98 / 241
第四章
偽ユシルの誘惑1
しおりを挟むここ近頃の偽ユシルはあまりイグナスの邸宅に帰らない。暇があれば行くのに、なぜか最近ヴォルテローノの邸宅に泊まり続けている。イグナスもそばを離れずに一緒となって泊まっていた。
カナトは幾度も偽ユシルに記憶のことで直談判しようとしたが、そのたびにイグナスに阻止されて今は近づくこともできない。
その偽ユシルが最近、やけにアレストに近づいていた。
何を企んでるんだあいつ。
一番はっきりと見える窓から庭にいる偽ユシルとイグナスを見下ろしていたカナトはぐぐっと眉を寄せた。
ちょうどそこへアレストが近づいていく。手に持ったお菓子らしきものを差し出しすと、それを受け取った偽ユシルが手を合わせてよろこび、バッとアレストに抱きついた。
「ぁあ"ーー!?うっゲホゲホ!!」
口を押さえて咳をしていたカナトはキッと目を吊り上げて部屋を駆け出した。その後ろをムソクが駆け足でついていく。
「何かありましたか?」
「う"ぁ、ギ、ゲンバ!!」
「え?」
ちっとも治らないのどから紡ぎ出された「浮気現場」は相変わらずつぶされたカエルのような声をしている。
少し言葉をしゃべれるようになったとはいえ、意思疎通するには少し難易度が高い。だが、一応理解したムソクはただため息を吐き出した。
最近ユシルの態度は確かにおかしい。やけに馴れ馴れしくアレストに触れたりお茶に誘ったりする。パーティー参加でも仲の良さを誇張するようにべったりとくっついている。おかしなことにイグナスはまったく阻止する素振りがない。だからムソクも気になっていた。
カナトは廊下を疾走して庭に出ると向かい合って話しているユシルとアレストのあいだに腕を広げて割って入った。
無言のにらみでユシルをあとずさりさせ、次にアレストをにらみ上げた。だが、目が合った瞬間カナトの怒りがシュウと消えていく。代わりに込み上げたのは恐怖だった。
冷たい目におのずと体が縮み上がる。
「ぁ………」
「カナト、あまり激しい運動をしないようにと言ったはずだ」
「ご、ごめェ"ん……」
冷たい目から一変、アレストは意図したように目尻を下げてカナトの頭をなでた。まるで体が記憶しているような滑らかな動きである。
「責めているんじゃない。きみの体が心配なだけだ」
アレストはカナトの背中とひざ裏に手を差し入れると抱き上げた。
「………っ!」
「このまま部屋に連れ帰るよ。またあとで、ユシル」
「わかった。本当にお菓子ありがと」
「気にするな。ちょうど知り合いが手に入れたんだ」
肩越しから偽ユシルを見たカナトはにらまれていることに気づいた。負けじとにらみ返すと忌々しそうな顔をされ、イグナスに何かを耳打ちすると一瞥されて、そのまま視界から消えていった。
イグナスのバカ野郎!!まさか本当に寝ぼけているんじゃないだろうな!本気であんなのをユシルと間違えてんのかよ!なんだよ去り際のあの目!
アレストは腕の中の人が怒っているのを感じながらほんのり目を細めた。
部屋に到着するとカナトはベッドに座らされ、服を脱ぐよう言われた。モジモジとしてためらっていたらほぼ強引に衣類を剥ぎ取られていく。
「………うん。傷口は裂けたりしていないな」
以前カナトがはっちゃけすぎてせっかく治りかけた傷が開いてしまったため、運動自体を控えさせられた。
包帯を解いて体の状態を見ていたアレストが顔を上げる。
「どこも痛くはないか?」
両脇にそえられた手の冷たさにカナトは顔をそらしながらこくっとうなずいた。恥ずかしさに耳の先っちょが少し赤くなる
「今日は怖がらせてしまったか?」
「………?」
カナトはすぐにさっき庭で見つめられていた時のことを言っているのだと気づいた。
「ぁ"、ぃ……ぶ」
大丈夫だと言おうとするがうまく言えない。
「僕の前だと余計に発音がうまくできないな」
そう言ってアレストはどこか悲しげに眉を寄せる。それに対してカナトが焦り出した。
確かに以前みたいにまとわりついたり近くに行こうとしないが、それは相手にまたいつ拷問送りにされるかわからないからだ。
しゃべれないから余計なことも口走らないものの、いつどんな形でまた怒らせてしまうのかわからない。流石にこれ以上拷問は受けたくなかったのである。いくら真実を話しても信じてもらえないじゃ、拷問はカナトにとって先の見えない暴力でしかない。
「ち、が……ぁ!」
「大丈夫。わかっている。今まで酷いことをした」
アレストは優しい声音で言うとカナトの両手を乗せるように持ち上げた。
「だからこれからは償わせてほしい。新しい機会を与えてくれないだろうか」
そんなこと言われなくてもカナトはアレストのことが大好きだった。男でアレストに限って言えば恋愛対象としても見れる。
行為におよぶのにそなえて心の準備もしている。だが、それはすべて今まで過ごした記憶がある前提のアレストである。間違っても自分のことを信用せずあまつさえ2回も拷問にかけた人間ではない。
しかしそれをどう伝えるべきかわからない。伝えていいのかもわからない。
そこでカナトは大きな問題に気づいた。
俺、アレストのこと恋愛対象として見れるって気づいたけど、今まで一度でも好きって言ったことあるか?
ない気がする。むしろ言われたことしかない。
沈黙したカナトを見てアレストが立ち上がった。
「ぁ、え"……?」
「今日は怖がらせてしまってすまない。今夜は別の部屋で寝ることにするから」
カナトが慌ててその袖をつかんだ。
「ま、まって"!」
カナトは自分とアレストを交互に指さして言う。
「ねたい"」
一緒に寝たいという意味だが、アレストはなぜか固まった。袖をつかんでくるカナトの手を解き、うれしそうに笑みをこぼしてそっと傷だらけの体を抱き寄せる。
「ありがとう、カナト」
カナトの見えないところでその笑顔が幾分冷めたものに変わる。
心が開くのを阻害しているのは恐怖心だけじゃない。もっと他の何かだな。
アレストはカナトの反応を随一確認していた。恐怖心はあるが、それは拷問で刻まれたトラウマであり、すべて本能で反応しているように感じる。むしろ本人から恨みと言った感情は感じ取れない。
その他の何かは考えなくても存在しない記憶だと推測できる。
10
あなたにおすすめの小説
番に見つからない街で、子供を育てている
はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。
異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。
現世の記憶は失われているが、
この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。
街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、
ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。
だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。
再会は望まない。
今はただ、この子との生活を守りたい。
これは、番から逃げたオメガが、
選び直すまでの物語。
*本編完結しました
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
拝啓、目が覚めたらBLゲームの主人公だった件
碧月 晶
BL
さっきまでコンビニに向かっていたはずだったのに、何故か目が覚めたら病院にいた『俺』。
状況が分からず戸惑う『俺』は窓に映った自分の顔を見て驚いた。
「これ…俺、なのか?」
何故ならそこには、恐ろしく整った顔立ちの男が映っていたのだから。
《これは、現代魔法社会系BLゲームの主人公『石留 椿【いしどめ つばき】(16)』に転生しちゃった元平凡男子(享年18)が攻略対象たちと出会い、様々なイベントを経て『運命の相手』を見つけるまでの物語である──。》
────────────
~お知らせ~
※第3話を少し修正しました。
※第5話を少し修正しました。
※第6話を少し修正しました。
※第11話を少し修正しました。
※第19話を少し修正しました。
※第22話を少し修正しました。
※第24話を少し修正しました。
※第25話を少し修正しました。
※第26話を少し修正しました。
※第31話を少し修正しました。
※第32話を少し修正しました。
※第33話を少し修正しました。
────────────
※感想(一言だけでも構いません!)、いいね、お気に入り、近況ボードへのコメント、大歓迎です!!
※表紙絵は作者が生成AIで試しに作ってみたものです。
転生したようだけど?流れに身を任せていたら悪役令息?として断罪されていた――分からないまま生きる。
星乃シキ
BL
発作の後に目覚めたら、公爵家嫡男の身体だった。
前世の記憶だけを抱えたまま生きるレイは、ある夜、男の聖女への嫌がらせの罪で断罪される。
だが図書室の記録が冤罪を覆す。
そしてレイは知る。
聖女ディーンの本当の名はアキラ。
同じ日本から来た存在だった。
帰りたい聖女と、この身体で生きるレイ。
秘密を共有した二人は、友達になる。
人との関わりを避けてきたレイの人間関係が、少しずつ動き始める。
六年目の恋、もう一度手をつなぐ
高穂もか
BL
幼なじみで恋人のつむぎと渉は互いにオメガ・アルファの親公認のカップルだ。
順調な交際も六年目――最近の渉はデートもしないし、手もつながなくなった。
「もう、おればっかりが好きなんやろか?」
馴ればっかりの関係に、寂しさを覚えるつむぎ。
そのうえ、渉は二人の通う高校にやってきた美貌の転校生・沙也にかまってばかりで。他のオメガには、優しく甘く接する恋人にもやもやしてしまう。
嫉妬をしても、「友達なんやから面倒なこというなって」と笑われ、遂にはお泊りまでしたと聞き……
「そっちがその気なら、もういい!」
堪忍袋の緒が切れたつむぎは、別れを切り出す。すると、渉は意外な反応を……?
倦怠期を乗り越えて、もう一度恋をする。幼なじみオメガバースBLです♡
番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か
雪兎
BL
第二性が存在する世界。
Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。
しかし入学初日、彼の前に現れたのは――
幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。
成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。
だが湊だけが知っている。
彼が異常なほど執着深いことを。
「大丈夫、全部管理してあげる」
「君が困らないようにしてるだけだよ」
座席、時間割、交友関係、体調管理。
いつの間にか整えられていく環境。
逃げ場のない距離。
番を拒みたいΩと、手放す気のないα。
これは保護か、それとも束縛か。
閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。
運命の番は僕に振り向かない
ゆうに
BL
大好きだったアルファの恋人が旅先で運命の番と出会ってしまい、泣く泣く別れた経験があるオメガの千遥。
それ以来、ずっと自分の前にも運命の番があらわれることを切に願っていた。
オメガひとりの生活は苦しく、千遥は仕方なく身体を売って稼ぐことを決心する。
ネットで知り合った相手と待ち合わせ、雑踏の中を歩いている時、千遥は自分の運命の番を見つけた。
ところが視線が確かに合ったのに運命の番は千遥を避けるように去っていく。彼の隣には美しいオメガがいた。
ベータのような平凡な見た目のオメガが主人公です。
ふんわり現代、ふんわりオメガバース、設定がふんわりしてます。
すべてを奪われた英雄は、
さいはて旅行社
BL
アスア王国の英雄ザット・ノーレンは仲間たちにすべてを奪われた。
隣国の神聖国グルシアの魔物大量発生でダンジョンに潜りラスボスの魔物も討伐できたが、そこで仲間に裏切られ黒い短剣で刺されてしまう。
それでも生き延びてダンジョンから生還したザット・ノーレンは神聖国グルシアで、王子と呼ばれる少年とその世話役のヴィンセントに出会う。
すべてを奪われた英雄が、自分や仲間だった者、これから出会う人々に向き合っていく物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる