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第四章
偽ユシル
しおりを挟むユシルは首都にいるあいだよくイグナスのところにいる。
たまに帰ってきてはアレストにからみついてイグナスの邸宅はあれこれ素敵だと、または商談相手を奪ってしまったことへの謝罪とか、憐れみのある目で見つめられ、耳障りな声を出しながら神経を逆なでする。
アレストは持ち前の明るさを出して対応し、側から見れば仲のいい兄弟を演出した。
しかし、毎回それを見透かされたようにユシルはアレストの我慢の限界を土足で踏んでくる。
そのせいでアレストはこの血の繋がらない弟に対する嫌悪感はますます酷くなった。フェンデルの邸宅から帰ってきたことを後悔するほどである。
しかし、不思議とカナトの声はそう感じなかった。よっぽど酷い声ではあるがその声で、不自由な体で、猫のように輝いた瞳で目の前をうろちょろされるだけでなぜか荒んだ心が癒やされていく。
アレストは無意識に「カナト」とつぶやいて心の鎮静剤代わりにすることもあった。
しかし、今は何も心のイラつきを抑えるものがない。
アレストはいつも通りの笑顔を浮かべて玄関に向かった。
そして部屋に取り残されたカナトはだいぶ経ってから目を覚ました。
手で目をこすりながら周りを見る。いつもいるはずのアレストがいない。確かに今外が暗くなっているのを確認する。
おかしいな。仕事が遅くなったとしてもここまで暗くなっても帰ってこないなんて。
カナトは部屋を出たい。しかし出たとしてもムソクがいる。
窓には脱走対策として鍵がかけられ、カナトでは開けられないようにされた。
どうするかな。毎回ムソクには見つかるし、かと言ってアレストが帰ってこないのも気になるし。
カナトはドアのほうを見て恐るおそると近づいた。ドアに耳を押し当てて廊下の音を聞こうとすると、ちょうどメイドたちの会話が耳に入った。
「ユシル坊ちゃんとアレスト坊ちゃんは本当に仲がいいわね」
「ユシル坊ちゃんとイグナス様も仲睦まじいし、ヴォルテローノ家はますます貴族界で強い立場になるわ」
「今お三方はどこに?」
「確か接客室からアレスト坊ちゃんの事務室に移っているはずよ。最近旦那様のこともあるし……」
「そうね、ずっと病で伏せていらっしゃるもんね」
遠ざかる声を必死に拾おうとカナトはドアに耳を押し当てて、ついに聞こえなくなるところまできたが、同時にドアも押し当てる力が強すぎてギチギチ鳴った。
しまっーー
施錠が外れる音とともにドアが開け放たれた。ドアの向こうでムソクがカナトを見下ろし、感情の読めない視線を注ぐ。
「ム、ムソク……あはは」
枯れた笑い声とともにカナトが部屋の奥へ逃げようとする。
「見に行きますか?」
「見に、行く?ケホッケホッ!」
カナトはだいぶしゃべれるようになったが、いかんせん声が死にかけのそれなので、聞いていて心地のいいものじゃない。それでもムソクは眉ひとつ動かすことなく「はい」と言う。
「アレスト様たちにお茶を出す係がいないので」
カナトの目がキランと輝く。
メイドたちの話を聞いていると今おそらく偽ユシルとイグナスがアレストと一緒にいる。相手は物語を知る現代人、もしくは転生者かもしれないのでアレストはかなり危険な環境にいるのかもしれない。
なんとしてても偽ユシルの仮面を外してアレストを守らなければいけない。
使命感に駆られたカナトは包帯だらけの手で自分の胸を軽くたたく。
「任せんごほんっ!!ケホっ!」
クソ、のどいてぇ……。
事務室でアレストは休憩スペースでユシルたちと向かい合っていた。
なんの目的で作られた休憩スペースなのかアレストは覚えてないが、このスペースが割と好きで気に入っている。そのためずっと取り払わずに残していた。
「つまり、父さんに会いたいと?」
「そう。父さんの状態は悪くなるばかりだし、社交シーズンが終わったらちゃんと会いたい」
ユシルは親孝行の顔で指先を合わせて言った。
アレストはその表情、行動を目に映して鼻で笑いたくなった。
アグラウが病で伏した時に一度顔を出してから、ユシルはそれ以上病状を聞きもせずにイグナスのところへ出かけていた。それがもう1年ほど続いている。表面上の心配しかしてこなかったユシルはなぜか周りからとてつもなく親孝行だと思われており、アグラウにつきっきりのアレストよりも評価されていた。
そしてアグラウの病状が酷くなった今、そろそろ今後を見通して遺言書を書くか、もしくはすでに遺言書があり、家族のそろった場面で宣言されるのを待つという時期にユシルは出てきた。
周りの評価も目も節穴としか思えない。こんな二面性のある人間を純粋なものして扱うなど、頭の成長がどこかで止まったのではないかと疑わずにいられない。
とはいえ、アグラウの病状はほとんどアレストの手によるものである。
目に嘲笑じみたものを浮かばせてアレストはひざから手を離して背もたれに体をあずけた。
「そうだなぁ。少し前にお前がこっそりと下の者を使い、父様に会いに行ったらしいな」
「えっ……」
「報告があった。僕の命令を受けた使用人に断られたと聞いたが、間違いはないか?」
「そ、そうだけど……わざわざ言うほどのことでもないと思って……」
「そうかな。僕はずっと父様の病状を見てきたから僕に聞くほうが手取り早いと思うけど、もしかして他にも何か目的があったりするのか?」
「そうなわけないでしょう?兄さん考えすぎだよ」
「ユシル、お前はいつからそんなに頭が悪くなったんだい?僕はそんな効率の悪いやり方を教えたかな」
「……っ。本当に考えすぎだよ。今回はちょっと考えなしだったかもしれない。次からは兄さんに訊くよ。そういえば私も面白いことを聞いたよ?兄さんがここ近頃トリテジア銀行の若頭取のところによく行くらしいね。仲がいいんだね?」
ユシルの探るような目にアレストは目を細めて笑った。
「ああ、そうだよ。友達なんだ」
「へぇー、初めて聞いたなぁ。ちょっと前に僕への贈り物のお菓子に毒があったけど、最近は物騒だから兄さんも気をつけて」
「貴族の命を取りたい輩は多いからな。きみも気をつけるように」
2人が見つめ合う中、突然ドアがノックなしに開かれた。
「アレスト!ゲホッ!紅茶持ってケホッケホッ!来た!」
咳をしながら死にかけのしゃがれ声を出したのはカナトである。
包帯だらけの手でトレーを持ち、事務室の中に入ってくる。その目がうろうろと部屋の中を見渡して何かを探しているようだった。やがて見つからなかったのか眉を下げてアレストの向かいを見ると、ギョッと目を見開く。
「ユシル……」
「えーと、私たち知り合いかな?」
その困った顔にカナトは思い切り顔をしかめてあごを引いた。チッと舌打ちして紅茶をアレストの前に置き、中身を満タンに注ぐと押し出した。と、そこで気づく。アレストの前にすでに紅茶があった。
ムソクの野郎……何がお茶出し係がいないだ。お茶そのものがあるだろうが。
カナトがソーサーを引いて紅茶を引っ込めようとした時、アレストが指をソーサーの反対側に置いて阻止した。
「ちょうど暖かい紅茶が欲しいところだったんだ」
「そうなのか?ならよかっーーゲホッゲホッ!」
「きみこそ、のどを治したいならしゃべらないことだ」
カナトがハッと口をつぐんだ。そして目線を感じて見ると、偽ユシルが疑惑的な目をカナトに向けていた。
ユシルの顔に向かってきつい言葉を吐けないカナトは目をそらしながら言う。
「見てんじゃねぇよ。飲みたいなら自分で入れろ」
「に、兄さん、この礼儀のない人はいったい……」
「新しい使用人だ」
「新しい使用人?私は聞いてないなぁ」
「わざわざ僕が何をしようときみに言わなければいけないのかな?」
「そういうことじゃないよ!」
偽ユシルがカナトを見て言う。
「ただ、さっきから何を探しているのかなって思って」
部屋に入ってきた時から床やもののすきまにハムスターの影がいないか探していたカナトが、え?と顔を上げる。全員の視線が集まっているのを感じて気まずげに頬をかく。
「その、ハムスターとか、ないかなーって」
その言葉にユシルの目が一瞬変化する。
「ハムスター……フッ、そうだね。ねぇ、イグナス。最近イグナスの家にハムスターいなかった?」
そう言いながら目線はちらっとカナトを見る。一方のイグナスは眉をしかめたままテーブルの一点を見つめている。
「……ああ、いたな」
「鳴き声がうるさいからもう出ないように駆除剤をまいたところなんだ」
カナトがダンッとテーブルに手をたたきつけてにらみ上げた。
「お前……」
「どうしたの?」
「その顔で、そんな気持ち悪い顔をーーゲホッゲホッ!」
「しっかりしゃべれないで何を言いたいのかわからないけど」
偽ユシルは目を歪めて笑った。
静かに聞いていただけのアレストがふいに背もたれから身を起こして口を開いた。
「カナト、前に飼っていたハムスターがいなくなったって言わなかった?」
カナトは、そんなこと言ったか?と目をパチクリさせたがアレストの言うことなのでとりあえずうなずいた。
「どんな特徴だった?」
「淡い金色で、緑かかった毛のハムスター」
しゃべれるし、魔法も使える!もちろんそれを口に出すわけにはいかない。
「ユシル、そのハムスターもしかしたら僕の使用人が大事にしていたハムスターかもしれないから、見つかったら返してくれないかな。死体でもいい」
カナトがぶるぶると頭を振る。
死体は絶対ダメだ!!
「わかった、そうするよ。それじゃあ、私とイグナスはこれで失礼するね」
立ち上がって行こうとしたのを見てカナトも立ち上がった。
「イグナス!……ケホッ!お前、自分の恋人だけは間違えるーーうっ、ゲホッゲホッ!!」
しゃべりすぎたのか、カナトはのどを押さえながら激しく咳をした。
ユシルはそんなカナトを一瞥して「イグナス」と呼びかけて2人は部屋を出て行った。
ドアの外でユシルが顔を険しくした。
なんで?カナト?あの人がカナト?物語をめちゃくちゃにしたやつ?なんでまた現れたの?あり得ない!せっかくこの体を奪えたというのに!
ユシルの体を使うにも魔法の使い方は慣れず、力及ばないために人々の記憶を完全に隅々まで変えることはできなかった。
つじつまが合わないところを感じると変えられた記憶と真実の記憶がぶつかり合い本人は強い頭痛を感じる。
だが大丈夫だと偽ユシルは思った。人々の記憶を変えるという大きな魔法を使ったせいでしばらく魔法は使えないが、イグナスの邸宅にたくさん植物を持ち込み、自然の力を吸収することで魔力はまた戻ってくる。それが原作の設定であり、もっとも重要なキーである。
この世界で私が主役なの!私を中心に回らなければいけない!あと1回、魔力が戻ってまた同じ魔法をかけたらアレストでも抵抗はできないはずだ!
イグナスのそばにさえいれば安全だと、偽ユシルは思った。だからアレストと対峙する場面は基本イグナスを連れ出している。
ただ、今回に限っていえばカナトの存在が想定外だった。
「……消さないと」
自分の主役を奪うやつは消さないと、この世界で特別なのは自分だけでいい、そんな思いを抱きながら顔に悪い笑みを浮かばせる。
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