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莫逆の友
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もはや聞いてしまった時点から、唖然となるしかなかった。
そうなると無意識に思考を巡らせて、どう断ろうかと考えるのも仕方ない。
大身旗本横田家の跡目を奪うだと⁉︎
そんなものが、俺に何の関係があるというのだ⁉︎
そもそも俺は稲垣家の家臣であって、横田家の家臣になった覚えは無い。
無関係なものに、付き合ってやる義理など無いわ!
そんな心の葛藤を隠し、丁重に断ろうとした時だ。
すでに予見していたのか、倫松によって遮られた。
「倫松様、大変申し訳ないのですが……」
「待たれよ、其方の言いたいことはわかっておる。
今少しだけ、聴いて貰えぬか?」
「はぁ……」
「まだ三日ある、焦らずとも良い。
解読に二日、筆写に一日としても余裕ではないか」
こいつは何を言っているんだ⁉︎ 全然わかって無いじゃないか……。
俺は断ろうとしているのを、この態度を見てわからないのか⁉︎
いや、わかろうとしないのか⁉︎
そんな途轍もない怒りに満ちながら、不思議にも思っていた。
武田勝頼やその重臣達でさえ出来なかったものを、二日で出来ると確信していることについてだ。
どう考えても無理な話、そんな自信が一体どこから生まれたのか不思議でならなかった。
益々、疑問符を浮かべざるへない。
しかし、そんな三木乃助の表情をも察知したのか、倫松は笑いながら突飛よしもないことを言い始めた。
「心配するな。
これから俺達がやるのは、『解読』という名の『改竄』よ!」
「改竄⁉︎」
「そう改竄だ、よく考えてみろ。
信玄公亡き武田家が寄って掛かって出来なかったものを、すぐに出来るはずなどない」
「確かに……」
「だからこそ、三木乃助が必要であったのだ」
そう、そこが最も不思議に思うことだった。
何故俺なのだ? 何故わざわざ越後まで来て俺なんかを?
「あれを三日で筆写したと聞いて、この男は俺と同じ軍学好きであろうと思った」
「どうして、そう思われたのですか?」
「いくら手が早かろうと、軍学書は独特なもの。 かなり読み慣れておらんと、早くは書けんものだ」
そう、確かに軍学書には独特な言い回しがあった。
読み慣れ、尚且つ書き慣れていないと手は遅くなってしまう。
例えば『太平記』は足利幕府成立以前から始まっており、その使用されている用語や表現は基本的に四百年くらい前のものだ。
したがって、それらを踏まえて読んでいく必要性があった。
そもそも、あの軍学書の筆写は祐筆の勤めとして請け負っただけなのに、わかりやすいようにと一々注釈なんかも書き添えてしまっている。
その辺からも、『こいつは軍学好きだ!』と察したのかもしれない。
これも軍学書好きの性だから、しょうがなかった。
「軍学好きの祐筆なんて者は、中々おらん。だから三木乃助を選んだ」
そう笑いながら言われたが、もう一つ気になるものがある。
こういうのは秘匿すべきもののはずなのに、わざわざ共有しようとしていることだ。
「しかし貴方様も軍学好きであられるなら、ご自身だけで改竄される方がよろしいのでは?」
「そうしたいのは山々だが、そうも行かんのよ。
叔父御がおられるゆえにな……」
「叔父御様?」
「小幡景憲……あの軍学書の著者である小幡景憲よ」
その名前を聞き、思わず腹の底から悲鳴を上げたくなった。
今この時、最も聴きたくない名前だからだ。
「叔父御には幼少の頃から軍学の手解きを受けておってな、よって俺だけであれば癖から見破られる恐れがあるのだ」
「それゆえに、他人である私を加えて露見し辛くすると……」
「察しが良いな、そういうことだ」
これには、なるほどと思いつつも絶対に断らねばとの意思を再燃させるしかなかった。
もし関われば、あの軍学書を無断で筆写したと露見させてしまう恐れもあるからだ。
「倫松様、やはり申し訳ないのですが……」
「三木乃助……ところで興味は湧かぬか?
この武田家必勝の軍略指南書、じっくり読んでみたいと思わぬか?」
「うっ!それは……」
「そうだろうよ、軍学好きであれば必ず読んでみたいものよ。
解読出来うるものなら、その溜め込んだ知識を動員し解いてみたいよな……さて、どうする?」
「うっ、うっ⁉︎ しかし……」
「まだ抵抗するか、意外にしぶといなぁ。
では、これではどうだ?」
「これとは?」
「手伝うなら、この指南書を筆写し手元に置くのを許す、それでどうだ?」
「筆写しても良いと⁉︎
しかも、手元に置いてもよろしいのか⁉︎」
「あぁ、もちろんだ。
手伝うならば、三木乃助は俺の莫逆の友になったのも同然。
友が持つのに、何の不都合があろうか」
これで折れてしまった。
ただ、さらに条件を二つ上乗せする。
一つは、三木乃助が関わる事実を秘匿すること。 これは倫松自身も個人的な手柄にしたいと望むものであり、すぐに了承された。
もう一つは、この指南書を解読という改竄をすることが横田家の跡目争いへ、どう関係しているのか?
それを聞いておきたかった。
これには、さすがに倫松も渋ったが、やがて諦めたように語り始めた。
「すでに兄の政松も叔父御と供に解読へ動いておるのだ。 しかも将軍徳川秀忠様の命でな」
「ええっ……将軍様の⁉︎」
「だが……上手くは行っておらん。
かなり焦っておるそうだ。
もし、そんなところで俺が解読したとなればどうなる?」
そうなれば、将軍の命を果たしたのは横田倫松となり、覚え目出たくなるは彼になるのは当然である。
横田家にしても、失敗した政松なんぞより、成功した倫松を跡取りと定めた方が、将来的には好都合となるだろう。
武士とは武功なんぞよりも、家系を紡ぐ方を重要視する生き物だ。
これは、十分に考えられる話だった。
「だから、なんとしても解読したいのだ。
例え改竄したとしてもな」
「しかしそれは、あまりにも危険な賭けかと……」
「それでもやる、やらねばならん。
三木乃助には悪いようにせんし、決して裏切らんと誓う。
だから信じてくれ、この秘密を共有する莫逆の友を!」
これには倫松の、ただならぬ決意を感じざる得なかった。
悪いようにはせん、裏切らんと誓う、信じてくれ……こんな軽く脆い言葉を、本気で口にする者もいるのだな。
何よりも、この俺を『莫逆の友』と呼んでくれるのか……。
こんな男には初めて出会ったな。
これには、内向的で心配性な三木乃助ですら心から感じ入ってしまった。
倫松の野望と心意気に引き込まれてしまったのだ。
「……わかりました。
では、刻が惜しゅうございます。
さっそくながら始めましょう」
「おぉー、ありがたい!
ならば始めるとするか!」
それからは手早く、二人して指南書を捲りながらの解読を始めた。
基本的には唐国(中国)の軍学書から引用して、それらしいものを作り上げていくことにする。
そこからは倫松の解釈を聴き、それを三木乃助が補足または異議を唱えて直していく。
更には討論を繰り広げ、片方を納得させると手直ししていくという、二人の軍学好きならではのやり方を踏まえて改竄を行っていった。
そして気がつけば外では、ちゅんちゅんと雀が鳴いている。
とうに一夜は過ぎており、早々に二人の軍学好きの手で指南書の改竄は完成していたのだ。
「やはり三木乃助に頼んで良かった、礼を言うぞ!」
「もったいなき、お言葉でございます。
さりながら、私個人も楽しい刻を過ごさせて頂きました!」
「おぉー、そう言うてくれるか!
それは俺も同じだ!」
二人して身分や生まれを越え手を取り、興奮と喜びの嵐に陥った。
今まで、誰かと軍学について語り合うことなど無かったのだから仕方ない。
「後少し見直すとして、とりあえず一旦は完成ということにしましょう」
「そうだな、何より腹が減った。
酒でも食らって休むとしよう」
それから稲垣家料理役が作った肴、そして酒を頂くことにする。
その間も『太平記』や『平家物語』、さらには『土佐日記』なと古文学に相当するものまでに至り、二人の軍学好きの話題は尽きなかった。
そんな楽しい話題の最中だ。
不意に倫松の目から涙が溢れ始めた。
最初は泣き上戸なのかと思っただけだったが、どうも違う。
一頻りボロボロと泣いた後だ、倫松が話し始めた。
「俺は、このような飯は初めてだ」
「なんぞ、お嫌いなものでもありましたか?」
「そうではない……いつも一人だった。
安心する時を過ごしながら、友と語り合い飯を食うなど初めてだ……」
それから語る倫松の話は、三木乃助にとって父仁左衛門の存在が如何に大きいかを痛感させるものだった。
「俺は妾腹なのだ」
「妾腹……側室様で?」
「単なる遊び女よ。
俺は父横田尹松の気まぐれで生まれたに過ぎんのだ」
「では、母御様は?」
「もうおらん、一人で死んだとは聞いておる」
このような、気まぐれで生まれたといった話などあるのかと思わざるへなかった。
だいたい、女を一人寂しく死なせただと⁉︎
遊びの女とはいえ、そのような義理もへったくれも無い男などいるのかと、とても信じられない話だった。
父仁左衛門を重ねたからだ。
女に対して仁左衛門は、遊びだが真剣な男だった。
病になったと聞けば、飯を作り持って行き、何日も付きっきりで看病をする。
薬を買う銭が無く困っていると聞けば、なりふり構わず息子に土下座までして工面した。
そんな男だから、複数の女を相手にしても一切憎まれず愛されている。
だから、信じられない想いで聴いていた。
「なんと言えば良いか……」
「気にせずとも良い。
だがな……妹の美耶だけは救うてやりとうてな……」
「美耶様⁉︎ 妹様がおられるので?」
「あぁ十ばかり歳下の可愛い妹でな、俺と同じ妾腹のだ」
そう言うと倫松は、その妹の顔で思い浮かべたのか、少し懐かしげな顔をした。
「俺と同じ寂しさなど、美耶にはさせとう無いのだ。
横田家の跡目となれば、いずれは良い大名家か旗本へも輿入れさせてやれる」
こう話しながらも、次第に悲しげな顔となっていく。
その妹の境遇が、現在でも良いものではないのかもしれない。
おそらく適当な家臣筋あたりに、縁を持たせる『褒美』として育てられているに過ぎないのだろう。
それでも気性の優しい家臣なら、下手な大身旗本や大名なんぞより良いかもしれないが、この言い方なら期待は出来ないのかもしれなかった。
「すまん、白けさせたな」
「いえ、お気になされず」
「暗い話は終いだ、さぁ飲もう。
今は、この場を楽しもう」
それからは、また軍学好きとして書物や昔の合戦などの話に花を咲かせた。
但し、どうしてもどこかで遠慮した雰囲気を纏いながらである。
その分だけ、二人して誤魔化そうと浴びるように飲んだのは仕方ない。
次の日、二人して登城した。
改竄分の見直しをして、三木乃助が指南書の筆写を終えてである。
横田倫松は稲垣重綱に別れの挨拶をし、三木乃助には礼を言った。
「礼を尽くした御指南に感謝致す、三木乃助殿、いや莫逆の友よ」
「ありがたき幸せ。
お役に立てましたなら、これ幸いにございます」
二人手を握り別れを惜しむ光景に、何も知らない重綱は涙を流して感動した。
「またおいで下されよ、倫松殿」
「なんと、ありがたき言葉。
この横田倫松、終生に渡り重綱様の恩義は忘れませぬ!」
こうして横田倫松は帰って行った。
途中までだが、倫松の希望により三木乃助だけが見送ることになった。
これは二人して決めていたこと、もう一度だけ最後に話し合っておきたかったからだ。
改竄分を見せた場合に起こってくるであろう、小幡景憲達の反応への対策についてだった。
「唐国の軍学書の引用を見破られ問われた際には、元々が『孫子』や『六韜』から引用されていたと堂々と話しなされ」
「下手な誤魔化しは不要なのだな」
「そうでございます。
唐国の軍学書は、我が国の軍学の基礎であるのは紛れもなき事実、これに嘘はございませぬから」
「そう肝に命じておこう。
何から何まですまんな」
しかし、こう話を詰めた後だった。
ここから不意に、三木乃助は意外な話を聞くことになる。
それは、あの軍学書の著者小幡景憲の裏事情についてだ。
「だが政松はともかくも、叔父御は心配いらぬのだがな」
「えっ、どうしてでございます⁉︎」
「叔父御は漢文を苦手としているのだ」
「なんと⁉︎
ならば、あの軍学書は書けませぬが……。 まして教えるなど……」
そう、あの軍学書には少ないながらも唐国の軍学を部分部分で引用されていた。
ただし、余程の軍学好きでなければ気づかない程度なだけだ。
そんなものを書いた者が漢文を理解していないとは、到底思えなかった。
「さすがに察するか。
あれの大方を書いたのは、もう一人の叔父御の方よ。
景憲の叔父御は、要約されたものを教えてくれたに過ぎんのだ」
「もう一人の叔父御とは?」
「小幡景憲の双子の弟である、小幡昌重だ」
「そのような方がおいでになられたとは……」
「双子は忌子として扱われておるからな」
一般においてさえ、双子は縁起の悪いものと考えられる世の中だ。
先に生まれた者を優先する判断を下されても、不思議ではなかった。
しかし、その不遇な弟が大方を書いているのだ。
だとすると陰にされながらも文才には溢れ、見識にも豊かな人物であるのは間違いないだろう。
そう思えると、ぜひとも教示の一つも受けたくなるのは、これも軍学好きの性なのかもしれなかった。
「もし昌重様の在所なりがお分かりになるなら、ぜひ教えて頂けませぬか⁉︎」
すると倫松は、すぐさま訝しい顔を浮かべ始めた。
一族間では大々的に喋れるものではなく、三木乃助だから口葉に述べただけで、本来は秘匿として扱われなければならない人物だったのかもしれない。
だが暫くし不意に目を背け、明後日の方向を向きながら、ぼそっと呟いた。
「深草少将は、小野小町が亡くなっておると聞き嘆き悲しんだであろうな……」
「はぁ⁉︎」
この時は言っている意味がわからなかったが、倫松に出来る精一杯の手掛かりだとはわかった。
「では、さらばだ。
莫逆の友よ、またいずれ逢おう!」
「はい、いずれまた!」
こうして横田倫松は帰途の旅に出た。
三木乃助の中で、莫逆の友の成功を信じたが、残念ながら達せられない。
帰途した直後に、兄政松によって誅殺される。 手柄を横取りされたのだ。
由緒ある武田家の軍略指南書は横田政松の解読となり、将軍からの覚えも愛でたくなり、この一件は決着した。
但しだ、政松は後々には自死して果てる。
恥じて割腹したのだ。
解読したはずの指南書が改竄されたとの噂が出回り、挙句に最も信頼性の高い軍略書が世に出たからだった。
それは、一人の軍学者により謀られたこと。
後世においてでさえ、軍事教本として扱われた『武経要略』という軍略書を生み出した、一人の軍学者の謀略だった。
宇佐美勝興という軍学者が、横田倫松という莫逆の友を失ったことから始まった復讐である。
まだまだ先の話だ。
そうなると無意識に思考を巡らせて、どう断ろうかと考えるのも仕方ない。
大身旗本横田家の跡目を奪うだと⁉︎
そんなものが、俺に何の関係があるというのだ⁉︎
そもそも俺は稲垣家の家臣であって、横田家の家臣になった覚えは無い。
無関係なものに、付き合ってやる義理など無いわ!
そんな心の葛藤を隠し、丁重に断ろうとした時だ。
すでに予見していたのか、倫松によって遮られた。
「倫松様、大変申し訳ないのですが……」
「待たれよ、其方の言いたいことはわかっておる。
今少しだけ、聴いて貰えぬか?」
「はぁ……」
「まだ三日ある、焦らずとも良い。
解読に二日、筆写に一日としても余裕ではないか」
こいつは何を言っているんだ⁉︎ 全然わかって無いじゃないか……。
俺は断ろうとしているのを、この態度を見てわからないのか⁉︎
いや、わかろうとしないのか⁉︎
そんな途轍もない怒りに満ちながら、不思議にも思っていた。
武田勝頼やその重臣達でさえ出来なかったものを、二日で出来ると確信していることについてだ。
どう考えても無理な話、そんな自信が一体どこから生まれたのか不思議でならなかった。
益々、疑問符を浮かべざるへない。
しかし、そんな三木乃助の表情をも察知したのか、倫松は笑いながら突飛よしもないことを言い始めた。
「心配するな。
これから俺達がやるのは、『解読』という名の『改竄』よ!」
「改竄⁉︎」
「そう改竄だ、よく考えてみろ。
信玄公亡き武田家が寄って掛かって出来なかったものを、すぐに出来るはずなどない」
「確かに……」
「だからこそ、三木乃助が必要であったのだ」
そう、そこが最も不思議に思うことだった。
何故俺なのだ? 何故わざわざ越後まで来て俺なんかを?
「あれを三日で筆写したと聞いて、この男は俺と同じ軍学好きであろうと思った」
「どうして、そう思われたのですか?」
「いくら手が早かろうと、軍学書は独特なもの。 かなり読み慣れておらんと、早くは書けんものだ」
そう、確かに軍学書には独特な言い回しがあった。
読み慣れ、尚且つ書き慣れていないと手は遅くなってしまう。
例えば『太平記』は足利幕府成立以前から始まっており、その使用されている用語や表現は基本的に四百年くらい前のものだ。
したがって、それらを踏まえて読んでいく必要性があった。
そもそも、あの軍学書の筆写は祐筆の勤めとして請け負っただけなのに、わかりやすいようにと一々注釈なんかも書き添えてしまっている。
その辺からも、『こいつは軍学好きだ!』と察したのかもしれない。
これも軍学書好きの性だから、しょうがなかった。
「軍学好きの祐筆なんて者は、中々おらん。だから三木乃助を選んだ」
そう笑いながら言われたが、もう一つ気になるものがある。
こういうのは秘匿すべきもののはずなのに、わざわざ共有しようとしていることだ。
「しかし貴方様も軍学好きであられるなら、ご自身だけで改竄される方がよろしいのでは?」
「そうしたいのは山々だが、そうも行かんのよ。
叔父御がおられるゆえにな……」
「叔父御様?」
「小幡景憲……あの軍学書の著者である小幡景憲よ」
その名前を聞き、思わず腹の底から悲鳴を上げたくなった。
今この時、最も聴きたくない名前だからだ。
「叔父御には幼少の頃から軍学の手解きを受けておってな、よって俺だけであれば癖から見破られる恐れがあるのだ」
「それゆえに、他人である私を加えて露見し辛くすると……」
「察しが良いな、そういうことだ」
これには、なるほどと思いつつも絶対に断らねばとの意思を再燃させるしかなかった。
もし関われば、あの軍学書を無断で筆写したと露見させてしまう恐れもあるからだ。
「倫松様、やはり申し訳ないのですが……」
「三木乃助……ところで興味は湧かぬか?
この武田家必勝の軍略指南書、じっくり読んでみたいと思わぬか?」
「うっ!それは……」
「そうだろうよ、軍学好きであれば必ず読んでみたいものよ。
解読出来うるものなら、その溜め込んだ知識を動員し解いてみたいよな……さて、どうする?」
「うっ、うっ⁉︎ しかし……」
「まだ抵抗するか、意外にしぶといなぁ。
では、これではどうだ?」
「これとは?」
「手伝うなら、この指南書を筆写し手元に置くのを許す、それでどうだ?」
「筆写しても良いと⁉︎
しかも、手元に置いてもよろしいのか⁉︎」
「あぁ、もちろんだ。
手伝うならば、三木乃助は俺の莫逆の友になったのも同然。
友が持つのに、何の不都合があろうか」
これで折れてしまった。
ただ、さらに条件を二つ上乗せする。
一つは、三木乃助が関わる事実を秘匿すること。 これは倫松自身も個人的な手柄にしたいと望むものであり、すぐに了承された。
もう一つは、この指南書を解読という改竄をすることが横田家の跡目争いへ、どう関係しているのか?
それを聞いておきたかった。
これには、さすがに倫松も渋ったが、やがて諦めたように語り始めた。
「すでに兄の政松も叔父御と供に解読へ動いておるのだ。 しかも将軍徳川秀忠様の命でな」
「ええっ……将軍様の⁉︎」
「だが……上手くは行っておらん。
かなり焦っておるそうだ。
もし、そんなところで俺が解読したとなればどうなる?」
そうなれば、将軍の命を果たしたのは横田倫松となり、覚え目出たくなるは彼になるのは当然である。
横田家にしても、失敗した政松なんぞより、成功した倫松を跡取りと定めた方が、将来的には好都合となるだろう。
武士とは武功なんぞよりも、家系を紡ぐ方を重要視する生き物だ。
これは、十分に考えられる話だった。
「だから、なんとしても解読したいのだ。
例え改竄したとしてもな」
「しかしそれは、あまりにも危険な賭けかと……」
「それでもやる、やらねばならん。
三木乃助には悪いようにせんし、決して裏切らんと誓う。
だから信じてくれ、この秘密を共有する莫逆の友を!」
これには倫松の、ただならぬ決意を感じざる得なかった。
悪いようにはせん、裏切らんと誓う、信じてくれ……こんな軽く脆い言葉を、本気で口にする者もいるのだな。
何よりも、この俺を『莫逆の友』と呼んでくれるのか……。
こんな男には初めて出会ったな。
これには、内向的で心配性な三木乃助ですら心から感じ入ってしまった。
倫松の野望と心意気に引き込まれてしまったのだ。
「……わかりました。
では、刻が惜しゅうございます。
さっそくながら始めましょう」
「おぉー、ありがたい!
ならば始めるとするか!」
それからは手早く、二人して指南書を捲りながらの解読を始めた。
基本的には唐国(中国)の軍学書から引用して、それらしいものを作り上げていくことにする。
そこからは倫松の解釈を聴き、それを三木乃助が補足または異議を唱えて直していく。
更には討論を繰り広げ、片方を納得させると手直ししていくという、二人の軍学好きならではのやり方を踏まえて改竄を行っていった。
そして気がつけば外では、ちゅんちゅんと雀が鳴いている。
とうに一夜は過ぎており、早々に二人の軍学好きの手で指南書の改竄は完成していたのだ。
「やはり三木乃助に頼んで良かった、礼を言うぞ!」
「もったいなき、お言葉でございます。
さりながら、私個人も楽しい刻を過ごさせて頂きました!」
「おぉー、そう言うてくれるか!
それは俺も同じだ!」
二人して身分や生まれを越え手を取り、興奮と喜びの嵐に陥った。
今まで、誰かと軍学について語り合うことなど無かったのだから仕方ない。
「後少し見直すとして、とりあえず一旦は完成ということにしましょう」
「そうだな、何より腹が減った。
酒でも食らって休むとしよう」
それから稲垣家料理役が作った肴、そして酒を頂くことにする。
その間も『太平記』や『平家物語』、さらには『土佐日記』なと古文学に相当するものまでに至り、二人の軍学好きの話題は尽きなかった。
そんな楽しい話題の最中だ。
不意に倫松の目から涙が溢れ始めた。
最初は泣き上戸なのかと思っただけだったが、どうも違う。
一頻りボロボロと泣いた後だ、倫松が話し始めた。
「俺は、このような飯は初めてだ」
「なんぞ、お嫌いなものでもありましたか?」
「そうではない……いつも一人だった。
安心する時を過ごしながら、友と語り合い飯を食うなど初めてだ……」
それから語る倫松の話は、三木乃助にとって父仁左衛門の存在が如何に大きいかを痛感させるものだった。
「俺は妾腹なのだ」
「妾腹……側室様で?」
「単なる遊び女よ。
俺は父横田尹松の気まぐれで生まれたに過ぎんのだ」
「では、母御様は?」
「もうおらん、一人で死んだとは聞いておる」
このような、気まぐれで生まれたといった話などあるのかと思わざるへなかった。
だいたい、女を一人寂しく死なせただと⁉︎
遊びの女とはいえ、そのような義理もへったくれも無い男などいるのかと、とても信じられない話だった。
父仁左衛門を重ねたからだ。
女に対して仁左衛門は、遊びだが真剣な男だった。
病になったと聞けば、飯を作り持って行き、何日も付きっきりで看病をする。
薬を買う銭が無く困っていると聞けば、なりふり構わず息子に土下座までして工面した。
そんな男だから、複数の女を相手にしても一切憎まれず愛されている。
だから、信じられない想いで聴いていた。
「なんと言えば良いか……」
「気にせずとも良い。
だがな……妹の美耶だけは救うてやりとうてな……」
「美耶様⁉︎ 妹様がおられるので?」
「あぁ十ばかり歳下の可愛い妹でな、俺と同じ妾腹のだ」
そう言うと倫松は、その妹の顔で思い浮かべたのか、少し懐かしげな顔をした。
「俺と同じ寂しさなど、美耶にはさせとう無いのだ。
横田家の跡目となれば、いずれは良い大名家か旗本へも輿入れさせてやれる」
こう話しながらも、次第に悲しげな顔となっていく。
その妹の境遇が、現在でも良いものではないのかもしれない。
おそらく適当な家臣筋あたりに、縁を持たせる『褒美』として育てられているに過ぎないのだろう。
それでも気性の優しい家臣なら、下手な大身旗本や大名なんぞより良いかもしれないが、この言い方なら期待は出来ないのかもしれなかった。
「すまん、白けさせたな」
「いえ、お気になされず」
「暗い話は終いだ、さぁ飲もう。
今は、この場を楽しもう」
それからは、また軍学好きとして書物や昔の合戦などの話に花を咲かせた。
但し、どうしてもどこかで遠慮した雰囲気を纏いながらである。
その分だけ、二人して誤魔化そうと浴びるように飲んだのは仕方ない。
次の日、二人して登城した。
改竄分の見直しをして、三木乃助が指南書の筆写を終えてである。
横田倫松は稲垣重綱に別れの挨拶をし、三木乃助には礼を言った。
「礼を尽くした御指南に感謝致す、三木乃助殿、いや莫逆の友よ」
「ありがたき幸せ。
お役に立てましたなら、これ幸いにございます」
二人手を握り別れを惜しむ光景に、何も知らない重綱は涙を流して感動した。
「またおいで下されよ、倫松殿」
「なんと、ありがたき言葉。
この横田倫松、終生に渡り重綱様の恩義は忘れませぬ!」
こうして横田倫松は帰って行った。
途中までだが、倫松の希望により三木乃助だけが見送ることになった。
これは二人して決めていたこと、もう一度だけ最後に話し合っておきたかったからだ。
改竄分を見せた場合に起こってくるであろう、小幡景憲達の反応への対策についてだった。
「唐国の軍学書の引用を見破られ問われた際には、元々が『孫子』や『六韜』から引用されていたと堂々と話しなされ」
「下手な誤魔化しは不要なのだな」
「そうでございます。
唐国の軍学書は、我が国の軍学の基礎であるのは紛れもなき事実、これに嘘はございませぬから」
「そう肝に命じておこう。
何から何まですまんな」
しかし、こう話を詰めた後だった。
ここから不意に、三木乃助は意外な話を聞くことになる。
それは、あの軍学書の著者小幡景憲の裏事情についてだ。
「だが政松はともかくも、叔父御は心配いらぬのだがな」
「えっ、どうしてでございます⁉︎」
「叔父御は漢文を苦手としているのだ」
「なんと⁉︎
ならば、あの軍学書は書けませぬが……。 まして教えるなど……」
そう、あの軍学書には少ないながらも唐国の軍学を部分部分で引用されていた。
ただし、余程の軍学好きでなければ気づかない程度なだけだ。
そんなものを書いた者が漢文を理解していないとは、到底思えなかった。
「さすがに察するか。
あれの大方を書いたのは、もう一人の叔父御の方よ。
景憲の叔父御は、要約されたものを教えてくれたに過ぎんのだ」
「もう一人の叔父御とは?」
「小幡景憲の双子の弟である、小幡昌重だ」
「そのような方がおいでになられたとは……」
「双子は忌子として扱われておるからな」
一般においてさえ、双子は縁起の悪いものと考えられる世の中だ。
先に生まれた者を優先する判断を下されても、不思議ではなかった。
しかし、その不遇な弟が大方を書いているのだ。
だとすると陰にされながらも文才には溢れ、見識にも豊かな人物であるのは間違いないだろう。
そう思えると、ぜひとも教示の一つも受けたくなるのは、これも軍学好きの性なのかもしれなかった。
「もし昌重様の在所なりがお分かりになるなら、ぜひ教えて頂けませぬか⁉︎」
すると倫松は、すぐさま訝しい顔を浮かべ始めた。
一族間では大々的に喋れるものではなく、三木乃助だから口葉に述べただけで、本来は秘匿として扱われなければならない人物だったのかもしれない。
だが暫くし不意に目を背け、明後日の方向を向きながら、ぼそっと呟いた。
「深草少将は、小野小町が亡くなっておると聞き嘆き悲しんだであろうな……」
「はぁ⁉︎」
この時は言っている意味がわからなかったが、倫松に出来る精一杯の手掛かりだとはわかった。
「では、さらばだ。
莫逆の友よ、またいずれ逢おう!」
「はい、いずれまた!」
こうして横田倫松は帰途の旅に出た。
三木乃助の中で、莫逆の友の成功を信じたが、残念ながら達せられない。
帰途した直後に、兄政松によって誅殺される。 手柄を横取りされたのだ。
由緒ある武田家の軍略指南書は横田政松の解読となり、将軍からの覚えも愛でたくなり、この一件は決着した。
但しだ、政松は後々には自死して果てる。
恥じて割腹したのだ。
解読したはずの指南書が改竄されたとの噂が出回り、挙句に最も信頼性の高い軍略書が世に出たからだった。
それは、一人の軍学者により謀られたこと。
後世においてでさえ、軍事教本として扱われた『武経要略』という軍略書を生み出した、一人の軍学者の謀略だった。
宇佐美勝興という軍学者が、横田倫松という莫逆の友を失ったことから始まった復讐である。
まだまだ先の話だ。
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