恋というものは

須藤慎弥

文字の大きさ
108 / 139
◆ 恋というものは ◆

最終話

しおりを挟む



「あ、待って、……母さんからめちゃくちゃ着信きてる」
「え……っ」


 こんな時に?と苦笑いされてしまったが、マナーモードにし忘れていたスマホがしばらくポケットから鳴り響いていた。

 潤のプロポーズとも取れる感動的な言葉の間中、ずっとだ。

 天も苦笑しながら取り出したスマホの画面には、「母さん」。 着信は今も尚、途切れることなく鳴り続けている。

 勤務中だと母は分かっていて、これだけ鳴らすのはおかしい。 母の身に何かあったのではないかと、天は潤のコートを掴んで応じてみた。


『あ! 天~? 元気~?』
「なっ、……仕事中の息子にかける第一声がそれか! ずっと鳴らすから何事かと思ったよ!」
『え、あんた声どうしたの』
「いや、っ……あの、酒焼け!」
『ふーん? ところで、天は大学進学とマンションだったら、どっち取る?』
「は、はぁ?」


 快活な母は昔から、時として天の予想を遥かに超える意味不明な発言を繰り出す事がある。

 今もまさにその時で、天の呆れ返った裏声に興味をそそられたらしい潤が、背中を丸めてぴたりと密着してくる。

 その二択の意味がさっぱり分からない天の向こう側では、正解を知る母の語りが始まった。


『こないだ会ったイケメンの子いるじゃない? あの子って絶対にαだと思うのよ。 番に……とは言わないけど、奥手な天とお付き合いしてくれたりしないかなぁ。 天の看病したいって私に申し出てくれたし、脈アリじゃないかなぁと思うんだけど、どうなのよ』
「え、…………」
『天のフェロモンで誘えないの? あの子絶対あんたの事好きだと思うよ!』
「か、母さん……っ! そ、そそそんな事より、進学とマンションって何の話なんだよ」


 話が突拍子も無さ過ぎて、盛大にどもるわ舌は噛むわ、潤はというとすぐそばで吹き出しているしで、散々である。


『母さんね、天の将来を狭めちゃった事ずっと気に病んでたの。 Ω性で悩んでる事も知ってたけど、何も言葉をかけてあげられなかった。 でもね、天を心配するあの子を見た時「もしかして」と思ったのよ。 母さんの心配なんか目じゃないくらい、あの子は天の事……大事に思ってくれてそうだった』
「………………」
『だからね、あと一年貯金がんばろーって思ってたんだけど、あの子今年が受験だって言ってたし、進学と合わせてあげた方がいいかなって』
「……言ってる意味が分からないんだけど」
『もうっ、鈍いわね! 天は本当は、就職しないでもう少し勉強したかったんでしょ? あの子と一緒に五年遅れの大学生になったら?って言ってんの』
「えぇ!?」
『仕事を辞めたくないって言うなら、あのボロアパートを引き払ってマンションを買うかね。 天はどっちがいい?』
「ど、どっちって……急に言われても……」
『母さんはね、天が居たから毎日頑張れたの。 Ω性が確定してからずっと、「Ωは生きにくいよね」って悲しそうに笑ってたから……余裕も出来たし私だって何かしてあげたいのよ』
「………………」


 藪から棒な話かと思えば、母は天の知らぬところでΩに産んでしまった息子の苦悩に、こっそりと胸を痛めていたのかもしれない。

 年始に久々に会った母は、「内緒の貯金をしている」と言っていた。

 あれはこういう事だったのかと、近頃何かと真実を知る機会の多い天は一気に頭の中がパニックになる。

 進学か家か、すぐに決めろと言われても難しい。

 しかも、性別を打ち明けて詫び、尚且つ働きたい意欲を上司に告げたのはついさっきの事なのだ。


「……あ、ありがとう、……でも、ちょっと考えさせて」
『進学するなら早く決めなきゃダメよ! あの子と同じとこに通えなくても、大学生活っていうのを経験するのもいい……』
「う、うん、分かった。 近々また連絡する」


 終了ボタンをタップする間もなく、「はいはーい」と軽い調子での母の一言で通話は終わった。

 丸めていた背中を伸ばしながら未だクスクス笑っている潤に、天がじわりと視線を向ける。


「……聞こえてた?」
「うん。 全部ね」
「………………」
「女の人ってすごいね、勘が鋭いというか何というか。 天くんはどうしたい?」
「……進学なんて考えた事無かった」
「今まで我慢してきたんだから、天くんのしたいようにしなきゃ。 お母さんの気持ち、無駄にしちゃダメだよ」
「…………うん」


 頷いた天を愛おしげに見詰める潤から、ふわふわと頭を撫でられる。

 偏見対象のΩ性など、生きにくいだけ。

 天の知る狭い世界ではそれが当たり前だった。

 我慢をしていたつもりはなくても、無意識にそうせざるを得ない状況にいくつも陥った。


 この性別のせいで仕事を失うかもしれない。
 気持ち悪いと罵倒されるかもしれない。
 無闇に人を好きになれない。
 忌々しい痕を付けられ、α性の者から支配されるなど真っ平ごめんだ。


 天の我慢は、当然の "Ωの生き方" だと信じていた。

 ふと天は、遠くを眺める潤の横顔を見詰めた。

 潤が巻いていた新しいマフラーは、寒空の下で冷えてきた天の首元に落ち着いている。


「そろそろ降りようか」
「…………うん」


 いつもの如く名残惜しいが、潤もこれから学校なのだった。

 三十分で返すと言った天が戻らずにいると、豊が探し回るかもしれないので潤は身を引いた。 「学生のうちだけだ」と、豊へのそんな嫉妬を隠している事を天は知らない。


「……おお、君は時任くんの弟さんじゃないか!」


 天のオフィスのある階にエレベーターが到着し、開かれるや否や入れ違いになった別部署の課長が潤に気付いて肩を叩いた。

 フロアから違うので天はこの課長の顔しか分からず、会釈に留める。


「あ、お久しぶりです」
「去年の夏以来だなぁ、ちょっと見ない間にまた一段とイイ男になりおって!」
「いえそんな……」
「五年後の君の入社を楽しみにしているよ!」


 エレベーターの僅かな戸開時間。

 潤と課長が交わした短い会話を聞いていた天の心が、突如としてざわめいた。

 閉じられたエレベーターの戸を、瞬きも忘れて見詰め呟く。


「……潤くん、去年の夏もここに来た事あったんだ?」
「あぁ、うん、そうだよ。 あの時はバイト前に寄ったから夕方だったかなぁ。 この間みたいに、兄さんの忘れ物届けに……って、天くん? どうしたの?」


 ───やっぱり。 やっぱりそうだ。 あの時ヒートを起こしたのは、潤くんが俺のすぐそばに居たからだったんだ……!


 あれは発情期の予定日前日だった。

 その日の夜から抑制剤を飲み始めようと思っていた夕方頃、それまで感じた事のない動悸に危機を感じ、天は自らの意思で屋上に逃げた。

 発情期の直前は体内のホルモンが活発になっている。 そんな時に、番相手かもしれない潤がそばに居たとなれば、───。


「 "運命の番" って、ほんとにあるのかもな」
「ん? どうしたの、天くん。 何だか今すぐ襲いたいくらい可愛い顔してるよ」


 不覚にも踊らされてしまったしるしが、偶然の出会い以前からあったという事だ。

 恋というものを知らない時から、それは二人を結び付けようとした。


「なぁ、潤くん。 αとΩが普通に恋したっていいよな」
「うん。 もちろん!」














恋というものは 終
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

消えない思い

樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。 高校3年生 矢野浩二 α 高校3年生 佐々木裕也 α 高校1年生 赤城要 Ω 赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。 自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。 そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。 でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。 彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。 そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

スタッグ・ナイト

須藤慎弥
BL
 玩具業界シェアのトップを独走する「Fun Toy」、その背を追う「花咲グループ」の二社は、国内の誰もが知る大手玩具メーカーだ。  しかし、ライバル関係と言っていい両社の令息たちには秘密があった。  ただただ世襲を重んじ、ならわしに沿って生きることが当然だと教え込まれていた二人。  敷かれたレールに背くなど考えもせず、自社のために生きていく現実に何ら違和感を抱くことがなかった二人は、周囲の厳格な大人に隠れ無二の親友となった。  特別な境遇、特別な家柄、特別な人間関係が絡むことのない普通の友情を育んだ末に、二人は障害だらけの恋に目覚めてゆくのだが……。  俺達は、遅すぎた春に身を焦がし  背徳の道を選んだ── ※ BLove様で行われました短編コンテスト、 テーマ「禁断の関係」出品作です。 ※ 同コンテストにて優秀賞を頂きました。 応援してくださった皆さま、ありがとうございました!

目線の先には。僕の好きな人は誰を見ている?

綾波絢斗
BL
東雲桜花大学附属第一高等学園の三年生の高瀬陸(たかせりく)と一ノ瀬湊(いちのせみなと)は幼稚舎の頃からの幼馴染。 湊は陸にひそかに想いを寄せているけれど、陸はいつも違う人を見ている。 そして、陸は相手が自分に好意を寄せると途端に興味を失う。 その性格を知っている僕は自分の想いを秘めたまま陸の傍にいようとするが、陸が恋している姿を見ていることに耐えられなく陸から離れる決意をした。

ただ愛されたいと願う

藤雪たすく
BL
自分の居場所を求めながら、劣等感に苛まれているオメガの清末 海里。 やっと側にいたいと思える人を見つけたけれど、その人は……

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /チャッピー

【完結】毎日きみに恋してる

藤吉めぐみ
BL
青春BLカップ1次選考通過しておりました! 応援ありがとうございました! ******************* その日、澤下壱月は王子様に恋をした―― 高校の頃、王子と異名をとっていた楽(がく)に恋した壱月(いづき)。 見ているだけでいいと思っていたのに、ちょっとしたきっかけから友人になり、大学進学と同時にルームメイトになる。 けれど、恋愛模様が派手な楽の傍で暮らすのは、あまりにも辛い。 けれど離れられない。傍にいたい。特別でありたい。たくさんの行きずりの一人にはなりたくない。けれど―― このまま親友でいるか、勇気を持つかで揺れる壱月の切ない同居ライフ。

処理中です...