虚構の軍師 上杉謙信軍師『宇佐美定行』を作った男、名は宇佐美勝興

筒香時一

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小幡景憲

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それは横田倫松が帰途に着いてから、十五日ばかり後に起こった。
いつものように筆写に励む三木乃助のいるに、慌ただしく稲垣重綱が飛び込んで来た。
しかし、途端に呆然と三木乃助の顔だけを見つめて動かなくなった。

どうした、何事だ⁉︎ 
しげしげと俺の顔なんぞを眺めおって⁉︎
あっ……あの軍学書の筆写が露見したのか⁉︎
お父秘蔵の漬物樽に隠しっておったのに、まさか見つかったのか⁉
なぜだ、どうしてだ⁉ 

こう焦り怯えつつも様子を伺っていると、ぽつりと重綱が呟いた。

「……横田倫松殿が亡くなられた」

初めは何を言っているのか、わからなかった。
いや、その言葉は理解しているが『横田倫松』という名と、『亡くなられた』という事実を結び付けられなかったのだ。
よって無意識のうちに、主君に対して無礼な言いようを発してしまった。

「はぁ⁉︎何を言っておるのだ?」

出た途端に我へと返り、すぐさま非礼を詫びるために平伏したが、どうやら重綱の方が頭の位置は低かった。
些細なことに関わる暇など無いと言わんばかりに膝から崩れ落ち、ひたいは畳へとへばり付いているからだ。 
然も駄々っ子のように、えぐえぐと泣いている。

「倫松殿ほどの懸命な方が、なぜ亡くならねばならんのだ⁉︎」

こう叫びながら、拳を何度も畳へと叩いている。

これには急いで止めさせ、自制せねばと思いつつも死亡原因を聞く。
どうしても、帰途に着く際の倫松の様子からは死など考えられず、また彼には『謀殺』されるだけの理由がある以上、勘繰りを捨てられなかったからだ。
 
「重綱様、知らせの文などが来られましたのか?」

そう聞くと涙を拭いながら頷き、仔細を教えてくれた。

「江戸藩邸から知らせが来た。
帰途された直後に病になられたそうだ」

「病ですと⁉︎」

しゃく(腹や胸に発作性の激痛をひきおこす病気)だったらしい」

あり得ない話ではないが、偶発的すぎる。
あまりにもありきたりで、また都合が良すぎるのだ。
その原因となるものを知る三木乃助からすれば疑わずにはいられない。
いや、確信を持った。

あの改竄した指南書絡みで、殺されたのは間違いないだろう。
にしても、まさか命まで奪い去るとは……。
倫松様は、さぞかし無念であったであろう……。

こう莫逆の友を悼み、その気持ちを察しつつも、同時に自分の身を案じ始めた。

俺が横田政松なり小幡昌憲なら、この先どう動くか?
あの改竄した指南書は、倫松様の癖など残らぬよう細心の注意を払い作成している。
ならば説明するはずだった当人亡き現在、第三者の存在を疑って掛かるのではなかろうか⁉︎
俺ならば絶対に疑う。
もし同じ考えに至っているなら、いずれは倫松様の足跡から俺へと辿り着くだろう。
今すぐではないだろうが、そうなる前に対策を講じておく必要はある。

暫くして莫逆の友の死に、気分が悪くなったと理由を付け、早引きさせて貰うことにする。
特に疑われることも無く、むしろ稲垣重綱には心配されて帰途に着いた。

道すがら必死に考えた、これからどうするべきかをだ。

将軍の命の下に行なっていた武田家必勝の指南書の解読。
上手くは行かずに途方に暮れていたところに、横田倫松の横槍とはいえ、一応は成功を見たと考えているはずだ。
しかし、そこには無用な第三者が介入してしまっている。
やはり自分達の功績を第一にしたいなら、その存在は消しておきたいはずだ。
だったら俺は殺されるか、抱き込みに掛かられるかの、どちらかになるだろう。
いや、まず殺されるか……。
やはり逃げるしか無い……いや、お父が米沢より未だ帰って来ていない。
俺は逃げても、お父が帰って来た途端に捕まる恐れもある。

あぁぁぁー、一体どうしたら良いのだ⁉︎

こんな感じで考えに考え、しかし中々纏まらず結論を得ないまま、屋敷へと着いた。
しかし戸を開け入ろうとした時、不意に後ろから声を掛けられた。

「もし、その方は若山三木乃助殿か?」

見ると自分よりも一回り歳上そうな、しっかりとした身なりの男が立っている。

「そちら様は?」

「失礼した、それがしは小幡景憲と申す」

これには思わず口を大きく開け、腹の底では叫ばざるへない。
あの軍学者として大成する小幡景憲が、自分の目の前にいる。
現在、最も会いたくない男が……。

なぜ、ここにいる⁉︎ 
あの軍学の筆写が露見した⁉︎
いやいや今は指南書の方か、きっとそうだ!
もう倫松様の足跡を辿り、俺を探し当てたのか⁉︎ なんという早さだ……。

……これは死んだな。

あれだけ悩み考えていたことが、小幡景憲を見た途端に、あっさりと結論まで辿り着いてしまった。

もう終わった……。
早々に諦め、死を覚悟した。
生を諦めるなんて、意外と簡単に出来るものだと笑いそうになった時だ。

「甥横田倫松の件で話を伺いたい。
だが話が話ゆえ屋敷の中でもよろしいか?」

神妙な顔付きで聞いて来る。
どうやら、すぐに殺すという選択肢は持っていないようだ。
いや……屋敷の中でか?
いやいや殺す機会なら、いくらでも道中であったはずだ。
だいたい屋敷の中で死体を捨て置くよりも、その辺の草むら辺りに捨てる方が効率は良い。
やはり、未だ殺意は持っていないということか⁉︎
だが、ここで屋敷に入れるのを断れば、隠し事があると確信し殺意を起こすかもしれない。
まずは丁重に同意しよう。 
そして絶対に焦らず笑顔は絶やすな、演技も絶対に忘れるな!
そう心掛け、この危機を脱することを決めた。

「倫松様の……あっ、失礼しました。
この度は突然のこと、お悔やみ申し上げます」

「もう知っておいでか?」

「はい、重綱様より伺っております」

「そうか……いや失礼した。
丁重な心入り、横田の者に代わり礼を申す」

「さっさっ、片付けもしておらぬ我が家ですが、どうぞ中へ」

「失礼する」

どうやら第一関門は抜けたようだ。
証拠に、少し顔が綻んで見える。
しかし気は抜くな、ここからが本当の本番だ!

堂々とした態を装い、屋敷の中へと招き入れたが、すぐに第二関門が鎮座していた。

「ほぉー、三木乃助殿は軍学に興味がお有りか?」

所狭しと並べられた軍学書や書物の山である。
これは拙ったまずったと思いつつも、使えるとも考えた。
護摩化したいなら、ある程度の真実も混ぜておく方が良いからだ。

「はい、幼き頃に近所の坊様から『太平記』を聴いて以来。いわゆる『下手な横好き』というものですが」

「そんなことはあるまいに」

「いえいえ甲州流軍学の祖とも言える貴方様から見れば、まるで幼児のごとく。
お恥ずかしいかぎりでございます」

「……俺をお知りか?」

「私にとっては憧憬どうけいのお方。
何より酒井様の御依頼を受け、貴方様の軍学書の筆写も務めさせて頂きました。
知らぬはずなど」

敢えて稲垣重綱をすっ飛ばし、酒井忠勝の名を晒した。
幕府の要人と繋がりを持っていると、少しでも強調したかっただけだ。
もちろん会ったことなど無いが、しかし嘘も着いていない。

「酒井様もお読みとはな」

「あれだけの出来栄え、いたく感銘なされたのでしょう!」

ここまでは、中々に滑り出しは上々だ! と思えた時だ。
しかし、この『出来栄え』『感銘』と言った途端に、少し顔色が変えて話が止まってしまった。

なんぞ拙いことでも言うたか⁉︎
いや、これだけ褒め称えておるのだ。
悪い気など起こらんはず……。

そんな三木乃助の雰囲気を察したのか、一つ咳払いをした後、いきなり話題が変わった。 いや本題に戻った。

「いや失礼、酒井様には礼を申さねばと思い耽ってしもうた。
さて、倫松のことをお聞きしたいが宜しいか?」

「では、まず茶などの御用意を……」

「いや、急ぐゆえ結構」

ここで一旦は流れを切り、束の間の余裕を掴みたかったが阻止された。
もしかしたら、小幡景憲を持ち上げて自分に対し好印象を植え付けようとしているのを、見破られているのかもしれない。
相手は東西きっての軍学者、小細工など見破られていると考えた方が良いだろう。
ならば、ここからは誠実に臨みつつも、小幡景憲が嫌う話題を混ぜていくしかない。

そう考え、正面から相対する覚悟を決めた。

「では、なんなりとお聞きくだされ」

「なぜ倫松は、三木乃助殿を訪ねて参った?」

「酒井様よりの御依頼、貴方様の書かれた軍学書の筆写した折に注釈を付けましてな。それを見て訪ねて来たと話されておられましたが」

「何、注釈と⁉︎」

「筆写した折に気づきましたが、あれには唐国の軍学から引用を少々用いておるのでは? 間違いならば申し訳ない」

「……よく、お気づきになられたな」

これで確信した。
やはり倫松が言ったとおり、この小幡景憲は書いてなどいない。
証拠に辟易へきえきした顔さえ浮かべている。
間違いなく、唐国の軍学に苦手意識を持っているようだ。

「いや、三木乃助殿には感服致した。 
筆写しただけで、そこまで察しておるとは。
でっ……倫松と何を話された?」

「確か唐国の軍学の話ばかりを、そう『六韜』や『三略』などでございます」

益々と顔を歪め始めている。
かなり嫌なのだろう。
このまま嫌がらせで押し切り、護摩化しきってやる!

しかし、これがいけなかった……。
要らぬ誘発を招き、とんでもない方向に話が進んでしまうのだ。

「ほぉ……唐国の軍学とな」

「おかげで、楽しい一時ひとときを過ごさせて頂きました」

「その際に倫松からは、何か問われなかったか?」

「何かとは?」

「そう……あることに対し、どういった解釈をするべきかなど。 いわば問答だな」

「唐国の軍学を語り合えば、解釈を論じ合うのは必然。
それの、どこからどこまでを問答と呼べば良いかは……」

「そうか……いや迷惑を掛けた。
倫松のこと、改めて礼を申す」

「いえ、大した話も出来ずに申し訳ございません」

平伏しながらも、その顔はニヤリと笑ってしまっていた。
してやったり! と思ったのだ。

だが三木乃助の考えとは異なり、小幡景憲は別の話を始め出した。
まずは、しげしげと周りを見渡す。
整理もされていない汚い室内を見て笑い始め、そしてとんでもないことを言い始めた。

「時に三木乃助殿、其方は独り身か?」

「はぁ、恥ずかしながら……」

「そうか……ならば其方そなたさえ良ければ、俺の元に来んか?」

いきなりの誘い、まさか軍学の弟子にでもなれと言っているのか⁉︎

しかし違う、もっと遥か上だった。

「俺の元とは……軍学の弟子でございますか?」

「いや、俺の養子にならんかと問うておる。
この小幡景憲の息子にな」

「はぁぁぁぁ⁉︎」

「本来なら、倫松に継がせるつもりで横田尹松殿と話しておったが死んでしもうたからな。
あれの妹美耶と夫婦となり、小幡の家知行ちぎょう千五百石を継いでくれぬか?」

「いやいや……それは恐れ多いことに……」

「いや三木乃助殿の軍学への想いと知識を、俺は感じとった。
ならば、この小幡景憲の跡を継ぎ軍学者への道を邁進してみぬか?」

まるで夢のような話だった。
この小さな藩の祐筆にて終えていく人生よりも、よほど魅力的で有意義な道を歩んで行ける。
何よりも、好きな軍学を手元に置いて生きて行けるのだ。

しかし……断った。
実際は、すぐにでも飛びつこうかと思った。
『ぜひにでも!』との返事が口から出掛かったのも事実だ。
だが……断った。
一瞬、莫逆の友横田倫松の顔が、頭を過ぎったからだ。

「御無礼ながら、お断り申し上げます。
これより老いゆく父仁左衛門を、一人置いていくなど……」

本当は父仁左衛門ならば、一人でも勝手に生きて行けるだろう。
そもそも仁左衛門を慕う女達が放っておく訳はなく、本来なら自分など居ない方が良いのかもしれない。
だが敢えて、父仁左衛門の名を出した。
ごちゃごちゃと理由を並べ立てるよりも、よほど真実味があると思ったからだ。

「そうか、ならば仕方あるまい」

「御無礼の段、平にお詫びします」

「いやいや、父君ちちぎみを大切になされよ」

「はっ、肝に命じます」

「では長居した。 突然の無礼お許し下されたい」

そう言い残し、小幡景憲は何事も無かった顔をして帰って行った。
だがいなくなっても、安心の尽きない三木乃助がいる。
暫くは門の外を何度も隠れて伺い、また屋内でもそわそわとしながら、自身の安全を確信出来ないでいた。

俺は助かったのか⁉︎ こんな心配に苛まれ続けた。
しかしこれも、やけくそで酒を浴びるように飲み酔っ払い寝込んでしまうまでである。

そんな三木乃助を尻目に、小幡景憲は道中ながら人目も気にせずに大笑いをしていた。

「あの男は運が良いのか悪いのか⁉
もし小幡家を継ぐと言えば、すぐにでも殺しておったものを!
だが、もう懸念は無い。 大した欲は持っておらなんだか!」

ある条件さえ整ったなら、すぐにでも殺す気満々でいたのだ。
もちろん三木乃助が帰宅する前には屋敷へは忍び込み、指南書に繋がる手掛かりや証拠はないかと探してもいた。
思考を凝らし隠していた漬物樽の中の軍学書は、あっさりと見つかっている。
しかし、どうでも良いことだと無視されていた。
たが、指南書については見つけられてはいない。 
それは三木乃助自身に指南書へ警戒心が無かったからだった。
無造作に書物の中へと積み上げたがために気付かれなかっただけだ。
偶然にも『木を隠すには森』となっただけである。
ちなみに小幡景憲が本当に確かめたかったものは、三木乃助が持っているかもしれない野望についてだ。
あの指南書の解釈を一目見た時から それなりに軍学についての知識がある者が関わったであろうと気づいていた。
ならば、これから自分達が成さねばならぬことへ介入しようとする野望を抱いたのかが問題となって来る。
長年の苦難を辿り、自分達のあるべき姿へと導いてくれようとしていた亡き御方様のために整えていた道筋を、いきなり現れたような第三者に搔き乱されては堪らないのだ。

「あの男には然したる野望は無く、大きく関わってもいない。
偶々に倫松と出会い、ただ聞かれただけだ。
千五百石を匂わせても身内を優先しおった。 親でも見捨てる気が無ければ大成も野望も叶わぬわ!」

そう三木之助を見下し笑い続ける。
しかし後悔もして、卑下にも思っていた。

「……倫松から聞いておったな、やたらと唐の軍学話を振りおって!
嫌味たらしく言いおってからに……やはり殺せば良かったか⁉」

今から引き返してでも、ぶっ殺してやろうか!との殺意が湧いて仕方ない。
ただこれについては三木之助だけにではなく、双子の弟と重ね合わせてしまっていたからだった。
自身を遥かに超える軍学の才能の持ち主である弟小幡昌重、ただ先に生まれたというだけで小幡家を継いだ自分の惨めさを思い出してしまったのだ。
べらべら軍学について話す、偉そうな弟の顔を思い出し腹が立ってきた。

せっかく越後まで来たのだ、いっそ米沢まで足を伸ばして殺しに行くか⁉ そうとさえ思えてくる。

「まぁ良い、脱落者に構っている暇など無い」

そうわざわざ鼓舞するように言って、無理矢理納得して収めることにした。
 
「さて、急いで来たわりには無駄足となった。
さりとて政松には、すぐにでも伝えて安心させてやるとするか。
懸念の人物は、取るに足らない大したことのない男だったとな!」

そう、実際に三木之助を見て話した小幡景憲は思う。
だが報告を受けた横田政松は違った。 彼は三木之助を見て話してもいないのだ。
その違いが、後々に要らぬ騒動を引き起こしていく。
嫌々ながらの越後国三条藩脱藩へと繋がっていくとは、この時の小幡景憲はもちろん、酔い潰れる当の本人ですら気づいていなかった。























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