弱だった。西宮殿とその庭から出た経験は、指で数えるほどしかなかった。
いつも西宮殿の一室に座って、バイオリンを弾いたり、アクセサリー作りで時間を過ごすのが、アストリアの普段の生活だった。
「姫様のバイオリン、音楽家庭教師のジュベール先生も驚いてましたよ。『もう私には教えることがない』なんて言って」
「そうなの?」
乳母のリディアは、彼女の才能を常に励ましてくれたが、一方で、病気だから無理はするなと常に口やかましかった。
「ええ、ええ。姫様の腕前はもう確かなんですから、どうか、体に差しさわる練習は、なさいませんように」
音楽も工芸も、この国の王族・貴族としては平凡な趣味だった。だが、西宮殿に引きこもって有り余る時間を過ごすアストリアの趣味のレベルは、既に非凡の領域に達していた。
「ありがとう。疲れたから、少し休むわ」
アストリアの表情には、いつも、体のだるさがにじみ出ていた。朝起きて、食事を取るだけで精一杯の日もある。外の空気を吸いに庭に出ることすら、めったにない。
そんなアストリアであったが、その夜、彼女は生まれて初めての大冒険に打って出た。
西宮殿をひとりで抜け出して、兄のエーベル王子が住む東宮殿に忍び込んだのだ。
寝間着にガウンだけを羽織り、息を切らせながら、暗い廊下を進む。
「やっと、着いた……」
幼いころに、乳母に連れられて一度だけ訪れたことがある兄の部屋の前に立つと、緊張感が少し和らぐのを感じた。
何分くらい、扉の前にたたずんでいただろうか。彼女はそっと深呼吸をすると、ようやく意を決して、ドアノブに手を伸ばした。だが、扉は開かなかった。
(やっぱり、鍵は閉まってたか……)
アストリアは、扉をノックしようかと考えた。しかし、多忙な兄の安眠を妨げることは、やはり迷惑だと思い直した。部屋の前に贈り物を置いて、立ち去ることにした。
「お兄様、お誕生日おめでとう……」
アストリアは小声でつぶやきながら、包みを床にそっと置こうとした。
しかしその時廊下の奥から、何人かの足音が響いてきた。アストリアは反射的に扉を閉め、包みを持ったままで、廊下の柱の陰に身を寄せた。
「そこに、誰かいるの?」
若い女性の甲高い声が、暗闇の向こうから聞こえてきた。必死に身を隠すアストリアの鼓動はますます速くなり、肌には冷や汗がにじんだ。
アストリアは、柱の陰で固まったまま、このまま通り過ぎてくれるようにと、心の中で願った。
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