奴隷になったお姫様は、バイオリンを弾くだけで全てを取り戻す〜囚われの王女アストリアと追憶の旋律〜

けんゆう

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第二話 マリラの疑惑

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「そこのあなた! こんな時間に、エーベル殿下の部屋の前で何をしてるの?」

 ハッとして振り返ると、そこには華やかな衣装を身にまとった若い貴族令嬢がいた。その左右には、取り巻きの侍女たちが控えている。

「殿下の婚約者として、見逃すわけにはいかないわ。その包みは一体何なの?」

 令嬢は両目を吊り上げ、険しい表情で睨んだ。彼女の言葉から、アストリアはハッと思い当たった。この人は、お兄様の婚約者、マリラ公爵令嬢だ……。
 
 アストリアを捕まえた男たちも、王宮の衛兵隊ではなく、公爵家の護衛を務める私兵たちだった。

「私はただ、贈り物を届けに……」

 アストリアは声を震わせながら答えた。すると――

「お黙り!」

 バチン!

 アストリアの言葉をさえぎるように、マリラはアストリアの右の頬へ、鋭い平手打ちを叩きつけた。

「そんな寝間着姿で、贈り物を届けるですって? あなた、一体何者なの?」

 マリラは、アストリアを王女だとは夢にも思わず、厳しく詰問した。ほとんど西宮殿から出たことのないアストリアの顔は、貴族たちに知られていなかった。アストリアとマリラの間にも、全く面識はない。 

 この夜、祝賀行事に備えてエーベル王子の部屋の下の階に宿泊していたマリラは、王子の部屋の前に不審な女がいると侍女から聞かされて、護衛を引き連れ、駆けつけたのだった。

 見慣れないアストリアを、エーベル王子の愛人ではないかと、マリラは強く疑い始めた。

「あの……だ、だからエーベルお兄様に、おく、贈り物を……」

 アストリアは殴られた頬を手のひらで押さえ、涙ぐみながら必死で説明しようとした。
 
 王宮の行事に出られないアストリアは、いつも見舞いに来てくれる優しい兄の大切なお祝いの日に、直接会って贈り物を渡せないことが、何より悔しかった。

 前日の昼、乳母のリディアがアストリアへ申し訳なさそうに告げた。東宮殿での『立太子選定の儀式』と祝賀パーティーは、夜遅くまで続くと。従って、エーベル王子がアストリアからの贈り物を見るのは、誕生日の翌日以降になると。

 リディアにそう言われて、アストリアは頼み込んだ。
 
「お兄様に贈り物を直接手渡して、喜ぶ姿を見たいな。明日会えないなら、今夜、東宮殿に行きたい……」

 しかし、リディアはアストリアの懇願を却下した。

「いけませんよ、姫様。殿下は今日も明日もお忙しいんですし、姫様はご病気なんですから」

 取り付く島もなかった。そこでアストリアは、体力の無理を押してでも、深夜の東宮殿に単身忍び込むという、無謀きわまりない行動に出たのだった。
    
「ハッ。お兄様、ですって?」

 マリラは嘲笑うように言った。

「つまり、エーベル殿下と親しい関係だと言いたいわけ? そんな薄着で、部屋にやってきて。まるで泥棒猫ね」

 取り巻きたちは声を上げて笑い出した。アストリアは困惑し、胸に抱えた小さな包みを強く握りしめた。

 包みの中身は、療養生活を送る中で、彼女が一年かけてエーベルのために手作りした宝石のペンダント。

 そして、幼いころピアノが得意だったエーベルといつか合奏するために、彼女が自ら作曲した、バイオリンとピアノのための協奏曲の楽譜だった。

「私は……私は本当に、エーベルお兄様の妹なんです」
「ふざけないで」

 マリラの鋭い声に、アストリアはひるんだ。彼女が話に聞いていた公爵令嬢マリラは、もっと気品と優しさに満ちた女性のはずだった。しかし今、目の前にいるのは、嫉妬と不安に駆られた別人だった。
 
「エーベル殿下の妹君は、ご病気で西宮殿から一歩もお出にならないと聞いてるわ。私を、誰だと思ってるの? この私に向かって王族を騙るとは、本当にとんでもない女ね」 

 明日、エーベル王子は十八歳の誕生日を迎え、正式な次期国王に決定される「立太子選定の儀式」が行われる。儀式後の祝賀パーティーでは、エーベルと公爵令嬢マリラの婚約も大々的に発表される予定だった。

「明日になれば、私は正式な王太子妃候補になる。未来の王妃なのよ。寝間着でうろつくあなたみたいな女に、絶対に邪魔はさせないんだから」

 婚約前の交際期間で、エーベルがマリラに関心がないことは、彼女もすぐに気付いた。彼の心には別の女性がいるのではと、マリラは常々疑っていた。
 
 だが、この政略結婚は公爵家の将来を左右する。失敗は許されない。家門を背負わされた強いプレッシャーが、婚約発表前夜のマリラを異常な興奮状態に追い込んでいた。

「中庭に連れていきましょう」

 マリラは冷たい声で命じた。

 アストリア王女にとって、殴られたのも、屈強な男たちに体を押さえ付けられたのも、人生はじめての経験だった。

痛みと恐怖と驚きで、助けを呼ぼうとしても、声がうまく出なくなっていた。

 公爵家の護衛たちはアストリアを強引に抱え、中庭へと引きずっていった。
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