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第一章 女狂いの大童様
女狂いの大童様
しおりを挟む領民らに「女狂いの大童様」と言われる多田羅礼(たららあきら)。歳は二十五。童などといわれる子どもではない。歴とした豪族の頭である。
最近、妙(たえ)という名の妻を娶ったが、女狂いどころか実はまだ女の体を知らない。
もともと多田羅氏は根尾本巣一帯を統治する根尾氏の配下で、根尾村を治める豪族の一族だった。根尾氏の配下といってもその関係は同盟に近い、ごく対等な立場にある。
群雄割拠する戦国の動乱――土岐、斉藤、織田、明智、豊臣、時のどの覇者たちもみな、地方豪族を手なずけて配下に取り込もうと、武力行使から懐柔まであらゆる手段を繰り出すこの時代、多田羅氏はその時々の権力者に貢物を贈り、お目こぼしを乞い、永らえてきた。
貢物といっても、たいしたものではない。そこらの野山に落ちている、菊の模様が入った石である。
多田羅一族が暮らす根尾村の根尾谷では、昔から菊花石という名の玄武岩が採れる。紅を差したような赤、曇天のような青、緑釉を思わせる緑、枯れ葉じみた茶、世の生命(いのち)を余すところなく映した色とりどりの菊花の文様が入ったこの石を、多田羅礼は見つけるのが得意だった。
元来、菊は帝の象徴であり、菊花石は宮中で非常に尊ばれた。皇族に取り入ろうとする覇者たちはこぞって多田羅家が献上した石を喜び、「名物よ」と誉めそやした。
茶器のような銘もなければ、舶来品のビードロや羅紗のような箔もない。自然の鉱物に過ぎない石が、都に運ばれれば黄金に化け、朝廷の御殿や公家の屋敷に飾られる。石を採る多田羅にしてみれば、馬鹿馬鹿しいほどたわいもない錬金術だった。
やがて本能寺の変で織田が滅び、天下人、豊臣秀吉が日本(ひのもと)に君臨すると、多田羅氏は岐阜城城主、池田輝政の勢力下に吸収された。
それにあわせて多田羅は父の昌武(まさたけ)とともに戦にも駆り出されるようになった。野で遊ぶように槍を振るい、畑を耕すように敵の首級を上げる。幼少から山野を駆け回って得た野生の勘と、のびのびとよく育った大きな体躯が、多田羅を非常な戦上手にしていた。
もっとも、そうして得た手柄も、多田羅はすべて配下の者たちにやってしまう。
「討ち取った首は、どうかご自分のお手柄に」
そんな風に側近の斑目盛信(まだらめもりのぶ)が強く言っても、
「武功など要らぬわ」
と耳を貸さない。
そんなことよりもな、と多田羅は「俺の妙がな」とそばの者に話しかけて、にんまりと笑う。
父でも母でも農民にでも足軽にでも、人に何か話す前に、とにかく妙のことを話さずにいられない。それも妙が朝餉の際に味噌汁をこぼしただの、熱心に繕い物をしていたかと思ったら、彼の下帯に「タエ」と糸で自分の名を縫い付けていただの、愚にもつかない相槌に困るようなものばかりだ。
多田羅にとっては、妻の妙こそがこの手で見出した至高の宝だった。しかも妙は、石ころや茶器と違って生きている。
赤ん坊の時に領内の畑に捨てられ、百姓夫婦に拾われて育てられていたのを、妙が五歳の時に屋敷に引き取った。その時、多田羅は二十歳になったばかりだった。
それから五年、妙とともにいる。
多田羅は、幼い頃から、女の好みがうるさかった。
この戦乱の世に豪族の嫡子に生まれ、出世欲、武功欲といったものは何一つ持たなかったが、これという女を嫁にしたいと、焦がれるように願っていた。
その女はきっと何処かにいて、それまでに他の女を抱くようなことがあっては、その女には巡り合えないのではないかという信仰に近い恐れさえ抱いていた。実直にもその掟を自分に課し、多田羅は二十歳になるその時まで、ずっと操を守っていた。
弥兵衛(やへえ)という百姓家の畑で妙を初めて見た時、これが自分の待ちわびていた女だと、多田羅にはすぐにわかった。
五歳の妙は、笊(ざる)を手に畑の茄子をもいでいた。縁やかな茄子の紫が、そのつぶらな瞳に染みて、子どもらしからぬ凜とした空気が、小さな体を包んでいた。
「おい!」
妙に向かって、思わず強い声が出た。
その声に、妙の隣で同じように茄子をもいでいた弥兵衛の妻、ふちが
「次の領主様よ」
と妙に囁いた。
すると、妙はその場にぺたりと座り込み、「領主様」と愛らしい声で言うなり、地面に手をついて、多田羅に深く頭を下げた。
「そんなことはしなくていい」
と手を振ったが、胸が激しく動悸していた。顔を上げてくれ、それよりもっとお前の顔が見たい、という思いが、わらわらと胸の奥からわいている。
妙の横で平伏しようとした弥兵衛夫婦を、多田羅に付き従っていた斑目が制した
「そう構えるでない。うちの若が、お心の広い気安いお方だということは、お前たちもよく知っているだろう」
多田羅は物も言わずに、目の前の童女を見つめていた。
班目の言葉に、ふちが「もったいないお言葉で」と妙の横で平伏し、弥兵衛も慌てて「礼様、どうぞこちらへお座りくだせえ」と、縁側を示した。
縁側には、このあたりの名物の真桑瓜が、笊に山盛りになっていた。
「多田羅様、どうぞ瓜、食べらんかえ?」
顔をあげて言ったふちに、多田羅は、もらうかと頷いた。
地面に座ったままの姿勢で彼の大柄な体を見上げている妙に「ともに食べよう」と声をかける。
多田羅が手を差し出すと、妙は迷わずにその手を握った。
その握られた掌から、どどどっと全身に血が駆け回るのを多田羅は感じた。
その間にふちが、さっと立ち上がり、手を洗うと、包丁を用意して瓜を剥き始めた。
あたり一面に瑞々しい香気が散る。
多田羅は、眩暈を起こしそうな自身の昂ぶりに(鎮まれ!)と強く言い聞かせながら、妙と縁側に並んで腰をかけ、瓜にむしゃぶりつく。
そうして、すぐ隣で無邪気に瓜を食む妙の横顔や小さな手指を、何度も何度も盗み見た。
そんな二人を庭先に立って見守っていた斑目が、妙と弥兵衛の顔をかわるがわるに見て「あまり似ていないな」
と、何気なく口にした。
すると、弥兵衛が当然という口調で答えた。
「へえ、この子は赤子の時に、おくるみにくるまれて、この畑に捨てられていたのを拾いましたんで」
「ほう、拾い子なのか」
童女の意外な出自に、斑目が目をしばたたいた。
「拾い子といっても、実の子と何も変わりはないですよ」
ふちが妙に笑いかけると、妙も食べかけの瓜を盆に置いて
「はい、かか様」
とにっこり笑った。
そんな妙の笑顔には、人の心を芯から癒し、和ませるような無垢さがあった。
そんな打ち解けた空気に刃を刺すような声音で、多田羅が言った。
「それよりもこの子の右手についた、この古傷はどうした?」
瓜の汁に濡れた妙の手に古傷がある。右親指の付け根のそのすぐ横に、直径三寸(約9.1㎝)ほどの丸い痣のような赤黒い傷がついていた。
弥兵衛が首を傾げる。
「さあ? 拾った時には、もう指に怪我をしていたようで」
「むごいな」
多田羅が顔をしかめると、
「もう痛くはありません」
鈴の音のような、はきとした声が、妙の唇からこぼれた。
その音に酔いつつも、多田羅はその小さな指に刻まれた傷を(これは刀傷ではないか)と考えていた。
「この子を拾った時に、おくるみの他には何かなかったか」
多田羅は、ふちを見た。
ふちは、次期当主、多田羅の青年らしい清々しさに好ましさを感じている。目には好意が滲んでいる。
「どうだ?」
と再度問われ、ふちは答えた。
「おくるみのそばに懐紙入れがございました……」
その品を見てみたい、と多田羅が弥兵衛に頼むと、弥兵衛はまばらに禿げ上がった頭を撫でて、
「いやあ、そいつはどうかご勘弁を」
と身をよじるように抵抗した。
それでも多田羅は頑として譲らない。弥兵衛の手に無理やり銭を握らせ、「頼む」と二十遍ほど繰り返した。
「取り上げないでくださいよ」
ついに弥兵衛は、しぶしぶ家の奥から懐紙入れを出してきた。
それは絹で出来た豪奢な品で、多田羅のような一豪族では手に入れられないような物だった。
開いてみると、中には「命名 妙」と筆で書かれた懐紙が入っている。その文字も流れるような、たおやかな筆致である。
女文字――きっと教養のある美しい女が書いたものに違いないと、多田羅はわきあがる興奮を抑えた。
当の妙は、多田羅の大きな体が珍しいのか、自分のか細い手首と多田羅の太い親指のどちらが太いのかを確かめようと、好奇心をたたえた目で、多田羅の親指をじっと見つめている。そのあどけない表情は、どこから見ても五歳の童女のものである。
けれど色の白さ、頬の丸さ、唇の赤さといった顔の造作に、いずれ大輪の花となる予感が息づいている。
そもそも、この「妙」という名も、武家の娘につける名である。ひょっとしたら土岐、浅井、朝倉、明智など戦で滅した名のある武家に連なる姫ではないかと期待して、多田羅は目の前の童女を見つめた。
「俺の屋敷に来ないか?」
あっ! と弥兵衛が驚いて飛び上がった。
そんな弥兵衛を無視して、多田羅は言い切った。
「俺がお前を毎日、楽しく暮らさせてやる」
相手はほんの小さな子どもだ、苦もなく頷くと思った。
玩具でも衣類でも百姓の暮らしよりはずっといいものを与えてやる自信も、多田羅にはあった。黙っている妙に、さらに言う。
「望むものは何でもやろう」
妙は黒目がちな瞳でまっすぐに彼を見返して俯き、「望むもの」と小さく呟いた。
そのしぐさと額にかかるまっすぐな前髪を多田羅は愛おしいと思い、黒い絹のようなその髪をかき上げたいという衝動に胸をつかれた。
そんな多田羅にはまるで気づかず、不意に妙が言った。
「天下一がほしい」
思いもかけないその言葉に、多田羅は面食らった。
その時、二十歳になっていた彼でさえ、天下一のものなど持っておらず、見たこともなかった。
地方豪族の頭領として、この根尾の山奥で一生を終える身である。自分が採り、天下一と誉めそやされる菊花石も所詮は石ころにすぎない。そしてそんな物など、この女が望む天下一ではないと、多田羅にはすぐにわかった。
「そうか、天下一か。それは難しいな」
多田羅は笑って正直に言った。
「でも、天下一」
妙は、答えを翻さない。
「わかった。いずれ必ず、お前に天下一のものをやろう、天下一を見せてやろう」
そう頷いて、多田羅は妙の小さな体を抱き上げた。
「だからいずれ必ず、俺のものになれ」
かつぎ上げられた妙が、多羅羅の肩の上で、こくんと小さく頷いた。
妙を引き取るにあたって養母のふちは
「妙に会いたくば、いつでも屋敷に会いに来い」
という多田羅の一言で、あっけなく頷いた。むしろ、ゆくゆく妙が次期領主の妻になることを、心からふちは喜んでいるようだった。
しかし、養父の弥兵衛は「それだけは、どうかご勘弁を」とひどく抗した。
それも「あとは頼む」と斑目に任せて、多田羅は妙を肩車して、屋敷に帰った。
驚いたのは、多田羅の両親である。
とうに元服も済んだ二十歳の嫡男が、運命の女に会うまではと世迷言を吐き、頑なに嫁を取らずにきて、やっと妻にしたいという女を連れてきたと思ったら、相手は五歳の幼子である。
「お前はゆくゆく多田羅の家を継ぐのですよ。そのような子どもに夢中になっていては、家が続きませぬ」
母のお栄(えい)は、泣いて卒倒した。父の昌武は
「妙のことはいずれ体が長けた後、側女にすればよいではないか。とにかく別に嫁をとれ」
ときつく苦言を呈したが、多田羅は頑として聞かない。
「妙を嫁にするのです」の一点張りである。
そうやって妙と暮らすようになってからというもの多田羅は、天下一の何が妙に見せてやれるか、そればかりを考えるようになった。
根尾には菊花石以外に、もう一つ、天下一を誇るものがあった。
樹齢千年を超すという淡墨桜(うすずみざくら)。――四六七年に継体天皇が手ずから植えたと伝わる古い桜の大木である。古よりこの桜を一目見ようと、帝の御行が度々行われた。
物心ついた頃から、多田羅はこの淡墨桜が好きだった。
「今はこれで我慢せよ」
そう言って、樹齢千年になる天下一の古木を妙に見せると、登りたいと無邪気にせがまれた。
「よし、わかった」
おぶい紐で妙を背負って、多田羅は淡墨桜の木に登った。
桜の咲いていない秋の時節、古木のてっぺんから見えたものといえば、根尾谷、屏風山の山と水の遠く寒々しい景色である。
それでも多田羅の背中から精一杯首を伸ばして、妙は
「天下一……」
と感心したように呟いた。
そんな妙の頼りない温かみに、彼は心臓がどくどくと鳴るのを感じた。
この地でご神木の如く崇められている淡墨桜に登るなど、万が一、人に見られようものなら恐れ多い罰当たりだと誹(そし)られる。
それでも多田羅は、背中から伝わる妙の鼓動を心から楽しんでいた。
構うものか、妙が喜ぶのなら、俺は何だってしてやる。
と顔を上げて、多田羅は日暮れていく空を見た。おぶわれている背中の妙も、つられて同じように上を向く。
あ、と二人は同時に声を上げた。
空中には二羽の鸇(さしば)が茜色の空に矢で留められたように、向かい合い絡まり合い、羽をせわしなく動かしていた。
「あれは、何をしているの?」
交尾をしているのだろう。
多田羅は、睦みおうておると言おうとして、
「夫婦が共に天に昇るところよ」
と口にした。
谷間に向かって滴る茜色の空の景色は、どこか戦火に似て見えた。
空中の二羽の鳥は、焼かれ燃えて、生きながら死にゆくものを彼に思わせた。
背中で妙が、ぶるりと身を震わせた。
「怖いか?」
この高さから臨む景色が怖いか、死ぬことが怖いか、俺のものになることが怖いか、そのどの意味を込めたのか、多田羅は自分でもわからないままに聞いた。
「ううん。いずれ、みな死ぬ」
賢い子だと思った。
多田羅の心に浮かんだ問いに、すべて答えるような言葉であった。これはやはり百姓の子ではあるまいと確信した。
多田羅は、おぶい紐をほどいて、妙を自身の体の中に包み入れた。
その胸の中で妙が
「礼様……」
と初めて多田羅の名を呟いた。
それを聞いた多田羅の体の方が震えていた。もし妙を失ったら生きていけないと思った。その時は、きっと俺は妙とともに死ぬな、と心のすべてが腑に落ちていた。
多田羅が二十三歳、妙が八歳になった時、根尾氏の娘との縁談が持ち上がった。
ところが、半ば強制的に娶合わされるという段になって、多田羅は逃げた。逃げたというのは文字通り、妙を連れて、山奥へ逃亡したのだ。
夏から秋にかけての根尾谷は、緑と生き物の涅槃のようだ。とにかく、光ともろもろの生命が凄まじいほどに溢れている。
空を見上げれば犬鷲(いぬわし)が舞い、その空を突くように立つ大木の枝には熊鷹(くまたか)が留まり、獲物を狙ってじっと息を詰めている。猛禽類どもの鋭い嘴や黄色い瞳は凶暴な色を帯び、(こいつは食べられるのか)と言わんばかりに妙の体を見つめた。
そんな山の中で、多田羅は、妙に怪我一つさせなかった。山を歩きまわり、洞穴を見つけ、そこを二人の住処にした。川の水を汲み、アケビやムカゴを採り、投石や罠で山鳥を捕まえ、妙に与えた。蛇、野兎、狸なども捕まえて、調理し、日々の糧にした。
雄々しく猛る山の自然の中で、生きるも暮らすも、多田羅はやすやすとやってのけた。
当主、昌武の命を受けて、班目以下、村人を含めた多くの追手が山に入り、二人を捜索したが、誰も捕まえることができない。
「礼様は、もうこの近隣の山にはいないのでは?」
山での探索に疲れ果てた近習は、昌武に向かって泣くように訴えた。
「そんなはずがあるか!」
昌武はそう怒ったが、二人の影も形もその片鱗さえ、誰もつかむことができない。やがて、
(どうやら多田羅家の大童様は、根尾領を捨て、どこかの地で女とともに透波になったらしい)
そんな噂が村人たちの間でたち始めた。ところが山に霜が降りる頃になって、多田羅と妙の二人は、ひょっこり屋敷に戻ってきた。
屋敷を出奔した時から、三月(みつき)が経っていた。
「よくぞ帰ってきてくれました!」
屋敷の前で、泣いて多田羅の体にむしゃぶりついた母のお栄に向かって、
「妙が風邪など引いては哀れだ」
と泥だらけ、ざんばら髪に髭ぼうぼうの多田羅は言った。
「妙のこと決して悪いようにはせぬ。お家のために、根尾の姫を娶れ」
その夜、妙と共に風呂に入って髭と月代を剃り、小ざっぱりした多田羅に向かって、改めて昌武が男親の威厳をもって迫った。
ところが多田羅はどこまでも「妙が私を待っておりまする」と繰り返すばかりである。
妙が自分の体が長け、自分のものになるのを日々待ち遠しく待ってくれているというのである。
「女の妙が待っておりますのに、男子の私が待てないことがありましょうか」
昌武に向かって朗々と言う。
「しかし、お前も男子。女の体が欲しいと思わんのか。猛って眠れぬ夜もあろう」
昌武が見透かしたように言うのにも
「そのようなときは縄でもって、我が蛇を太股に縛りつけまする。心配はご無用。私は平素から妙以外の女を見てはならぬと、我が目玉にも重々言い聞かせておりまする」
と答える始末である。
「根尾の姫は美しく、心根もよいと評判の姫なのですよ」
お栄が身を乗り出して、諭すように言い添える。
「世に妙ほどの女はおりませぬ。母上、万が一、根尾の姫が我が屋敷に嫁いでこようと、その姫とは私は一生、床入りなぞはいたしませんよ」
これを聞いたお栄と昌武の二人は、息子の強情さに絶望するよりほかなかった。
こうして、多田羅の縁談は流れた。
もっとも当の妙は、まだまったくの子どもで、毎夜、多田羅と一つ床に入りながら
「女房というのは、いったい何をしたらなれるものなのでしょう? 妙にはその女房様というものになれる印がまだないみたい」
と平らな胸を、自分の掌で確かめて、首をかしげたり、自分の太股にぴたりと押しつけられる多田羅の下半身を無邪気に撫ぜて
「礼様は全身が温くて、まるで火鉢のよう」
などと言って目を閉じて笑うばかりだ。
近隣でこの話を知らぬ者はいない。すべて多田羅自身が話してしまうからだ。
村人はみな、耳にたこができるほど、彼と妙とのことを知っている。
それでついたあだ名が、「女狂いの大童様」である。
そのあだ名を多田羅は「天下一の誉(ほまれ)だ」と誇り、喜んでさえいた。
そうやって妙が十歳になるのを待って、やっと近頃、嫁にした。祝言をあげても、まだ妙の体は十分に育っていない。
なに、焦ることはない――。
多田羅はゆっくりと時を待っている。
片や領民たちは、多田羅がことを成した暁には、翌日にでも喜々として触れ回るであろうと、何やら面はゆく落ち着かない気持ちでいるのであった。
妙と多田羅が夫婦になって、初めての正月が近づいてきた。
「とにかくめでたいことでございますな」
幼い頃からの従僕で、多田羅より二つ年上の斑目は、手にした椀の酒をすすりながら、そう漏らした。
妙がこの屋敷に来てからというもの、斑目は苦労の連続だった。
度々小金をせびりにくる弥兵衛の懐柔、「お前がついていながら」と言う主、昌武の叱責、多田羅を探すために山中を駆けずり回った日々、思い出すだけでその心骨がじんと鳴るようであった。
それでも、妙を見つめる多田羅の嬉しそうな横顔を見ていると、まあ、よいかという気になるから不思議だ。
多田羅の視線の先には、斑目の子で十二歳になる助信(すけのぶ)とともに独楽回しをして遊んでいる妙がいる。助信は、屋敷に妙が来た時から、妙のお守り役をしている。
二人ともまだまだ幼く、独楽遊びに興じる様子はあどけない。
「礼様もこちらに来て、一緒にやりましょう」
木の独楽を持った手で、妙が多田羅を手招きする。
「妙様はお美しいだけでなく、独楽もお上手ですね」
助信の誉め言葉に、そうだろう、と多田羅は大きく頷いて、妙と助信、二人がのぞき込む独楽の盤に近づいた。
やがて、三つの独楽がくるくると、楽し気に盤の上で回り出した。
独楽回しに夢中になる三人の笑い声にまじって、カッカッと、独楽がぶつかる音が部屋に響いた。
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