白雪姫の姉は辺境で静かに暮らしたい〜毒親魔女とゾンビ妹が騒がしいので、怠け者公爵との激甘スイーツ生活を死守します!〜

けんゆう

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5 白雪姫の姉ですが愛されたいわけじゃないんです

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 公爵家の昼下がりは、いつもと変わらぬ静けさに包まれていた。
 
 しかし、廊下の奥からふわりと甘い香りが漂ってきた瞬間――その空気は一変する。 

「ふふ、今日もいい出来ね!」

 公爵夫人アップルは、キッチンで特製のリンゴケーキを焼き上げていた。

「気分の落ち込みには、このハーブがいいわ。今日はバターを少し多めにして、蜂蜜とバニラエッセンスは控えめに……うん、完璧ね!」

 彼女はケーキの焼き色を確認しながら、誇らしげに微笑んだ。

「公爵家の食事はあまりにも質素で、栄養不足すぎるもの。少しくらい私が変えてもいいわよね」

 アップルは、自分にそう言い聞かせながら、ケーキを冷ましていた。

(どうせ城に引きこもってばかりなんだから、せめて、体に良くて美味しいものを食べさせないとね)
 
 その頃――
 
「……また、あの匂いか」

 ジョン公爵は、机に広げた書類を手にしたまま、ふと鼻をひくつかせた。

「ケーキかな……」

 彼の目の前には、領地の税収に関する報告書が山積みになっていたが、甘いリンゴとバターの香りが漂うたび、書類の文字が霞んで見える。

「集中できん……」

 ジョンは小さくため息をついた。

「公爵様、こちらを」

 執事が、ジョンの執務室に焼きたてのリンゴケーキを運んできた。

「ん? またか」

 ジョンは、ケーキの香りに誘われながら、気だるそうに皿を見つめた。

「最近、やけに頻繁だな……」

 そう言いつつも、手はしっかりとケーキに伸びていた。

「まあ、食べるか」

 ジョンは、何気なくフォークで一口食べた。

「……!」

 ふんわりとしたケーキの食感、バターの香ばしい香り、リンゴの甘酸っぱさと、ほんのりとしたバニラエッセンスのアクセント――。

 ジョンは、口の中で広がるそのハーモニーに、思わず目を閉じた。

「……うまい」

 その言葉は、気づかぬうちに漏れ出ていた。

「なんだ、これ……」

 ジョンは驚きながら、もう一口、さらにもう一口と、ケーキを頬張った。

「前のタルトも悪くなかったが、これは……」

 ジョンは、知らぬ間に笑みを浮かべていた。

「……あの女、何を企んでるんだ?」

 ジョンは、ふと我に返った。

「こんなにうまいものを毎日食べさせて……俺を懐柔する気か?」

 眉をひそめながらも、次の瞬間にはまたフォークを手に取っていた。

「……いや、違うな」

 ジョンは、空になった皿を見つめながら、小さくつぶやいた。

「アップルはそんな計算高い女じゃない」

 ジョンは、ふと昔のことを思い出していた。

 ――幼馴染、スノーホワイトとの婚約。

 それは国王の命令による政略結婚だった。

「王家に世継ぎの男子が生まれた場合、スノーホワイトはモンストラン公爵家当主と結婚する」

 それが、王家と公爵家の間で交わされた条件だった。

 しかし――

「結局、王家に男子は生まれなかった」

 ジョンの目が遠くを見つめた。次世代の王家を継ぐのはスノーホワイトである以上、公爵家に嫁入りするわけにはいかない。そしてジョンも、モンストラン公爵家を守らねばならない立場上、王家に婿入りすることはできない。

「元々、スノーホワイトとの結婚なんて、無理な話だったんだ」

 ジョンは、苦々しい笑みを浮かべた。美しい少女スノーホワイトの姿は、少年の日の思い出として、強烈にジョンの心に焼き付いていた。彼女との結婚が現実となる日を、ひたすら夢見ていた。

 だがその夢は、「王家に世継ぎの男子が生まれたら」という条件付きの、全く他力本願なものでしかなかった。ジョン自身は、その夢の実現のために、特に何も行動してこなかった。

「それなのに、俺は……」

 アップルが嫁いできた時、ジョンは無意識に、彼女に冷たく当たった。その態度を見て、使用人たちも同じように彼女を冷遇したことだろう。

(アップルのせいでスノーホワイトとの婚約が破棄された――)

 そう思い込もうとしていた。

「でも、違う……」

 ジョンは、自嘲気味に笑った。

「全部、俺の逆恨みだったんだな」

 ジョンは、窓の外を眺めながら、アップルのことを思い浮かべていた。

「……あの女、本当に変なやつだ」

 彼女が何を考えているのか、ジョンにはまだわからなかった。

 しかし――

「――良く分からんが、甘いものを食ったせいか、頭が冴えてきたぞ。今日中に、この仕事を全部終わらせるとしよう」

 ジョンは、それまでとは見違えたように精力的に、山積みの書類をテキパキと処理していった。冷え切っていた心に、ほんの少しだけ、熱いエネルギーが戻っていることに彼自身も気づいていた。

 その頃――

「ふぅ……今日のケーキも完璧だったわ」

 アップルは、焼き上がったケーキの残りを見つめながら、小さくつぶやいた。

「でも……ジョンは私を妻とは思ってないのに、何やってんだろ、私」

 アップルの瞳には、どこか影が差していた。

「……私なんかが愛されるわけない」

 アップルは、心の奥で小さくつぶやいた。

「私は、ただの代用品……」

 アップルは、自分自身にそう言い聞かせていた。

「ジョンが愛しているのは、スノーホワイト」

「私は、ただの『政略結婚の駒』……」

 アップルの心には、どこか諦めがあった。

(でも……)

 アップルは、ほんの少しだけ胸に手を当てた。

(でも今は、ジョンが少しでもスイーツで幸せな気分になってるなら……まあ、それでいいか)

 アップルは、自分の価値をまだ信じられなかった。

 ジョンは、徐々にアップルへの想いに気づき始めていた。

「私なんかが……」

「あいつ、なんでこんなに……」

 お互いの気持ちのすれ違いに、気づかないまま。
  
「明日も……アップルパイ、焼こうかな」

「……また、あの香りに誘われてしまうのか」

 アップルは、心の奥の切ない想いを隠しながら、次のスイーツの準備を始める。

 ジョンは、甘い香りを思い出しながら、心の奥で静かに問いかける。

 二人の心は、少しずつ交差し始めていた。
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