人違いです。

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底なし沼にて

71.

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「…………」


 いつの間にか、気を失っていたらしい。両腕を拘束していた『魔力封じの鎖』は外され、俺はだらしなく冷たい石畳の床に倒れ込んでいた。
 朦朧とした意識のまま、視線だけで周囲を見渡す。俺への拷問に使用された血だらけの張り型や鞭、短剣は、適当にそのままの状態で地面に放り出されていた。俺が帰った後、イリアス殿下専属の侍女か誰かが清掃するのだろう。


「ーーーッッッ"」


 むくり、と鉛のように重たい身体を無理矢理起こす。途端、全身を襲う激痛ーーを裕に超えた、衝撃のようなもの。思わず声にならない悲鳴を上げてべシャリともう1度地面に崩れ落ちてしまった。
 俺の全身には、これでもかという程鞭で抉られた痕、短剣で斬り付けられた痕が、無惨に残っている。身体を起こせば、裂けた肛門から垂れた血液や、自らの射精の残症がどろりと太腿を伝い落ちた。思わず、眉を顰める。


「……きったな」


 快楽に染まる自分の顔を見れるように、と言って置かれた全身鏡を見つめ、吐き捨てる。拷問の最中、暴力的な快楽に染まる自分の顔は、それはそれは惨めな様相で。快楽に啼き叫びながら、思わず嘲笑してしまったことを覚えている。
 そして今も。どろりと足を伝っていく白濁は、己の惨めさを増長させるだけのーーやめよう。心が死ぬ。

 机の上には、第1部隊隊長が持って来て下さった新しい騎士服と、錆びた救急箱がポツンと置かれている。
 俺は共に置かれていた水桶と古びた布で身体を慣れた手付きで拭いていき、救急箱の中のなけなしの消毒剤や湿布、包帯をもれなく全て使い、全身の手当てをしていく。

 そしてぼんやりと、布を絞る度に赤に染まっていく水桶の水面を見つめる。


「……なんで、ーー」


 俺、何か悪い事、したっけ。

 きっと、したんだろうな。だって、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度もーーーーー何度もお前が悪いのだ、と言われたから。脳髄まで染み込んでいく様なそれに、頭がおかしくなってしまいそうだった。


 いそいそと騎士服を身につけ、外套を着込んで部屋を出る。すると、優雅に茶菓子と紅茶を嗜み、美しい己の金糸を撫でるイリアス殿下と目が合った。
 静かにお傍に寄って跪き、「制服と救急箱をご用意してくださり、感謝いたします。寛大な御慈悲に甘えさせて頂きました」と呟く。彼の厚意がなかったら、この後裸で寒空の中をを出歩かねばならない所だったので、それに関しては本当に感謝しなければ。

 無理な体勢にビキビキと全身が痛む感覚に眉を顰めながらもそう言い終えると、読めない表情で此方を見下ろしていた殿下はニコリと優しく微笑んでくれた。そして、その美しい指で俺の髪を梳くように撫でる。
 きちんと洗えていない穢れた身体に、殿下の指を触れさせる。その悍ましい事実に慌てて身じろぎすると、彼は何故か満足そうに、ゆったりとその笑みを深めた。


「あぁそうだ、これから君には第1部隊と一緒に行動してもらう事にしたよ。あぁ、でも僕の護衛として傍にいろってわけじゃない。僕の護衛はゴーダン1人でも十分務まるからね」
「……はい。たいちょーー第1部隊隊長は、とてもお強いですから」


 俺なんかよりも、何倍も。
 人形のように辿々しい仕草で頷く俺に、殿下も「そうそう。珍しく役に立つ玩具でね」と微笑んで、背後に立つ第1部隊隊長を見上げた。恐縮したように頬を赤らめて会釈をする第1部隊隊長の姿に、殿下の機嫌が更に上昇していくのが分かる。


「だから、君には第1部隊と一緒にロサ王都の見廻りを行ってもらおうかなって。で、ちょっとでも反抗の意思を見せた愚民がいれば、即刻処刑してね」
「……あの、裁判は、」


 反抗する国民の声は重要なより良い未来への礎だ。

 そう、王様は常に言っていた。それは、フィオーレ王国にも活かすべき考えだと、俺は聞いていて思ったものだ。
 そんなことがあったからだろう、思わず呟いてしまった言葉に、ざぁッと青褪める。殿下の笑顔に闇がさしていくのが分かって、俺は慌てて口を開いた。


「ま、間違えました」
「……相変わらず言い訳が雑だし下手だよね。可愛いけどねぇ」


 まぁ、僕は今機嫌がいいから赦してあげる。次はないけどね。
 そう囁いて微笑む彼に、感謝を込めて平伏する。


「もう出て行っていいよ」
「かしこまりました。失礼いたします」


 微笑んだままカップに口付ける殿下に更に一礼し、彼の気が変わらないうちにと、俺は足早に部屋を去った。

 逃げ足が速いねぇ、と小さく揶揄する声が聞こえたが、それはもう聞こえなかったふりをして。 







 ぼんやりと揺らめく視界を瞬きで誤魔化しつつ、無駄に豪奢な廊下を歩く。途中、すれ違った侍女侍従が怯えたように平伏するのも全て無視して、颯爽と歩みを進める。
 ズキズキと痛む身体を、一刻も早く休めたかった。最早、心配、憎悪、憐憫、嘲笑、全ての視線が鬱陶しい。


「…………」


 何度も廊下を通り、階段を降り、を繰り返すうちに、美しく咲き誇る真っ赤な花園に辿り着いた。
 優秀な庭師に手入れされ、絢爛豪華な王城を華やかに染め上げるその赤は、俺をひどく魅了したのだ。思わず足を止め、ホゥ、と感嘆の息を吐いてしまう。

 なんとなく気が向いて、ゆっくりとその花園に近づいていく。丁度水をやっていたらしい庭師が、恐縮したように一礼し、逃げ去っていった。

 花園を囲むように掘られた水堀の目の前で立ち、俺の身の丈以上に伸びた花を見上げる。美しいそれらは、高潔に、そして高慢に、俺を見下ろしていた。
 まるで己の醜い姿を馬鹿にされている様な気持ちにさえなってしまって、俺は知らず目を伏せ、苦笑した。

 ズキ、ズキ、と、鈍い痛みが俺を絶えず苛む。

 痛むのは本当に身体だけか。国民には恐れられ憎まれ、王族には都合の良い道具として扱われ、俺の居場所は何処にあると言えるのだろう。
 それに、唯一の居場所だった第3部隊はもう、いない。

 俯き、震える両手を固く握り締める。


「『ーー』」


 でも、まだ俺は俺だ。壊れていない。ちゃんと、騎士としての矜持も、楽しかった日々も、約束も、全て覚えている。なに1つ失う事なく、久方ぶりの拷問は耐え抜くことができたじゃないか。
 きっと、王様は、満足そうに微笑んでくれるはずだ。不機嫌そうに眉を顰めて、それでも俺の頑張りを受け止めて、金の瞳を細めて、『優秀な騎士だ』って、ーーー


「ーーーーーッッ"」


 思考の中にいた王様の姿が溶け、暗い奈落の底のような部屋の中でゆらゆらと揺らめく金の光だけが、鮮明に輝いている。
 
 ゾクリと背筋を這い上がる怖気に、大袈裟な程身体を震わせる。はく、と漏れた浅い息が、冷えて白煙となって空気に混ざって消えた。
 寒さにカタカタと震える手で、自分の頭を撫でる。そして、もう1度目を閉じ、深呼吸をした。
 
『レーネ』

 ノア。俺の親友。俺の為に涙を流してくれた人。俺に、幸せを受け入れる時間をくれた、大切な人。

『レーネ』
 
 低く、落ち着いて威厳のある声が、俺を呼ぶ。人違いの俺を、愛していると言ってくれた人。俺に、王として在るべき姿を示してくれた人。

 覚えている。おぼえている。

 大丈夫。まだ、大丈夫。大丈夫。大丈夫。






「よォ」


 懐かしい声に、重い目蓋を上げる。どうやら俺は、目を閉じたまま意識すら手放そうとしていたらしい。いつの間にか気配を消して隣にやってきていた上司を、鬱陶しげに見上げた。ーーこの人は、苦手だ。


「久しぶりだなァ、フォーサイス。相変わらず湿気た顔しやがって」
「お久しぶりです。第2部隊隊長」
「クソつまんねェ呼び方してんじゃねぇよ。アルヴィアって呼べ」
「お久しぶりです。アルヴィア・ベルナール第2部隊隊長」


 クッソ可愛くねェ、と呟いて俺の肩に剛腕を回した巨躯の男は、にっかりと陽気に笑って俺を見下ろす。途端、激痛が全身を駆け巡り、思わず呻き声をあげてしまった。
 この男のことだ。俺の身体から隠し切れない血の匂いーーあるいはイリアス殿下の香の匂いを敏感に感じ取って、俺の身に起こったことを直様察したのだろう。スゥ、とその片目を細め、「クソだな」と囁いた。お前がな。

 尚も俺の肩を抱いたまま見下ろしてくる彼から目を逸らし、真っ赤な花々を見上げる。彼等はまだ、俺を美しく睥睨している。
 ぼんやりと遠のきかける意識を何とか1つの花に収束させ、語りかけるようにぽつりと呟いた。


「片目、どうされました」
「ヴィンセント様の命の代償だ。軽いもんだぜ」
「……そうですね。王族の命に比べれば、俺たち騎士の命なんて、花弁よりも軽い」


 花を見つめたまま、コクリと首を縦に振る。すると、第2部隊隊長が、眉を顰めて「そうは言ってねェよ」と不機嫌そうに呟いた。


「王族も貴族も平民も騎士も、命の重さに変わりはねェよ。どれも、等しく重ェ。だが、俺はヴィンセント様を敬い、愛し、尊んでいるから俺の重い命を懸けて護る。俺の重い命を懸けて護るに値する人間だと自分で判断したからだ」
「詭弁ですね」
「相変わらずクソつまんねェなテメェはァ。……大通りで見た時ァ、ちったァ変わったと思ったが」


 俺と同じように花を見上げ、つまらなさそうに鼻を鳴らす男を、一瞥する。そして、目を伏せ、口角を上げようとして、失敗した。
 命の重さが同じだというのなら、どうして国民はーーあの少女は、あれほど簡単に命を散らす裁定を下されるのだ。どうして俺は、あんな。

 騎士団長は、国民の命は俺たちのそれよりも軽いのだと言っていた。ーーそうとだけは、まだ、思いたくない。
 国民の命を、俺1人の身体で護れるのならば、それに越したことはない。王族の、ひいては国民の命は、騎士のそれよりも遥かに重いのだから。

 小さく頷く。第2部隊隊長が、怪訝そうに首を傾げた。
 そうだ。俺は、国民の命を護るためにひたすら動く。どんな底なしの闇に落とされても、耐えて耐えて耐えて心を護って、最後の一欠片だけでも残しておけば、きっと、助けてもらーー。

『助けて、といえば助けてもらえるとでも?可哀想なレーネ。助けなんて来ないよ』

 目を閉じ、小さく息を吐く。そして、俺の顔を似合わぬ真面目なツラで見下ろしている男を見上げ、彼の腕の中から抜け出して距離を取る。予想通り、俺の体調を確かめたかっただけらしい第2部隊隊長は、それ以上俺を追うこともなくその場にとどまった。


「俺は、俺なりの方法で、フィオーレ王国を護る」


 俺の言葉に第2部隊隊長は何度か目を瞬かせ、無言で頷く。そして、読めない表情で俺を見つめた。
 その、土色の瞳を見据える。


「アンタ達、処刑人に殺されないように、精々動けよ」


 暗に、革新派の動き自体は邪魔しない、と告げてやる。表に出て来れば殺すしかないが、裏に限っては知らない。見えない所まで追いかけて罪を探し回って殺し尽くす様なことはしない。ーー壊れれば、それもわからないが。
 俺の言葉を、しっかりと全て受け止めてくれたらしい目の前の男は、驚いた様に目を見開き、そしてニタリと愉快げに嗤う。 
 そして、豪快な足取りで俺に近付き、すれ違いざまにワシワシと頭を撫でると、小さな声で「面白ェツラになったじゃねェか。イイぜ、悪くねェな」と囁いた。

 鼻で嗤ってそれを流し、静かに花園へと視線を戻した俺。その背中をバシリと乱雑に叩き(激痛で蹲ることになった)、第2部隊隊長は豪快な笑い声を上げた。


「ギャハハッ!!ーー、届いてるぜェ」
「……?はぁ……」








 満身創痍の身体を叱咤し、ふら、ふら、とよろめきながらも懐かしい扉を開いて、なんとか到達した自室へと入る。途端、懐かしい部屋の空気が柔らかく俺を歓迎してくれた。思わず深い安堵の溜息を吐いてしまう。
 1年ぶりに帰ってきた俺の居場所。大して物のない殺風景な部屋の中に、大きな錠前がついた鞄と小さな鞄が置かれているのが目立っている。無事、関所の騎士達がロサの革新派と協力して、廃棄処分にすることなく運び込んでくれたらしい。

 外套を脱ぎ、椅子の背もたれに適当に引っ掛け、寝具へと騎士服のまま倒れ込む。ドッと疲労と激痛、眠気が一気に俺へと襲いかかり、そのまま身を任せて目を閉じた。


「……………」


 視界からの情報を遮断したせいで、カタカタと震え出す指先の感触がより鮮明になる。手を握り、必死に耐えようとしても、今度は違う場所が震え出す。
 違う、全身が、震えているのだ。ーー恐怖で。
 
 唇を血が出そうな程噛み締め、目蓋をきつく閉じる。
 大丈夫。まだ、薬は要らない。こんな事で、薬を使ったらーーこの先、もっと沢山訪れるであろう絶望に耐えきれない。

 助けなんて来ない。全て自分でなんとかしなければ。

 さっさと革新派を全員殺して、安寧の地をーーちがう、それは、王族だけの安寧だ。国民はずっと苦しみ続ける。
 あぁ、自分勝手な欲が出てきた。今だけを乗り越えたいという身勝手な、逃げ。最低だ。騎士としてあるまじき思考だ。

 唇がプチプチと千切れる感触。ーーあぁ嫌だ。気が滅入ってしまう。


「……片付けでも、するか」


 がばりと体を起こし、ガシガシと乱雑に頭を掻き毟る。身体が痛む度に、眠気が覚めてしまうのだ。……後で睡眠薬でも買うか。

 俺は、落ち込んだ気分を変えるようにぐるりと部屋を見回す。すると、直ぐに大きな荷物が目に入った。

 目を逸らそうとしても、何故か離れない。
  

「…………」


 楽しい思い出の全てが、そこにある。

 澱んだ思考のまま、のろりのろりと重い足取りで鞄の前まで近付き、閉ざされた錠前を見つめる。


「ーー。『貫け』」


 ほんの少しだけ魔力を込め、風を促す。すると、風が2つの南京錠を小さなナイフとなって貫き、粉々に破壊した。鍵も丁寧に手巾に乗せられるようにして机の上に置かれていたけれど、最早立つのも面倒だった。

 そして、ガチャリと小気味良い音を立てて鞄を開けてーー。







 は?













「「ばぁ」」




 4つの真紅の目が、ギョロリと。








「ーーーーほぎゃぁああああああ!?!?!?!?!?」






 俺の情けない絶叫が、騎士団の宿舎に響き渡った。










ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

アルヴィア・ベルナール(38)
 フィオーレ王国近衛騎士団第2部隊隊長。隻眼の巨体。見た目通りに中身もワイルドで、レーネをよく酒の席に連れ回していた。革新派の騎士で、騎士団長や第1部隊隊長とは不仲。第2王子を名前呼びで慕う。レーネには苦手意識を持たれているが、騎士団内での人望は厚い。
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