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07 いつもそれくらい笑ってろ
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「どうしよう……勇者くんが可愛すぎてつらい」
「またそれですか。もう耳タコなんですけど」
「聞いて……こんな話他の誰にもできないんだよ……」
「地位を笠に着て部下に聞き役を強要するのはどうかと思いますが」
「さっきね、視察って名目で練兵場を見に行ったんだけど」
「聞いちゃいねぇこの色ボケ魔王」
城の主である僕がいつどこを見に行こうと自由。
そう口の中で三回唱え、意を決して覗きに行った練兵場には、大勢の魔族に取り囲まれて、たった一人だけ人間がいた。
自前の鎧を着込み、まるで腕の一部のように自由自在に剣を振るう勇者。
対戦相手は屈強な肉体と鋭い角を持った大柄な魔人だが、遠目には勇者が押しているように見える。
先日、僕自ら勇者の力量を確かめ、城の兵士たちと訓練するに足ると認めた。すぐに話を通したから、さっそく訓練に来たんだろう。
ちなみに勇者の相手をした2日後に筋肉痛が襲ってきた僕の体はまだへとへとだ。
年寄りの筋肉痛は遅れてやってくるのだ。
勇者たちの周りには他にも訓練中の兵士がいたが、皆物珍しい人間の戦いぶりを観察し始めてしまい、訓練は一時中断されているらしい。
「これはこれは、魔王様。こんなむさ苦しいところまでおいでくださいまして」
「兵団長」
練兵場の端っこから目立たないように見るつもりだったが、目ざといのに見つかってしまった。仕方なく挨拶する。
太く立派な巻き角に、体を覆えるほど大きな翼、表皮を覆う鱗は、振るうだけで立派な武器となる頑強な尾まで続いている。
いかにも魔族らしい大柄な体躯に見合った戦闘技術で、長く城の守りを任されている魔王城第一近衛兵団団長は、人懐こい笑みを浮かべた。
締まった体に明るい笑顔、強くて優しくてしかも年下……ほんの一時、彼に抱いていた淡い想いが胸に迫ったけど、慌てて飲み込み微笑み返す。
「勇者くんを訓練に加えてくれてありがとう。無理を言ってすまなかったね」
「いえいえ、なんのこれしき。しかし勇者殿はお強いですな、我が兵の情けないことといったら……」
「強いかな、やっぱり」
「えぇ。正体は魔族だと言われても驚きませんな。もっとも『一騎当千の魔族殺し』と呼ばれる勇者として見れば、人並みかと思いますが」
「そうだろうね……」
兵団長には詳細は伏せつつ、現在の勇者に「魔族殺し」の能力はなく、また魔族への敵意もないことは伝えてある。
過去の勇者は城へ向かってくる間に少なからず魔族を殺しているから、多くの兵士は勇者という肩書きそのものに反感を抱いている。
しかし今回の勇者は、早めの対策のおかげで兵士と直接戦うことはなく、また勇者の進行方向にあった村や町には早期に避難勧告を出したことが奏功して、民間魔人の被害もないまま保護することができた。
勇者としては不名誉な、魔族を殺したことがない勇者。
だからこそ兵士たちは彼の相手をしてくれているのだろう。
僕がぼんやりと勇者と兵士の打ち合いを見ているうちに勝敗が決した。
結局魔人の兵は勇者の猛攻を躱しきれず、地面に尻もちをつかされてしまったようだ。両腕を上げて降参を示す兵士に、勇者が手を貸して立たせている。
負かした相手の健闘をたたえ、肩を叩く勇者の、曇りなく明るい笑顔。
遠く離れていてもわかる柔らかな表情に目を奪われて逸らせない。
改めて、彼を救うことができて良かったと思う。
「兵団長。今後も彼が望むなら稽古をつけてあげて。手加減はしなくていい」
「ははは、魔王様はずいぶんとあの者を気に入っているのですな」
「う……うん……」
「わかりました、お任せください。ところで魔王様も少し体を動かして行かれますか?」
「いや、遠慮するよ。それよりもう少し近くで見てていいかな?」
「どうぞどうぞ。兵たちの士気も上がりましょう」
兵団長に連れられて練兵場に足を踏み入れると、勇者を取り囲んでいた兵士たちが僕に気づいてざわつき始めた。
適当に挨拶をしつつ、休憩している男たちの方へ向かう。
「魔王、来てたのか」
勇者は長椅子に腰掛け水を飲んでいた。
他の兵士はすぐさま立ち上がり、敬礼して直立不動になっている。
僕は苦笑して敬礼を解かせ、勇者の隣に座った。
「おつかれさま、やっぱり勇者くんは強いね」
「最初だけだ。魔人と人間では力の差が大きすぎる。長くやりあえば負ける」
「あはは。その知見が役に立たない日を祈ろう」
勇者はどうやら剣技を磨くことが嫌いではないらしい。むしろ好きなのだろう。
そうでなければ、魔法で身体強化してあったとしても、魔人の兵士と対等に切り結ぶことなどできない。
これほどの逸材を、人間たちはただの使い捨ての駒にしようとした。
腹の奥にふつふつと怒りが沸き起こる。
僕が勇者を殺さず、呪縛を解く方向で試行錯誤してきた理由はただ一点。
誰も────たとえ敵でも、死なせたくなかった。
目の前で生き物が死ぬというストレスに僕は滅法弱い。誰かが傷ついているのを見るのもつらい。
できるなら寿命が尽きるまで、生も死もない場所で引きこもっていたいくらいだ。
しかし僕は魔王で、勇者は魔王を目指して突進してくる。
勇者の暴虐を放置すれば民が死ぬ。
命を削るほど強化された勇者を兵が制圧するのは難しく、また倒しても倒しても勇者は作り出されるからいつか追いつかなくなり、兵が死ぬ。
僕が勇者と対峙すれば僕が負けることはない。でも、勇者は死ぬ。
だから生かすことにした。
その結果、救うことができた生命が彼だ。
呪縛と洗脳から解き放たれた勇者は生命力に満ち溢れ、簡単に傷つかず、いきなり死ぬこともなさそうだ。
それがとても眩しい。
やっと助けることができたという、義務感以上の感情を彼に抱き始めている自分がいて戸惑う。
良くない傾向だ。
彼はいつか必ず人間界の故郷へ帰るべき人で、種族も立場も残された時間も違いすぎる。まだ若いとはいえ僕より余程短命なこの存在を、僕のようなものに縛り付けてはいけない。
僕は分別のついた老獪な魔人のごとく、鷹揚に構えて彼を見送らなくてはならない。たとえ心の内でどう思っていても。いつかは。
でも今だけは、寂しく思う心を否定したくない。
思考に沈んでいると、ふと、勇者がじっとこちらを見つめていることに気づいた。
「おまえはいつも悲しそうな、寂しそうな目をするんだな」
「え……僕、そんな目をしてるかな?」
「してる。おまけに眉まで下げて、魔族の長とは思えない情けない顔だ」
不意に勇者が手を伸ばし僕の顔を撫でた。
そのまま親指が眉のあたりを擦り、揉むように動く。
「ん、ふは、くすぐったいよ勇者くん」
指摘された目のことは自分ではわからないが、下がり眉なのは生まれつきだ。
僕の眉を吊り型にしようとする勇者から逃れようと身を捩ったけど、逆に顔を捕まえられて余計に拘束されてしまった。
他愛のない触れ合いだ。
それがなぜだか、とても楽しい。
「……いつもそれくらい笑ってろ、魔王」
そう言われて、勇者の真意を悟った。
未来の憂慮に沈み込みそうになっていた僕を、彼なりの方法で励ましてくれたのだろう。
自然に浮かんだ笑みのおかげか、さっきまで心を覆っていた重苦しい不安が少し軽くなった気がする。
彼は不思議な人間だ。
ぶっきらぼうな言葉の中にあたたかい心を隠し持っている。
それを表すかのようにその手は誰よりあたたかい。
「ありがと、勇者くん。きみの手はあたたかくて気持ちがいいね……」
頬を包む手に自分のそれを重ねる。
僕の手は冷たくて、触れ合う皮膚から少しずつ熱が移る。
「手ぐらいいつでも貸してやる」
「じゃあもう少しだけ借りてようかな」
せめてこの手があたたかくなるまでは、彼を独り占めすることを許してほしい。
寄り添う僕らの姿は当然のことながら大勢の兵士たちに見られていて、次の日にはもう「魔王と勇者はデキてる」という噂が城中に広まっていたと知ったのは、ずっと後のことだった。
「またそれですか。もう耳タコなんですけど」
「聞いて……こんな話他の誰にもできないんだよ……」
「地位を笠に着て部下に聞き役を強要するのはどうかと思いますが」
「さっきね、視察って名目で練兵場を見に行ったんだけど」
「聞いちゃいねぇこの色ボケ魔王」
城の主である僕がいつどこを見に行こうと自由。
そう口の中で三回唱え、意を決して覗きに行った練兵場には、大勢の魔族に取り囲まれて、たった一人だけ人間がいた。
自前の鎧を着込み、まるで腕の一部のように自由自在に剣を振るう勇者。
対戦相手は屈強な肉体と鋭い角を持った大柄な魔人だが、遠目には勇者が押しているように見える。
先日、僕自ら勇者の力量を確かめ、城の兵士たちと訓練するに足ると認めた。すぐに話を通したから、さっそく訓練に来たんだろう。
ちなみに勇者の相手をした2日後に筋肉痛が襲ってきた僕の体はまだへとへとだ。
年寄りの筋肉痛は遅れてやってくるのだ。
勇者たちの周りには他にも訓練中の兵士がいたが、皆物珍しい人間の戦いぶりを観察し始めてしまい、訓練は一時中断されているらしい。
「これはこれは、魔王様。こんなむさ苦しいところまでおいでくださいまして」
「兵団長」
練兵場の端っこから目立たないように見るつもりだったが、目ざといのに見つかってしまった。仕方なく挨拶する。
太く立派な巻き角に、体を覆えるほど大きな翼、表皮を覆う鱗は、振るうだけで立派な武器となる頑強な尾まで続いている。
いかにも魔族らしい大柄な体躯に見合った戦闘技術で、長く城の守りを任されている魔王城第一近衛兵団団長は、人懐こい笑みを浮かべた。
締まった体に明るい笑顔、強くて優しくてしかも年下……ほんの一時、彼に抱いていた淡い想いが胸に迫ったけど、慌てて飲み込み微笑み返す。
「勇者くんを訓練に加えてくれてありがとう。無理を言ってすまなかったね」
「いえいえ、なんのこれしき。しかし勇者殿はお強いですな、我が兵の情けないことといったら……」
「強いかな、やっぱり」
「えぇ。正体は魔族だと言われても驚きませんな。もっとも『一騎当千の魔族殺し』と呼ばれる勇者として見れば、人並みかと思いますが」
「そうだろうね……」
兵団長には詳細は伏せつつ、現在の勇者に「魔族殺し」の能力はなく、また魔族への敵意もないことは伝えてある。
過去の勇者は城へ向かってくる間に少なからず魔族を殺しているから、多くの兵士は勇者という肩書きそのものに反感を抱いている。
しかし今回の勇者は、早めの対策のおかげで兵士と直接戦うことはなく、また勇者の進行方向にあった村や町には早期に避難勧告を出したことが奏功して、民間魔人の被害もないまま保護することができた。
勇者としては不名誉な、魔族を殺したことがない勇者。
だからこそ兵士たちは彼の相手をしてくれているのだろう。
僕がぼんやりと勇者と兵士の打ち合いを見ているうちに勝敗が決した。
結局魔人の兵は勇者の猛攻を躱しきれず、地面に尻もちをつかされてしまったようだ。両腕を上げて降参を示す兵士に、勇者が手を貸して立たせている。
負かした相手の健闘をたたえ、肩を叩く勇者の、曇りなく明るい笑顔。
遠く離れていてもわかる柔らかな表情に目を奪われて逸らせない。
改めて、彼を救うことができて良かったと思う。
「兵団長。今後も彼が望むなら稽古をつけてあげて。手加減はしなくていい」
「ははは、魔王様はずいぶんとあの者を気に入っているのですな」
「う……うん……」
「わかりました、お任せください。ところで魔王様も少し体を動かして行かれますか?」
「いや、遠慮するよ。それよりもう少し近くで見てていいかな?」
「どうぞどうぞ。兵たちの士気も上がりましょう」
兵団長に連れられて練兵場に足を踏み入れると、勇者を取り囲んでいた兵士たちが僕に気づいてざわつき始めた。
適当に挨拶をしつつ、休憩している男たちの方へ向かう。
「魔王、来てたのか」
勇者は長椅子に腰掛け水を飲んでいた。
他の兵士はすぐさま立ち上がり、敬礼して直立不動になっている。
僕は苦笑して敬礼を解かせ、勇者の隣に座った。
「おつかれさま、やっぱり勇者くんは強いね」
「最初だけだ。魔人と人間では力の差が大きすぎる。長くやりあえば負ける」
「あはは。その知見が役に立たない日を祈ろう」
勇者はどうやら剣技を磨くことが嫌いではないらしい。むしろ好きなのだろう。
そうでなければ、魔法で身体強化してあったとしても、魔人の兵士と対等に切り結ぶことなどできない。
これほどの逸材を、人間たちはただの使い捨ての駒にしようとした。
腹の奥にふつふつと怒りが沸き起こる。
僕が勇者を殺さず、呪縛を解く方向で試行錯誤してきた理由はただ一点。
誰も────たとえ敵でも、死なせたくなかった。
目の前で生き物が死ぬというストレスに僕は滅法弱い。誰かが傷ついているのを見るのもつらい。
できるなら寿命が尽きるまで、生も死もない場所で引きこもっていたいくらいだ。
しかし僕は魔王で、勇者は魔王を目指して突進してくる。
勇者の暴虐を放置すれば民が死ぬ。
命を削るほど強化された勇者を兵が制圧するのは難しく、また倒しても倒しても勇者は作り出されるからいつか追いつかなくなり、兵が死ぬ。
僕が勇者と対峙すれば僕が負けることはない。でも、勇者は死ぬ。
だから生かすことにした。
その結果、救うことができた生命が彼だ。
呪縛と洗脳から解き放たれた勇者は生命力に満ち溢れ、簡単に傷つかず、いきなり死ぬこともなさそうだ。
それがとても眩しい。
やっと助けることができたという、義務感以上の感情を彼に抱き始めている自分がいて戸惑う。
良くない傾向だ。
彼はいつか必ず人間界の故郷へ帰るべき人で、種族も立場も残された時間も違いすぎる。まだ若いとはいえ僕より余程短命なこの存在を、僕のようなものに縛り付けてはいけない。
僕は分別のついた老獪な魔人のごとく、鷹揚に構えて彼を見送らなくてはならない。たとえ心の内でどう思っていても。いつかは。
でも今だけは、寂しく思う心を否定したくない。
思考に沈んでいると、ふと、勇者がじっとこちらを見つめていることに気づいた。
「おまえはいつも悲しそうな、寂しそうな目をするんだな」
「え……僕、そんな目をしてるかな?」
「してる。おまけに眉まで下げて、魔族の長とは思えない情けない顔だ」
不意に勇者が手を伸ばし僕の顔を撫でた。
そのまま親指が眉のあたりを擦り、揉むように動く。
「ん、ふは、くすぐったいよ勇者くん」
指摘された目のことは自分ではわからないが、下がり眉なのは生まれつきだ。
僕の眉を吊り型にしようとする勇者から逃れようと身を捩ったけど、逆に顔を捕まえられて余計に拘束されてしまった。
他愛のない触れ合いだ。
それがなぜだか、とても楽しい。
「……いつもそれくらい笑ってろ、魔王」
そう言われて、勇者の真意を悟った。
未来の憂慮に沈み込みそうになっていた僕を、彼なりの方法で励ましてくれたのだろう。
自然に浮かんだ笑みのおかげか、さっきまで心を覆っていた重苦しい不安が少し軽くなった気がする。
彼は不思議な人間だ。
ぶっきらぼうな言葉の中にあたたかい心を隠し持っている。
それを表すかのようにその手は誰よりあたたかい。
「ありがと、勇者くん。きみの手はあたたかくて気持ちがいいね……」
頬を包む手に自分のそれを重ねる。
僕の手は冷たくて、触れ合う皮膚から少しずつ熱が移る。
「手ぐらいいつでも貸してやる」
「じゃあもう少しだけ借りてようかな」
せめてこの手があたたかくなるまでは、彼を独り占めすることを許してほしい。
寄り添う僕らの姿は当然のことながら大勢の兵士たちに見られていて、次の日にはもう「魔王と勇者はデキてる」という噂が城中に広まっていたと知ったのは、ずっと後のことだった。
応援ありがとうございます!
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