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番外 八 支配者フェティシズム
3
しおりを挟むテオドールはもたつく指でどうにかシャツのボタンを上から三つほど開いた。
「テ、テオ」
「…………はい」
反応が鈍い。大丈夫か、とダリオは悪い意味で心配になる。
この調子だと、下着を着せてもらうのに耐えられないと思ったので、ダリオは先手を打つことにした。
「先に、下脱がせてもらっていいか? その、局部見られて着替えるより、シャツの下で下着はお願いしたいんだが」
当初は着替えの順番など、どうでもいいと思っていた。しかし、この状態だと本当に耐えられそうにない。
テオドールは、のろのろと頷いた。
「はい……」
返事が遅れている。本当に大丈夫か。
腰を浮かせてボトムその他を引き抜いてもらい、シャツの下からするするとランジェリーの下着をつけてもらった。説明すると一文だが、シャツの中に手を入れて、紐に布面積最小のそれをつけてもらう時は、ダリオは情けないながら自分でシャツの裾を引っ張ってなるべく隠そうとしてしまった。
脱がされるのはいい。
脱がされるのは問題ないのだ。
着せられるのが……無理だった。いや、たぶんいつものテオドール相手なら、ダリオとて恥ずかしいなどとは思わなかっただろう。
さっさと裸になって、ぱっと着せてもらって終わり、と考えていた。せいぜい、試行錯誤して少しゆっくりになるが、それも楽しんでもらえるならいいかなくらいの浅い考えだった。
よくよく考えると、ダリオは幼少期からあまり人に着替えを手伝ってもらった記憶がない。むしろ手伝う方だった。だからというわけではないのだろうが、実際やってみるとどうにも慣れない。
こうなってくるとシャツは最後の砦という気がして、脱がすのは最後にしてほしいと思った。
「ガ、ガーター……」
なので、次に着せてほしいものを指定することになる。これはいいのだろうか、テオにも着せたい順番があるのではないかとも思ったが、どうやらいいようだ。
いいどころか、指示を喜んでいる空気がある。どういう志向なのかわからない。
装飾的な意味しかないレースのガーターリングに足のつま先を通して、これもするすると美しい指で優しく太ももまで持ち上げられる。
片足を通すと、もう片足を。
うう、とダリオはうめきともつかないものを上げた。
俺があさはかだった……という意のうめきである。
「ストッキング……」
今度は、白のガーター付きニーハイレースストッキングをゆっくりと履かされる。いやらしさはなく、テオドールは職人のように真剣な手つきだ。
「リ、リボン……」
手首にレース付きリボンを巻かれ、観念してシャツを落とされると、後ろが編み上げとなっているチュールレースのキャミソールを身につけさせられる。
背中を向けたダリオに、テオドールは編み上げリボンを一度解いてから、丁寧に通していく。
いたたまれなさは次第に落ち着いてきて、ダリオはじっとされるがままに任せた。
背後で編み上げリボンを慎重に通される感覚は、不思議と安心感がある。居心地のよささえあって、そこに信頼関係があるからかもしれなかった。
仕上げはカチューシャベールだが、これはありがたいことに、多少は上半身を隠せる。
感想を聞きたかったわけではないが、これでいいか、とテオドールの様子を確認しようと顔を上げ、ダリオは言葉を失った。
テオドールはまるで猫のような目をして、じっと凝視している。
考えてみると、テオドールの種族的フェティシズムとやらが、十全に満たされたのはこれが初めてだっただろう。全部テオドールが最初から最後まで、脱がして、彼の選んだ衣装を身につけさせた。
このような経験は、彼が生れ落ちてから初だったはずである。
作品の完成度を見ているという風にはダリオも感じなかった。
好き勝手に着せたり脱がしたりといったことをして、ダリオの意思に関係なく楽しむための対象として扱われているわけではない。
支配者というのは、本質的には確かに支配気質なのだろうが、世話したがりなのかもしれないなと思った。しかし、世話もやり過ぎると、相手の意思を無視することになる。自発的な行動を妨げ、取り上げていく形になるからだ。
だから、抑えていた。
「テオ、その……」
ダリオは先に自分の考えを述べた。つまり、さっきあっさり自分の中で今後の予定を決めてしまった結婚案件である。大学卒業後三年を目途に、ダリオが経済的自立を確立したら、いくつかの問題(主に出生証明関係だ)を解決した上で、テオにその時まで意思があれば、プロポーズさせてほしいというやつだった。もちろんテオドール側からの撤回はいつでも受けつける。
テオドールは少し目を見開き、ぽかんとしていたと思う。
「あー、ええと、それを踏まえてだが……」
ダリオはその上で本題とも言うべきそれを提案した。
「今のは、人間社会の結婚……事実婚とかの話で……」
「連邦は八年前に、同性婚を最高裁判所が正式に容認する判決を出しています」
テオドールは何か言い始めた。
「イーストシティも同性婚を認める法律が施行されていますので、こちらで婚姻することもできます。マリッジ・ライセンスを取得するにあたって必要な出生証明書は作ります。問題なく入手できるかとは思いますが、万一難しい場合は、国際結婚を第二案として視野に、他国籍で婚姻要件具備証明書を用意します。僕は特に信仰心もないので、裁判官以外に、神父・牧師などの挙式資格のある司祭者の前で宣誓し、彼らの署名をもらうのも、心理抵抗はありません」
淡々と怒涛の勢いでまくしたてられた。熱心か。それ、違法行為入ってないか? という疑問が浮かんだが、ハード的問題点を念入りに潰していく圧力は感じられた。
「あ、ええ、そうか。出生証明を作りますって、そう簡単にできるもんなのかそれ」
「できます。問題ありません」
当たり前のように断言されたので、できるらしい。できるのか。どうなってるんだ、連邦のセキュリティガバガバか。まあハード面の最大の問題はクリアしたので、お互いの気持ちが変わらず、ダリオがしっかり稼げるようになっていれば、正式に結婚できそうである。
ダリオが話したかったのはそこではなかったが、とりあえず解決しそうでそれはよかった。
「うん、人間社会でもお互い気持ちが変わらなければ結婚できそうだな」
「僕は変わりません」
いやまあそこはわからんから、と思ったが、さすがにダリオも空気を読んだ。
「ああ。見通しが立ったのはよかったよ。で、人間的には数年後の話だが、ええとな……つまり、あー……」
ダリオは視線を膝頭に落とした。言いづらい。
「その、人間ルールサイドはそうだが……支配者流に、もう、問題なければ、その……今日、支配者ルールで、テオのお嫁さんにして……ほしいんだが……」
そうなんとか伝えたのだ。いや、これでは通じんかもしれんと思い、更に「せっかく着せてくれたし……俺、テオのお嫁さんになりたいから……つまり支配者的によければ、そっちの制度では結婚して、お嫁さんにしてもらいたいなと……思ったんだが……」としどろもどろ付け足した。人間ルールではまだ先の話だが、支配者ルールで可能なら結婚したいということだ。無理にとは、言わないが、とも添えたけれども。
バキッ、と何か太いものが折れる音がした。家の柱大丈夫か。ダリオは引きつる。
「します」
館がたわんだ。物理的にたわんだ。しかし、しばらくすると元に戻った。
テオドールが顔を至近距離に寄せてくる。瞳孔が完全に開いていた。
「今日、結婚、します」
目が怖い。深海の底のような冷たい青色の中に燃える水中火。揺れる紫の炎に、何かうごめいている。
支配者流には問題ないようなので、あ、ああ、とダリオは頷いた。めでたいはずなのだが、なぜか空気が粘度を増して重い気がする。その後、簡略な支配者式をダリオがテオドールに教わって(何語なんだこれ)、たどたどしく宣誓すると(無表情に舌足らずな発音ですねとコメントされた)、ふたりは空気が激重になる中、そっと唇を重ねた。それから寝室へ移動した。
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