永遠のクロッカス

須藤慎弥

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 体の関係になる前は、とても楽しかった。
 高校生なりのバカばっかりしていて、何が起きても可笑しくて、月光の発言にいちいち吹き出し、それこそ毎日毎日笑っていた。
 勉強が出来なくてもヘラヘラしている月光に、「ほんとバカだな」と笑いながらも根気良く教えてやった事も一度や二度ではない。
 乃蒼が行くなら俺も行く、と大事な進路まで即決してくれた事が内心ではかなり嬉しくて、美容専門学校のオープンキャンパスと受験にも二人で行った。
 その時はすでにセフレ状態だったけれど、セックス抜きでの月光との時間はまさに乃蒼の青春そのものだった。

 月光とは友達がいい。
 親友という立ち位置が、乃蒼にはちょうどいい。


「…………友達じゃダメなのか」
「友達じゃダメー」
「じゃあもうさよならだよ」
「………………」


 ここまで決定的な言葉を告げると、ようやく月光も乃蒼の決意を分かってくれた。
 しばらく乃蒼を見詰めていたが次第に視線は下がっていき、現在ひたすら地面を睨んでいる。
 見るからにしょんぼりとさせてしまったけれど、乃蒼も並大抵の覚悟を持って月光と離れたわけではない。
 少しでもあの頃の乃蒼の気持ちを分かってほしいと期待した上で、キッパリと告げた。
 「好き」という想いを伝えられても何も響かなかった事を思えば、月光にはそれだけ信用がない。
 またあの時の二の舞を繰り返すつもりなのかと、乃蒼は自身にだけでなく月光にも問うたのである。

 こちらへ向かってくる電車車両を遠くに確認した乃蒼は、おもむろに立ち上がった。


「月光、俺の番号消して。 俺も消すから。 このまま “思い出” で終わろ?」
「乃蒼……なんで……なんで……」
「電車来たから、俺帰るよ。 月光も仕事に戻りな」


 今日の終電は、やけに来るのが遅かった。 そう感じながら、乃蒼は電車に乗り込んだ。
 だが扉が閉まる寸前、月光に腕を引っ張られて降車を余儀なくされ、しかも駅員さんに「危ないですよ」と叱られた。
 腕を取られたままの乃蒼は、去って行くこの日最後の電車車両を愕然とした面持ちで見送った後、キッと目尻を吊り上げて月光を振り返った。


「ちょっ! 月光! 終電逃しちゃったじゃん!」
「友達でもいい。 乃蒼が居なくなるくらいなら、友達でもいい」


 掴まれた腕が折れてしまいそうだ。
 乃蒼の怒りなどまったく意に介さず、のんびりとした間の抜けた口調も封印した月光は、今まで見た事もないほど真剣な形相だった。
 必死なのは、その表情と握力で充分伝わった。
 痛いと呟いても離してくれない。
 乃蒼と月光がただの「友達」になるには絶対に我慢しなければならない事があるが、それを理解した上で乃蒼を引き止めたのだろうか。

 その場しのぎなのではないかと、頭では分かっていた。
 ここで「友達」を許すと、後からまた後悔の日々が始まる気がした。
 
 しかし乃蒼は、囚われている。
 決して苦味だけではなかった青春の日々に、縋りたい気持ちがまだ心のどこかに残っている。


「………… “友達” は、やらないんだよ」
「いい。 我慢する」


 ほんとかよ、と思いながら、乃蒼は今日初めて月光とまともに視線を合わせた。 すると彼は、ゆっくり背中を丸めて先程のように柔らかく乃蒼を抱き締めた。


「乃蒼に無視されるのキツイんだよ~。 もうあれ味わいたくない……。 嫌われてないんなら、俺はもうどんなのでもいい」
「……嫌われてると思ってたんだ」


 例の一件以来、突然乃蒼から突き放された月光も彼なりに傷付いていたらしい。
 間の抜けた口調に戻っているせいで信憑性には欠けるが、月光は打算計算が苦手なおバカなので嘘は吐けない男だ。
 気持ちを断ち切るためだったとはいえ、乃蒼から無視され続けた月光にもほんの少しだけ同情の余地はある。
 説得するまでもなく月光の気持ちが聞けた乃蒼は、ややいい気分で黙ってされるがままになった。


「だって急にやらせてくんなくなったし、専門行っても俺の事ガン無視してたじゃん~。 浮気責めたから嫌われたんだって思ってた」
「嫌ってるわけじゃないよ。 ……月光は俺じゃなくて、女を抱いてればいいじゃんって事を伝えたかった。 俺を相手にしてる時間があったら、女と結婚して、月光に似た可愛い子どもをたーくさん作った方が、絶対にいい」
「何だそれ……。 それは乃蒼とじゃ無理なの?」
「無理だろ、俺男だし。 それに、月光は恋人を一人に絞れないダメな奴なんだから、俺には手に負えません。 分かったら手離して。 痛い」
「うん、わかった~。 じゃ、ホテル行こ」
「おい! さっきまでの話はどこ行ったんだよ!」


 ───バカなのか、こいつは。
 
 たった今、とてもいい感じで話が纏まりそうな雰囲気だったではないか。
 マイペースなおバカは健在だったようで、「乃蒼と会話が出来て嬉しい」と無邪気に喜んでいる心の声まで手に取るように分かる。
 離れていた月日を感じさせない月光の態度が、そうさせるのだろうか。


「俺たちは友達、だろ~? ホテル行っても何にもしないから! なっ?」
「それよく聞くやつ! 行ったら絶対後悔するやつ! ていうか仕事行けよ!」
「え~今さら店戻りたくないよー」
「え~じゃない!」


 月光は高校時代には見られなかった駄々っ子が身に染みついている。
 ホストとして散々年上のお姉様方に可愛がられてきた証拠なのだろう。 甘えればいいと思っている。
 そんなものにはなびかない乃蒼は、この駄々っ子をどうやって懐柔すれば良いかを考えてみた。
 その結果、ひとまず頑張る意欲を持たせればいいという結論に至った。


「俺とりあえずビンちゃんとこ戻って飲んでるから、仕事終わったら来いよ。 ホテルは無理だけど、朝までカラオケかファミレスなら付き合ってやるから、仕事は行け。 男たるもの仕事を二の次にするな」


 そんな奴は嫌いだからな、とまで付け足して言うと、予想通り月光は目を輝かせ、いそいそとジャケットを羽織った。
 困った大人だ。


「じゃあ頑張ってくる~! 二時には上がるから、それまで寝るなよ~?」
「分かったってば」


 スキップでもしてしまいそうなほど浮かれた月光と、選択を誤っただろうかと早速後悔し始めた乃蒼は揃って来た道を戻った。
 無邪気な顔でゆるぎまでついて来ては元も子もないので、乃蒼はわざわざ「♢」の前まで送り、さらに出迎えの者達から「お疲れーっす!!」と声を掛けられている所まで見張ってやった。


「……手が掛かるわ、ほんと。 昔も今も」


 正直なところ、晴れ晴れとした……とまではいかないが、長く喧嘩別れしていた親友とようやっと仲直り出来たような爽快感はある。
 過去が過去なだけに、これから月光とどんな風に接していけば良いかなど今はまだ分からない。


「ま、……俺がしっかりしてれば大丈夫だよな、……うん」


 独りごちた乃蒼は、そっとゆるぎの扉を開けた。
 今はただ、明後日までおあずけだと思っていたサングリアを飲むのが楽しみだ。






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