奴隷になったお姫様は、バイオリンを弾くだけで全てを取り戻す〜囚われの王女アストリアと追憶の旋律〜

けんゆう

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第十一話 王都への帰還

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 馬車は、王都の街路に入った。数十キロの旅路の間、アストリアを隠し通しながら、ここまでたどり着いたことに、ロイドは内心ホッとしていた。街の喧騒が少しずつ耳に届き、ここまでの緊張が徐々に解けていく。

 デニスが伸びをしながら、目を覚ました。

「着いたな、ロイド。俺は一人で王宮に行って用事を済ませてくるから、お前は宿の手配をして、日が暮れたらここへ迎えに来い」
「分かりました」

 王宮前で降りたデニスの姿が見えなくなると、ロイドはすぐさま、座席の下にいるアストリアに声をかけた。

「よく我慢したね。さあ、ここへ座って」
「いいんですか? 私なんかが座っても……」
「もちろんだよ。遠慮しないで」

 ロイドは、アストリアを自分の横へ座らせると、再び手綱を握って、馬車を宿に向けた。
 
「アスタ、もう少しだ。今から君の新しい部屋を用意するよ」
「本当にありがとうございます、ロイドさん……」

 ロイドは、王都滞在時にいつも利用する富裕層向けの宿屋でデニス卿と自分の部屋を取ると、アストリアを連れて、隣の宿屋に向かった。ロイドたちが泊まる宿屋よりは少しグレードが低いが、小さいながらも、騎士階級や商人がよく利用する、清潔な宿だった。

「この御婦人のために、しばらく部屋を借りたい。安全な部屋を頼むよ」

 宿屋の主人は怪訝な顔をしたが、ロイドの真剣な表情を見て、うなづいた。

「それじゃあ、ここの奥の部屋がいいでしょう。鍵が二重だし、トイレも台所も付いてます」

 ロイドは、デニスから預かった金ではなく、自分の財布から宿代を出して支払った。三ヶ月分の前金だった。宿屋の主人は少し驚いた様子で尋ねた。

「ずいぶん長期のご予定ですね。予約は問題ありませんが、何か、ご事情でも?」

 ロイドは、軽く睨み返した。

「余計な詮索は無用に願いたい」
「失礼しました、騎士様。部屋はもう掃除済みですので」

 宿屋の主人が冷や汗をかきながら鍵を渡すと、ロイドは一礼して受け取った。
 
 ロイドはアストリアを部屋に案内した。その宿の部屋が娼館に比べて遥かに清潔で広いことに、アストリアはうれしげな表情を見せた。

「ここが、私の部屋ですか?」

 彼女は少し遠慮がちに尋ねた。

「そうだ。ここなら、君も安心して過ごせるだろう」

 ロイドがうなづきながら答えた。

「ここが、君の新しい居場所だ」

アストリアは小さな椅子に腰を下ろし、部屋を見渡しながら、安心して息をついた。

「ありがとうございます。本当に、こんなきれいな場所で暮らせるなんて、思いもしませんでした。」

 ロイドは窓辺に立ち、外の様子を確認しながら話した。

「この部屋は小さいが、安全だ。君がここで、少しずつ力を取り戻して、いずれ仕事をして自立できるように、手伝うつもりだ。」

「私なんかのために、どうして、そこまでしてくれるんですか?」

 アストリアは、ロイドの顔をのぞき込みながら問いかけた。ロイドは視線をアストリアからそらしながら、少し間を置いて答えた。

「君は、あんな所で大切な時期をムダに過ごしていい人じゃない。私がそう感じたことが全てだ。他に特に理由はないよ」

 ロイドは言葉を続けた。

「ところで、そろそろ腹は減ってないか? 宿の向かいには食堂もあるが、この部屋は台所付きだから、自分で料理したほうが安上がりだろう。何か必要なものがあったら言ってくれ」
「料理……」

 王宮に住んでいたころ、食事は料理人が作るもので、アストリアには全く料理の経験がなかった。記憶を失ってからも、娼館での住み込み仕事は食事つきだったので、やはり彼女が台所に立つ機会はなかった。

「料理は苦手かい?」

 不安そうなアストリアの表情を見て、ロイドは聞いた。

「少し、ここで待っててくれ」

 ロイドは部屋を出て行くと、小一時間ほどで、調理器具や食材を抱えて戻ってきた。

「われわれ騎士は見習い時代に、訓練で野営をするんだ。料理担当はくじ引きで決めるんだが、当たるのが内心楽しみでね」

 ロイドは黒いエプロンを着けて台所に立つと、手際良く野菜のバター炒めと、ベーコン入りのパスタを作ってくれた。

「男の料理で、口に合うかどうか」

 ロイドはテーブルに皿を並べた。食事を口に運ぶと、アストリアは頬をほころばせた。

「おいしいです、ロイドさん」
「そ、そうか。良かった。それじゃ、私は仕事に戻るから、ゆっくり食べて、休むんだよ。また明日来る」

 その日からロイドは、隣の宿に滞在してデニスから頼まれる雑用をこなしながら、食事の手配も含め、アストリアが少しでも快適に暮らせるように心を砕いた。数日が過ぎると、彼女の顔に少しずつ明るさが戻り始めた。

「ロイドさん、少しずつ記憶が戻りそうな気がします。断片的ですが、誰かを思い出せそうなんです」

 アストリアがある日、小さな声で告げた。ロイドは向かい合って椅子に座り、慎重に話を聞く。

「どんなことでもいい。思い出したことを話してごらん」

「名前までは思い出せないんですが、とても優しい男性が、私にいつも会いに来てくれていた気がします。その人がいる場所に、私は戻らなくちゃいけない。そんな気持ちを、はっきり感じるんです」

「そこが、君の本来の居場所だったのかもしれないな」

 ロイドは複雑な表情で、アストリアの話に耳を傾けた。
 
「まあ、焦らずに、少しずつ記憶をたどっていこうか」
「私、もう少し頑張って思い出してみます」
「そうだね。それが君にとって最善だろう」
 
 ロイドは腕を組みながら言った。

「とにかく、私は君の自立を助ける。それが私の役目だと思ってる」

 アストリアはロイドの言葉への感謝で胸がいっぱいになり、瞳を潤ませながら頭を下げた。新しい生活が少しずつ希望に満ち始めたのを、彼女は肌で感じるのだった。
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