生まれ変わってもあなたを

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第二幕

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 ○○○は生まれ落ちたあと、すぐに立ち上がろうとした。それは本能であり、人間でいうと産声のようなものだからここでは産立ちと呼ぶ。初めは体中にネバネバしたものがあり動きづらかったが、母親が舐めとってくれたので、弱々しくではあるが産立ちを成功させることができた。そして母親の乳をむさぼるように飲んだ。母親は常に何かに怯えていて周囲の様子をうかがっていた。その理由を知ったとき戦慄を覚えた。自分と同時期に産まれた仲間が襲われ、喰われる光景を見た。圧倒的な力で瞬く間に命の灯火は消えていった。この世界は弱くては生きていけないということを知った。強くならなければならない。

 ○○○は喪失感を抱えていた。自分には何か足りないものがあり、それを探し見つけなければならないという義務感のようなものがあった。


 インパラという生き物は水辺のサバンナや落葉樹林に生息しており、主に草を食べる草食動物である。天敵はライオンやチーター、ハイエナなどであったが、不意を突かれないかぎり捕まえられる可能性はかなり低かった。走行速度は時速六十メートルに達し、跳躍は高さ三メートル、幅は十メートルにもおよんだ。百頭程からなる群れに守られ、○○○は成長していった。

 ○○○は人間の生をまっとうした後、インパラという生き物に生まれ変わっていた。○○○は喪失感を埋めるため、何度も群の外へ出ていこうとしたが、その度に母親に止められていた。


 成獣となった○○○は群から浮いた存在となっていた。インパラのオスは子孫を残すために、他のオスと戦わなければならなかったが、そのようなことに興味をしめさなかった。次第に群の中心から距離をおくようになっていた。当然ながら天敵の的にされることが多くなったが、何度も逃れるうちに捕まらないコツを掴んできたようだった。もっともそれまでにケツを二、三度程引っ掻かれたし、一度は噛みつかれたりもした。仲間からは変人、いや変獣扱いだった。

 ○○○に近づくものは少なくなっていったが、それは好都合であった。群の外れにいる○○○に近づいていったばかりに肉食動物の餌食になってしまうものもいたからだ。
 誰も近づかなくなったことで、○○○は心おきなく群から離れていくことができるようになった。ただ、休息をとるときだけは群れに戻るようにしていた。○○○は命知らずではなかったし、なんとしても生きる必要があった。

 生涯の転機は突然やってくるものだ。○○○はいつものように群から離れて行動していた。茂みの中で食べ物である草を食んでいたとき、×××が現れた。○○○はすぐにそれが×××で、それこそが喪失感を埋めるものだと分かった。きっと×××にも○○○のことがわかったはずだった。だけど、お互い動くことができなかった。○○○は戸惑っていた。すぐに近づきたいのにできなかった。×××はライオンの姿をしていたし、彼女の口の端からヨダレが落ち始めていた。どうやら逃げた方が良さそうだった。×××は人間だったころによくしていたイタズラっぽい表情をした後に勢いよく突進をしてきた。しかし、逃げの達人になっていた○○○はなんなく逃げることができた。

 それからというもの○○○は自ら×××の群に近づくようになった。といっても三百メートルは距離をとっていた。米粒程の大きさに見える×××だけでも十分に幸せであった。人間の言葉ではストーカーと呼ばれるものではないだろうかと○○○は思ったが、自分は追跡者なんだとカッコいい感じでまとめた。

 いつの間にか米粒程の彼女では満足できなくなった○○○は、まるで肉食獣が獲物に忍び寄るように彼女の群れに近づくようになっていった。危険ではあったが、とにかく彼女を身近に感じていたかったのだ。


 ×××を観察していて○○○が気づいたことは、彼女は狩が下手くそということであった。何度か彼女に追いかけられたりしたが余裕で逃げることができた。人間であったときもそういうところがあった。真面目でしっかり者のくせにどこか要領の悪いところがあった。そして失敗してもちっとも悪びれないところも×××らしかった。彼女はちっとも獲物を捕まえられないが、他の仲間が捕らえた獲物のおこぼれをしっかりといただいていた。そんな彼女だがおこぼれ以外にも食事にありつける方法があった。それは奪い取ることだった。ハイエナが捕まえた獲物を横取りすることに関しては彼女は天才的だった。今も昔もハッタリと威嚇が彼女の武器のようだ。ハイエナにとっては気の毒なことだが。

 その他にも気づいたことは、彼女には息子や娘達がいた。まだよちよち歩きの子供達は母親の×××ににまとわりついて甘えたり、じゃれあったりしていた。最初は彼女に子供がいることを知ったとき、○○○は激しく嫉妬したが、まぁそれは仕方ないことだと思うことにした。だって自分はインパラなので。
 一旦受け入れてしまうと、彼女の子供達が無性に愛おしく感じるようになったが、後に彼女の子供達にはとても苦しめられることになる。成獣となった子供達はとても狩上手だった。何度か追いかけれたが、逃げの達人である○○○でも逃げ切ることは容易なことではなかった。ケツの傷はどんどん増えていった。
 流石に命を落とす危険が高くなってきたので、○○○は×××の群に近づくことを控えるようになっていた。彼女をずっと見ていたかったが、彼女より先に死ぬことは許されないことだと感じていた。

 ×××の群に近づきづらくなった○○○は仕方なく自身の群れに留まっていた。気づくと○○○と同時期に産まれたもの達の子供達がだいぶ増えていた。その中に○○○の子供は一頭もいなかった。子孫を残すためにはライバルのオスと勝負し、勝たなければならなかったのだが、一度も戦いを挑んだことはなかったし、これからもないと思われた。

 
 やはり生涯の転機は突然やってくるものだった。今季の乾季はひどく長かった。草花は枯れ落ち、それらを食べる草食動物が次々と倒れていった。そしてそれらを食べる肉食動物も。○○○は自身の行く末よりも×××が心配であった。お腹をすかしていないだろうかと。

 ○○○はフラフラと歩き出した。×××を求めていた。もうすぐ自分の命は尽きると感じていた。○○○は自分が草食動物に産まれてきた意味を見出していた。

 ○○○はこの命で初めて出会った場所を目指した。あの茂みに行けば会えるような気がしていた。そしてやはり居た。×××は一瞬警戒の色を見せ腰を浮かせたが、○○○だと分かるとまた腰を落とした。×××はあばらが浮き上がり、痩せこけていた。×××の時間も残り少ないように見えた。○○○は×××のそばに腰を落とした。彼女の顔を見たら、イタズラっぽい表情をしていた。どこか嬉しそうにも見えた。こんな時でも深刻にならないのが×××だ。

「会いに来てくれたの?」

 声が聞こえた。×××の声だった。

「君の言葉がわかるよ」

「私もよ。知ってる? こういうのってキセキっていうんだよ」

「そうだね」

 ×××はもぞもぞと動いて○○○に擦り寄った。身体がピタッとついてお互いの体温を感じることができた。

「最近見かけなかったけど、どうして?」
 彼女も自分の存在に気づいていたことが、○○○は嬉しかった。

「君の子供達が優秀な狩人だったからね。近づくことができなかったんだよ」

「ふふふー。私の子ですからね。当然ですよ」

「だけど君は狩が下手くそだった」

「はぁっ? ムカつく。私だって本気出せば余裕だし」

「ホントに? 僕はいつも余裕で君から逃げられたよ」

「だってあなたのお尻ウケるんだもん。傷だらけよ? 笑っちゃって走れなくなるよ」

「いくつかは君がつけたものだけどね」

「私もなかなかやるわね」
 ×××は自身の業績に納得しているようだ。

「最初の頃は僕も未熟だったから君に追いつかれたりもしたね」

「あなたが必死に逃げる姿は可愛かったわね。食べちゃいたいと思った」
 そういう彼女のは口の端からヨダレが落ちていた。
「……怖いよ」
「やぁね、冗談よ」
「ホントに?」
 かなり疑わしい。
「ふふふー」
 困った人だと○○○は思った。

 それにしてもと×××は言う。

「あなたは忘れっぽいくせに、本当に大事なことはちゃんと守ってくれるのね」
「何のこと?」

 本当はわかっている。

「私が逝く時はそばにいてくれるってやつよ」
「なんでだよ? 君はまだ生きられるよ」
 ○○○は駄々をこねる子供のように言う。

「あなただってわかるでしょ? 私はもうすぐ死ぬわ。もう一歩も動けないの。あなたに擦り寄ったのが最期の力だった」
「だめだ! 今度は君を先に死なせはしない!」
 荒げた声に×××が驚いたが、○○○は構わずに続けた。
「動けないならここで僕を食べればいい! 君が死ぬのをもう見たくない」

「だめよ!」
 ×××はキッパリと言う。
「約束でしょ? あなたは私より先に死んだらだめなの」

 ×××は頑固だ。こうなったらもう絶対に意見を変えない。○○○は涙をこぼした。

「相変わらず泣き虫ね」
「君だってそうだろ?」
 ×××も泣いていた。

 もう言葉はいらなかった。ただ、静かにその時を迎えることにした。


 どれだけの時間がたっただろうか。目を閉じていた×××が口を開いた。
「ねぇ、あなた子供はいるの?」
「いないよ。興味がないんだ」
「だめよ。産まれたからには子孫を残すの」
「だけどそのためには他のオスと勝負して勝たなくちゃならないんだよ? 僕が弱いのは君だって知っているでしょ?」

「私が知っているのは、あなたが強いってこと。だから約束して。あなたの子孫を残すって」

「君はずるいね。僕が断れないのを知っていて無茶な約束をさせる……。わかったよ。約束する」
 ×××は満足そうに微笑んだ。


「ねぇ、私のこと好き?」
「大好きだよ」


「ずっとあなたの側にいたいなぁ」
「僕もだ」


「もっと話していたかった」
「うん。僕も」

「ね……×××、愛してるよ」
「私も。愛してる」

 ふふふー、と×××が笑った。そして息をひきとった。


 雨が降った。乾季が終わったのだ。

 ○○○は群に戻った。そしてもう離れることはないだろう。この群で成さなければならないことがあった。○○○は産まれて初めて群のオスに戦いを挑んだ。



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