眼鏡奴隷の恋と元病弱美少年

こむぎこ7g

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第一歩の前に命令を_ダレル視点

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ダレル視点

――正式な命令文書を渡された日。



役所の一室は、驚くほど静かだった。

石壁に反響する羽ペンの音。
乾いた紙の擦れる音。
古い魔道具が、淡く光っている。

俺は、いつものように、半歩後ろに立っていた。

首輪はある。
鎖も、規則も、変わらない。

それなのに。

今日は、なぜか――
胸の奥が、落ち着いている。

「……こちらが、正式な命令文書になります」

役人が、事務的に紙を差し出す。

それを受け取ったのは、ハル様だった。

小さな手。
少し緊張した指先。

「……えっと」

紙に視線を落とし、眉を寄せる。

「ダレルさんは……
私の管理下に置かれ、
冒険者としての業務を……」

言葉が、少しだけ途切れる。

その沈黙の意味を、俺は理解していた。

――書かれているのは、ただの命令だ。
――だが、それを読むのは、この人だ。

「……危険な依頼を受ける場合、
主の許可を要する、って……」

ハル様は、困ったように笑った。

「……面倒、かもしれませんね」

俺は、首を振った。

「いいえ」

即座だった。

「……それは」

言葉を選びながら、続ける。

「俺が、勝手に前へ出ないための……
良い、命令です」

ハル様は、少し驚いた顔をする。

役人が、淡々と告げる。

「署名を。
これにより、命令は魔法的にも有効となります」

羽ペンが、差し出される。

ハル様は、一度だけ、こちらを見た。

「……ダレルさん」

「はい」

「これは……
命令、です」

確認するように。

俺は、膝をついた。

床は冷たく、石の感触がはっきりと伝わる。

「承知しました」

それは、反射ではない。
条件付けでもない。

選んだ答えだった。

ハル様が、署名をする。

インクが紙に染み、
淡い魔法陣が、文字の下で静かに光る。

その瞬間。

胸の奥で、何かが――
すとん、と、収まった。

――ああ。

これで、いい。

名前が書かれた命令。
規則としての言葉。
逃げ道のない、線。

それなのに。

俺は、安心していた。

「……終わりました」

ハル様の声。

「これで……
ダレルさんは、私の命令に従う、ことになります」

少しだけ、不安そうに。

俺は、顔を上げる。

眼鏡越しに見る世界は、
今日も、はっきりしている。

「はい」

静かに答える。

「……嬉しいです」

その言葉に、ハル様が目を見開く。

「え……?」

俺は、言い直さなかった。

歓喜は、声を上げるものではない。
跳ねるものでも、誓うものでもない。

ただ――
居場所が定まった、という感覚だ。

誰の命令か。
誰の言葉を、優先するのか。

それが、書かれた。

「命令が、あるということは」

ゆっくりと、続ける。

「……戻る場所が、あるということです」

沈黙。

ハル様は、しばらく考え、
やがて、小さく笑った。

「……じゃあ」

紙を胸に抱き。

「ちゃんと、守りますね。
ダレルさん」

その言葉で、十分だった。

首輪は、まだ重い。
奴隷である事実も、消えない。

それでも。

俺は、その日、初めて思った。

――命令されることが、
――こんなにも、静かで、温かいとは。

眼鏡の奥で、世界は揺れなかった。


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