16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽

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第2章 海の巡礼路(西洋編) フランシスコ・ザビエル

ナヴァーラ王国の落日 ~1512年 ナヴァーラ王国(現在のスペイン・ハビエル)

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<フランシスコ・ザビエル、「おじいさま」、ホアン・デ・ハス、マリア・アスピルクエタ>

 書斎でアレクサンドロス大王について話して以降、私と「おじいさま」は書斎で本を囲んで話す習慣ができた。時にはバスク語の講義、あるいは書物についての評論などを行なった。とは言っても幼い子供と話すのだから、それなりの内容だったろうと思う。
 バスク語についてもそうだ。5歳の子供に話せることなど、たかが知れている。それでも、「おじいさま」は熱心に私を見本に言葉を繰り返していた。それははたから見れば、たいへん奇妙だったに違いない。

 そのうち、母マリア・アスピルクエタ(夫婦がそれぞれ生家の姓を名乗るのは普通のことだった)が2人の様子に気づき、そっと菓子や飲み物を置いていってくれるようになった。それから、久しぶりにパンプローナの王宮から戻ってきた父ホアン・デ・ハスが私に言った。
「フランシスコ、おまえはおじいさまにバスク語を教えているらしいな」
 私は怒られると思って肩をすくめた。しかし、父は私の頭を撫でて、嬉しそうに言った。

「おまえの心は明るく開かれている。私の自慢の息子だ」

 バスク語の教師としての能力を認めたわけではなかっただろうが、私は父から「おじいさま」の話し相手としてお墨付きをもらえたようだ。

 私は「おじいさま」からも学びたいと思っていた。しかし、幼い子供のことだから好奇心がまず先にあらわれた。それは矢継ぎ早の質問にもなった。正直に言えば、「おじいさま」の正体が最も知りたいことだったからだ。

「おじいさまは夜どこに行くの」
「高い塔に囚われた姫君を救いに行くのだ」
 彼はにやりと笑った。私はからかわれていることに少し腹を立てて問い返した。
「恋人に会いに行くということですか」
「嘘に決まっているだろう、フランチェスコ……おまえの両親はたいへん寛容で、夜は外に出ても何も言わない。おかげで私も身体をなまらせずに済んでいる。鍛錬のためというのが本当のところだ。特に左腕が古傷のせいでまだ思うように動かない。それに乗馬は昔から私の楽しみだったのだ」

 そう言うと、「おじいさま」は遠い目をした。「おじいさま」はきっと子供の私には想像もつかないほどの冒険の日々を過ごしてきたに違いない、そう感じた。

 もうひとつ、「おじいさま」を知る小さなきっかけがあった。彼はよく城の窓から西の方角を眺めていた。特にどうということのない草原の景色だったが、「おじいさま」が見ているのはもっともっと遠い場所であるような気がした。それについてはこんな会話をしたことがあった。
 もう私をイタリア語で呼ばなくなった頃のことだ。

「フランシスコ、この先の広い道は巡礼の人々がよく通るようだが、あれはサンティアゴ・デ・コンポステーラに行く道なのか」



 サンティアゴ・デ・コンポステーラはイベリア半島の西の端にある、ガリシア地方の小さな町だ。そこはイェルサレムやローマと並ぶキリスト教の三大聖地で、聖ヤコブの遺骸が納められている。スペインやイタリア、フランス、イングランドからもたくさんの巡礼者が訪れる。

 彼らはこの行路のことを「星の巡礼路」と呼んでいる。

 私は子供だったので、聖地に赴いたことはなかった。
「はい、“フランス人の道”と呼ばれる一番大きな巡礼路がここより北にあって、パンプローナを通りますが、この辺りも巡礼者が通ります。クリュニー修道院が中心となって巡礼の旅人の世話をしますが、辺りの教会は皆巡礼者を受け入れています」
 質問者は満足したようにうなずき、さらに私に問うた。
「私はその道をほんの少し通り過ぎただけだが、おまえは行ってみたいか」
「そうですね。ぼくはナヴァーラから出たことがありませんから、行ってみたいですが……できればパリやローマのような大きな街がいいです」
 おじいさまは、「主のご加護があるといいな」と私の頭を撫でて静かに微笑んだ。

 のちに私はどちらにも行くことになるのだ。

 それは間違いなく私の幸せな、しかし短い幼少期を象徴する場面のひとつだった。もし、私の旅の始まりがいつだったかと問われれば、この幸せなひと時をまず思い浮かべることだろう。

 シャビエル城主すなわち私の父、ホアン・デ・ハスはナヴァーラ王国の宰相であったことはもう言ったと思う。この王国はピレネー山脈の麓に位置し、フランスとスペインに挟まれていた。

 私の国、ナヴァーラについては、語りたいことがたくさんある。

 今はカスティーリャに併合されているバスク地方一帯を含めて、昔は「バスク人」の土地だった。この王国の歴史は700年もさかのぼることができる。そう、イスラム教徒がイベリア半島に侵入してきた頃のことだ。西ゴート王国が滅ぼされて、広大な半島の民が改宗を余儀なくされる中で、キリスト教国としてイスラム教徒に戦いを挑みバスクの土地を守ってきたのがこの王国の前身、パンプローナ王国なのだ。イスラム教徒の後ウマイヤ朝だけではない、北から襲いかかるフランク王国の侵攻も受けながら、パンプローナを守りきったのだ。レコンキスタの初期の段階からその姿勢は変わることがなかった。王国はのちにバスク語で「盆地」を意味するナヴァーラと名を変えた。



 11世紀のサンチョ3世の時代には、カスティーリャ、レオン、カタローニャまでを配下にし、王国は最盛期を迎えた。しかしその盛りは長くなかった。14世紀にはパンプローナ東方のビスカヤ、ギブスコア、アラバがカスティーリャ領となったのをはじめ、王国の領土はしだいに縮小していった。時の王たちが、近隣の国と縁戚関係を結んでいったことが原因だが、それでも独立した国として16世紀までいたったのだ。

 私が「おじいさま」と親しく交流するようになったその頃、ナヴァーラ王国はフランスの貴族出身のホアン3世(ジャン・ダルブレ)とカタリーナ女王が夫婦で国を共同統治する形をとっていた。ホアン3世が婿入りした形になる。もちろん、フランスとの関係を良好に保つための政略結婚だった。

 ただ、夫婦の間で大きな考え方の違いはなく、共同統治としてはうまくいっていたと思われる。なぜなら、そのことで枢密院議長である父が悩んでいたという話は聞いていないからだ。

 不穏な影はアラゴンから忍び寄っていた。

 カスティーリャとアラゴンの王であるフェルナンド2世がその張本人だ。フェルナンド2世はイザベル女王の死、続くファナ女王の夫君、フィリペ美王の死に乗じて、カスティーリャとアラゴンを実質的に手に入れたのだ。そうなると、当然ナヴァーラも手中に収めたいと思うのだろう。

 フェルナンド王の父、ホアン2世は当時のナヴァーラ女王ブランカ2世と結婚していた。さらにフェルナンド王はイザベラ女王亡き後、カタリーナ女王の従姉妹を妻とした。幾重にも結んだ血縁を盾に、カスティーリャがナヴァーラ王国の保護権を持つという条約を結ぶよう、女王に迫ったのだ。

 その手のごり押しはイベリア半島では、いや他でもそうだろうが、頻繁に見られることだ。しかし、フェルナンド王はイベリア半島全土を自らのものにしようとしていて、それはかつてないほどの強大な力だった。

 そして、従わない場合は武力によって侵略する。

 すでに私が生まれた頃から、その兆しが現れていたのかもしれない。イザベラ女王が亡くなったのは、私が生まれる2年前のことだった。

 私の国がカスティーリャの侵攻を受けて併合されたのは、1512年、私が6歳の時だ。フェルナンド王はフランスに宣戦布告し、その軍勢がナヴァーラを通過すると布告したのだ。ホアン3世は、もちろんフランス出身であるからそれを拒絶したが、それはフェルナンド王に攻撃の口実を与えたに過ぎなかった。

 ナヴァーラ国の有力貴族であったボーモン伯はこの盆地の国から早々に手を引いた。すぐさまフェルナンド王に付いて、先鋒となってパンプローナへ攻撃を仕掛けてきた。一時はこれを退かせたものの、カスティーリャの大軍勢が押し寄せてきたのだからひとたまりもない。世の趨勢には逆らえなかった。パンプローナはカスティーリャの手に落ちてしまった。

 フランスに逃れるホアン3世を、私の父は涙に暮れながら国境まで見送った。
 それまで王に忠実に仕えてきた分、父への反動は厳しかった。のちに枢密院議長の職を失った父はその悲嘆があまりにも大きく、まもなく重い病を得た。

 それが回復することはなく、1515年10月16日に父は亡くなった。

 王家からの信頼も篤く、家族にも優しかった父が死んでしまった。

 その悲しみは9歳だった私の脳裏に強烈に焼きついている。

 母の悲嘆は子供たちでも慰めることができないほど深かった。城を継ぐことになる長兄、そして次兄は若者らしい義勇心を持ってナヴァーラの再興のために戦うことを墓前に誓い、姉は祈りに人生を尽くしたいと修道院に入ることになった。

 年長のきょうだいに囲まれて甘えながら暮らすことができた日々、それはこの時に終わった。しかし、この時にはまだ「おじいさま」がいてくれた。

 彼が父について語った言葉は今でも私の心に刻み込まれている。

「ホアン・デ・ハスは誰よりも誠実に王国に仕えた。それは私が保証しよう。あれほど穏やかで、そして人を正しく見ようとする人間を私は知らない。おまえの父親は立派だった」

 私は初めて、椅子に腰掛ける「おじいさま」の膝にすがって泣きじゃくった。
 彼は私の頭をずっと撫でていた。それはまるで、父が自分にしてくれているようにさえ思えたのだ。ひとしきり泣いた後、「おじいさま」は静かに私に問うた。

「フランシスコ、おまえのきょうだいも皆、自分の道を歩き始めた。9歳のおまえがそれを自身で決めるにはまだ早いかもしれないが、これから自分がどう生きていくか少しずつ考えてもいいかもしれない。例えばアレクサンドロス大王でもいい。おまえの兄のようにナヴァーラの再興に身を投じるのもいい」

 私は、涙の下でしゃくりあげながら、ようやくこう言った。
「おじいさま、私は父さまのようになりたい」

 「おじいさま」はうん、うん、と微笑んだ。
「それならば、ボローニャ大学で法律を学べるほどの資格を得なければならないな。これまでバスク語をだいぶ教わったお礼に、私がラテン語を教えよう」
「本当ですか! 本当に?」
 「おじいさま」はまた微笑んだ。

 彼はきっと、幼くして父を亡くした子供を憐れに思ったのだろう。その衝撃を和らげるためにラテン語の教師を買って出てくれたのだ。もし私がアレクサンドロス大王になりたいと言ったら、馬の扱い方や剣の使い方を教えたのかもしれない。
 その頃になると、彼の正体が誰かはまったく気にならなくかった。彼は私の父のようであり、友人のようであり、何より優れた教師だったのだ。その証拠に私は海綿が水を吸い込むようにどんどんラテン語を覚えていった。相変わらずそっとその様子をうかがっている母マリアも、しばしば袖で涙をぬぐっていた。兄がいるとはいえ、この城を実際に切り盛りしているのは母だったから、末っ子の私に十分な愛情を注げていないと感じていたのかもしれない。

 そのような意味では、「おじいさま」の存在は前よりはるかに重要になっていた。

 私は「おじいさま」にも告げたように、軍人となって国に身を投じる以外の道を考え始めていた。学者か聖職者になり、ずっと母を見守っていたい。ナヴァーラ王国が実質的にスペインに併合されたこの時、私たちがシャビエル城からいつ追い立てられても不思議ではなかったのだから。

 幼少の頃から抱いていたアレクサンドロス大王への憧れはもう表に出さないことにして、とにかく必死に勉強した。ラテン語やスペイン語、そしてフランス語を習得することに集中することにしたのだ。「おじいさま」は当初私がぼんやりと思っていたよりずっと素晴らしい教師だった。ラテン語だけではない、スペイン語もフランス語もイタリア語も使えるのだった。素晴らしい教師を得たおかげで、私の能力は飛躍的に伸びた。

 10歳にもならない子供が何ヶ国語も自由に読み書きできると、たいそう評判になっていたほどだ。

 そんな私に有益な助言を与えたのはカスティーリャのサラマンカ大学で法学を教えていた母マリアの従兄弟、マルティン・アスピルクエタだった。彼は私の評判を聞きつけ、どうしても話したいと遠路やってきたのだ。そして、教授のテストに私は合格したらしい。ひどく感心した様子で私やマリアに語った。

「フランシスコは学問が好きなようだから、サラマンカの私のところに寄越すといい。まだ9歳だからすぐにとは言わないが……一人ぐらいなら生活の面倒も見られる。マリアも戦争に子をやるよりは安心なのではないか」

 母が一瞬寂しそうな眼をしたのを、私は見過ごさなかった。
 母を悲しませることだけはしたくない。父が亡くなった後の、あんな顔をみるのはいやだ、と強く思ったのだ。

 1516年、父が亡くなった翌年、マルティンがすすめてくれた大学への進学が現実になるよりはるかに早く、生涯忘れ得ないほどの大きな出来事が起こった。
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