恋というものは

須藤慎弥

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はじめての巣作り

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 数時間おきに不規則にやってくる天の発情は、前触れが無い。

 いい匂いがしてきたと微々たるフェロモンを感じ取るや、口数が少なくなった天がやたらと潤に触れてくる。

 ひっしと潤に抱きつき、胸元に鼻を擦り付け、駄々っ子のようにイヤイヤと首を振り、切なげに「潤くん……」と呼ぶ。

 その原因を分かっていながら天の顔を覗き込んだが最後、欲に濡れた瞳に誘われ、小さな唇に噛み付くようなキスをし、それに誘発された天から全身に震えが走るほどのフェロモンを放たれ……本能に逆らえない潤は呆気なく陥落する。


「ごめんね、天くん。また僕噛んじゃってる……」


 華奢な肩口にできた痛々しい噛み痕を見つめ、潤は毎度の自己嫌悪に陥っていた。

 セックスの最中の記憶は確かにある。しかもそれは、とても鮮明だ。

 抑えがきかずに手荒く抱いてしまうのは、理性が木っ端微塵になるからなのだが、何故か牙を剥いた前後だけは記憶があやふやだった。

 天と初めて心も体も繋がった日、潤の鎖骨部分にあった〝しるし〟を噛めと天に命令したらしいが、それも覚えていない。

 最中の記憶はもしかすると天の方がしっかり覚えていそうで、潤は余計に項垂れる。


「大丈夫だってば。少しヒリヒリするけど、嬉しいって気持ちの方が勝つんだ。不思議だよな~」
「天くん……っ」
「わわっ! 苦しいよ、潤くん」


 もはや何度目か分からないシーツ交換の後、疲労困憊の天を抱いて眠りにつこうとした潤だが、自己嫌悪などかんじなくていいとばかりの物言いに感情が昂ぶった。

 強く抱き締めると、天もしっかりと背中を抱いてくれる。

 天は柔らかく、とてもいい匂いがした。

 潤をこれでもかと癒やす、優しい香りのフェロモンが出ている。

 発情期は揃って思考を乱され、丸一週間狂う羽目にはなるが潤にはこの時間が何より大切だった。


「天くん大好き……」
「うん。俺も大好きだよ」
「ここにずっと居られたらいいのに。天くんと居たいよ。離れたくない……」
「うん……俺も……」


 潤は、あと三日で帰宅しなくてはならない。

 一週間も一緒にいられる! とはしゃいでいた気持ちは、日が経つにつれだんだんと猛烈な寂しさに変わってくる。

 四日間に渡って行われた期末試験期間は、今日の午前で無事に終わった。明日も通常通り授業はあるものの、午後から休みなので不満は僅かだ。

 明日さえ乗り切れば、土日は四六時中 天のそばに居られる。


 ──いや、もう試験は終わったんだから、いっそ明日は休んじゃうか……?


 涙ぐんだ天からの「行かないで」は、胸にこたえる。一時間は後ろ髪を引かれてしまうのだ。

 通常授業であれば欠席していただろう事を思えば、たった一日くらいなら……と甘えた考えが浮かぶ。


「でも潤くん、明日も学校なんだろ? 試験は終わったって言ってたから……明日は夕方まで帰ってこないの?」
「あ、……」


 腕の中から見上げてきた天の額にキスを落とし、頷きかけた潤は一瞬考えた。

 午後休だし休んでしまおうと思っている……そう言って天を喜ばせるつもりが、ふと別の事が脳裏を掠める。


「うん、そうなんだ。だから明日は、お利口さんに眠っててくれる?」
「……うん。しょうがないよな。発情中はすごく駄々こねると思うけど、しつこかったら俺のこと引っぱたいて行っていいから」
「そんな事しないよっ」
 

 いくら天の頼みでも、本能に突き動かされても、絶対に暴力的な行為だけはしない。

 ふふっと可愛く笑っているところを見ると、 冗談半分だったのだろうが潤はギョッとした。

 ただ、冷静な時の天は非常に聞き分けが良いので、その点では助かった。

 天の発情に合わせてセックスばかりしているため、潤は未だ目的のものを探し当てられていない。

 どうやら潤が恋しくなる時にしかチャンスは訪れないようなので、心苦しいけれど明日が楽しみにもなってきた。

 抱いた天の事が、そこに居るだけで潤の心を弾ませるほどに愛おしい。


「……天くん、寝ないの? おめめパッチリだね」


 少々腹が空いてきたけれど、天と離れるのが惜しくて動けずにいた潤は、下方から視線を感じていた。

 何か言いたげな瞳を見つめ、気が付くと天はお腹を擦っている。


「うん……お腹空いちゃって眠れなくて」
「え、僕もお腹空いたなって思ってたんだ。何か作ろうか」
「ううん! なんか今すごく気分がいいから、俺作るよ! 潤くんがたくさん材料買ってきてくれたし~」


 言うが早いか、よほど空腹だったのか潤の腕からするりと抜け出した天は、そばにあった服をゆっくりとした動作で着込み始める。

 気が合うな、と笑いながら、潤もそれにならった。

 おもむろに学生鞄を開いた潤は、その瞬間笑みが濃くなる。二日分の私服を入れてきたはずだが、予想通り半分減っていた。

 今日の午前に、またも可愛い盗人が現れたらしい。


「天くんの手料理か……嬉しいな。僕が見守ってていいなら、お願いしようかな?」
「まっかせとけぇ! 時任潤くん、リクエストはごさいますかー?」
「あはは……っ、それ何のキャラ?」
「いやいや、時任潤くん。そこは深ぼりしてくれるな」


 相変わらずよちよち歩きの天を、歩幅を合わせて追い掛けて行く。

 新品の大きな冷蔵庫を開き、中身を確認する天をさりげなく支えてやりながら、潤の微笑みは絶えない。


「天くん、何が出来そう?」
「ガッツリかコッテリかさっぱりで」
「そんなアバウトでいいんだ。そうだなぁ、……ガッツリさっぱりで」
「オッケー! じゃあ白菜と豚肉でミルフィーユ鍋にしよー!」
「わぁ、いいね。楽しみ」
「ていうか、エッチしかしてないのにお腹減るって、俺めちゃくちゃ燃費悪いよね~。潤くんはほら、……う、動きまくってるから、お腹空くの分かるんだけど……」


 真っ最中の行為を頭に描いたのか、天の頬がみるみる真っ赤に染まる。

 自分で言っておきながら一人で照れるという、潤が揶揄せずとも勝手に可愛い姿を見せてくれる天には、いつも敵わない。

 燃費が悪い云々の話も、フルネーム呼びする謎のキャラの出現も面白かった潤は、天が冷蔵庫から取り出した材料を受け取りつつもしばらくクスクス笑っていた。

 荷解きを手伝ったおかげで、買って知ったるで土鍋を持ち出してくると、笑顔の天から「ありがとう」のご褒美を貰う。


 ──うっ、可愛い……。


 それだけでムラッとした潤は、性別など無ければ天に忠誠を誓う下僕となろうが構わないと、平気でのたまえると思った。


「何時間もエッチしてたら体力使うからね。お腹減るのも当たり前だよ。どっちがーとか関係ない」
「そうかなぁ」


 潤は笑顔で、天の頭をポンポンと撫でた。そうすると彼から、自然と癒やしのフェロモンが放たれる。

 「絶対潤くんの方が運動量多いよ」と呟いて、さらに顔を赤くする天はおそらくその事には気付いていない。

 ガッチリと嵌ったロック付きの首輪が、大事な天のうなじを守っているというのに……潤はその解除番号を知らないせいでいくつも牙の痕がある。


 ──天くん……白菜切ってるだけなのに……なんて可愛いんだろう……。


 〝キッチンに立っている新妻〟という妄想を始めると、発情フェロモンなど感じずとも容易く押し倒してしまいそうになる欲深い自身に戸惑った。

 しかし今、珍しく天が空腹を訴え、手料理を仕込んでくれている最中だ。

 邪な思いが天を汚してしまう前に、何か出来ることはないかと土鍋の蓋を上げた時。

 突然、包丁の音が止んだ。


「なぁ潤くん」
「う、うんっ?」
「好きだよ」
「……えっ? なにっ? 白菜切りながらそんな事考えてたの!?」


 嬉しいけど! と狼狽えた潤の右手には、重さのある蓋。

 恥ずかしそうに再び白菜を切り始めた天を抱き締めるには、少しタイミングが外れた。

 天からの告白なら、いつ何時でも嬉しい。

 しかしながら、舞い上がった潤をもっと浮つかせるのが、天だ。


「……言いたくなっただけ。なんか……潤くんとこうしてるのが当たり前になってて、いいなって思っただけ。さっき潤くんが〝ここにずっと居たい〟って言ってくれたの……嬉しかっただけ」
「…………天くん……っ」


 言い訳のように唇を尖らせた天は、頬どころか耳まで真っ赤に染まっている。

 嬉しかったと言ってくれた事が、潤には嬉しい。何よりも嬉しい。

 それと同時に、甘えた考えは捨てなければと強く思った。

 甘えていてはいけない。

 潤の望みが、天の望みでもある事が分かったのだ。

 やはり問題事をすべて解決し、心にわだかまりを残さぬ状態で天と暮らさなければ。

 きっと、今が踏ん張り時なのだ。





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