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第四章
態度急変
しおりを挟むフェンデル宅、その一室でカナトの容態を見ていた医師はため息をついた。
「のどはもうこれ以上の回復見込みはありません。体に関しては傷処置がよかったため治りが幾分ましですね。あと不幸中の幸いと言いますか、不思議と言いますか、この傷で何一つ感染症を引き起こしてないのが何よりの幸運です」
「そうか」
医師は立ち上がるとアレストと壁際のフェンデルに一礼して出て行った。
「私も出て行ったほうがいいですか?」
「好きにしろ」
「それじゃあよく眠れてないので、私も失礼しますね」
カナトと2人きりになるとアレストはそっと手を伸ばした。
傷の大半が前半身と両腕に集中しているせいか、かろうじて仰向けで寝かせることができた。カナトの体の傷は異様なほどの早い治りで消えていく。
背中は血生臭い傷こそ消えたものの、ただれた皮膚を除去した跡、縦横無尽に振るわれた鞭の跡はいまだに残っている。
冷たい指先がカナトの前髪を少しかき上げた。黒い髪を指先でこするようになでるとカナトから小さなうめき声が上がる。
「………カナト」
その呼びかけに答える声はなかった。
カナトがやっと目を覚ました頃、すでにヴォルテローノの邸宅に帰っていた頃だった。
見知った部屋にカナトは身を起き上がらせると、お腹や胸の痛みにうっとうめいた。
カナトは痛みに耐えながら姿見の前に行くと包帯だらけの体が見え、さらに見るとところどころ血がにじんでいる。
ごくっとのどを鳴らすと、震える指先で包帯の結び目を探す。が、指先の痛みに無理だとわかった。
そういえばフェンデルに爪全部はがされたっけ。……あの変態が!!目の前で絵描きやがって!!
死にかけたところでフェンデルが自分をモデルに絵を描き始めた場面を思い出して、カナトの中でふつふつと怒りが湧いでくる。
ユシルのおかげでなければ今頃自分が死んでいたかもしれないと考えるとせめて十発は殴りたい。
我慢しきれずに目の前の姿見を握った拳で殴った。怪我した手で大して力が出ないかと思われたが、バリンッという音とともに姿見が破片となって床に散らばった。
「………」
や、やらかした!!
カナトがあわあわしていると異常事態だと察したムソクが急いで鍵を開けて中に入った。
「カナトさん!何が……」
言葉が消えていく。カナトが破片を隠そうと腕の中に抱いていた。
「何をやっているのですか!」
怒られたせいで驚き、破片が落ちてさらに細かく割れた。
姿見割りの件で仕事を途中で止めたアレストが姿を現した。
部屋に入った途端、布団がこんもりとしているのを見て、カナトがこれで隠れたつもりでいることに気づいた。
「カナト」
ビクッと布団が震える。
「姿見を割ったそうだな」
「………」
「怒っていない」
アレストは今までのカナトの言動を思い出し、もし自分がカナトのことを言葉通り好きでいるのならどんな表情をするのかを考えながら近づいた。
今まで愛だの恋だのと考えたことがない。そのためいまいちピンと来なかった。しかし、カナトの顔を思い出しながら考えてみると自然と顔に笑顔が浮かんだ。
カナトの語る記憶では、自分はどうやらキスをするほど好きらしい。想像もつかないことである。
「自分の姿を見るのがいやならもう鏡は部屋に置かない」
布団の中にこもっていたカナトが違うと起きあがろうとした。体の痛みに耐えながら布団を出ると思わず固まった。
アレストの表情がまるで、まるで昔に戻ったように優しいものだった。冷たい瞳も笑っているだけの口もともない。本物の笑顔である。
カナトの目に水が張り始めた。
「ぁ"………、?ぁあ"」
ん!!!??
カナトはアレストの名前を呼ぼうとした。しかし、声を出そうとするとつぶされたカエルみたいな声しか出ない。
声どうした!?
「大丈夫。声なら治るよ」
カナトはとりあえずうなずいた。そして周りを見ると近くのテーブルに紙とペンがあった。それを取って素早くペンを走らせていく。それを期待の込めた眼差しでアレストに見せる。
『思い出し?』
急ぎすぎてなのか、アレストは一文字欠けたと思われる文を眺め、そして笑った。
「思い出してないな」
その言葉を受けて期待に輝いていたカナトの顔が固まり、やがて笑みは消え、腕を下ろして項垂れた。
思い出してないのか……じゃあなんで急にこんなにも優しくなったんだよ。笑顔だって、なんで……。
落ち込んだカナトの頭をなでながらアレストは軽く抱き寄せた。
「………っ!?」
「今まですまなかった。確かに思い出してない。でもきみといると落ち着く。フェンデルに渡してから気づいてしまったんだ。きみがいないと夜も眠れなくなった。それに、なんだかきみの言ったその記憶が懐かしく感じる」
「ぁ"…お"……!」
カナトは、本当か!と訊こうとした。だがしゃべれないことを思い出して抱擁から抜け出すと紙とペンを持った。
シャシャシャと書くとアレストに見せる。
『本当か!』
「本当だよ」
シャシャシャ
『じゃあ何か思い出したことは?』
「んー、そうだなぁ。確かこう言ってたな。雪山で遭難した時、きみがユシルを抱きしめていただろ?少し嫉妬した気がするな。ほとんど覚えてないからどんな気持ちだったかなんて不確かだけど」
カナトが言ったことのある出来事をアレストがそれぽく脚色したものである。誰でも感じそうな感想だが、期待と興奮にあるカナトは確かにアレストは懐かしく感じてくれていると思った。
このままいけば思い出してくれる。先に希望が見え始めたことでカナトは心が踊り出しそうになった。だがその顔を眺めていたアレストは本人の見えないところで目を暗くした。
カナトはまだありもしない記憶の中に存在するアレストを愛している。
でもそれを現実にすればいい。アレストは計画はもちろん、欲しいと思ったものも手放す気がなかった。
計画が本格的に動き出すそれまで充分に時間がある。カナトをこちら側につけさせればいい。それだけのことだ。
しかし、それからというもののカナトは以前のようにアレストになつかなかった。
理由はまだ完全に自分を思い出していない。そして信用されていないことである。何より欲しい回答をまだ言っていないため、またいつ口を滑らせて拷問されるかわからないからだった。
しかし、好物のチョコレートとお菓子、ムソクが後ろについているが自由に歩き回れることでカナトは以前より快適に過ごしていた。唯一目障りなのがユシルの真似をする偽ユシルである。
カナトが死んでいないのを見て固まっていたが、すぐにイグナスとどこかに行ってしまった。
なんだあいつ。
庭で散歩していたカナトはばったり会った偽ユシルを見て眉をひそめた。
いまだに偽ユシルにはめられたことには気づいていない。
「カナトさん、外は寒いので中に入りましょう」
「ぉ"う!」
カナトは軽くムソクの背中をたたいて歩き出そうとした。だが「うっ」という声に慌てて振り向く。
ムソクは肩を押さえながら眉を苦しげに寄せていた。
「ぁ"、あ?」
俺そんなに力入れたか!?
「ご心配にはおよびません。カナトさんを守れず、部屋に勝手に人を入れた罰を受けただけですので」
「お"、い"……っ!」
それお前のせいじゃなくないか!ユシルの体を使って悪さをする偽ユシルのせいだろ!
しかし、このことで改めてアレストが闇堕ちしている事実に気づいた。
カナトはふとアグラウの体調が悪いとメイドたちが話していたことを思い出した。それを闇堕ちと一緒に考えた瞬間、その顔が青ざめていく。
ま、まさか、アグラウの毒殺が……始まってしまった?
部屋に戻っていた偽ユシルは枕を床に投げ捨てた。
ふざけるな!!なんで死んでないんだよ!!アレストは裏切り者を殺すのが設定だったでしょうが!
隣の部屋で休んでいるイグナスに気づかせないためなるべく大きな音は出せなかった。
偽ユシルはギリギリと歯を噛み締めて悔しく思った。
まだ完全に魔法が使える状態じゃないのに、無理やり使ってまで排除しようとしたのに、なぜカナトがまだ生きているのか偽ユシルには理解できなかった。
本体と中身が分かれたことで魔法の制限がかかり、さらに範囲も力も減少した。だからと言って中身を消してしまったら本体にどのような影響があるのかわからない。最悪なことに本物のユシルは今どこにいるのかもわからない。
でも本人はまだ魔法の力が自然と関係することは知らないはずである。
そう確信した偽ユシルは、カナトがすでにそのことを本物のユシルに教えたことを知らなかった。
部屋に帰ったカナトは腕を組んでいる。
そういえば、こっちに戻ってきた当初、ユシルに森にいたほうがいいと言っておきながら連れ出してしまったな。
俺ってバカだなぁ……傷を癒すために力を使わせてしまったけど大丈夫かなぁ。
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