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◆ 看板店員 ◆
第二十七話
しおりを挟む潤は、天が思っていた以上にいじけていた。
怒っているのではなく、いじけていると彼本人がそう言った。
疑いようもなく、原因は分かっている。
ハマっていると言った海外ドラマのタイトルを教えなかった事、勝手に通話を終わらせた事、午後のメッセージを一度も返さなかった事……否、定時まで社用車を使って取引先巡りをしていて返す暇が無かっただけだ。
一時間半の残業の後、仕事を終わらせた天はコートを羽織る前に潤へ短文でメッセージを返す。
すると即座に電話が掛かってきて、「お疲れさま。 僕今日バイトだからBriseで待ってる」と矢継ぎ早に言われ通話を切られた。
恐らく昼間の仕返しだろう。
「海外ドラマ調べとかなきゃ……」
口をついて出た嘘に食い付かれてしまったので、天はそれまで何の興味も無かった海外のドラマを調べ尽くす羽目になった。
潤のバイト先であるBriseへと向かう道中、歩きスマホでネットサーフィンをする。
ひとまず評価の高い連続ドラマをいくつかピックアップしてみたが、あんな嘘吐かなければ良かったと今になって後悔している。
美味しかった潤オススメのカフェラテを一杯だけ頂きつつ、どうやら "構ってちゃん" な潤を宥めて、帰りはレンタルショップへ行こうと小さな計画を立てた。
「あ、時任さんにも電話しなきゃな。 忘れないようにアラームかけとこ」
妻から浮気疑惑をかけられている豊は豊で、「物凄く可愛がっている後輩に蔑ろにされたんだが、どう思う?」と外回り中の天にわざわざ電話をかけてきた。
潤を優先した事で、こちらも絶賛いじけていたのである。
そして浮気疑惑を晴らすため、夜八時頃に電話をかけて来いと命ぜられた。
それほどまでに妻の追及が厳しいとは、あのやれやれ顔は大袈裟でも何でもなかったらしい。
蔑ろになどしたつもりはさらさら無かったけれど、心配性な上司のためならばお安い御用だと命令を呑んだ。
「……男一人じゃ入りにくいなぁ」
小洒落た今風のカフェの前で、似合わないスーツと淡い色のコートを羽織った天は立ち止まる。
取引先から程近いここへは迷わず来れたものの、入店するにはそれなりの勇気が要った。
今日のオススメスイーツは「いちごのタルト」らしい。 美味しそうだ。
学生から離れて間もなく四年目となる天には、店内で語らう若い者らと数十年は生きている時空が違う感覚である。
ほんの少しだけ店外から中を覗くと、天はすぐに潤を見付けた。
一昨日見た女性店員が身に着けていたのは白のカッターシャツに深紅のサロンとスカートのみであったが、潤は黒のベストと同色のサロン、スラックスを纏っている。
客と受け答えする様、店内をゆらりと移動する様、コーヒーを注ぐ様、いずれも何とも優雅で思わず見惚れた。
控えめに言って、格好いい。
あれが噂の看板店員でなければ何なのだと、潤の謙遜を思い出した天は苦笑を浮かべたほどだ。
「あっ、天くん! いらっしゃいませ!」
「…………っっ!」
「どうしたの、そんなところで。 寒かったでしょ、入って入って。 もう……天くんが来るの待ってたんだよ?」
店内を怪しく覗いていると、目で追っていた看板店員から手招きされた。
入り口の戸を開けて、恭しく中に通されて悪い気はしないが妙に照れる。
店内の九割は女性である客達からの視線も集まってきて、ただでさえ小さな体が縮こまった。
「俺……帰っていい?」
「え!? どうしてそんな事言うの? せっかく来てくれたのに僕に一杯も奢らせない気?」
「いや……俺場違いじゃないかなと。 ていうか、また奢る気だったのかよ」
「場違いなんかじゃないよ。 天くんのスーツ姿見たかったし」
「……なんで?」
「なんでだろうね? とにかく座ってよ。 今日は僕がカフェラテ作ってあげる」
「……カフェラテ……」
「あ、満更でもない顔になった。 おいでおいで、カウンターで僕の鮮やかな手付き見ててよ」
記憶に新しい、静電気を浴びせられた大きな手のひらを見せられると、天の体が回れ右を拒んだ。
隠し味のダークチョコレートソースが入ったカフェラテなら、来る前から口内がそれを楽しみにしていたし、こんなにも店内が女性客でいっぱいで無ければすぐに着席して胸を弾ませていた。
天のスーツ姿が見たかったと言う潤が、電話やメッセージほどいじけてはいなかった事にホッとした天は、促されるままにコーヒーサイフォンが目の前にあるカウンターの席に落ち着く事にした。
ここはそば屋よりもテーブルと椅子が高いと見抜き、小柄な天は慣れた様子で弾みを付けて腰掛けたがお尻がずり落ちそうになる。
すかさず腰を支えてくれた潤は、紳士のように椅子を引いて何食わぬ顔をしてくれた。
「ぷっ……自分でハードル上げてない? あ、ありがと」
「僕は障害物競争も短距離も長距離も得意だよ」
「陸上の話はしてないよ……」
「あはは……っ、分かってるよ。 大丈夫。 僕は愛情たっぷり込めるから、……一昨日のカフェラテよりも美味しいよ」
「…………じゃあ、それで」
腰を屈めて耳元で囁くという技法を、高校生のうちから使いこなすとは恐れ入った。
いじけた潤を宥めるつもりでやって来た天だったが、柔らかな口調で同僚に指示を出し働く潤をいつの間にか羨望の眼差しで見ていた。
確かに彼の言う通り、一昨日のカフェラテよりもそれが何倍も美味しく感じたのは気のせいではない。
忙しなく働く間も、潤は天が退屈しないように話し掛けに来てくれたり、キッチンから手を振ってきたり、コーヒーや紅茶を仕込みながらカウンター越しに微笑みかけてくれたりと、長年の親しい友人のような神対応で天のカフェラテがより一層甘くなった気がした。
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