恋というものは

須藤慎弥

文字の大きさ
27 / 139
◆ 看板店員 ◆

第二十七話

しおりを挟む




 潤は、天が思っていた以上にいじけていた。

 怒っているのではなく、いじけていると彼本人がそう言った。

 疑いようもなく、原因は分かっている。

 ハマっていると言った海外ドラマのタイトルを教えなかった事、勝手に通話を終わらせた事、午後のメッセージを一度も返さなかった事……否、定時まで社用車を使って取引先巡りをしていて返す暇が無かっただけだ。

 一時間半の残業の後、仕事を終わらせた天はコートを羽織る前に潤へ短文でメッセージを返す。

 すると即座に電話が掛かってきて、「お疲れさま。 僕今日バイトだからBriseで待ってる」と矢継ぎ早に言われ通話を切られた。

 恐らく昼間の仕返しだろう。


「海外ドラマ調べとかなきゃ……」


 口をついて出た嘘に食い付かれてしまったので、天はそれまで何の興味も無かった海外のドラマを調べ尽くす羽目になった。

 潤のバイト先であるBriseへと向かう道中、歩きスマホでネットサーフィンをする。

 ひとまず評価の高い連続ドラマをいくつかピックアップしてみたが、あんな嘘吐かなければ良かったと今になって後悔している。

 美味しかった潤オススメのカフェラテを一杯だけ頂きつつ、どうやら "構ってちゃん" な潤を宥めて、帰りはレンタルショップへ行こうと小さな計画を立てた。


「あ、時任さんにも電話しなきゃな。 忘れないようにアラームかけとこ」


 妻から浮気疑惑をかけられている豊は豊で、「物凄く可愛がっている後輩に蔑ろにされたんだが、どう思う?」と外回り中の天にわざわざ電話をかけてきた。

 潤を優先した事で、こちらも絶賛いじけていたのである。

 そして浮気疑惑を晴らすため、夜八時頃に電話をかけて来いと命ぜられた。

 それほどまでに妻の追及が厳しいとは、あのやれやれ顔は大袈裟でも何でもなかったらしい。

 蔑ろになどしたつもりはさらさら無かったけれど、心配性な上司のためならばお安い御用だと命令を呑んだ。


「……男一人じゃ入りにくいなぁ」


 小洒落た今風のカフェの前で、似合わないスーツと淡い色のコートを羽織った天は立ち止まる。

 取引先から程近いここへは迷わず来れたものの、入店するにはそれなりの勇気が要った。

 今日のオススメスイーツは「いちごのタルト」らしい。 美味しそうだ。

 学生から離れて間もなく四年目となる天には、店内で語らう若い者らと数十年は生きている時空が違う感覚である。

 ほんの少しだけ店外から中を覗くと、天はすぐに潤を見付けた。

 一昨日見た女性店員が身に着けていたのは白のカッターシャツに深紅のサロンとスカートのみであったが、潤は黒のベストと同色のサロン、スラックスを纏っている。

 客と受け答えする様、店内をゆらりと移動する様、コーヒーを注ぐ様、いずれも何とも優雅で思わず見惚れた。

 控えめに言って、格好いい。

 あれが噂の看板店員でなければ何なのだと、潤の謙遜を思い出した天は苦笑を浮かべたほどだ。


「あっ、天くん! いらっしゃいませ!」
「…………っっ!」
「どうしたの、そんなところで。 寒かったでしょ、入って入って。 もう……天くんが来るの待ってたんだよ?」


 店内を怪しく覗いていると、目で追っていた看板店員から手招きされた。

 入り口の戸を開けて、恭しく中に通されて悪い気はしないが妙に照れる。

 店内の九割は女性である客達からの視線も集まってきて、ただでさえ小さな体が縮こまった。


「俺……帰っていい?」
「え!? どうしてそんな事言うの? せっかく来てくれたのに僕に一杯も奢らせない気?」
「いや……俺場違いじゃないかなと。 ていうか、また奢る気だったのかよ」
「場違いなんかじゃないよ。 天くんのスーツ姿見たかったし」
「……なんで?」
「なんでだろうね? とにかく座ってよ。 今日は僕がカフェラテ作ってあげる」
「……カフェラテ……」
「あ、満更でもない顔になった。 おいでおいで、カウンターで僕の鮮やかな手付き見ててよ」


 記憶に新しい、静電気を浴びせられた大きな手のひらを見せられると、天の体が回れ右を拒んだ。

 隠し味のダークチョコレートソースが入ったカフェラテなら、来る前から口内がそれを楽しみにしていたし、こんなにも店内が女性客でいっぱいで無ければすぐに着席して胸を弾ませていた。

 天のスーツ姿が見たかったと言う潤が、電話やメッセージほどいじけてはいなかった事にホッとした天は、促されるままにコーヒーサイフォンが目の前にあるカウンターの席に落ち着く事にした。

 ここはそば屋よりもテーブルと椅子が高いと見抜き、小柄な天は慣れた様子で弾みを付けて腰掛けたがお尻がずり落ちそうになる。

 すかさず腰を支えてくれた潤は、紳士のように椅子を引いて何食わぬ顔をしてくれた。


「ぷっ……自分でハードル上げてない? あ、ありがと」
「僕は障害物競争も短距離も長距離も得意だよ」
「陸上の話はしてないよ……」
「あはは……っ、分かってるよ。 大丈夫。 僕は愛情たっぷり込めるから、……一昨日のカフェラテよりも美味しいよ」
「…………じゃあ、それで」


 腰を屈めて耳元で囁くという技法を、高校生のうちから使いこなすとは恐れ入った。

 いじけた潤を宥めるつもりでやって来た天だったが、柔らかな口調で同僚に指示を出し働く潤をいつの間にか羨望の眼差しで見ていた。

 確かに彼の言う通り、一昨日のカフェラテよりもそれが何倍も美味しく感じたのは気のせいではない。

 忙しなく働く間も、潤は天が退屈しないように話し掛けに来てくれたり、キッチンから手を振ってきたり、コーヒーや紅茶を仕込みながらカウンター越しに微笑みかけてくれたりと、長年の親しい友人のような神対応で天のカフェラテがより一層甘くなった気がした。



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

あなたと過ごせた日々は幸せでした

蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。

消えない思い

樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。 高校3年生 矢野浩二 α 高校3年生 佐々木裕也 α 高校1年生 赤城要 Ω 赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。 自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。 そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。 でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。 彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。 そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

陰キャな俺、人気者の幼馴染に溺愛されてます。

陽七 葵
BL
 主人公である佐倉 晴翔(さくら はると)は、顔がコンプレックスで、何をやらせてもダメダメな高校二年生。前髪で顔を隠し、目立たず平穏な高校ライフを望んでいる。  しかし、そんな晴翔の平穏な生活を脅かすのはこの男。幼馴染の葉山 蓮(はやま れん)。  蓮は、イケメンな上に人当たりも良く、勉強、スポーツ何でも出来る学校一の人気者。蓮と一緒にいれば、自ずと目立つ。  だから、晴翔は学校では極力蓮に近付きたくないのだが、避けているはずの蓮が晴翔にベッタリ構ってくる。  そして、ひょんなことから『恋人のフリ』を始める二人。  そこから物語は始まるのだが——。  実はこの二人、最初から両想いだったのにそれを拗らせまくり。蓮に新たな恋敵も現れ、蓮の執着心は過剰なモノへと変わっていく。  素直になれない主人公と人気者な幼馴染の恋の物語。どうぞお楽しみ下さい♪

目線の先には。僕の好きな人は誰を見ている?

綾波絢斗
BL
東雲桜花大学附属第一高等学園の三年生の高瀬陸(たかせりく)と一ノ瀬湊(いちのせみなと)は幼稚舎の頃からの幼馴染。 湊は陸にひそかに想いを寄せているけれど、陸はいつも違う人を見ている。 そして、陸は相手が自分に好意を寄せると途端に興味を失う。 その性格を知っている僕は自分の想いを秘めたまま陸の傍にいようとするが、陸が恋している姿を見ていることに耐えられなく陸から離れる決意をした。

【完結】社畜の俺が一途な犬系イケメン大学生に告白された話

日向汐
BL
「好きです」 「…手離せよ」 「いやだ、」 じっと見つめてくる眼力に気圧される。 ただでさえ16時間勤務の後なんだ。勘弁してくれ──。 ・:* ✧.---------・:* ✧.---------˚✧₊.:・: 純真天然イケメン大学生(21)× 気怠げ社畜お兄さん(26) 閉店間際のスーパーでの出会いから始まる、 一途でほんわか甘いラブストーリー🥐☕️💕 ・:* ✧.---------・:* ✧.---------˚✧₊.:・: 📚 **全5話/9月20日(土)完結!** ✨ 短期でサクッと読める完結作です♡ ぜひぜひ ゆるりとお楽しみください☻* ・───────────・ 🧸更新のお知らせや、2人の“舞台裏”の小話🫧 ❥❥❥ https://x.com/ushio_hinata_2?s=21 ・───────────・ 応援していただけると励みになります💪( ¨̮ 💪) なにとぞ、よしなに♡ ・───────────・

青い炎

瑞原唯子
BL
今日、僕は同時にふたつの失恋をした——。 もともと叶うことのない想いだった。 にもかかわらず、胸の内で静かな激情の炎を燃やし続けてきた。 これからもこの想いを燻らせていくのだろう。 仲睦まじい二人を誰よりも近くで見守りながら。

今日もBL営業カフェで働いています!?

卵丸
BL
ブラック企業の会社に嫌気がさして、退職した沢良宜 篤は給料が高い、男だけのカフェに面接を受けるが「腐男子ですか?」と聞かれて「腐男子ではない」と答えてしまい。改めて、説明文の「BLカフェ」と見てなかったので不採用と思っていたが次の日に採用通知が届き疑心暗鬼で初日バイトに向かうと、店長とBL営業をして腐女子のお客様を喜ばせて!?ノンケBL初心者のバイトと同性愛者の店長のノンケから始まるBLコメディ ※ 不定期更新です。

処理中です...