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番外 三十 マルチバース異世界編 猟師のダリオとバグ有テオドール
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怪異を利用するといっても、危険なやつは駄目だ。
危険でないやつなんていないような気もするが、比較的マシなやつ……とダリオは考え、着替えさせられる時に全身を映してチェックする大きな姿見の前に立った。
ダリオの頼みで、紫の布がふだんはかけてあり、物々しく覆われている。
両手で布を滑り落とすように取り除くと、大きな鏡が現れ、ダリオの全身を映し出した。
「……いるか?」
ダリオは鏡面に向かって呼びかけた。
何も返事はない。間が抜けている気はしたが、ダリオには『いる』のが分かっていた。
ひょこ、と白い手がダリオの短い髪をつまむ。
鏡の中でだ。
ダリオは誰かに触られているわけではない。
鏡面世界でのみ、白い手がフレームの向こうから伸びて、好き勝手にダリオの髪をいじっているのだ。
「いると思ったんだよ」
『なぁに、ご挨拶ね!』
鏡の向こうに、白と水色のエプロンドレスをまとうブロンドの少女が現れ、ダリオの肩にしなだれかかった。どう考えても地面に足がついておらず、鏡の中でふわふわと空中に浮いている。
鏡の妖精だ。
ダリオが子供の頃から、鏡面世界に表れては、鏡の向こうでコップだけ持ち上げたり、甲高い笑い声を聞かせたりするなどいたずらをして、何も見えない両親たちを怖がらせていた。
「助けてほしいんだ」
ダリオは鏡の妖精にお願いした。
幼い頃に、彼女に鏡の世界に連れて行かれたことがある。
数日は帰れなくて、ようやく現実世界に戻された時の両親の顔が忘れられない。
″なんで帰ってきたんだ″
凍りつき、そういう顔をしていた。
まあ、しかたねーよな、とダリオは飲み込んでいる。
周囲で不気味な怪奇現象を起こす子どもに下手なことをできず、勝手にいなくなってくれればそれにこしたことはなかったのだろう。
「前に攫った時みたいに、鏡の世界に連れてって、通行させてもらえねぇかな」
『ハァー?! 別にいいけどぉ、タダじゃ聞けないわねぇ』
鏡の妖精は、意地悪な顔をして腕組みし、ツン、と顔を横に向けた。
「前は、頼まれなくても攫ったじゃねーか」
『自分でやりたいのと頼まれるのとは別なの!』
「まあたしかにそうだな。じゃあ俺に何か払える対価があればいいんだが」
『ふぅん……』
鏡の妖精はじろじろダリオを見て、
『それじゃ、あんたの弓の才能をちょうだい!』
「弓の才能か。まぁいいぞ」
『少しは悩みなさいよ!?! 無形の才能よ?! 二度と弓が命中しなくなるんだから!!!』
「そのくらいの対価は仕方ねえよ。ここにいたら精神がいずれおかしくなって、弓の才能どころか、命まで怪しいからな」
『そ、そんなになの……あたしも時々様子を見てたけど、あんたが鏡に布をかけるから、様子わかんなかったんだから!!』
「ええと、すまん?」
ダリオは謝ったが、鏡の妖精は腰に手を当てて『プンプン!』と怒っている。
自分で『プンプン』とか言うんだなぁ、とダリオは鏡の妖精が見た目より遥かに年齢を重ねていることを感じたが、空気を読んで言わなかった。もし、テオがやったら可愛いし問題ねーな、と思う。
「あ、テオも一緒に連れてお願いしたい」
『エッ、そいつも……』
鏡の妖精は、スリーブの上から両腕をさすり、ダリオの足元でじっとしている水饅頭のようなスライムを嫌そうに見た。
『なんかそいつ嫌な感じがするのよね……』
「頼むよ」
『ウ~ン……嫌だけど、ダリオ、そいつ置いて行く場合は』
「テオを置いてくくらいなら、別の方法を考えるよ。君ほどまともじゃない連中に頼らざるを得ないとは思うが……」
『ハァー、仕方ないわね。あたしってばとってもいい子だし! あたし以上にいい子はいないのよ!』
「まぁそうだな」
ダリオも比較的彼女のことは『いい子』な怪異だと思い、今回声をかけたのだ。
『逃げるなら、鏡面世界をかなり移動することになるけど、人間があまり長くいるとおかしくなっちゃうかも。対策してあげるから、明日の晩まで待ってなさいよね』
「ああ。本当にありがとう」
ほっとして笑うと、『ダリオとはつきあいも長いしね』と鏡の妖精は唇を尖らせた。
彼女はけっこうえげつないこともするが、かなり話のわかる方だ。幼い頃に鏡の世界へ連れ込まれた時も、乱暴なことはされなかった。ただ、まあ普通なら親に無断で子どもを数日も連れ回すのは犯罪だ。怪異ならではの倫理観とはいえ、例え人間でも善人ではない。
さっさと頼めばよかったのかもしれないが、怪異連中に『借り』を作ると、思わぬ形での取り立てがある。その時こそどうにもならないので、ダリオは極力『借り』を作りたくなかった。弓の才能をとられるのは痛いが、最初にはっきり等価交換を提示されたので、かえって良かったくらいだ。
俺の手も足も目玉もとられるわけじゃねーし、父親に似て大柄だから、荷運びでもなんでもして生きていけるさ。
そう思って、ダリオは足許のテオドールを抱き上げた。
いくつか鏡の妖精と打ち合わせをし、翌日の晩まで、ダリオはいつもどおり過ごした。必要なものはすべて準備し、身につけている。複合弓も持っていくことにした。テオドールは懐に入ってもらう。
やがて、月が出てから鏡に声をかけた。
『ダリオ――』
約束の刻限に、鏡の妖精が暗い湖の底から浮き上がるように、鏡の奥から現れる。
その時、たくさんのことが同時に起きた。
まず、『バン!』と扉が開かれ、無数の騎士達が突入してきた。先頭の騎士が、古びた鏡を掲げる。大きな姿見と、鏡合わせとなった。
『キャアッ?!』
妖精の悲鳴。驚いたダリオは何もできないどころか、自分自身が軽い衝撃音とともに昏倒した。
頭を強打して、失神するようなブラックアウトは数秒だったと思う。
ダリオを昏倒させたのは、押し入ってきた騎士たち背後に杖を構えた術師だろう。
『イヤッ出して! 出しなさいよ!!』
古びた鏡の中に閉じ込められた鏡の妖精が、真っ青な顔で内側から鏡面を叩いている。中は牢獄のような場所が移されていた。
魔封じの鏡か何からしい。
『ダリオっ、助けて!!』
ダリオはショックだった。自分が助けを求めたことで、鏡の妖精を巻き込んでしまったのだ。
動きたいのに、頭への衝撃のせいか平衡感覚がおかしく、起き上がれなかった。
鏡の妖精を解放しろ。
そう言いたかったが、舌が口蓋に張り付いたようになり、脳震盪か何か起きているようだった。
「だりおさんにひどいことをするな」
懐から出てきたテオドールが、小さい体でダリオの前に守るように広がり威嚇している。
ぐらぐらする視界の中で、騎士たちに取り囲まれ、その後ろから彼らを割るようにしてアドルフ王子が出てきた。
「私の心がそなたには伝わらなかったようだな」
感情の込もらない、じっとりした昏い声だった。
アドルフ王子は、騎士たちに何事か命令して、何事か叫び続けるテオドールを無視し、ダリオを寝台の方へ連れて行かせると、その枕元に座った。
「そなたは冷酷だ。なぜそのように冷酷に振る舞うことができるのだ」
勝手な言い分過ぎて、ダリオは言いたいことが百はあった。
「そなたが逃げ出す段取りをしていたのは、すべて知っている」
あー、この部屋全部筒抜けだったのか。そりゃそうだよな、とダリオは心の中で悪態をついた。
「そこまで冷酷に振る舞うというのなら、私にもやりようはある」
騎士たちや術師の衆目環視の中、手をついて覆いかぶさってくる気配に、ダリオは思いつく限りの罵倒を浮かべたが、怒りとは裏腹にどこかぼんやりして眠い。頭への衝撃のせいだとは思うが、ここでぼうっとしていてはまずいのは嫌でもわかる。
その時。
ぺちん。
本当に軽い音がして、突き刺さるように見ていた王子の視線が、ダリオではなく足元へ向く。
ダリオは心底ゾッとした。
見えなくても、追いかけてきたテオドールが短い手を伸ばして、王子の靴先を叩いのたのがわかった。
ばか、てお、にげろ。
おれのことはいいからおいていけ。
言いたいのに声が出なくてダリオは本当に焦燥感で内側から焦げつきそうだった。
王子が更に身をかがめてくると、咎めるように、
ぺちん。ぺちん、
と更に何度も音がする。
テオドールが必死に攻撃しているのだ。
恐らく当初放置するよう言われていたらしい騎士たちが「殿下」と指示を仰ぐ。
さすがに攻撃は見過ごせないのだろう。
「だりおさんにひどいことをするな」
そうテオドールが言っているのが聞こえて、もういい、もういいから、とダリオは涙が出てきた。
「……そのモンスターを、」
王子がなにか指示しかけて、何をされても感情を動かさずに対処していたダリオが泣いているのに気づいたらしい。
テオに手を出すな。
言いたいことは伝わっただろう。
やはり、昏い、じっとりとした視線を感じた。
「分かった」
その言葉はダリオにかけられる。
指の腹で涙を拭われ、気持ち悪いと感じた。
「私はそなたに真心を見せたつもりだ。しかし、そなたは私の真心などいらぬのだろう。そなたの私に対する冷酷さに私も報いよう」
王子はダリオの顔を撫でながら、はっきりと命令した。
「私のつがいの弓で、そのモンスターを壁に縫い止め、針鼠にしろ。体が見えなくなるまで射て」
やめろ。
ダリオは叫んだつもりだが、やはり声が出なかった。
何度か、壁に硬いものが貫通する音が聞こえた。ダリオは知っている。複合弓の威力を。ぅゅ、と悲鳴をこらえるような声が合間に何度も聞こえて、胸が張り裂け、代わりに死んでしまいたかった。
やめてくれ。
体は動かないのに、涙だけがボロボロ出てくる。鼻水も。
射るなら俺を射たらいいだろう。憂さ晴らしに俺を針鼠にしたらいいだろう。
なんでテオドールに手を出す。
テオドールが、悲鳴を我慢しているのがわかった。ぅゅ、ヴ、っという声が次第に間隔が広くなり、小さくなって、とうとう聞こえなくなる。
死ぬ気でどうにか上半身を動かしたダリオは、咎められることもなく、故意に見過ごされた。
そうして、視界を彷徨う先、ある光景が目に飛び込む。
壁に矢が刺さっていた。
一本ではない。何本も。何本も矢が一箇所に群がるようにして、元の原型もわからないほどに埋め尽くしている。
針鼠となったテオドールの末路に、ダリオは頭が働かず、理解を拒否して、無言絶句した。
王子がなにか術師に指示すると、また体が動かなくなる。
押し倒されて、ダリオは抵抗する気も起こらず、気持ちだけでもテオドールの方に這っていこうとした。目線が壁の方を追っている。気に食わないのか、顎を捕まれ、無理やり顔を戻された。眼球だけでもテオドールの方を向く。苛立たしげにとうとう頬を打たれた。痛みも感じない。
テオ。テオ。
ごめんな。おれのせいでごめんな。
鏡の妖精だけでも助けたい。どうしたらいいのか分からなかった。
もっと強いなにか。
もうどうなってもいい。俺の全部をくれてやるから、テオドールと鏡の妖精を助けてくれ。
助けてやってくれ。
たすけて。
おねがいだ。
ダリオは力を振り絞って、どうにか、おねがいだ、たすけて、と。
てお、おねがい、と。
無意識に最後、口にした。
怪異を利用するといっても、危険なやつは駄目だ。
危険でないやつなんていないような気もするが、比較的マシなやつ……とダリオは考え、着替えさせられる時に全身を映してチェックする大きな姿見の前に立った。
ダリオの頼みで、紫の布がふだんはかけてあり、物々しく覆われている。
両手で布を滑り落とすように取り除くと、大きな鏡が現れ、ダリオの全身を映し出した。
「……いるか?」
ダリオは鏡面に向かって呼びかけた。
何も返事はない。間が抜けている気はしたが、ダリオには『いる』のが分かっていた。
ひょこ、と白い手がダリオの短い髪をつまむ。
鏡の中でだ。
ダリオは誰かに触られているわけではない。
鏡面世界でのみ、白い手がフレームの向こうから伸びて、好き勝手にダリオの髪をいじっているのだ。
「いると思ったんだよ」
『なぁに、ご挨拶ね!』
鏡の向こうに、白と水色のエプロンドレスをまとうブロンドの少女が現れ、ダリオの肩にしなだれかかった。どう考えても地面に足がついておらず、鏡の中でふわふわと空中に浮いている。
鏡の妖精だ。
ダリオが子供の頃から、鏡面世界に表れては、鏡の向こうでコップだけ持ち上げたり、甲高い笑い声を聞かせたりするなどいたずらをして、何も見えない両親たちを怖がらせていた。
「助けてほしいんだ」
ダリオは鏡の妖精にお願いした。
幼い頃に、彼女に鏡の世界に連れて行かれたことがある。
数日は帰れなくて、ようやく現実世界に戻された時の両親の顔が忘れられない。
″なんで帰ってきたんだ″
凍りつき、そういう顔をしていた。
まあ、しかたねーよな、とダリオは飲み込んでいる。
周囲で不気味な怪奇現象を起こす子どもに下手なことをできず、勝手にいなくなってくれればそれにこしたことはなかったのだろう。
「前に攫った時みたいに、鏡の世界に連れてって、通行させてもらえねぇかな」
『ハァー?! 別にいいけどぉ、タダじゃ聞けないわねぇ』
鏡の妖精は、意地悪な顔をして腕組みし、ツン、と顔を横に向けた。
「前は、頼まれなくても攫ったじゃねーか」
『自分でやりたいのと頼まれるのとは別なの!』
「まあたしかにそうだな。じゃあ俺に何か払える対価があればいいんだが」
『ふぅん……』
鏡の妖精はじろじろダリオを見て、
『それじゃ、あんたの弓の才能をちょうだい!』
「弓の才能か。まぁいいぞ」
『少しは悩みなさいよ!?! 無形の才能よ?! 二度と弓が命中しなくなるんだから!!!』
「そのくらいの対価は仕方ねえよ。ここにいたら精神がいずれおかしくなって、弓の才能どころか、命まで怪しいからな」
『そ、そんなになの……あたしも時々様子を見てたけど、あんたが鏡に布をかけるから、様子わかんなかったんだから!!』
「ええと、すまん?」
ダリオは謝ったが、鏡の妖精は腰に手を当てて『プンプン!』と怒っている。
自分で『プンプン』とか言うんだなぁ、とダリオは鏡の妖精が見た目より遥かに年齢を重ねていることを感じたが、空気を読んで言わなかった。もし、テオがやったら可愛いし問題ねーな、と思う。
「あ、テオも一緒に連れてお願いしたい」
『エッ、そいつも……』
鏡の妖精は、スリーブの上から両腕をさすり、ダリオの足元でじっとしている水饅頭のようなスライムを嫌そうに見た。
『なんかそいつ嫌な感じがするのよね……』
「頼むよ」
『ウ~ン……嫌だけど、ダリオ、そいつ置いて行く場合は』
「テオを置いてくくらいなら、別の方法を考えるよ。君ほどまともじゃない連中に頼らざるを得ないとは思うが……」
『ハァー、仕方ないわね。あたしってばとってもいい子だし! あたし以上にいい子はいないのよ!』
「まぁそうだな」
ダリオも比較的彼女のことは『いい子』な怪異だと思い、今回声をかけたのだ。
『逃げるなら、鏡面世界をかなり移動することになるけど、人間があまり長くいるとおかしくなっちゃうかも。対策してあげるから、明日の晩まで待ってなさいよね』
「ああ。本当にありがとう」
ほっとして笑うと、『ダリオとはつきあいも長いしね』と鏡の妖精は唇を尖らせた。
彼女はけっこうえげつないこともするが、かなり話のわかる方だ。幼い頃に鏡の世界へ連れ込まれた時も、乱暴なことはされなかった。ただ、まあ普通なら親に無断で子どもを数日も連れ回すのは犯罪だ。怪異ならではの倫理観とはいえ、例え人間でも善人ではない。
さっさと頼めばよかったのかもしれないが、怪異連中に『借り』を作ると、思わぬ形での取り立てがある。その時こそどうにもならないので、ダリオは極力『借り』を作りたくなかった。弓の才能をとられるのは痛いが、最初にはっきり等価交換を提示されたので、かえって良かったくらいだ。
俺の手も足も目玉もとられるわけじゃねーし、父親に似て大柄だから、荷運びでもなんでもして生きていけるさ。
そう思って、ダリオは足許のテオドールを抱き上げた。
いくつか鏡の妖精と打ち合わせをし、翌日の晩まで、ダリオはいつもどおり過ごした。必要なものはすべて準備し、身につけている。複合弓も持っていくことにした。テオドールは懐に入ってもらう。
やがて、月が出てから鏡に声をかけた。
『ダリオ――』
約束の刻限に、鏡の妖精が暗い湖の底から浮き上がるように、鏡の奥から現れる。
その時、たくさんのことが同時に起きた。
まず、『バン!』と扉が開かれ、無数の騎士達が突入してきた。先頭の騎士が、古びた鏡を掲げる。大きな姿見と、鏡合わせとなった。
『キャアッ?!』
妖精の悲鳴。驚いたダリオは何もできないどころか、自分自身が軽い衝撃音とともに昏倒した。
頭を強打して、失神するようなブラックアウトは数秒だったと思う。
ダリオを昏倒させたのは、押し入ってきた騎士たち背後に杖を構えた術師だろう。
『イヤッ出して! 出しなさいよ!!』
古びた鏡の中に閉じ込められた鏡の妖精が、真っ青な顔で内側から鏡面を叩いている。中は牢獄のような場所が移されていた。
魔封じの鏡か何からしい。
『ダリオっ、助けて!!』
ダリオはショックだった。自分が助けを求めたことで、鏡の妖精を巻き込んでしまったのだ。
動きたいのに、頭への衝撃のせいか平衡感覚がおかしく、起き上がれなかった。
鏡の妖精を解放しろ。
そう言いたかったが、舌が口蓋に張り付いたようになり、脳震盪か何か起きているようだった。
「だりおさんにひどいことをするな」
懐から出てきたテオドールが、小さい体でダリオの前に守るように広がり威嚇している。
ぐらぐらする視界の中で、騎士たちに取り囲まれ、その後ろから彼らを割るようにしてアドルフ王子が出てきた。
「私の心がそなたには伝わらなかったようだな」
感情の込もらない、じっとりした昏い声だった。
アドルフ王子は、騎士たちに何事か命令して、何事か叫び続けるテオドールを無視し、ダリオを寝台の方へ連れて行かせると、その枕元に座った。
「そなたは冷酷だ。なぜそのように冷酷に振る舞うことができるのだ」
勝手な言い分過ぎて、ダリオは言いたいことが百はあった。
「そなたが逃げ出す段取りをしていたのは、すべて知っている」
あー、この部屋全部筒抜けだったのか。そりゃそうだよな、とダリオは心の中で悪態をついた。
「そこまで冷酷に振る舞うというのなら、私にもやりようはある」
騎士たちや術師の衆目環視の中、手をついて覆いかぶさってくる気配に、ダリオは思いつく限りの罵倒を浮かべたが、怒りとは裏腹にどこかぼんやりして眠い。頭への衝撃のせいだとは思うが、ここでぼうっとしていてはまずいのは嫌でもわかる。
その時。
ぺちん。
本当に軽い音がして、突き刺さるように見ていた王子の視線が、ダリオではなく足元へ向く。
ダリオは心底ゾッとした。
見えなくても、追いかけてきたテオドールが短い手を伸ばして、王子の靴先を叩いのたのがわかった。
ばか、てお、にげろ。
おれのことはいいからおいていけ。
言いたいのに声が出なくてダリオは本当に焦燥感で内側から焦げつきそうだった。
王子が更に身をかがめてくると、咎めるように、
ぺちん。ぺちん、
と更に何度も音がする。
テオドールが必死に攻撃しているのだ。
恐らく当初放置するよう言われていたらしい騎士たちが「殿下」と指示を仰ぐ。
さすがに攻撃は見過ごせないのだろう。
「だりおさんにひどいことをするな」
そうテオドールが言っているのが聞こえて、もういい、もういいから、とダリオは涙が出てきた。
「……そのモンスターを、」
王子がなにか指示しかけて、何をされても感情を動かさずに対処していたダリオが泣いているのに気づいたらしい。
テオに手を出すな。
言いたいことは伝わっただろう。
やはり、昏い、じっとりとした視線を感じた。
「分かった」
その言葉はダリオにかけられる。
指の腹で涙を拭われ、気持ち悪いと感じた。
「私はそなたに真心を見せたつもりだ。しかし、そなたは私の真心などいらぬのだろう。そなたの私に対する冷酷さに私も報いよう」
王子はダリオの顔を撫でながら、はっきりと命令した。
「私のつがいの弓で、そのモンスターを壁に縫い止め、針鼠にしろ。体が見えなくなるまで射て」
やめろ。
ダリオは叫んだつもりだが、やはり声が出なかった。
何度か、壁に硬いものが貫通する音が聞こえた。ダリオは知っている。複合弓の威力を。ぅゅ、と悲鳴をこらえるような声が合間に何度も聞こえて、胸が張り裂け、代わりに死んでしまいたかった。
やめてくれ。
体は動かないのに、涙だけがボロボロ出てくる。鼻水も。
射るなら俺を射たらいいだろう。憂さ晴らしに俺を針鼠にしたらいいだろう。
なんでテオドールに手を出す。
テオドールが、悲鳴を我慢しているのがわかった。ぅゅ、ヴ、っという声が次第に間隔が広くなり、小さくなって、とうとう聞こえなくなる。
死ぬ気でどうにか上半身を動かしたダリオは、咎められることもなく、故意に見過ごされた。
そうして、視界を彷徨う先、ある光景が目に飛び込む。
壁に矢が刺さっていた。
一本ではない。何本も。何本も矢が一箇所に群がるようにして、元の原型もわからないほどに埋め尽くしている。
針鼠となったテオドールの末路に、ダリオは頭が働かず、理解を拒否して、無言絶句した。
王子がなにか術師に指示すると、また体が動かなくなる。
押し倒されて、ダリオは抵抗する気も起こらず、気持ちだけでもテオドールの方に這っていこうとした。目線が壁の方を追っている。気に食わないのか、顎を捕まれ、無理やり顔を戻された。眼球だけでもテオドールの方を向く。苛立たしげにとうとう頬を打たれた。痛みも感じない。
テオ。テオ。
ごめんな。おれのせいでごめんな。
鏡の妖精だけでも助けたい。どうしたらいいのか分からなかった。
もっと強いなにか。
もうどうなってもいい。俺の全部をくれてやるから、テオドールと鏡の妖精を助けてくれ。
助けてやってくれ。
たすけて。
おねがいだ。
ダリオは力を振り絞って、どうにか、おねがいだ、たすけて、と。
てお、おねがい、と。
無意識に最後、口にした。
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