肥後の春を待ち望む

尾方佐羽

文字の大きさ
上 下
16 / 27
兵糧合戦

敵の包囲網を突破せよ! 立花勢進む

しおりを挟む
 柳河から肥後南関までは三里ほどでごく近い。すでに柳河勢八百と、統虎の実弟・高橋直次の勢三百が南関に集結した。統虎はすぐに直次や家臣を集め、兵糧入れについて詳細まで詰めていた。

 そこに牢人が一人、立花勢に加わりたいと申し出てきた。名は天野源右衛門、以前明智光秀に仕えていたが、本能寺の変後に出奔し西国を放浪していた。後に安田国継として名を残す男である。統虎の柳河勢は数が多いとはとても言えない。少数で戦うべく策は練っているが、勇猛な武士であれば加わってもらうことに躊躇する理由はない。それに、明らかに上方の武士ならば裏切ることもない。統虎は客分として快くかれを迎え入れた。

 さて、どう兵糧入れを成功させるか。

 佐々宗能の勢に鍋島勢七千までが崩れてしまったのだから、よほど心してかからないといけない。
 統虎は皆とじっくり検討した。まず、多勢の鍋島勢がどのように崩されたか、その様子を調べた。

 大津山出羽守という国人が肥前からの往来にある竹林の群生した山の斜面で多数待ち伏せしており、気づかずに通った鍋島勢に弓矢鉄砲で一斉に撃ちかけた。いきなりの攻撃に七千の兵もてんでばらばらにに崩れたという。先頭集団にいた者は弓鉄砲のみならず、飛び出てきた襲撃者により多数討たれたという。その道は統虎軍も通らなければいけない道である。

「往来で襲撃する戦法は、何度も使えるものではないが、その辺りにそげん大きか竹林が他にないようなら、また同じ手を使うやろう。何しろ七千の兵を撃退したと、意気揚々になっとるに違いなか。それなら、われわれが逆手打ったらよかばいね。夜のうちにわが勢を潜ませ、大津山らが現れたらその背後、横から一斉に攻撃する」
 一同がうなずく。三百の兵とともに南関に入った弟、高橋直次がそこで身を乗り出す。
「兄者、それならば明日兵糧入れを行なうという話を広めておけばよかち思います。わしらは今宵逆待ち伏せに向かいますけん」
 統虎は首を横に振る。
「いや、おぬしの兵、わしの兵という分け方はせん。逆待ち伏せには、立花・高橋から二百の兵を出す。大津山の攻撃のみで済むことはないと思うけん、その後も二百、三百と都度態勢を変えていく。とにもかくにも、われらの務めはまず平山城に兵糧を入れること。そして行きも帰りも敵の攻撃を突破し皆が生きて戻ること。それが肝要」

 皆が、「おぅ! おぅ!」と掛け声を上げた。

 兵糧の仕度も抜かりなく済ませた。
 大荷物では敵と対峙したときに不利になるため、丈夫に編まれた袋に兵糧を少量ずつ詰め、兵の腰に巻かせた。馬に乗る者は馬の鞍にしっかりと兵糧を結びつけた。これだけでもかなりの量の兵糧を持ち運ぶことができる。

 高橋直次率いる二百人の兵はただちに出発し、夜陰に乗じて大津山勢が潜んでいた竹林のある山に裏側から回りこんだ。兵糧を持った柳河勢が通るのは明日の昼になるという話をすでにばらまいている。大津山勢が現れるのは早暁以降であろう。二百の兵はじっと息をひそめて朝が来るのを草陰で待った。
「できるだけ敵を引き寄せ、一斉に攻撃を仕掛ける。それまでは決して動くまじ」
 直次は兵らに厳命していた。

 大津山勢は統虎の読み通り、ふたたび竹林で攻撃の準備に入った。人数は数百、それほど多くはない。しかし、かれらも決して油断はしていなかった。立花統虎とその家臣らがどれほどの器量を持っているか、肥後でもよく知られていたからである。皆、ぼそぼそと話す。
「柳河の立花統虎といえば、筑後の猛将、立花道雪に伏して請われ養子に入ったほどの男たい」
「島津ば八代まで逃げ帰らせたばい」

 肥後の国人の間でもそのできごとは強く印象に残っていた。
 あれは去年、天正十四(一五八六)年夏のこと、島津が筑前に攻め入った際、次々と城が落とされていく。実父高橋紹運までもが壮絶に果てるほどの窮地にあって、立花統虎は、老臣を人質に出し十八日間という猶予を得て援軍の到着まで粘りきった。そして援軍の到着を知った島津が退却を始めると、ここぞとばかりに追撃を開始した。

 猛烈な勢いで千五百の兵で島津勢を追いかけ槍刀で突っ込んだ。たちまちにして、数百の島津勢が倒れた。軍を率いていた島津忠長は応戦するのは得策でないと判断し、馬に鞭打ち韋駄天の素早さで肥後八代まで退却していった。それでも立花勢は飽き足らず、島津に加勢していた筑後の星野氏の高鳥居城を攻め、籠城していた三百の兵を全滅させた。

 その前評判に違わぬ戦巧者だった。

 柳河勢の通過を見て、いざ襲い掛かろうとした大津山の数百人は背後と横面から弓鉄砲の攻撃を受けた。驚き逃げ惑う大津勢に伏していた柳河勢が槍刀を振り回し襲い掛かった。時間はかからなかった。大将の大津山出羽守も直次の手の者に討たれ、首を取られた。

「ようやったばい。ここは抜けた。まだ伏兵はおるかもしれん。油断はまだまだできん。何より、敵兵が取り囲む城に兵糧を入れる難事が残りようけんね」
 統虎は合流した弟に口早に告げた。直次もどのように兵糧を入れたらよいのか、なかなか良案は浮かばない。しかし、兄にはもうすでに腹案があるようだった。

 柳河勢が進んでいくと、道端の楠の木の下に、大槍を持った男が一人立っている。
 先鋒がすわっ、敵かと構えるがそれを気に留める様子もない。男は槍を置いて悠々と寄ってきた。茶筅髷のせいで大きく見えるし堂々とした体躯ではあるが、実のところそれほど背は高くない。

「その旗印は筑後柳河の立花左近殿ご一行か。拙者、佐々陸奥守の家中、水野六左衛門と申す」
 統虎は馬で前に進み出て、六左衛門を見た。六左衛門は膝をついた状態で少々興奮した様子で話し始めた。
「拙者、お屋形より附城の兵糧の受け入れを任されとりますが、こたび二度失敗し、まだお役目を果たすにいたっておりませぬ。三度目は何とか兵糧を入れ、一揆勢をなぎ払いたく、できうれば貴殿の軍に加勢させてはもらえませぬか。これがお屋形からの文にございますれば」

 統虎はその文をはらはらと広げた。紹介状らしい。そこにはこう書いてあった。

「水野六左衛門、槍働き比類なき者につき、よくよく使い申されるべく候  恐々謹言」

 統虎はあまりに簡潔な内容に、ぷっと吹き出しそうになった。
「あい承知、この先に待ち伏せの兵はおっとか? 」
「二、三、怪しい箇所がございます。その場合の裏道も把握しておりますで、何しろこの数週間、肥後衆に見つからんように夜せっせと動いとったもんで詳しゅうなってまったがや」

 どこの言葉か知れないが、気さくに話す様子にはまったく嘘は感じられなかった。髭ぼうぼうの泥まみれの着たきり雀な風体を見ても、味方を皆附城に閉じ込められ何とかせねばと必死になっていたのがありありと感じられ、統虎はこの男を信用する気になった。それにかれは自身とあまり変わらない年齢なのではないか。
 まぁ、様子を見てみようと統虎は思う。
「槍が得意ということやけん……貴殿はわが家臣、十時摂津と同道してもらえんか。十時も先鋒切って槍をぶん回す男たい。十時、水野殿に仕度ばしてやってくれんね」
 六左衛門は統虎に礼をして、十時の下に入った。そしていま一度、立花左近統虎の背中を見た。
 見るからに頑丈な背中だった。歳はわしよりいくらか若いようだ。
 もちろん、立花統虎のことは噂で聞いている。関白秀吉がことのほか気に入って、直臣の扱いで柳河城を与えたこと、それだけの男に仲間として相まみえるとは。六左衛門は何やら血が沸き立つような感覚を覚え、槍を握り締めた。その後に佐々方で六左衛門の補佐として付けられていた遠藤助右衛門も合流し、立花勢に加わることとなった。

 立花左近統虎と水野六左衛門、若者ふたりの出会いのときであった。

 佐々勢の平山城は依然として囲まれて孤立している。それを包囲する隈部勢三千の兵の大将、有働兼元は柳河勢が兵糧入れのため、すぐ近くまで接近していることを知る。大津山の待ち伏せが失敗に終わったことも。

「あぁ、一度やったこと、すぐ悟られるたい。しかし、ここに兵糧は絶対に入れさせん」
 有働兼元は一揆が肥後全体に広がっていることに大きな満足を感じていた。まだまだ、抵抗ののろしは各地で上がり続けるだろう。「よそ者に自分の土地ば勝手に取られてたまるか」という気持ちはもともと皆が持っている。その気持ちがあるからこそ、ほうぼうで皆が自身にできる方法で戦うことを選んだのである。隈本城を奪うことには失敗したが、また機はある。有働兼元の胸はまだ勝機があると考えていた。


 城村城に立て籠もっている隈部親永は、平山城を取り囲む自軍の様子を見ていた。親泰が自信ありげに言う。
「柳河の立花勢があの城に兵糧を入れようと向かっておりますが、あれだけぎっしりと兵が構えている中を突破できるはずがなか。逆にわが勢が叩き潰してくれましょう」
 親永は遠い目をしていた。
 最近、かれは考え事をしているのかぼうっとしていることが増えた。もう齢七十を越えているから多少もうろくするのは当然だ。息子の親泰はそのように考えていた。
 ふと、親永が口を開いた。
「われわれは勝てるとやろうか」
「何をおっしゃっとるんですか。そのために戦っております」と親泰が目を見開いて言う。
「われわれは何に勝つ? 佐々陸奥守か? そのあと元の所領ば、せめて朱印状で任された所領ば得ることができっとか? 」
 親泰はしばらく考えた。
「朱印状というのは重たかもんですばい。肥後の者が一様に所領の安堵を望んでいるのだと分かれば、関白様も検地やらにつき改めてくれっと」
「いや、それはなか」
 親永が低い、地の底を這うような声で発した一言に息子は息をのんだ。
「わしは、南関で関白殿下にじかに褒め言葉をかけられ、浮かれとったとね。直接取り立ててやるち、そげな言葉ば童のごとく無邪気に信じた。佐々は代官ぐらいにしか思っとらんかったとよ。関白はわれわれのことなぞ、虫けらほどにも思うとらん。島津討伐に大軍が押し寄せようたごたる、肥後にも大軍が寄せよっとね。そして叩き潰されっとたい」
 親泰は父親の言葉に底のない暗さを感じて、ぞくっと肩を震わせた。しかし、そんなことはない、と自身を奮い立たせて父を励ました。
「父上、富田のことばありようたけんが、弱気になってしまっとるばい。今戦いは肥後一国全てに広がっちゅう。ここで肥後衆の声ば上げんで、どこで上げるちゅうとですか。気ぃばしっかり持たんといかんです」
 親永は複雑な顔をして、また平山城のほうを眺めていた。


 平山城まであと少しという地点で、統虎は自軍を三つに分けた。
 第一の隊は有働勢に攻め入り敵を引きつける。第二の隊はその隙を見て兵糧を運び入れる。そこで第三の隊が合流し総攻撃を仕掛けるという戦法である。平山城を取り囲む兵は倍以上の三千を数える。
 水野六左衛門、天野源右衛門はともに第一軍に加わりたいと申し出た。特に水野六左衛門は先鋒一番槍を常に望む男だったので、強く願い出た。しかし、統虎は丁重に第三軍に加わるよう説いた。
「貴殿らは客分の士やけん、ここは総攻撃をかける三の手で働いてもらいたか。それに……まだまだ活躍してもらう機も出てくるはず」
 これから打って出るとき、緊張の高まる中で、統虎の声は穏やかで静かだった。まるで茶室で茶を一服しているときのような、静かな声であった。その穏やかさに水野も天野も毒気を抜かれたようになった。第三隊の大将になった十時摂津がかれらに言う。
「一番槍はわしもしたかよ。しばし待たれい」

 平山城を取り巻く有働勢が、城の大手原口に向かってくる立花勢の姿を認めて一斉に向きを変えた。
 有働勢が槍鉄砲を構えて寄せてくる。
 立花勢の先頭に立つのは、大将の立花左近統虎。
 黒革縅の鎧に黒毛の五枚兜、「笈斬り」と銘された戸次立花家伝来の太刀を腰に、背中には三尺六寸の大太刀を背負って、有働勢の前に立った。背後には第一隊が一糸乱れぬ動作で槍鉄砲を構える。

 有働兼元が号令をかけた。
「かかれーっ! かかれーっ! 兵糧人足何一つ通すまじ! 」
 ここから一斉に戦いが始まった。立花勢は鉄砲で敵を牽制しながら大手原口ににじり寄り、第一隊がいわば人間の盾になった。そこの間を抜けて第二隊が城の門壁によじ登り、手にした兵糧袋を次々に投げ入れる。投げ入れた第二隊はすぐさま槍鉄砲を構え、第一隊と交替する。今度は第一隊が同様に兵糧袋を投げ入れた。大手原槍刀で攻撃を仕掛けてくる敵を打ち払うために第三隊が突撃する。
「うおぉぉぉっ! 」
 これはすごい、何と言う見事な兵の動きじゃ。
 水野六左衛門は槍を構えて駆けながら、体が震えるほど感動していた。これならば、兵糧を必ず届けることができる。しかも皆、戦というものを骨の髄までよく知っとる。攻守に長け、隊としても個人としても一流の猛者ばかりではないか。六左衛門は向かってくる敵を次々と槍でなぎ払った。脇では十時摂津も馬に乗り縦横無尽に動き、敵を仕留めている。おぅ、あいつもやるもんだで、と六左衛門はちらりと十時を見た。十時も同じことを考えていたのか、ニヤリとした。

 凄まじい攻撃に怯み後退する者もあって、有働勢は動きがバラバラになった。その隙に第一隊が誘導を受けて城内に入り込んだ。第二隊も続いて駆け込んでいく。第三隊がそれを援護し、有働勢の前に立つ。十時も水野も天野も、ぎらぎらした眼で有働勢を睨んでいる。
「退却、退却せよっ! 」と掛け声があがった。有働兼元の声だった。

 有働は怒りのあまり、ぶるぶると震えていた。
 まんまとしてやられた。平山城を取り囲んでいた一揆勢はかなりの者が討たれた。それも立花の第三隊だけにほとんどがやられた。強い。手負いの者をこれ以上増やすわけにはいかない。ここは一端退く。
 立花勢はこれまでの中で一番手ごわい敵であることは間違いない。しかし、行きはまだよい。城に兵糧が入ってしまえば、また城から出ざるを得まい。袋のねずみと同じだ。そのときでもよい、帰途でもよい。
 立花勢は全滅させてやる。

 有働の怒りは深かった。

 あやつは九州者ばい。なして佐々の手先んなって同じ九州者ば討ちに来っとか!
しおりを挟む
1 / 3

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

結婚結婚煩いので、愛人持ちの幼馴染と偽装結婚してみた

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:206

愛されていないけれど結婚しました。~身籠るまでの蜜月契約~

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,320pt お気に入り:4,093

旅の道連れ、さようなら【短編】

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:120pt お気に入り:78

愛されすぎて困ってます!

BL / 連載中 24h.ポイント:28pt お気に入り:393

転生と未来の悪役

BL / 連載中 24h.ポイント:1,380pt お気に入り:569

処理中です...