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清算 ─和彦─
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しおりを挟む昨夜は最高だった。
とても麗らかな心地で料理を美味しく頂けた、とは言えなかった突然の両親との食事会。
いくつになっても「合わない」ものは「合わない」んだなと痛切に感じていた、そのすぐ後だ。
もっとずっと先だろうと思っていた、夢のような時間がやって来た。
『……和彦、……好き』
今も鮮明に思い出す事が出来る。
──とにかく可愛かった。このまま死んでもいいと思えるくらい、嬉しかった。
七海さんを好きになって三ヶ月。
人生で感じた事のないほどの愛おしさが、心も体も包み込んで……歓喜に震えた。
穏やかな月明かりに見守られた一夜は僕の中に深く深く刻まれて、二度としないと誓った後悔を七海さんが快然たるものへ上書きしてくれた。
一度も意識を飛ばさなかった七海さんを朝まで可愛がって大満足した僕は、幸せな倦怠感に見舞われていてニヤけてしまう口元が抑えられない。
おかげで壁を作るのも忘れ、講義の合間に色々な人達から声をかけられたけれど、何だか容易かった。
僕には七海さんが居る。
僕の事を「好き」だって言ってくれた、七海さんが居る。
それだけで心が安定し、たどたどしくはあったけれど知らない者等と挨拶以上の会話が出来た。
自然になんていうのは到底無理でも、一番苦手とする同世代の同級生と壁を取っ払って会話する事が出来るなんて、少し前の僕なら想像だに出来なかった。
言葉は、時に刃となって胸を突き刺す。 グサリと嵌まり込んでしまうと、こんなに尾を引く。
けれど、言葉の効力はそれだけじゃなかったんだ。
たった一言、欲しかった言葉を貰えるだけでそれは全身を満たす幸福薬になる。
両親を突き放した幼かったあの頃、僕はその何よりも欲しかった一言が無かったから、心を閉ざしてしまったのだと気付いた。
七海さんは名探偵なだけじゃない。
僕を指南してくれる人生の先生であり、そして……大切で大好きで愛おしい恋人だ。
あんなに熱烈に告白してくれたからには、もうキャンセルは受け付けられない。
もはや七海さんが居なければ、居なくなってしまったら、僕は壊れてしまう。
生きていたくないと思ってしまう。
失うのが怖くてたまらないくらい、何もかも、七海さんのすべてが大好き。
本当は一秒も離れていたくないけれど、お互い学生という身分と年の差、そして出会うのが遅過ぎた不運を呪うしかない。
──早く会いたい。
朝まで愛してしまった結果、くたりと横になって「動けない」と掠れた声で僕を見ていた七海さんは、午後から大学に来ると言っていた。
四年生だから講義が詰まってはいないのに、今日は必修があるみたいで。
メッセージを送っても既読が付かないから、僕は急ぎ足でカフェへと向かった。
いつものカフェに居なかったら、一回だけ電話してみよう。
もしかすると、起き上がれなくてまだ家に居て寝てるかもしれない。 起こしちゃうのは可哀想だ。
それに、まだ例のアプリは生きているし慌てなくても居所はいつでも掴める。
「──あっ、七海さん……!」
七海さんはいつものカフェのいつもの定位置、つまりレジから一番遠い窓際の席でテーブルに突っ伏していた。
何故か傍らには九条さんが居て、突っ伏した七海さんを前にのんびりコーヒーを飲んでいる。
そばに九条さんがいた事よりも、両足を小刻みにジタバタさせている状況の方が僕には心配で、慌てて駆け寄った。
「ちょっ……七海さんに何をしたんですか!」
「……何も?」
「何もって、そんな風には見えません! 七海さん、七海さん、大丈夫ですかっ? 九条さんにまた意地悪言われたの?」
「あ、……和彦……おかえり……」
「七海さん……。ただいま」
昼時で込み合う店内は、僕達三人が居ると視線を集めてしょうがないけれど、そんなもの気にしていられない。
走り寄って柔らかな髪を撫でると、じわりと顔を上げて僕を見た瞳が薄っすら潤んでいた。
……可哀想に。七海さんのこの状態は記憶に新しく、きっとまた九条さんから何かしらの無言の追及を受けたんだ。
あまり僕の七海さんを狼狽えさせないでほしいな。
このテーブル席には、いつもなら二脚しか椅子がないはずなのに今日は三脚あって、僕は丸テーブルを囲んで七海さんと九条さんの間に腰掛ける。
縋るように、何かを訴えかけるように僕を見てくる七海さんは、終始物言いたげで可愛くて、つい何分も見詰め合ってしまった。
体は大丈夫ですか? 体調はいかがですか? 眠くありませんか? ……聞きたい事を一つも聞けぬまま、その濡れた瞳に見惚れた。
「ほーら、俺の前でイチャイチャ」
「……く、九条君!」
「……どういう意味ですか?」
「七海がまたゲロった。しかも全部」
「え!? 七海さん、やっぱり体調悪いんじゃないですか! 帰りましょう、直ちに!」
「ち、違っ……!」
「そういう意味じゃねぇって」
「ではどういう……!」
「ぅぅっ……! ごめん和彦、また引っ掛かった! 俺、九条君の誘導尋問にまんまと引っ掛かった!」
僅かな呻きのあと、七海さんが突っ伏して足をジタバタさせた。
体調が悪いのかと心配しちゃったけど、大方予想通りみたいでホッとした。
──九条さん、言葉が悪いよ。
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