人違いです。

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学びの庭にて

60.

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「『貫け』」


 俺の声が響くと共に、荒野を吹き荒れる風が無数の巨大な槍へと姿を変え、アリア達の元へ容赦なく降り注ぐ。しかし、彼等もフィオーレ王国有数の騎士。すぐさま難なくあらゆる方向へと飛びずさって回避した。
 ドガガガガッと重い音を立てて地面を破壊していく音と共に、白煙が広がる。

 ーーその中から飛び出してきた2つの小さな影が、左右から一瞬の内に俺の目の前まで肉薄し、それぞれ大剣とハルバードを振りかぶった。


「「殺す」」
「奇襲したいなら声は出すなよ」

 
 ヴンッッと刃が鋭く風を切る音が耳元でする気配を感じた瞬間に、俺はその場にしゃがみ込む。すると間一髪、頭上を剣が通っていく。久々の本気の戦闘に完全に興奮しきっているらしく、真紅の瞳を爛々と輝かせて此方を見下ろすシャルとシャロンの身体を風圧で吹っ飛ばし、俺も一度距離を取る。
 小さな身体は魔法の力でいとも容易く吹き飛ばされたが、彼らはクルリと空中で軽やかに回転して速度を落とし、綺麗に地面に着地した。流石の身のこなしである。

 ーーガキンッッ

 俺は感心する暇もなく接近してきていたエーレの剣を剣で受け止めた。しかし、筋力ゴリラ相手に長時間の鍔迫り合いは不利になる。俺はすぐに剣先をずらして力をいなし、足に魔法を付与して腹部を思いっきり蹴りつけた。
 そして、遠距離から、よろめいたエーレの頭越しに放たれた火魔法が付与された矢を剣で叩き折る。

 第1弾の猛攻が瞬く間に終わりを告げ、束の間の静寂が荒野を包む。
 すると、今回は傍観に徹していたアリアが耐えきれないとばかりに噴き出した。特に笑われることをした意識もなかったので、俺は思わず眉を顰める。
 なに、と不機嫌に問いかけた俺を見つめ、彼女は口元を手で上品に隠してもう一度笑った。


「ふ、ふふ、隊長、随分お優しくなりましたね」
「は?」
「だって、今までなら、少なくともエーレは殺していたでしょうに。ねぇエーレ」
「チィッッ……そうですね」


 図星なのか、エーレは四角い眼鏡の縁をクイッと上げ、思いっきり舌打ちをする。父親に似て堅物で真面目なのに、どうしてこうも柄が悪いのか。
 
 しかし、確かにそうだ。何故俺はエーレの腹を蹴るだけに留めたのだろう。
 今までならば、彼の腹部に風の剣を突き立てて内臓を抉るくらいのことはしただろうに。その考えが微塵も思い浮かばなかった自分に思わず首を傾げる。
 
【縺吶※縺阪↑縺薙→】【縺吶※縺阪↑縺薙→】

 風の優しい音が響く。風がそう言うのなら、それは悪いことではないのだろう。……しかし、ニヤニヤとこちらを見つめるアリア達がどうにもムカつく。


「素敵な変化ですわ。殺しを躊躇わない隊長も素敵でしたが、今の方が年相応でお可愛らしい」
「馬鹿にしてないか?」
「とんでもない。仲間を殺すことになんて、慣れる必要はありませんもの」


 そう言って、「良かった」とそれはそれは幸せそうにその美麗な顔を緩めたアリアに、他の隊員達も楽しそうに頷いた。……なんだそれ。


「……お前らが良いなら、良いけど」


 俺はなんとも照れくさいような気分になって、彼等から目を逸らしながらも、ボソリと不貞腐れたように呟いた。









「ンフフ、愛ってやつね。好きよ、そういうの」


 幻影結晶を四方から囲む様に設置された液晶画面に映る映像を見つめ、ツヴァイ騎士団長が愉しそうに微笑む。その様子を無言で一瞥したサイラス・ヘイデルは、何も言うことなく視線を戻した。

 画面には、再び楽しそうに戦い始めたレーネとその部下達の姿が映し出されている。
 部下達はレーネの明らかな変化に先程までの憤怒が消失したのか、お互いにも自由に武器を向け始め、すっかり規則もクソもない大乱闘が始まってしまっている。

 観客も、手加減の欠片も見られない猛攻と飛び交う血に遊び感覚で興奮しているようだ。歓声とヤジがあちこちから飛び交っている。つまり、第1王子が用意した『謝礼』は大いに盛り上がりを見せていた。


『ッッらぁっ!!【穿て】!!!』
「あらまぁ。凄い威力ね相変わらず」


 レーネの聞き心地の良い叫び声が闘技場に響くとともに、小兎の如き愛らしい双子の横腹を、巨大な風の刃が貫通した。内臓すらも抉っていったのか、その小さな口からゴプリと血液を零し、双子ががくりと体勢を崩す。
 恐らく、この双子は第3部隊の戦力の要なのだろう。女性騎士が嫌そうに『貴方たちはもう少し考えて行動しなさい!!』と叱っている。

 それに『副隊長うるさい』と返した双子の男の方が、体勢を崩しながらも大剣を振るう。しかしそれをレーネが更に傷口を蹴り上げて防ぎ(観覧席から悲鳴が上がった)、女の方の顔を思いっきりぶん殴って吹っ飛ばした。

 サイラスは、これならいっそ殺してやったほうが楽なのではないかと思いながらも、微かに笑う。レーネが楽しいなら、それでいい。


「ゴーダン。これはどういうことかな」
「……理解しかねます」
「君の教育が足りなかったということではないのかな?」
「……申し訳ございません」


 その視線の先には、余程レーネの変化に驚いたのだろう、胡散臭い笑顔はすっかりと成りを潜めて無表情で液晶を見つめている第1王子が座っている。
 彼にゴーダンと呼ばれた騎士が人形のような顔で謝罪するのに少しだけ気を良くしたのか、「教育し直しかぁ。面倒だねぇ」なんて胸糞悪いことを呟いている。
 
 馬鹿馬鹿しい。魔法で洗脳するならともかく、暴力だけで人を従わせるならば、もう少し上手くやらねば。サイラスが客観的に見ても、レーネは第1王子に恐怖以外の何も持っていない様子だった。
 もっと、底なしの不幸に叩き落とした上で、甘い甘い蜜を与えなければ、彼程高潔な人間は堕とせない。隣のマーヴィンが苛立ち紛れに貧乏揺すりを始めるのを一瞥しながら、サイラスは悪辣に嗤った。といえど、まだまだ若輩者らしい。

 その点に関しては、どうやらの方が長けている様だぞ。第1王子殿。
 幻影結晶から部下全員を追い出して、ボロボロになりながらも顔を垂れる汗と血を拭い、ニッコリと微笑むレーネを見つめ、サイラスも柔らかく目を細めた。










 結局、イリアス殿下を見送る前に鎮痛剤の効果が切れて闘技場のど真ん中でぶっ倒れたらしい俺は、即座に救護室へと搬送されることとなった。ーーつまり、殿下のお見送りをする事なく解散となった。

 お見舞いと面談を兼ねて救護室に来てくれたサファイア教授によると、イリアス殿下は俺を帰国させては貰えないかと皆の前で宣ったらしい。
 しかし、ロバル様が泣き喚いて「レーネはまだボクのですよぉ!!酷いです兄様!!」と文字通り地べたを這いずって喚き散らしたおかげで、それは無かったことになったという。イリアス殿下は塵芥を見るような目でロバル様を一瞥した後、そそくさと馬車に乗って帰って行ったという。……正直、会えなくて良かった。


「流石の立ち回りだったぞ」
「有難いけど地べたは這いずらないで殿下……」

 
 その無様な姿を想像し、頭を抱える俺を見つめ、サファイア教授は歪んだ瓶底眼鏡の位置を直す。そして、透き通った空色の瞳を細め、口角を上げた。
 その手には、俺が毎日欠かさず綴っている日記帳が握られている。今日の分も、起き抜けに先程記入した。

 日記帳を楽しそうに読みながら、サファイア教授は確かめるように俺に問いかける。


「今日は何が楽しかった?」
「今日は、部下達と久々に戦えて、楽しかったです。でも、無意識に殺すのを避けていて……でも、風が、それは素敵なことだと言ってくれました」
「その結果息絶えるまで永久に戦うことになってたけどなぁ」


 苦笑して俺の頭を撫でる教授は「俺も、良いことだと思うぞ」と呟いた。そして、日記帳を見つめたまま、晴れた日の朝のような穏やかな口調で言葉を紡いでいく。


「殺すことに苦しみを感じなくなるのは、良くないことだ。命を簡単に散らすことに慣れる必要はない」
「でも、騎士ならたくさん殺せたほうが……」
「騎士は本来人を殺すものじゃない。人を護るものだ。そうだろ。フォーサイスは多くの人を護りたかったんだろ?」
「はい。俺は、フィオーレ王国を護る騎士です」


 サファイア教授は、どこまでも優しい表情で俺の日記帳を撫でる。俺の、ヘイデル王国での毎日が詰まったそれを、愛おしげに。


「いいか。きっと、お前はこれから沢山の苦しみを味わう。それから逃げるつもりはないんだな?」
「はい」
「ならば、学園での毎日を忘れるな。心が耐え切れなくなったら、楽しかった出来事を思い出せ。何があっても、どれだけ辛くても心を壊すな。耐え抜け」
「……壊れないで、正気でいるのって、結構辛いんですよ……」


 思わず苦笑する。正気を保ったまま国民を殺すのは、どれほどのーー。随分と酷なことを仰る。
 俯きかけた俺の傍に日記帳を置き、教授は身を屈めて俺の目を覗き込む。美しい空が、俺を包み込んだ。


「絶対に助ける。お前が心を保ってさえいてくれれば、俺達はお前を助け出す。わかるかフォーサイス。俺の声は届いてるか」
「……そんな、助けて欲しいなんて、」
「辛い時は逃げろ。真正面から全ての罪を背負う必要はない。意識を手放してもいい。傀儡になってもいい。それでも、心は護れ。恥も外聞も捨てて」


 従順な傀儡になったをするんだ。
 そう内緒話をするように囁いた教授に、俺は思わず目を見開く。フリ、なんて。そんなものは、忠誠を違えるのと同じではないだろうか。

 震える声でそう囁き返した俺に、教授は目を合わせたまま首を振った。そして、俺の両手を柔らかく握る。


「俺は、理事長の配下にいる一教師だが、会議が面倒な日は平気で体調不良を偽って休む」
「……だから怒られるんですよ」


 胡乱げに教授を見下ろすと、彼は「うるせぇわ」と口をモゴモゴさせ、再度気を取り直したように喋り始めた。


「それに、俺は自分が全然悪いと思ってなくても、取り敢えず『どげざ』して奴の怒りを収めたこともある」
「……」


 俺の目がどんどん屑を見るような目になっていくのが伝わったのか、教授は慌てたように握った俺の手を揺すり、心なしか気不味そうに笑う。年齢よりも幼さを感じるその仕草に思わずクスリと笑えば、彼も安心したかのように柔和に笑い返してくれた。
 そして、教授は再度真面目な顔に戻して言葉を続ける。


「いいか。うまくやり過ごせ。心を大切にする為なら、どんな嘘でも吐け。表面だけでも従うそぶりを見せて、見えない所でフィオーレ王国の全てを護る騎士でいるんだ」
「……やりすごす」


 そうだ、と頷くサファイア教授を見つめ、もう一度繰り返すように拙く呟く。
 

「お前ほど優秀な奴なら出来るはずだ。フォーサイスなら出来る」
「俺なら、」
「そうだ。いつか必ず、フィオーレ王国が歴史と栄光ある強国に戻る日が来る。その日まで死ぬんじゃないぞ。生きろ。なんとしてでも生きろ」


 どれ程無様でも、辛くても、情けなくても、それでも生きていろ。そうすれば、俺はお前をなんとしてでも助けに行く。助けなんていらなくても、助けに行く。

 そう、俺の胸に刻みつけるように何度も繰り返す教授の目は、ただただ真摯で。
 正しく全てを包み込んで輝く空のような人だなぁ、と思う。ーー理事長が惹かれる訳だ。

 そして、そんな彼の言葉の数々を、と思える様になっている自分がいる。


「ああもう、やめてくださいよ……生きたくなる……」
「ぶはは、ざまーみろ。教授が生徒を見殺しにするとでも思ったか」
「………そんなんだから教授辞められないんですよ」


 残りの日を、大切に過ごそう。この人の善意と誠意を無駄にしないように。







「ちょっと、何良い感じの雰囲気になってるのかな?混ぜてよ」
「さよなら」


 ガチャリと扉が開く。
 そして、柔らかい口調とは反対に、ゾッと寒気がする程悍ましい低声が聞こえた瞬間。俺は窓から教授を置いて退室した。背後から、情けない悲鳴と俺への恨み節が聞こえてくる。

 ごめんなさい。教授は俺を見捨てないかもしれないけど、俺は教授を見捨てます。

 優しく俺を包み込むヘイデルの風に乗り、俺は1度だけくるりと窓を振り返った。


「ーーありがとうございます。教授」


 明日の講義は自習ですね。



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