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◆ 偽りのはじまり ◆
第二十四話
しおりを挟む布団に潜り込んだ天は、ある文面を何度も検めていた。
晩の薬を飲み、ミッションを完遂したおかげで睡魔と闘いながらもスマホの画面から目が離せない。
【運命の番を知るには、素肌に触れれば一発で分かる。 他者では感じ得ない、まるで静電気のような微弱電流が体を突き抜け、その瞬間から意図せず接触が増えるようになる。 番相手に出会うと、Ωに関しては抑制剤の効き目が鈍くなり、またその逆の効果が表れる事がある。 …………】
天は半分夢の世界に落ちかけた状態のぼんやりとした頭で、潤と出会ってからを反芻した。
今回の発情期に備えて早めに飲み始めた薬。
これはちょうど潤と出会った後である。 何故か今までに感じた事がないほど、日を追うごとに抑制剤の効果が強く表れた。
毎日毎日、強烈な眠気に襲われて会社にも遅刻寸前で後ろめたいが、今朝ももれなくそうだった。
だが潤から触れられ静電気を浴びた瞬間、たちまちそれまでの眠気とだるさは消え失せて体内に "何か" が流れ込んできた。
潤も、そして天も最終的には静電気説に落ち着きはしたが、腑に落ちないからこそ潤は少し考え込んでいたのだろう。
天だってそうだ。
───今のは何だ。 何かが体中を駆け巡っていった。 眠気もだるさも一瞬にして飛んでいった。 ……潤から、目を逸らせない。
Briseに到着するまで悩み歩いていた天がふと思い出したのは、看護師に熟読するようにと渡された「番関係に至るまで」と書かれた一枚のプリント。
番など要らないと、天は流し読みしたそれをすでにその場で破棄している。
αとΩの絶対数そのものが希少なのに、身近で運命と称される存在に出会えるはずがないと思ったのだ。
それは嘲笑に近かった。 かつ、もう一つ、天には耐え難いものがある。
番の居ないΩ女性はもちろん、資料でしか見た事はないがΩ男性も首に専用の首輪を嵌めなくてはならないとあった。
Ωは、発情中にαからうなじを噛まれる事によって番関係が成立する。 これは本能的に両者に組み込まれているものであり、理性では制御出来ない。
フェロモンに誘われて万が一にも望まない番関係となった場合、圧倒的にΩの負担が大きくなる。
もしも番となったαから見放されてしまった時、Ωはその後誰とも接触が出来なくなり、精神的ショックによって生きる気力さえ失ってしまうのである。
天は恐ろしかった。
首輪を付けなくてはならない理由もそうだが、番という世の結婚制度よりも遥かに重たいものによって縛られるΩに、良い事など一つも無いと断定した。
差別され、見下され、その上格差のある関係を築いて何の得があるというのだ。
「嫌だ……Ωなんて……」
スマホを静かに枕元に置いた天は、布団の中で丸まった。
発情期の時期になり、抑制剤を飲む度に独りで呟くのはもうやめたい。
偽り続けて、いつか皆にΩである事がバレたらと思うと怖くて怖くてたまらない。
差別されたくない。
蔑まれたくない。
潤も、豊も、そんな素振りを見せないので油断してしまいそうになる。 だからこそ、βで居たいと強く思ってしまう。
文面を読む限り、現状当てはまる事は多い。
しかし、潤との "もしかして" がそうでなかったと結論も出た。
何しろ潤は、天と同じくβだと名乗ったのだから──。
「……ん、……?」
マナーモードにしていたスマホが、枕元で鈍い振動音を響かせていた。
着信である事に気付き、薄目を開けて相手を確認する。
「……潤くん? ……どうした?」
『天くん、もう寝てた?』
「いや、寝る寸前、って感じ……」
約束通りキッチリ二十時には駅で分かれた潤は、まだ物足りなさそうだった。
一日動き回り、最後には美しい夜景を一時間以上も眺めて疲れていてもよいはずなのだが、すでに布団に包まっている天とは違い電話口の声は若者らしく元気だ。
記憶の中の潤が真新しいせいで、笑顔まで蘇ってくる。
『ほんとだ、声眠そう。 今日はありがとうって言いたくて』
「そんな……俺の方が、ありがとうだよ。 プランも考えてもらって、支払いも全部……」
『気にしないで。 僕ちゃんと働いてるし、使う事ないからこういう時に使わないと貯まる一方なんだよ』
「いい事じゃん。 もう使わなくていいから、しっかり貯めときな? 金は大事だぞー」
潤の声が、ただでさえ睡魔と闘っていた脳にやけに浸透する。
かろうじてスマホは耳にあてがっていたけれど、目を瞑っていた天の呼吸が一定になり始め、きちんと応答出来ているか怪しくなってきた。
『……天くんだから、ね』
「うん、ありがとー」
『聞いてる? 空返事しないでよ』
「うん、聞いてる」
『ふふっ……寝ぼけてるな。 まぁいいや、また明日LINEするね。 天くん、おやすみなさい』
「うん、……おやすみなさい」
直後、天の手のひらからスマホが滑り落ち、通話終了を押さないまま布団に着地する。
一気に深い眠りへと突入した天は、早速抑制剤の効果が表れていた。
明日は日曜日なので目覚ましはいつもより遅めの十時にセットしてある。 それまでたっぷりと、昏睡に近い眠りを堪能する気でいた。
『───天くん……嘘吐いて、ごめんね』
無造作に置かれたスマホから、囁くような声がした。
だがしかし、天の寝息に紛れ切なげに呟いた潤の詫びなど、堕ちた天には聞こえようもなかった。
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