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レッサーにエスコートされて戻ったお茶会の会場では、ティリス王妃はじめ、出席していた令嬢たちに冷やかされながら祝福を受けている男女がいた。どうやら、この場で誕生した恋人たちのようだ。
母は、強制力がないうえに断っていもいいと言っていたが、この場で断れる令嬢がいるのだろうかと首をかしげる。
どちらにせよ、幸せそうに王妃自ら選んだと言う白いバラやスターチス、そしてガーベラの花束を貰いながら頬を染めて見つめ合うふたりはとても幸せそうで、アイーシャまで心が温かくなった。
「アイーシャさん、僕たちもふたりのように見えますかね?」
「え? やだ、何言ってるんですか」
「はは、冗談ですよ。そんな真剣に否定しなくても。では、僕は人前で目立つのはNGなので、ここで失礼いたします。アイーシャさん、また、後日お会いいたしましょう」
「はい、また」
会場から少し離れた場所で、レッサーはアイーシャの指先にそっと唇をつけるふりをして去っていった。
「はぁ、本当に、リアルの出来事だったのかな?」
お茶会から家に戻ると、ウォーレンとの会話を思い出した。今日会えただけでなく、後日にも会えるのだ。遠くない未来で、今日とは違うシチュエーションで彼と楽しいひと時が来る想像をしてしまい、かあっと頬が熱くなる。少し冷たい手を頬に当てて、熱を冷まそうとするがなかなかうまくいかなかった。
帰宅するなり、自室の机に飾られているポピーの花をつんっと指先でつつく。高く細い茎の上に咲くポピーは、簡単にふるんと揺れた。
「恋の予感、だったっけ? ははっ」
アイーシャは、喜びで舞い踊る心とは裏腹に、自虐気味に小さく笑う。淡い恋どころか、無色透明で無感情の事務的な会話の数々を思い出して、机に顔をうずめた。
「まさか、政略のために婚約を提案されるなんて、どこの転生令嬢物語なのよ……」
日本のスマホの中には、転生ものの小説やコミカライズは山のようにあった。仕事が忙しくて、ちらっと見るくらいだった。だいたいは、ヒロインは「あなたを愛することはない」とヒーローに言われるが、紆余曲折の末愛されてハッピーエンドになる。
「はぁ……ないない。現実的に、そんなうまくいくはずないじゃない……」
ディンギール公爵家からコギ伯爵を守るためと言ったが、おそらくはウォンバート家はこれを機に決着をつけるつもりなのではないかと思えた。もっと有益な家紋もあるなか、事態が膠着した場合、コギ伯爵よりも高位貴族ではしがらみが多く、かといって、ふけばすぐに飛んでしまうような子爵家では役に立たなさすぎる。
ようするに、コギ伯爵家というのは、高位貴族にとって、ちょうど良い、都合のいい女のようなものだ。
「田舎の小金持ち程度のうちなら、もしも婚約破棄とかしても、そんなに大それたアレコレがないもんね……」
ウォーレンとの再会で舞い上がっていたものの、あの場では、できるかぎり冷静でいるように頑張ったし、自分でも驚くほど頭が冷えていた。彼らが言っていた、細かな文言のひとつひとつを鮮明に覚えている。
断れば、いつの間にかディンギール公爵家から攻撃を受け、コギ伯爵家は過去にあった家紋として歴史の資料に残るのみになっただろう。その過程で、争いには無縁の人々がどれほど傷つくことか。もちろん、断ったとしてもできる限り彼らは守ってくれるだろうが、永遠には無理だ。結局、断るという選択肢などないも同然だった。
「もしも、私が断ったら……。そうすれば、彼はほかの女性と婚約したのかな」
以前、ピーチが言っていた嫁候補というのは、今回の件も含めてディンギール公爵家と戦うために、白羽の矢がたった令嬢たちを指していたのかもしれない。自分じゃなくても良かったのかと思うと、目じりに涙が出てくるほど胸が苦しい。
けれど、それでもよかった。彼の側にいられるのなら、利用されるだけでも良いと。
政略上の関係であったとしても、他の誰も、彼の隣に立ってほしくない。そのくらいなら、例え愚かでも、自分がその場所に行きたいと、貪欲に彼を求めてしまう。
自分で自分がコントロールできなくて、どうしていいのかわからなくなる。こんな、とめどなく気持ちが揺れ動く日が来るなど、大会以前の自分では考えられなかった。
「できるなら……」
自分の半分、いや、四分の一でもいいから想いを返してくれるのなら、そうすれば、アイーシャは政略であっても彼の隣で精いっぱい微笑むことができると思ったのである。
「そうよ、今は仕事上のお付き合いでも……」
実直で誠実な彼なら、きっと自分をないがしろにはしないだろう。ならば、友達以上恋人未満くらいの仲にはなれるのではと、突っ伏していた顔をあげた時、ドアがノックされた。
「お嬢様、そろそろ夕食の時間ですのでご準備を……」
「え? あら? もうそんな時間?」
窓の外は、すでに陽が沈んでいた。気が付けば足元から冷えてきており、冷気がじっとしていた体を包み込む。外出用の美しいデザインだが寒いドレスから、身軽で暖かいワンピースに着替えて食堂に向かう。両親はすでに席についていて、アイーシャの報告を待っていた。
アイーシャは、今日の出来事を全て彼らに話をした。すでに、手紙で知らされていたらしい。
「今からでもお断りできるぞ。なぁに、うちだって新たに護衛を雇ったりできるし、そもそも、仕事にしても隙ができないようにより良い人材を引き抜くことだって考えてあるからな」
断る気100%の父が、前のめりのように顔を向ける。母も、守るためとはいえ、アイーシャ個人を無視した一方的すぎる婚約という契約を持ちかけてきた内容に反対している。
「アイーシャ、政略結婚だってすべてが悪い部分があるわけではないわ。けれど、こんな……。命を人質にしたかのようなご提案は、お断りした方がいいと思うの。お父様が言うように、他にも守る方法がないわけじゃないわ」
もともと、母はあの時にウォンバート家に対してすっぱり関係を断ち切っている。母は一度決めたことは曲げない。その状況での今回の提案には、ひどく憤りを覚えているようだった。
海鮮のクリームシチューで舌も体も心も温まったころ、ふたりの長い話がようやく止まった。アイーシャは、スープスプーンを置き、ふたりをじっと見つめた。
すうっと一息飲んでから話す彼女の言葉を聞き、父は大袈裟に嘆き、母は静かに娘の視線をじっと見つめたあと、寂しそうに微笑んだのだった。
母は、強制力がないうえに断っていもいいと言っていたが、この場で断れる令嬢がいるのだろうかと首をかしげる。
どちらにせよ、幸せそうに王妃自ら選んだと言う白いバラやスターチス、そしてガーベラの花束を貰いながら頬を染めて見つめ合うふたりはとても幸せそうで、アイーシャまで心が温かくなった。
「アイーシャさん、僕たちもふたりのように見えますかね?」
「え? やだ、何言ってるんですか」
「はは、冗談ですよ。そんな真剣に否定しなくても。では、僕は人前で目立つのはNGなので、ここで失礼いたします。アイーシャさん、また、後日お会いいたしましょう」
「はい、また」
会場から少し離れた場所で、レッサーはアイーシャの指先にそっと唇をつけるふりをして去っていった。
「はぁ、本当に、リアルの出来事だったのかな?」
お茶会から家に戻ると、ウォーレンとの会話を思い出した。今日会えただけでなく、後日にも会えるのだ。遠くない未来で、今日とは違うシチュエーションで彼と楽しいひと時が来る想像をしてしまい、かあっと頬が熱くなる。少し冷たい手を頬に当てて、熱を冷まそうとするがなかなかうまくいかなかった。
帰宅するなり、自室の机に飾られているポピーの花をつんっと指先でつつく。高く細い茎の上に咲くポピーは、簡単にふるんと揺れた。
「恋の予感、だったっけ? ははっ」
アイーシャは、喜びで舞い踊る心とは裏腹に、自虐気味に小さく笑う。淡い恋どころか、無色透明で無感情の事務的な会話の数々を思い出して、机に顔をうずめた。
「まさか、政略のために婚約を提案されるなんて、どこの転生令嬢物語なのよ……」
日本のスマホの中には、転生ものの小説やコミカライズは山のようにあった。仕事が忙しくて、ちらっと見るくらいだった。だいたいは、ヒロインは「あなたを愛することはない」とヒーローに言われるが、紆余曲折の末愛されてハッピーエンドになる。
「はぁ……ないない。現実的に、そんなうまくいくはずないじゃない……」
ディンギール公爵家からコギ伯爵を守るためと言ったが、おそらくはウォンバート家はこれを機に決着をつけるつもりなのではないかと思えた。もっと有益な家紋もあるなか、事態が膠着した場合、コギ伯爵よりも高位貴族ではしがらみが多く、かといって、ふけばすぐに飛んでしまうような子爵家では役に立たなさすぎる。
ようするに、コギ伯爵家というのは、高位貴族にとって、ちょうど良い、都合のいい女のようなものだ。
「田舎の小金持ち程度のうちなら、もしも婚約破棄とかしても、そんなに大それたアレコレがないもんね……」
ウォーレンとの再会で舞い上がっていたものの、あの場では、できるかぎり冷静でいるように頑張ったし、自分でも驚くほど頭が冷えていた。彼らが言っていた、細かな文言のひとつひとつを鮮明に覚えている。
断れば、いつの間にかディンギール公爵家から攻撃を受け、コギ伯爵家は過去にあった家紋として歴史の資料に残るのみになっただろう。その過程で、争いには無縁の人々がどれほど傷つくことか。もちろん、断ったとしてもできる限り彼らは守ってくれるだろうが、永遠には無理だ。結局、断るという選択肢などないも同然だった。
「もしも、私が断ったら……。そうすれば、彼はほかの女性と婚約したのかな」
以前、ピーチが言っていた嫁候補というのは、今回の件も含めてディンギール公爵家と戦うために、白羽の矢がたった令嬢たちを指していたのかもしれない。自分じゃなくても良かったのかと思うと、目じりに涙が出てくるほど胸が苦しい。
けれど、それでもよかった。彼の側にいられるのなら、利用されるだけでも良いと。
政略上の関係であったとしても、他の誰も、彼の隣に立ってほしくない。そのくらいなら、例え愚かでも、自分がその場所に行きたいと、貪欲に彼を求めてしまう。
自分で自分がコントロールできなくて、どうしていいのかわからなくなる。こんな、とめどなく気持ちが揺れ動く日が来るなど、大会以前の自分では考えられなかった。
「できるなら……」
自分の半分、いや、四分の一でもいいから想いを返してくれるのなら、そうすれば、アイーシャは政略であっても彼の隣で精いっぱい微笑むことができると思ったのである。
「そうよ、今は仕事上のお付き合いでも……」
実直で誠実な彼なら、きっと自分をないがしろにはしないだろう。ならば、友達以上恋人未満くらいの仲にはなれるのではと、突っ伏していた顔をあげた時、ドアがノックされた。
「お嬢様、そろそろ夕食の時間ですのでご準備を……」
「え? あら? もうそんな時間?」
窓の外は、すでに陽が沈んでいた。気が付けば足元から冷えてきており、冷気がじっとしていた体を包み込む。外出用の美しいデザインだが寒いドレスから、身軽で暖かいワンピースに着替えて食堂に向かう。両親はすでに席についていて、アイーシャの報告を待っていた。
アイーシャは、今日の出来事を全て彼らに話をした。すでに、手紙で知らされていたらしい。
「今からでもお断りできるぞ。なぁに、うちだって新たに護衛を雇ったりできるし、そもそも、仕事にしても隙ができないようにより良い人材を引き抜くことだって考えてあるからな」
断る気100%の父が、前のめりのように顔を向ける。母も、守るためとはいえ、アイーシャ個人を無視した一方的すぎる婚約という契約を持ちかけてきた内容に反対している。
「アイーシャ、政略結婚だってすべてが悪い部分があるわけではないわ。けれど、こんな……。命を人質にしたかのようなご提案は、お断りした方がいいと思うの。お父様が言うように、他にも守る方法がないわけじゃないわ」
もともと、母はあの時にウォンバート家に対してすっぱり関係を断ち切っている。母は一度決めたことは曲げない。その状況での今回の提案には、ひどく憤りを覚えているようだった。
海鮮のクリームシチューで舌も体も心も温まったころ、ふたりの長い話がようやく止まった。アイーシャは、スープスプーンを置き、ふたりをじっと見つめた。
すうっと一息飲んでから話す彼女の言葉を聞き、父は大袈裟に嘆き、母は静かに娘の視線をじっと見つめたあと、寂しそうに微笑んだのだった。
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