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◆ 恋というものは ◆
最終話
しおりを挟む「あ、待って、……母さんからめちゃくちゃ着信きてる」
「え……っ」
こんな時に?と苦笑いされてしまったが、マナーモードにし忘れていたスマホがしばらくポケットから鳴り響いていた。
潤のプロポーズとも取れる感動的な言葉の間中、ずっとだ。
天も苦笑しながら取り出したスマホの画面には、「母さん」。 着信は今も尚、途切れることなく鳴り続けている。
勤務中だと母は分かっていて、これだけ鳴らすのはおかしい。 母の身に何かあったのではないかと、天は潤のコートを掴んで応じてみた。
『あ! 天~? 元気~?』
「なっ、……仕事中の息子にかける第一声がそれか! ずっと鳴らすから何事かと思ったよ!」
『え、あんた声どうしたの』
「いや、っ……あの、酒焼け!」
『ふーん? ところで、天は大学進学とマンションだったら、どっち取る?』
「は、はぁ?」
快活な母は昔から、時として天の予想を遥かに超える意味不明な発言を繰り出す事がある。
今もまさにその時で、天の呆れ返った裏声に興味をそそられたらしい潤が、背中を丸めてぴたりと密着してくる。
その二択の意味がさっぱり分からない天の向こう側では、正解を知る母の語りが始まった。
『こないだ会ったイケメンの子いるじゃない? あの子って絶対にαだと思うのよ。 番に……とは言わないけど、奥手な天とお付き合いしてくれたりしないかなぁ。 天の看病したいって私に申し出てくれたし、脈アリじゃないかなぁと思うんだけど、どうなのよ』
「え、…………」
『天のフェロモンで誘えないの? あの子絶対あんたの事好きだと思うよ!』
「か、母さん……っ! そ、そそそんな事より、進学とマンションって何の話なんだよ」
話が突拍子も無さ過ぎて、盛大にどもるわ舌は噛むわ、潤はというとすぐそばで吹き出しているしで、散々である。
『母さんね、天の将来を狭めちゃった事ずっと気に病んでたの。 Ω性で悩んでる事も知ってたけど、何も言葉をかけてあげられなかった。 でもね、天を心配するあの子を見た時「もしかして」と思ったのよ。 母さんの心配なんか目じゃないくらい、あの子は天の事……大事に思ってくれてそうだった』
「………………」
『だからね、あと一年貯金がんばろーって思ってたんだけど、あの子今年が受験だって言ってたし、進学と合わせてあげた方がいいかなって』
「……言ってる意味が分からないんだけど」
『もうっ、鈍いわね! 天は本当は、就職しないでもう少し勉強したかったんでしょ? あの子と一緒に五年遅れの大学生になったら?って言ってんの』
「えぇ!?」
『仕事を辞めたくないって言うなら、あのボロアパートを引き払ってマンションを買うかね。 天はどっちがいい?』
「ど、どっちって……急に言われても……」
『母さんはね、天が居たから毎日頑張れたの。 Ω性が確定してからずっと、「Ωは生きにくいよね」って悲しそうに笑ってたから……余裕も出来たし私だって何かしてあげたいのよ』
「………………」
藪から棒な話かと思えば、母は天の知らぬところでΩに産んでしまった息子の苦悩に、こっそりと胸を痛めていたのかもしれない。
年始に久々に会った母は、「内緒の貯金をしている」と言っていた。
あれはこういう事だったのかと、近頃何かと真実を知る機会の多い天は一気に頭の中がパニックになる。
進学か家か、すぐに決めろと言われても難しい。
しかも、性別を打ち明けて詫び、尚且つ働きたい意欲を上司に告げたのはついさっきの事なのだ。
「……あ、ありがとう、……でも、ちょっと考えさせて」
『進学するなら早く決めなきゃダメよ! あの子と同じとこに通えなくても、大学生活っていうのを経験するのもいい……』
「う、うん、分かった。 近々また連絡する」
終了ボタンをタップする間もなく、「はいはーい」と軽い調子での母の一言で通話は終わった。
丸めていた背中を伸ばしながら未だクスクス笑っている潤に、天がじわりと視線を向ける。
「……聞こえてた?」
「うん。 全部ね」
「………………」
「女の人ってすごいね、勘が鋭いというか何というか。 天くんはどうしたい?」
「……進学なんて考えた事無かった」
「今まで我慢してきたんだから、天くんのしたいようにしなきゃ。 お母さんの気持ち、無駄にしちゃダメだよ」
「…………うん」
頷いた天を愛おしげに見詰める潤から、ふわふわと頭を撫でられる。
偏見対象のΩ性など、生きにくいだけ。
天の知る狭い世界ではそれが当たり前だった。
我慢をしていたつもりはなくても、無意識にそうせざるを得ない状況にいくつも陥った。
この性別のせいで仕事を失うかもしれない。
気持ち悪いと罵倒されるかもしれない。
無闇に人を好きになれない。
忌々しい痕を付けられ、α性の者から支配されるなど真っ平ごめんだ。
天の我慢は、当然の "Ωの生き方" だと信じていた。
ふと天は、遠くを眺める潤の横顔を見詰めた。
潤が巻いていた新しいマフラーは、寒空の下で冷えてきた天の首元に落ち着いている。
「そろそろ降りようか」
「…………うん」
いつもの如く名残惜しいが、潤もこれから学校なのだった。
三十分で返すと言った天が戻らずにいると、豊が探し回るかもしれないので潤は身を引いた。 「学生のうちだけだ」と、豊へのそんな嫉妬を隠している事を天は知らない。
「……おお、君は時任くんの弟さんじゃないか!」
天のオフィスのある階にエレベーターが到着し、開かれるや否や入れ違いになった別部署の課長が潤に気付いて肩を叩いた。
フロアから違うので天はこの課長の顔しか分からず、会釈に留める。
「あ、お久しぶりです」
「去年の夏以来だなぁ、ちょっと見ない間にまた一段とイイ男になりおって!」
「いえそんな……」
「五年後の君の入社を楽しみにしているよ!」
エレベーターの僅かな戸開時間。
潤と課長が交わした短い会話を聞いていた天の心が、突如としてざわめいた。
閉じられたエレベーターの戸を、瞬きも忘れて見詰め呟く。
「……潤くん、去年の夏もここに来た事あったんだ?」
「あぁ、うん、そうだよ。 あの時はバイト前に寄ったから夕方だったかなぁ。 この間みたいに、兄さんの忘れ物届けに……って、天くん? どうしたの?」
───やっぱり。 やっぱりそうだ。 あの時ヒートを起こしたのは、潤くんが俺のすぐそばに居たからだったんだ……!
あれは発情期の予定日前日だった。
その日の夜から抑制剤を飲み始めようと思っていた夕方頃、それまで感じた事のない動悸に危機を感じ、天は自らの意思で屋上に逃げた。
発情期の直前は体内のホルモンが活発になっている。 そんな時に、番相手かもしれない潤がそばに居たとなれば、───。
「 "運命の番" って、ほんとにあるのかもな」
「ん? どうしたの、天くん。 何だか今すぐ襲いたいくらい可愛い顔してるよ」
不覚にも踊らされてしまったしるしが、偶然の出会い以前からあったという事だ。
恋というものを知らない時から、それは二人を結び付けようとした。
「なぁ、潤くん。 αとΩが普通に恋したっていいよな」
「うん。 もちろん!」
恋というものは 終
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