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10一2 ●ふーすけ先生の葛藤 Ⅱ●
しおりを挟む昼休みが終わる間際、舎弟から連絡が入った。
まだ三分の一ほどの情報しか集められていないので、あと三日は欲しいと言われたが、そんなに悠長にはしていられない。
今晩から動くから二日でやれ、と言って通話を終了し、橘は授業へと向かった。
理系クラスの二年A組と三年A組の一時間ずつをこなし、その後、由宇の待つクラスでSHRの時間となる。
ポケットに手を突っ込んで一年の廊下を闊歩すると、図らずとも生徒が道を開けてくれていつも助かる。
長身の強面が眉を顰めて歩けば、校内に限らず大概の人間は避けていくのだが、橘にはその自覚があまり無かった。
その廊下の先で珍しく怜が独りで歩いているのを発見し、気持ち早歩きで傍へと寄って行く。
「おい、耳貸せ」
「橘先生。 なんですか?」
開口一番の台詞に驚かずに居てくれるのは、昨日の件から怜の中での橘の印象ががらりと変わっているからだろう。
生徒達が行き交う公の廊下で話すのは躊躇われたが、少しだけ背中を丸めて不思議そうに首を傾げる怜に耳打ちする。
「今日だけ由宇をお前ん家に泊めろ」
「え? どうして……」
「理由は後で話す。 いいな、それとなくうまいこと言え。 手も口も出すなよ」
「…………???」
藪から棒過ぎて困惑状態の怜をそのままに、橘は踵を返した。
由宇を手元に置くのは訳あって明日からだ。
ケリを付けるまで、悲惨たる家に帰すつもりはない。
「橘センセー! 一年二組の担任になったってホントぉ?」
「えぇ~いいなぁ~! センセー、うちのクラスきてよ~♡」
「羨ましいぃ~!」
一年二組の教室の扉に手を掛けた時、三名の派手目な女子生徒達から声を掛けられた。
度々こうして足止めを食らうので、たまにタバコ休憩にも行けない事がある。
女と言えど、どれだけ化粧をして背伸びをしていても、橘から見ればまだまだ子どもなので色気もクソもない。
橘は苦笑しながら扉を開けて振り返り、女子生徒らを見下ろした。
「いや、だからここの担任は病気なんだっつーの。 心配してやれよ。 お前らもSHRの時間だろーが。 さっさと行け」
「センセー冷たーい!」
「でもその裏切らないとこが好きー♡♡」
「はいはい、分かったから。 じゃあな」
ピシャッと扉を閉めて賑やかな教室内へと入ると、橘が現れたと分かるや途端に各々は着席し、静まり返る。
教壇に上がり、生徒達を見回すフリをして由宇の姿を捉えた。
目が合い、ジッと見ると慌てたようにしてすかさず逸らされる。
───気に入らない。
「それぞれの教科の宿題忘れねーようにな。 じゃ解散」
一言目で解散を言い渡し、呆気にとられた生徒達を置いてそのまま扉を出て行く。
だが出て行く間際、牽制の意味を込めて由宇を一睨みしておいた。
色々とやり過ぎた自覚は一応あるので、由宇が放課後、逃げ出さないようにだ。
その足で生徒指導室まで向かうと、早々と鍵を入手していた橘は机に腰掛けて禁煙パイポを咥えた。
先週突然言い渡された代理担任の話に二つ返事でOKを出したのは、単に由宇のクラスだったからだ。
他のクラスであれば、そんな面倒な事は絶対に引き受けない。
人間ドックで胃にヤバ目な腫瘍が見付かり、手術となった佐藤には悪いが、相当いいタイミングで担任になれて橘はほくそ笑んだ。
由宇のギョッとする顔が見たくて何も言わずに土日を過ごしたが、あれやこれやと考える事が増えてしまい、橘も今朝遅刻ギリギリで登校してから担任の件を思い出した。
担任初日で遅刻するのはよくない。
橘は完全なるコネ入職でこの学校へとやって来たからである。
すべては恩師である園田を助けるために、下げたくもない頭をほんの少しだけ垂れて父親に頼んだ。
代々続く旧家の橘家は、現在の大元は不動産業にて潤っているが、分家である橘の実家は茶道を生業としている。
十代のうちは散々やりたい放題させてもらったので、教員免許を取得して親孝行してやろうじゃないかと奮起した矢先に、歌音の不倫が発覚した。
両親共に様々な方面で顔の利く地元の盟主なため、園田の息子がこの高校に入学すると知って無理やりねじ込んでもらった。
本来入職するはずだった数学教師は教育委員会就きになったらしいが、こちらも事情があるので何とも思わない。
並大抵の事では揺るがない強いハートが橘の自慢である。
授業はつつがなくやっているし、中学入学まで習わされていた習字初段のおかげでとことん綺麗な字も書く。
教えているクラスの平均値も軒並み上昇傾向なので、教育委員会も校長も突然のコネ入職だからとて何の文句も言えないだろう。
たとえどんな状況下でも手は抜かない。
それこそが橘の強味であり、心得だった。
禁煙パイポを噛んで腕時計を見る。
睨みで「来いよ」と牽制をかけたにも関わらず、遅い。
逃げやがったのか、と苛立ち始めていると、ふと扉の向こうで足音が聞こえた。
耳を澄ましていると、内心を表しているかのように扉がゆっくりゆっくり開いていく。
「遅せーよ。 タバコ吸いたくてイライラしてんだけど」
由宇のふわふわした茶色がかった髪が見えた瞬間、橘は待ち望んでいたとばかりに由宇の元へ歩み、腕を取って中へと引き込んだ。
そしてすかさず扉を閉め、内側から鍵を掛ける。
「そのセリフもう何回目だよ!!」
元気に吠える由宇の腕を引いて教室の端まで行くと、壁際に体を押し付けた。
複雑な胸中を匂わせまいとしてキッと睨んでくる気の強さが可愛くて、思わず顔を寄せて見入った。
「三回目。 っつーかお前目逸らすのやめろよ」
「はっ?? そ、そらしてないけど~?」
「その憎たらしい顔もやめろ」
顔を寄せて目を合わせても、すぐに逸らして橘を見ようとせずにとぼける。
はぐらかし続ける橘もいけないが、無意識に煽ってくる由宇も悪い。
「え、……ちょっ? ……っん……」
尖らせた薄紅色の唇に自身のを重ねると、胸を押して小さく抵抗してきた。
そんなものは意に介さず、グッと背中を抱いて唇の隙間から舌をねじ込み、由宇の舌を探す。
引っ込んでいた舌を見付けて絡ませていると、飴でも舐めていたのか、ほんのりとイチゴの風味がした。
───歯止めがきかない。
どうしてこんなに欲するのか分からない。
イチゴ味のキスなど、生まれて初めてした。
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