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よく見えるままで
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ダレルさんの問いかけは、とても静かだった。
でも、その静けさの奥に、壊れそうなほど張りつめたものがあるのが分かる。
――それでも、話しかけてくれたんですか。
僕は、すぐに答えられなかった。
正直に言えば、深く考えていなかった。
怖そうだとか、危険かもしれないとか、そういう判断より先に、
「放っておけない」という気持ちが、ただ湧いてきただけだった。
だから、少し迷ってから、正直に口を開く。
「……はい」
短い返事だった。
それだけで、ダレルさんの肩が、わずかに震えた。
「理由は……うまく言えません」
自分でも、言葉にするのが怖かった。
何か立派な理由を言ってしまったら、それが嘘になる気がしたから。
「ただ……僕も、前は……見えなかったので」
そう言って、無意識に、自分のポケットに触れる。
「体も弱くて、外に出るのも怖くて……
世界と、ずっと距離がありました」
草原の風が、二人の間を抜けていく。
遠くの街の音が、かすかに聞こえた。
「だから……今、見えるようになって。
歩けるようになって……」
僕は、眼鏡をかけたままのダレルさんを見上げる。
「それを……独り占めしていい気が、しなかったんです」
その瞬間だった。
ダレルさんの呼吸が、乱れた。
まるで、水の中から急に引き上げられたみたいに。
「……独り占め、しなかった……?」
かすれた声で、彼は繰り返す。
「俺は……見えなかった。
世界は、ずっと滲んでて……
人の顔も、表情も……全部、敵みたいに見えた」
ぎゅっと、拳が握りしめられる。
「でも今は……」
彼は、恐る恐る、もう一度だけ僕を見る。
眼鏡越しの視線は、もう威圧的でも、鋭くもなかった。
「世界が……ちゃんと、そこにある」
その言葉に、胸がきゅっと縮む。
――ああ、しまった。
そう思った時には、もう遅かった。
「ハルさん」
低く、大きな身体が、さらに深く頭を下げる。
祈るように、縋るように。
「……お願いだ。
この眼鏡をくれたことを
……取り消さないでくれ」
それは、物ではなかった。
眼鏡そのものではなく、世界に繋がっていられる感覚を。
「見えるままで……
あなたが見せてくれた、この世界のままで……
生きていたい」
その言葉は、鎖のように、静かに僕の足元に絡みつく。
けれど僕は、それを鎖だとは思わなかった。
ただ、少し慌てて、少し困って、
それでも拒めなくて――
「……大丈夫、ですよ」
そう答えてしまった。
「取り消したりしません。
それに……もし、合わなくなったら……その時に、考えましょう」
逃げ道を残したつもりだった。
でも、それはハルの論理であって、ダレルのものではなかった。
「……ありがとうございます」
その声は、もう震えていなかった。
代わりに、静かで、重く、
二度と離さないと決めた人間の響きを帯びていた。
――こうして僕は、知らないうちに。
ダレルという男に、
「視界」だけでなく、「世界そのもの」を手渡してしまったのだった。
でも、その静けさの奥に、壊れそうなほど張りつめたものがあるのが分かる。
――それでも、話しかけてくれたんですか。
僕は、すぐに答えられなかった。
正直に言えば、深く考えていなかった。
怖そうだとか、危険かもしれないとか、そういう判断より先に、
「放っておけない」という気持ちが、ただ湧いてきただけだった。
だから、少し迷ってから、正直に口を開く。
「……はい」
短い返事だった。
それだけで、ダレルさんの肩が、わずかに震えた。
「理由は……うまく言えません」
自分でも、言葉にするのが怖かった。
何か立派な理由を言ってしまったら、それが嘘になる気がしたから。
「ただ……僕も、前は……見えなかったので」
そう言って、無意識に、自分のポケットに触れる。
「体も弱くて、外に出るのも怖くて……
世界と、ずっと距離がありました」
草原の風が、二人の間を抜けていく。
遠くの街の音が、かすかに聞こえた。
「だから……今、見えるようになって。
歩けるようになって……」
僕は、眼鏡をかけたままのダレルさんを見上げる。
「それを……独り占めしていい気が、しなかったんです」
その瞬間だった。
ダレルさんの呼吸が、乱れた。
まるで、水の中から急に引き上げられたみたいに。
「……独り占め、しなかった……?」
かすれた声で、彼は繰り返す。
「俺は……見えなかった。
世界は、ずっと滲んでて……
人の顔も、表情も……全部、敵みたいに見えた」
ぎゅっと、拳が握りしめられる。
「でも今は……」
彼は、恐る恐る、もう一度だけ僕を見る。
眼鏡越しの視線は、もう威圧的でも、鋭くもなかった。
「世界が……ちゃんと、そこにある」
その言葉に、胸がきゅっと縮む。
――ああ、しまった。
そう思った時には、もう遅かった。
「ハルさん」
低く、大きな身体が、さらに深く頭を下げる。
祈るように、縋るように。
「……お願いだ。
この眼鏡をくれたことを
……取り消さないでくれ」
それは、物ではなかった。
眼鏡そのものではなく、世界に繋がっていられる感覚を。
「見えるままで……
あなたが見せてくれた、この世界のままで……
生きていたい」
その言葉は、鎖のように、静かに僕の足元に絡みつく。
けれど僕は、それを鎖だとは思わなかった。
ただ、少し慌てて、少し困って、
それでも拒めなくて――
「……大丈夫、ですよ」
そう答えてしまった。
「取り消したりしません。
それに……もし、合わなくなったら……その時に、考えましょう」
逃げ道を残したつもりだった。
でも、それはハルの論理であって、ダレルのものではなかった。
「……ありがとうございます」
その声は、もう震えていなかった。
代わりに、静かで、重く、
二度と離さないと決めた人間の響きを帯びていた。
――こうして僕は、知らないうちに。
ダレルという男に、
「視界」だけでなく、「世界そのもの」を手渡してしまったのだった。
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