ピンクローズ - Pink Rose -

瑞原唯子

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2. 王宮医師

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 ラウル=インバースは、300年ほど前にこの国にやってきた。
 強力な結界を張り、外界との交流を絶っているこの国に、どのようにして入り込んだのかは謎である。そもそも、彼が外界からやってきたこと自体、表立って語ることは禁忌とされていた。その事実は、この国の防衛に穴があると認めることになるからだ。だが、人の口に戸は立てられない。王宮内という狭い範囲でだが、密やかに語り継がれていた。
 この国にやってきて以来、彼は王宮医師としてここに居着いていた。誰とどういう話し合いがなされそうなったのか、そのいきさつはごく一部の者にしか知らされていない。
 王宮医師とは、国に雇われ王宮内に医務室を抱える医師のことだ。王宮内やその関連施設で働く人々を診察するのが主な仕事である。ラウルの他にも数人の医師が、それぞれ医務室を持ち常駐していた。
 初めのうちは、彼の医務室を訪れる人間が後を絶たなかった。診察など不必要にもかかわらず、何かと理由をつけて訪問し、様々な話を持ちかけるのだ。彼の持つ強大な魔導力を利用するため、自分の側へ引き込もうとしていたのである。
 だが、徐々にその数は減少していった。彼は決して誰にもなびくことはない、ということが知れ渡ったからである。いくら金や地位をちらつかせても、関心を示すことはまるでないのだ。また、情熱や使命感に訴えても無駄であった。そういう類の感情を、彼は持ち合わせていないようだった。
 そしてもうひとつ。
 年月が過ぎるにしたがって、彼のことを気味悪がる者が増えていったのだ。彼の外見は、この国に来たときのまま、まったく変わることがなかった。幾星霜を経ても衰えることなく、青年の姿を維持していたのである。人間ではなく化け物だ――そう思うものも少なくなかった。
 今では、彼の医務室には、ほとんど誰も寄りつかなくなっていた。いつも閑散としている。彼の冷たい目と無愛想な態度も、それに拍車をかけていた。好きこのんでここに来る者は滅多にいない。他の医師が手一杯のときなどに、ちらほらとやってくるくらいである。その数少ない患者を、彼はただ淡々と診察していた。

 その日も、ラウルはいつものように医務室にいた。広くはない机に向かい、発表されたばかりの論文を読んでいる。患者がいないときは、医学関係の書物や論文を読んで過ごすことが多かった。だが、勉強になることはほとんどない。すでに彼が知っていることばかりである。
 ――コンコン。
 扉をノックする音が聞こえた。
「入れ」
 ラウルは論文を片付けながら、短く声を張った。
 すぐにガラガラと扉が開き、紺色の制服を身に着けた男性がひとり入ってきた。人なつこい柔和な笑みを浮かべながら、軽く右手を上げる。
「やあ、ラウル。久しぶり。ここはいつも空いていていいな」
「何をしに来た」
 ラウルは睨みつけるような鋭い視線を流し、冷たく突き放すように言った。
 だが、彼は少しも動じた様子を見せず、笑顔を保ったまま答える。
「診察してもらいに来たんだよ」
「座れ」
 ラウルは顎をしゃくって、隣の丸椅子を示した。
 男性は上着を脱いで籠に入れると、示された椅子に素直に座った。
 彼の名前はリカルド=キース=ラグランジェ。王家と同等、いや、実質はそれ以上の権力を握っていると云われるラグランジェ家の当主である。先代から当主の座を引き継ぎ、そろそろ5年になる。だが、とてもそうは見えなかった。良くいえば優しく気さくであり、悪くいえば威厳がないということになる。
 彼は、好きこのんでこの医務室に来る、数少ない人間のひとりだった。
 他のところでは、医師に特別扱いされたり、他の患者に順番を譲られたりして、居心地が悪いということが理由のようだった。その点、ここならいつも閑散としているので、他の患者に遠慮する必要がない。そして、ラウルは相手が誰であれ特別扱いすることはない。そのため、ここがいちばん気が楽なのだ、とリカルドは言っていた。
「どんな症状だ」
 ラウルはまっすぐに彼を見て問いかける。
「少し喉が痛くて熱っぽいな」
 リカルドは喉に手を添え、僅かに首を傾げながら答えた。声におかしなところはないが、違和感を感じているのだろう。顔は少し火照っているようだった。
 ラウルは体温計を渡して熱を測らせた。その数値を一瞥すると、口の中を覗き込んだり、胸と背中に聴診器を当てたりしながら、淡々と診察をしていく。
「風邪だな」
 聴診器を外して首に掛けると、そう診断を下した。立ち上がって棚からいくつか薬を取り出し、袋に入れて机に置く。そして、再び椅子に座って机に向かうと、カルテにさらさらとペンを走らせた。
「ラウルは風邪をひいたことはあるのか?」
 リカルドは上着の袖に腕を通しながら尋ねた。
「なぜそんなことを訊く」
 ラウルはカルテに向かったまま聞き返した。
 リカルドはにっこりと微笑んだ。
「単なる好奇心だよ」
「ある。最近はひいていない」
 ラウルは手を止めず、ぶっきらぼうに答えた。
「へぇ、ラウルでも病気になることがあるんだな」
「おまえも私を化け物だと思っているのか」
 リカルドは動きを止め、目を大きくしてラウルを見た。そして、ふっと表情を緩めると、ゆっくりとした口調でなだめるように言う。
「変わっているのは確かだが、そんなふうには思っていないよ」
 ラウルはムッとして横目で睨みつけたが、リカルドは意に介さず、軽い笑顔で続ける。
「だいいち化け物だと思っていたら、わざわざここを選んで来たりはしないさ。ラウルのことは好きだよ」
「おまえがどう思おうと、私には関係ない」
 ラウルはペンを置き、無表情でリカルドに振り向いた。机の上の袋を手に取り、押しつけるようにして渡す。
「三日分の薬だ。毎食後に忘れず飲め」
「ありがとう」
 リカルドはにっこりと笑って受け取った。そして、まだ開いたままだった上着の前を留めながら、急に思い出したように言う。
「あ、そうだ。おまえに頼みたいことがあるんだけど、いいかな?」
「内容を言わずに了承を取ろうとするのは卑怯だ」
「ああ、そうだね」
 リカルドは軽く笑った。
「今度、改めて頼みに来るよ。話くらいは聞いてくれるよな?」
 ラウルは睨みつけるように、じっと彼を見つめた。そして、ゆっくりと腕を組むと、小さく息をついて言う。
「いいだろう。受けるかどうかは、内容を聞いてから決める」
「わかった」
 リカルドは真面目な顔で頷いた。鮮やかな金色の前髪がさらりと揺れた。

 ――コンコン。
 医務室の扉がノックされた。立て続けに人が来ることなど、ここではめずらしいことだ。だが、ラウルは眉ひとつ動かさず、普段と変わらない調子で言う。
「入れ」
 その声に促されるように、扉が遠慮がちにそろそろと開いた。遠慮がちというよりは、おそるおそるといった方が近いかもしれない。
「あれ? どうしたんだ、フランシス」
 扉の向こうから姿を現した男性を見ると、リカルドは驚いたような声を上げた。
「リカルドさん」
 フランシスと呼ばれた男性は、緊張の糸が切れたように、大きく安堵の息をついて言った。ここへ来るのがよほど怖かったと見える。そんなときに知った顔を見つけて安心したのだろう。彼はリカルドと同じ紺色の制服を身に着けていた。つまり、同じ研究所に勤務しているということだ。
「風邪をひいたみたいなんですけどね。ずいぶん流行っているらしくて、他の医務室はどこも人があふれてるんですよ」
「ああ、それで仕方なくここへ?」
 リカルドは納得したようにさらりと言った。
「あ、いや、そういうわけじゃ……」
 フランシスはラウルの方をちらちらと気にしながら、困ったように苦笑いを浮かべている。図星を指されたことは明白だ。
「もうすぐお昼だから、診察が終わったら一緒に食べに行こうか」
 リカルドは薬を持って立ち上がり、フランシスに席を譲りながら言う。
「はい、ぜひ」
 フランシスは爽やかな笑顔で答えた。空いた丸椅子にはまだ座ろうとせず、立ったままリカルドの方を向いている。
「フランシス、おまえはここへ座れ。リカルド、おまえは出て行け」
 ラウルは睨むような視線をふたりに送り、端的に命令した。
「あ、リカルドさん、いてくれていいです。ていうか、むしろいてください」
 フランシスは慌ててリカルドに頼み込んだ。縋りつくような目を向けている。ラウルとふたりきりになることを怖がっているのだろう。取って食われるとでも思っているのかもしれない。
「って言ってるけど、いていいのかな?」
「勝手にしろ」
 フランシスを指さしながら尋ねるリカルドに、ラウルは仏頂面で答えた。
 先ほどまでリカルドが座っていた丸椅子に、今度はフランシスが座った。緊張した面持ちを見せている。体にも無駄に力が入っているようだ。
「どんな症状だ」
 ラウルは正面から彼に向かい合って尋ねる。
「えっと、風邪みたいなんです」
「診断しろとは言っていない。症状を訊いている」
 フランシスは眉尻を下げ、引きつった苦笑を浮かべた。ここへ来たことを思いきり後悔したような顔だった。

 ラウルはフランシスにも風邪という診断を下し、薬を渡した。
 フランシスはここへ来たときほど怯えてはいなかった。診察が意外と普通だったことに拍子抜けしているようにも見えた。手早く上着を身に着けると、ラウルに小さく一礼する。
「じゃあ、行こうか」
 後ろで待っていたリカルドは、フランシスの背中にポンと手を置いた。それから、ラウルに目を向けて言う。
「ラウルもどうだ? 一緒にお昼、行かないか?」
 その言葉に、フランシスはぎくりとして振り返った。しかし、文句を言うことなどできるはずもなく、微妙に顔をしかめるだけだった。なぜラウルなんかを誘うのか、という気持ちが、その表情からありありと見て取れた。
 だが、肝心のリカルドは気づいていないようだった。意図的なものではないだろう。彼はどこか鈍いところがあるのだ。ラウルの方を向いたまま、にこにこして返事を待っている。
「私は自分の部屋で食べる」
 ラウルは素っ気なく答えた。フランシスに遠慮したわけではない。誰かとともに外食をしたいと思わなかっただけである。むしろ煩わしいというのが、彼の率直な心情だった。
 リカルドは両手を腰に当て、軽くため息をついた。
「おまえ、閉じこもってばかりなのも良くないぞ。たまには外で食べるのも気分転換になっていいんじゃないか?」
「気分転換など必要ない」
 ラウルはにべもなく拒絶した。
「そうか……じゃあ今日はあきらめるよ。また今度、いつか付き合ってくれ」
 リカルドは軽く右手を上げてそう言うと、医務室を後にした。フランシスはほっとしたように息をつき、リカルドとともに出て行った。
 ラウルは無言で、ふたりの背中に冷たい視線を送った。

 リカルドに言われたとおりだった。
 ラウルはここに閉じこもっている。本人にその意識はなかったが、少なくとも客観的に見れば、そういって差し支えのない状況である。
 彼の自室は医務室の奥にあった。そこで寝起きし、食事を作って食べ、生活をしている。昔も今も、常にひとりきりだった。修理や配達の者を除いては、誰も招き入れたことはない。
 たいていの時間は、その自室か医務室のどちらかにいた。外出するのは、どうしても外せない用件があるときだけである。月に数回あるかどうかだ。
 外に出ることが怖いわけではない。その必要性を感じないだけである。他人と関わりたい、話をしたいという欲求がなかった。そして、年月を経るにしたがって、その傾向は強まっていた。今では、窓の外を見ることすら、ほとんどなくなっていた。

 ラウルはため息をつき立ち上がった。窓際へと足を進める。レースのカーテンとガラス窓を開け、窓枠にもたれかかると、腕を組みながら顔を上げた。沁みるほどの鮮やかな青が、視界に飛び込んできた。高い位置にある太陽が、地上に強い光を降り注いでいる。空の下方に掛かる薄い筋状の雲は、緩やかに形を変えながら流れていた。その光景の眩しさに思わず目を細める。窓から風が滑り込み、焦茶色の長髪を撫でるように揺らした。
 こうやって空を眺めるのも、ずいぶん久方ぶりだった。なぜ急にそんな気分になったのかはわからない。リカルドに言われたことがきっかけであることは確かだ。だが、それがすべてではないだろう。言いようのない閉塞感が募っていたせいかもしれない、とラウルは思った。
 300年前もそうだった。変えられない世界、終わりのない贖罪、断ち切れない未練、無意味に繰り返される毎日――何もかもが嫌になった。だから、すべてを捨ててここへ来た。逃げてきたのだ。だが、根本的な部分では、何も変わりはしなかった。環境を変えたところで、自分自身が変わらなければ無意味だ、ということを悟っただけである。
 そう、空を見上げたところで、何が変わるわけでもない。一時の逃避にすぎないのだ。ラウルは自分の行為の無意味さを自覚し、目を閉じ、鼻から小さく息を漏らした。

「レイチェル、そろそろ行くよ」
「はい、お父さま」
 不意に、外からそんな会話が聞こえてきた。医務室の窓側は、通路にはなっておらず、あまり人が通ることはない。声が聞こえるのはめずらしいことだった。何とはなしに、その方を見下ろしてみる。並木の下に体格のいい男性が立ち、少し離れたところに3歳くらいの少女がしゃがんでいた。先ほどの会話から察するに、このふたりは親子なのだろう。
 男の方には見覚えがあった。一度、リカルドとともにここへ来たことがあり、そのときに紹介されたのだ。ラグランジェ家の人間で、確か、アルフォンスという名前だったはずだ。リカルドの上司だと聞いている。
 少女は立ち上がり、柔らかい金の髪をなびかせながら、父親のもとへ駆けていった。その隣に並び、一緒に歩き始める。しゃがんでいたときに摘んだと思われる、小さなピンク色の花が一輪、小さな手に握られていた。
 視線を感じたためだろうか。医務室の真下を通りかかったところで、少女はふいに足を止め、顔を上げた。
 大きな蒼の瞳が、三階の窓際に佇むラウルを捉える。
 きょとんと不思議そうに見つめる。
 大きくぱちくりと瞬きをする。
 やがて、ふわりと花が咲いたように笑顔を浮かべた。
「レイチェル? どうした」
「ううん、なんでもない」
 娘の足が止まったことに気づき、アルフォンスは怪訝に尋ねたが、少女は笑顔で首を横に振った。とたとたと小さな駆け足で父親を追う。

 ――似ている。
 ラウルは眉根を寄せ、心の中でつぶやいた。

 先ほどのレイチェルと呼ばれていた幼い少女に、別の少女の懐かしい面影が重なった。それは、自分が守るべき役目を負いながら、守ってやれなかった少女――自分にとって、この上なく大切で、決して忘れることのできない存在だ。
 瓜二つというほどそっくりではない。確かに顔立ちは似ているが、顔だけならもっと似た女は他にいた。だが、この少女には顔立ちだけではない何かがあった。抽象的な表現だが、雰囲気が似ているというのだろうか。強いて具体的にいうならば、笑い方が似ているのかもしれない。無防備に屈託なく笑うその表情が、まわりの人間までも幸せにするようなその笑顔が、懐かしい少女を彷彿とさせた。
 生まれ変わりなど信じていない。ただ似ているだけだ。そんなことは誰に言われずとも理解している。だが、名付けようのない些細で特別な感情は、胸の奥で小さくくすぶり続けていた。
 ラウルは窓枠に肩を寄せたまま、遠ざかる小さな後ろ姿を、ずっと、見えなくなるまで目で追った。
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