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第四章
好みの味
しおりを挟む「あ、あのさ、さっきありがと」
事務室の中でアレストはカナトが入れた紅茶を飲みながらくつろいでいた。
「なぜ部屋から出てきた」
その言葉に背筋を凍らす。
「いや……そのケホッ!その、俺……そういえばイグナス変だったじゃないか?」
考えたすえ、カナトは話題変更をすることにした。
「辺境伯が?」
「そう!ケホッケホッ!なんかずっと目が変というか……」
カナトはイグナスの焦点が合わない目を思い出しながら言った。
「なんか、寝起き?そんな目してて……」
「ずいぶんと辺境伯に興味があるんだな」
「い、いや!そういうわけじゃゲホッゲホッ!」
「のどを直すつもりはないのか?あまり大声を出すな」
「うっ……」
アレストは立ち上がってカナトの前に来た。
「どうして来ようと思った?」
アレストが訊きたいのはなぜこのまま逃げなかったのかであるが、なぜかそう訊くより来る理由を訊いたほうがいい気がした。
「それは……お前が、心配だったし…ケホッ、ケホッ」
「なぜ心配するのかわからないが、今後はもう部屋から出るな」
カナトはすねたように口を突き出した。
……ちぇっ、俺にだけきつい口調使いやがって。
「もしかして、不満なのか?」
アレストは得意の笑顔を浮かべながらカナトの目を直視した。
「全然!不満はない!ゲホッ!!」
「それならよかった」
事務室から出て、アレストはカナトが部屋に入るまで見届けると、ドアのそばに立っているムソクへ視線を向けた。
「次からは勝手な判断をするな」
「……はい」
ムソクはカナトならあのいけすかないユシルの表情を歪めることができると思った。それに、アレストはカナトへの態度が少し周りと違うことにも気づいた。
毎回ユシルと話し終えたあと、自分の主人がもれ出してしまいそうなイラつきを押し隠していることにも気づいている。だからカナトがいればそれを和らげるのではないかと思った。
実際、ユシルは予想外の人物の登場にいつもの調子を狂わされている。主人も何気にいつもより機嫌が良さげだった。だからムソクは反省はするが、自分の行いを後悔していない。
就寝時、いつものように椅子に座ってクッションに頭を乗せていたカナトは何か言いたげにアレストを見つめている。
「どうした?」
「一緒に寝ていいか?」
その提案にしばし室内が無音だけになる。
「おねがケホッ!」
「話すな」
「はい……」
この話題はそのまま終わるかと思った。せめてアレストはそう思っていた。しかし、布団の中に入ってしばらくするともぞもぞする音が聞こえ、カナトが布団にもぐりこんでアレストの隣に来た。そのまま何事もないみたいにすやっと寝る。
暗闇のなかで目を開いたアレストは、懐に体をねじ込んできた人を見てつい衝動的に抱きしめたくなった。それを寸前のところでこらえる。腕を回せば傷に触れてしまう。
本人を起こして自分から移動してもらおうとするも、アレストはそれをためらってしまった。
まるで前からこうしているみたいに少しの違和感もない。それどころか、どこか懐かしい匂いにこのまま眠ってしまいそうになる。
欠けた何かが満たされる、青年に初めて会った時からずっと感じたことだった。
カナトが語る身に覚えのない昔の記憶も、妙に現実とかすめるフェンデルたちとの関係の話も不思議だった。
アレストは少し頭痛を感じて頭を押さえた。
「僕には…嘘をつくな」
苦しげにその言葉はつぶやかれた。
翌朝、カナトが目を覚ました時にアレストはすでに隣にいなかった。
先に起きてバレないようにしようとしただけに恥ずかしくなる。
色々と支度を終えた頃、カナトが意味なくぼうと窓の外を眺めているとドアがノックされた。黙ってても入ってくるので、めんどくさがったカナトは足で床をトントンたたいて返事代わりにした。
案の定ドアが開けられる。そして同時に漂ってくる甘い香りにカナトがぴんと背筋を伸ばす。
振り返って見ると、ムソクがトレーに乗せた液体チョコレートを持って入って来ていた。
じーと釘付けされたみたいな視線にムソクは軽くえしゃくのような動きをし、チョコレートの入ったグラスをコトンとベッドそばの机に置く。
「アレスト様からです」
失礼します、と続けようとした途端、びゅんとした風を感じた。顔を上げると部屋のどこにもカナトの姿はない。置いたはずのチョコレートすら姿を消していた。
「………」
興奮したみたいにカナトはチョコレートのグラスを持ってアレストの事務室に向かった。
このにおい間違いない!!ミルク多めの液体チョコレート!!なんで今のアレストが俺の好み知ってんだよ!もしかして!もしかして!!
期待に胸をふくらませながら言いつけも忘れてカナトは事務室のドアを開いた。
「思い出したのかゲホッゲホッ!!」
書類と向き合っていたアレストが笑みのふくんだ視線を上げた。
「……カナト。とりあえずドアを閉めてくれないかな」
カナトはドアをバンッと閉めてチョコレートを持ったままアレストの事務机のそばまで来る。
「なあ、思い出したのか?」
「ありもしない記憶のことを言っているならまったく思い出してない。そして言ったはずだ。今後はもう部屋から出るなと」
青い瞳に危険な光がはらみ始めたのを見てカナトが首を縮こめた。
そして慣れたように休憩スペースのソファに腰掛けると、見ていたアレストは思わず目を見開いた。その光景が酷く懐かしく思えたからだ。
しっくり来るような感覚に、思わず頭痛がする。
「んっ……」
「アレスト?」
「いや、なんでもない」
アレストは眉間をもみながら続けた。
「それより、なぜ部屋から出た」
「そ、それは……ケホッケホッ!ただゲホッゲホ!!」
のどを押さえてえずくように咳をするカナトを見て、アレストは目を細めた。
「……筆談はできるか」
「ひつ、だん?ケホッ!」
「文字で会話をすることだ」
カナトは返事の代わりにこくこくとうなずいた。アレストからペンと紙をもらうとさっそく真ん中にデカデカと書いた。それをアレストに見せる。
『俺の好物持って来てくれたから記憶戻ったかと思ってな!』
アレストは一瞬だけ視線をテーブルに置かれた液体チョコレートに向けた。
そして吟味するような視線をカナトに投げかけた。
読み書きができるのか。
アレストは本気で相手が文字を書けると思って筆談を提案したわけではない。だが、まさかお気楽に見せかけてこうも慣れたように文字を書くところを見るとにわかに信じがたい。
人を油断させるほどの無頓着な性格なのにも関わらず、意外なところで人を驚かせる。怪しいと思わないほうがおかしかった。
カナトの不思議そうな視線にアレストは笑い返した。
「そんなに大きく書いたら紙が何枚あっても足りないな」
そう言われて数秒遅れて相手が何を言いたいのか理解したカナトは、慌ててひっくり返した紙の裏側に小さくごめんと書いて見せた。
近くまで来た満面期待顔の青年についついあきれたため息を吐き出したくなる。
「謝るほどではないが、さっきも言ったように何も思い出してない」
期待だった顔が瞬時にしおれていく。
「そっか……ケホッケホッ」
肩を落としてソファに戻ったカナトはちびちびとチョコレートを飲んだ。
どうやら好物と好みの味はただのまぐれだったらしい。
落胆を隠しきれない姿にアレストは少しイラつきを覚えた。
「そんなに記憶のなかにいる相手が好きなのか?」
「違う!記憶のなかじゃーーゲホッゲホッ!!ケホッ!!」
大声出しすぎたせいでカナトはのどを押さえながらその場で背中を丸めた。
の、のどが……っ。
激しい痛みにカナトは目尻に涙を浮かばせた。それをぬぐいながらアレストを見る。
「違う……ちゃんと存在するんだ…ケホッケホッ!俺を忘れているだけで……」
だが事実、調べてもカナトを知る人物は誰一人いない。
妄想癖のある人か、精神疾患を患っているか、もしくはそう見せかけ何かをつけ狙う何者かなのか。アレストはいろんな推測を立てた。
可能性として何かを付け狙う者のほうが確率が高い。第三者には知られないことも知っている。とはいえ、本人が情報を手に入れられるほどかしこいとも思えない。何しろ脱走をことごとくムソクに見つかっている。それはどうにも陽動作戦には見えず、謎が深まるばかりである。
それだけで複数人のグループと考えたほうがいいかもしれない。
複数人……それはアレストにとってかなり悪い予測である。複数人が自分とフェンデルたちの関係を知っている可能性があることは大きな脅威と受け取っていい。
長らく計画して来たものが一瞬で壊れる可能性がある。
一瞬で何かを失うことはアレストにとってもっとも耐えられないものだった。地位も情も、努力したすべてが第三者に奪われるのがどうしようもなく耐えられない。
なのでカナトを見る目もおのずと厳しくなる。
「カナト、きみがこうも約束を守ってくれないと僕も安心できないな」
「え?」
「犬みたいに繋がれたくなかったらおとなしくすることだ。いいな?」
カナトはビクッと震えて、そして視線を落としてうなずいた。
早く思い出してくれねぇかな。
アレストの冷たい対応にいつまで経っても慣れないカナトだった。
昔にしたことを目の前でやれば思い出してくれる。そう信じたカナトはアレストが部屋に戻るたび昔話に加えて頭なでを強要したり、ハグしたりキスしようとした。キスだけに関しては毎回未遂で終わる。すべてのキスがかわされたのだ。
それでもめげずに毎回しゃがれた声で必死に「思い出した?」と訊く。
だがアレストの記憶は一向に戻らず、頭痛だけが酷くなったように思う。
そのまま日にちが経ち、アレストはとある商談で相手方と世間話をしていた時だった。
「そういえばアレスト殿、最近ロンドール家の問題児と仲がよろしいとお聞きしたのですが、誠ですか?」
指を組んでいたアレストはぴくっと口もとを動かした。
「どこからそんなことを?彼とは貴族同士の付き合いで話したことはありますが、仲がいいと言うほどではありません」
「そうなのですねぇ」
「ここだけの話、彼とは少し合わないのですよ」
「ハハハ!あの問題児はどこに行っても酔っ払って人にからみますからねぇ!あ、これもここだけの話ですよ。さすがに問題児呼ばわりするのは本人のいないところだけですので」
本人がいないどころでほとんどの人はデオンを問題児と呼んでいた。いろんなパーティーに参加しては必ず酔っ払ってうざがらみをする。
アレストもわざわざそれをわかって言っている。
「ええ、もちろんです。ここだけの話です」
だがその眼底には冷たいものが這い上がった。
誰からもれた?
アレストの頭には真っ先にあの明るい青年の顔がよぎる。
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