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 男は、突然始まった重要会議の内容が頭に入らない。

 イザベルのような必要とあらば誰にでも股を開いているはずの女性は、他の会社ではもっと悪しざまに言われているのだ。

 だというのに、これはどうした事だ。彼女を中心に並々ならぬ重役たちの話が進んで行っているではないか。お飾りの会頭ではなかったのか?



「では、小麦の価格についてですが……」
「そう言えば、※※地方では鉄の算出が……」
「□□伯爵に跡取りが産まれたそうだが、側室の子だそうだ」

「はい、そこまでで十分。では、彼に応えてもらいましょう。一年半後の、小麦の仕入れ価格と量、産地そして流通の選択肢を」
「え……」
「ちなみにこの判断を間違えると商会の35%の損失になりますわ。さあ、答えてくださいまし」



 男は、先ほどまでの重鎮たちの笑顔で話していた世間話のような会話から、どうやってその答えがひっぱりだせるのか具体的なデータもなく分析方法がわからない。彼にしてみれば、目先の商品を仕入れて周囲の価格調査をして取引をする、これが出来れば十分なはずだ。もうこんな馬鹿馬鹿しい茶番に付き合ってられるかと、首を覚悟で目の前のアクセサリー女を睨みつけてせせら笑った。


「……、貴女にはわかるとでも? 先ほどまでは単なる世間話程度のくだらない内容ではないですか。鉄だって、戦争のない今それほど大きく動きません。また、伯爵の側室が産んだ跡取りなど、後継者争いが起こるくらいでしょう? これだから実地経験のない女は……」

「で、そこから導き出した答えは?」

「現在の取引から、適正に判断し、不足している地域には少々上乗せすればよろしいかと。生憎、私は小麦の取引に携わっておらず価格は今は分かりかねますが、指示されれば3日ほどいただければ調査は十分です」
「そう……。もういいわ、自分の持ち場に戻りなさい。内部の評判がいいから多少は期待していたのだけれど……。まあ、この場で、孤立無援の状態にも拘らず、正直にわからないと答えるのも素質だわね」

 男は、ふと彼女と視線が合った。そこには、容赦ない猛毒をもった大蛇か、一撃で切り裂ける爪を持った猛獣のような、逆らう事のできない何かが宿っていた。ぞくりと背中が震えて、ここに来てようやくとんでもない相手に爪を立てた事に気付く。彼女にしてみれば、男の爪は子ネズミのソレより小さいのかもしれない。

 ほとんどの社員に知らされていないが、かつて、次期王妃として教育されてきたイザベルは、大きな視野と国すら動かす事の出来る英知、そして、人脈があった。そんな彼女に太刀打ちできるのは、彼女が知る限り故国の側妃、ジャンヌだけだろう。

「おや、イザベル様、では、彼は保留で?」
「多少の減俸でいいでしょう。ただ、目の前の与えられた仕事だけこなせばいいというものでもないわ。実力があるのであれば、倫理観も含めてしっかりと教育してちょうだい。他の女子社員へ悪影響が今後一つでもあるのなら即刻処分で構いません」
「かしこまりました」

 後日、男はあの日の事を古参の社員に聞いた。イザベルが、わけあって表に立つことが少ないが、ここまで商会を大きくした立役者である事を。

「お前良かったな。まあ、答えがゴミみたいなものなら即日クビだっただろうが。イザベル様は、ああいった性的行為の被害があとを絶たない取引先があった場合、女子社員の被害をご自分で確認なさるんだ。だからあの場にわざと行かれた。お前は、最初からイザベル様の手のひらで踊っていたんだ。まあ、重大な犯罪行為さえしなければ一度はチャンスをくださる。自分の周りだけの噂に惑わされず、これから頑張るんだな」
「…………、ああ」

 男は、面白おかしく噂されていたイザベルの評価、そして根底にある女に対する低すぎる意識をがらりと変えた。彼女はどこから何を気づいていたのか。おそらくは最初から全てだろう。

  才能に女も男もない。いつクビになっていいのなら、やるだけやってからでもいいはず。

 バカにして見くびっていたネコが、実はトラである事を知り、その日から女遊びを止めてがむしゃらに仕事に打ち込んだ。

  数年後、あの会議室でかつての彼のような人物が連れて来られるのを、重役の席に座りにこやかに雑談しながら見る事になるのは、近い未来のお話。



────────




「だからね、わたくし、いい加減家庭におさまりたいのよ?」
「こ、困ります……!」

  数年後、イザベルが執務室でいつものように退陣を仄めかす。泣く子も黙る大商会の重役たちが慌てて引き留めていた。

「とうしゃま、かあしゃま、ぼくたいくちゅ」

  すると、彼女の後ろにいつもいるナイトハルトという護衛が抱っこしてあやしていた男の子がかわいい声を出した。

「ほら、こんな小さな子を悲しませて。貴方がたは、心が傷まないの?」
「それは……。しかし……」
「ベルンハルト、こちらにいらっしゃい。まあ、また誰かにお菓子を貰ったの? 甘い香りがするわ」
「ごめんなしゃい」
「ふふふ、かわいいですわ。貰いすぎていなければよろしくてよ」

 男にとって、憧憬に近い、崇拝ともいえるべき女性は、今日もにこやかに退陣したいと漏らしては引き留められている。彼女は、護衛がだっこする彼女に似たとても愛らしい男の子を受け取り膝に乗せた。

「あーぁ、素敵な夫と、可愛い息子がいてなんて幸せなのかしら。これで仕事がなくなったら万々歳なのだけれど」
「かあしゃま、おちごとをやしゅんだら、じいじたちやおじしゃまたちがないちゃうのよ?」
「あらまぁ。ベルンハルトがそう言うならもう少し頑張るしかないわねえ……。貴方たち、うちの子を懐柔してくれたプレゼントは必ずしますからね」
「わあ~、プレゼント~!  じぃじたちよかったねえ~!」
「ぐぅっ!……ううう、そのプレゼントはですな、遠慮したく……、いえ、なんでもございません。そ、そうですなベルンハルト様の仰る通りとても楽しみでございますっ!」

 男はふっと微笑み、周囲のいつもは恐ろしい男たちの目が、デレデレと脂下がるのを見つめる。じいじと呼ばれたのは側近たちだ。実際は血のつながりはないはずなのに、イザベルをこうやって引き留めてくれる唯一の天使に夢中で孫のように可愛がっているのだ。

  出産後、本当に商会とかかわりを断った彼女に彼らが頭を地につけて戻って来て欲しいと頼みに行ったという。彼女は、どうしても息子と離れたくないと言ったが、護衛のとりなしもあったためか、無理のない程度で子を商会につれてきていいから、重役たち社員一同で子を可愛がるからと誓った彼らの頼みに絆されて現在に至る。

 きゃっきゃと元気な声が響く。男は、自分の理想の家族の姿はこんな風なのかもしれないと、彼女のように自分だけを一心に愛してくれるまだ現れていない妻を思い描く。

  すると、隣にいるのが彼女の姿なのだ。ここまで想像すると護衛の殺気が届く。これ以上は命に関わるだろう。護衛が羨ましいが戦う気にはならず、ただ、目の前にある男の理想ともいえる幸せそうな家族を見て微笑んだ。

  






次回、完結になります。
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