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学びの庭にて
36.
しおりを挟む[XXX年X月X日。
「どげざ」とやらの効果は絶大だった。無事ノアと仲直りができた。殿下に怒られたら使うべきかもしれない。]
サファイア教授から受け取った日記帳の1頁目をそう締めくくり、日記帳を閉じる。万年筆を置き、南京錠の形をした魔具に魔力を込めると、カチリと心地よい音を立てて日記帳が施錠される。
日記帳を自室の本棚にしまって居間に戻ると、ほんのりと紅茶の香りが部屋中に広がっていた。居間に隣接された台所から漂ってくるその香りに、思わず吸い寄せられるように近づけば、そこにはまだ少しばかり不機嫌そうな様子のノアが立っていた。
私服に着替えて紺色の前掛けを付けた彼は、俺がこっそりと覗き込んでいるのはに気付いていないようで、何やら真剣な様子で料理をしている。俺はこの分野に関して全くと言っていいほど知識がないので、彼が何をしているのかはさっぱりだ。
しかし、仲直り任務が漸く完遂できた昼下がりに「そういや俺、明日生徒会の人達とお茶会するんだよね」と言ったすぐ後からこうして作業し始めたので(拳骨は落とされた)、恐らく俺の為に何かを作ってくれているのだと思う。――自惚れでなければ。
少し前に、ノアの料理を手伝おうとして逆に大迷惑をおかけしたことが軽いトラウマになっている俺は、気配を消して彼の淀みない手捌きを眺めるに留める。
銀色の器に卵や白い謎の粉、なんか他にも色々と材料を突っ込んで、とんでもない速度で謎の器具を使って混ぜるノア。多分、苛立ち全てを込めてまぜているのだろう。ガシャガシャと鳴り始める騒々しい音に耐えられなくなった俺は、早々に自室へと引き下がるのだった。
目の前に聳え立つ豪奢な建物。それは、いかにも貴族の屋敷と言った様相である。
紫階級と赤階級の校舎を見上げながら、俺は深い溜息を吐いた。紫階級と赤階級は、生徒会役員と風紀委員幹部で固められているため、人数が他階級に比べて著しく少ない。結果として彼らは1組として纏められ、そこそこの有力公爵家の別宅並みに広くて豪奢な校舎に統合されたらしい。ーー翡翠階級の校舎とは雲泥の差がある。
校舎の周囲から中を覗き込むように張り付いている大量の生徒達を尻目に、俺は生徒会長から受け取った招待状を警備に渡す。紫と赤の警備はやはり優秀な人間が就いているらしい。既に情報共有が為されていたのだろう、特に悶着することもなく鉄門を開き、中へと通してくれた。――親衛隊の視線がエグイのなんのって。
「ようこそいらっしゃいました」
「このような場にご招待頂き恐悦至極にございます。1つお菓子をお持ちいたしましたので、どうぞ皆様でお召し上がり下さいませ」
「ありがとうございます。どうぞ此方へ。茶会の席へご案内いたします」
校舎の中へ入った俺を待ち受けていた少年に連れられるまま、屋敷の中を移動する。まだ幼さの残る可愛らしい顔立ちをした少年は、俺が今朝のノアに渡されたお茶菓子をにこりと上品に微笑んで受け取り、洗練された足取りで前を進む。
『生徒会主催のお茶会に招待された者は、手ずから茶菓子を1つ用意すること』
――という、この学園の一般生徒に伝わる慣習法の様なものがあるのだと、今朝俺に茶菓子が入った箱を渡したノアは疲れ気味に言っていた。茶会に特例で招待される生徒なんてほとんどいないらしいのだが、何十年か前に初めて招待された生徒が平民だったらしく、高い土産を買えなかった彼が手作りの茶菓子を用意して気に入られたことから始まった慣習なんだとか。貴族としてはなんとも傍迷惑な歴史である。お忘れかもしれないが、俺はれっきとした公爵家次男である。料理なんて出来るわけがない。
ノアが昨日用意してくれていた茶菓子の説明を脳内で反芻しながら進むと、暫くして何人かの人の気配がした。想像よりもかなり人数が多い。
「初めまして。翡翠階級、2学年2組所属、レーネ・フォーサイスでございます。本日はこのような崇高な場へご招待頂き、誠に恐縮でございます。僭越ながら、少しばかりの茶菓子をご用意させて頂きましたので、もしよろしければ皆様でお召し上がりくださいませ」
談話室の様な部屋に通された俺は、中にいた生徒たちの視線を一心に浴びながらも、簡略的な挨拶を済ませて貴族式の礼をとる。数秒待って頭を上げると、猫足の豪奢な椅子に座っていた生徒会長が無表情で対面の空いた椅子を指さした。案内をしてくれた少年は給仕係らしき人に俺の茶菓子を渡して生徒会長の背後へと移動し、にこやかに俺へと一礼してスン――と一切の表情を消した。
「座れ。無駄な口上や敬語は必要ない。人称も変える必要はない。素のお前でいることがこの茶会の規則だ」
「……かしこまりました。失礼いたします」
なんか妙に既視感があると思ってはいたが、ようやくわかった。――この生徒会長、王様に物凄く似ているのだ。容姿とかではなく、存在感だとか、発言だとか。結局のところ苦手な部類であることを再確認しつつ、示された座席へと着席する。椅子とセットで造られている猫足の円卓を囲むように座る生徒会役員と、それぞれの後ろに立つ1人の生徒。そのすべての視線が俺に向けられている。居心地が悪いことこの上なかった。
給仕係によって、俺が持ってきたノア特製の茶菓子が早速切り分けられ、皆の前へと出される。一緒に用意されたらしい紅茶が目の前に置かれ、ふわりとすっきりした香りが鼻を抜けた。
暫しの沈黙が続いたのち、生徒会長の横に座っていた一人の美男子がぱん、と手を叩いてにこやかに微笑んだ。
「では、まずは私たちも自己紹介から済ませてしまいましょうか。僭越ながら私から。私はノエル・シトリン。3学年で生徒会副会長を務めております。弟がいつもお世話になっております」
まるで天界に暮らす天使と言われても頷けるほどの美男子が、長く美しい睫毛を瞬かせて微笑む。ノアからも、「兄によろしく」と言われてはいたが、まさか副会長とは思うまい。曖昧に笑って会釈する俺に、副会長は微笑みを深くした。
次に、副会長の横に座っていた――なんともこうだらしないというか、この場に相応しくない恰好をした、甘い顔の青年がニコニコと読めない笑みを浮かべて立ち上がる。
「は~い、次オレの番だね~。オレはドライ・ツヴァイ。2学年会計だよぉ。お前のことは父上達が喋ってたのを聞いててさぁ~気になってたんだぁ、よろしくねぇ」
俺は思わず目を瞬かせて彼に注目してしまう。
あのガタイの良い騎士団長の息子が、これ程華奢だとは思わなかった。確かに騎士団長に似て上背はあるが、着崩した制服からは、浮いた鎖骨が見えているし、かなり瘦せ型で筋肉の付きにくい体質なのだろう。とはいえ、魔力量は生徒会長の次に多いようで、完全なる魔法士タイプであることは分かった。
軽薄な雰囲気の会計が、俺と彼との間に座っているルキナ殿下をツンツンと突いて挨拶を催促する。ルキナ殿下にこのような不敬な真似が赦されるのが、この学園なのだ。卒業したときの気まずさ凄いだろうな。
「はい。俺はルキナ・ヘイデル。2学年で生徒会書記です。お久しぶりですね、フォーサイス殿」
「――お久しぶりでございます」
寒気がするほど爽やかな笑顔を向けてくるルキナ殿下に冷たく返答する。馬鹿王子を護るという王子との口約束を完全に放棄しているらしい(アリア談)彼に、愛想を良くするという概念は持ち合わせていない。直ぐに目を逸らして前を向く俺に、彼は小さく苦笑すると、すぐに澄ました顔に戻って彼の対面に座る生徒へと目配せした。
目配せを受けた、俺のルキナ殿下とは反対側の隣に座る少年と、その更に隣、あるいは会長の横に腰を下ろしている全く同じ顔をした少年達は、にっこりと愛らしい笑みを浮かべると(何故か寒気がした)、声を揃えて一緒に喋り始めた。
「「僕達は1学年で生徒会庶務になったんだよ。凄いでしょ?」」
「それは素晴らしいですね」
「「うんうんそうだよね」」
「僕がアルン・ロッド」
「僕がトルン・ロッド」
「「これからどこで出会っても名前、間違えないでね。5回までは許してあげる」」
ロッド、ということは恐らく、俺が王城で深くかかわった人物の中での唯一の良心、マーヴィン・ロッド殿のご子息ということだろう。彼らには非常に申し訳ないのだが、正直容姿も魔力の質も全く一緒なので、一切区別がつかない。とはいえ5回以上間違えたら何が起こるかわからないので、俺はこの先この双子庶務の前にできる限り姿を見せないことを決心した。
そもそも見分けようと思う程、彼らに興味がない。見分けられたいなら格好変えろ。
長い双子の庶務の挨拶が終わって、俺は忘れないように数回彼らの名前を心の中で反芻する。
少なくとも今の時点では、彼ら生徒会役員やその背後に立つーー恐らくは親衛隊隊長格の生徒達からの敵意や悪意は見受けられない。ラルム先輩のように上手に隠しているわけでもなさそうだし、集団リンチに遭うことはないだろう。
生徒会長以外の全ての役員の自己紹介が終わったことで、視線が彼へと集中する。王様によく似た彼は、一切表情筋を動かすことなく首を微かに傾げると、「…ああ、」と気だるげに呟いて小さく息を吐いた。
「……生徒会長、テオドーレ・ダイヤモンドだ。新たな出会いを祝して、乾杯」
冷涼な声に続くように、俺を含む円卓に座する全員がカップを掲げ、一口啜った。
茶会が始まる。
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ノエル・シトリン(18)
フォスフォフィライト王立魔法学園生徒会副会長。3学年1組。ノアの兄で、シトリン家の次男。筋骨隆々なノアとは全然似ておらず、美麗で御伽の王子のような容姿をしているが、脱げばムキムキである。ノアとはとっても仲良し。見た目で恐がられるノアに友達が出来て嬉しい。親衛隊がよくストーカー化するのでノアに注意されがち。
ドライ・ツヴァイ(17)
フォスフォフィライト王立魔法学園生徒会会計。2学年1組。ツヴァイ騎士団長の一人息子だが、『出来損ない』として、塵同然の扱いを受けている。制服を着崩していて軽薄な印象を与えるが、努力の人。誰にも言えない秘密があって、レーネの能力に期待している。物凄く華奢で、筋肉がほとんどない。親衛隊持ちの中で隊員の人数が最も多い。
アルン・ロッド&トルン・ロッド(16)
フォスフォフィライト王立魔法学園生徒会庶務。1学年1組。宰相であるマーヴィン・ロッドの双子の息子。父と母の愛を一心に受けて育てられた為、我儘。自分たちは2人で1人だと思っていて、違うところがあることが許せない。かと言って、大好きな両親に貰った名前を間違えられるのはもっと許せない。なにせ、彼らはとっても我儘なのだ。
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