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 激昂したカンソの動きに、パネルは彼の申し出を断ったことは後悔していない。だからといって、怖くないわけはなく、ギュッと目を閉じた。

「やめなさい!」

 腕を掴まれて恐ろしい目に合うと覚悟をしたが、短くひとことが耳に入ると同時に、どさっと重い何かが地面に落ちる音がした。

「な、なんだお前は! 離せ!」

 恐る恐るパネルが目を開けると、そこにはダンパーがいた。カンソを地に伏せさせ、片腕を固めて動きを封じている。カンソの頬が地面にべっとりへばりついていて、伯爵家で産まれ育った彼にとっては、この上ない屈辱だろう。

「ダンパーさま!」
「パネルさん、大丈夫ですか?
「はい、ダンパーさまのおかげで、わたくしは無事です」

 パネルの無事を確認したあと、ダンパーはカンソに厳しく鋭い言葉を投げかけた。

「込み入った話のようだから様子を伺っていましたが、か弱い女性に乱暴しようとするなど。恥を知ったらどうです!」
「うるさい! パネルは私の妻だ! 自由にする権利が私にはある。言う事を聞こうとしないパネルが悪いだろうが!」
「パネルさんは、お前に一方的に離婚され、その日のうちに追い出されたのだから赤の他人でしょう! 例え妻だとしても、このようなこと許されるはずはありません!」

 成人した男同士の口論の激しさに、パネルは震えてその場から離れることができなかった。だが、ダンパーがいる限り安心だという思いと、こみあげる何かのせいで胸がじぃんと熱くもくすぐったいような気持ちになる。

「ぐっ、い、痛い! 肩が外れる。おのれ、アルミフィン伯爵の後継者である私にこのようなことをして、ただではおかんぞ!」
「たかが伯爵家の後継者のくせに、口だけは達者ですね」
「たかがとは、なんたる無礼な。犬小屋のようなボロ家に住む平民が」
「ボロ家で悪かったですね。こんなところに住んでいますが、私は平民ではありません」

 みっともなく叫ぶだけのカンソの姿に、心に少しも波など起きない。ただ、頼もしいダンパーの言葉を聞き、驚いた。パネルもまた、彼のことを平民だと思っていたから。

「ダンパーさまは、貴族だったのですか?」
「それが、貴族でもないのです。実は、私は、王家の血筋なんです。玉座をかけた争いが嫌で、王宮を抜け出したものの、追手から逃れた先でパン一切れすら口にできずにいたところを、ヒートポンプ男爵に救われたのです。私を助ければ、自身も危ういというのに、彼は援助をしてくれたのです。それから、私は名を変えて商売をはじめたのですよ」
「まあ、そうだったのですね。王家の方とは知らなかったこととはいえ、わたくしったら……」
「あなたの祖先がおられなかったら、100年以上前に私は処刑されていたでしょう。パネルさんは、お気になさらずこのままここにいてください」
「ダンパーさま……」

 緊迫した場にふさわしくない、ふたりの間に漂う優しい空気を、ふたり以外の男の大声が切り裂いた。

「何を分けのわからないことを……! 実家に戻っていないなど、どうりでおかしいとおもったのだ。パネル、お前私という夫がありながら、この男と!」
「言いがかりです。そんなことするはずがありません」
「下衆の勘ぐりも甚だしい。不倫して子供を作ったお前と、彼女を一緒にしないでもらいたいものですね。パネルさんとは、伯爵家を追い出されてから知り合ったのです。とにかく、これ以上ここに居座る気なら、私とて考えがあります。痛い目を見たくなければさっさと帰って、二度とここには来ないことです」
「ぐぅ……いたたたたっ! わかったから手を離せ!」

 ダンパーが、魔法を行使しようと手をかざした時、彼の手のひらから漏れ出る魔力の圧力に恐怖を感じたのか、カンソは一転して態度を変えた。完全に戦意を喪失したようなカンソの姿を見て、ダンパーは彼から離れる。
 すると、カンソはひいひい情けない言葉にならない声を発しながら、一目散に去っていったのである。

 パネルは、このまま彼がどうなっても関係ないと、感情のこもらない瞳で、どんどん小さくなる背中を見送った。カンソの本性を、離婚した当日と今、まざまざと見せつけられてしまっては、出会った当初の優しい言葉も微笑みにも未練など一片たりとも残らず消え去ったのである。

 もう二度と会いたくない。もう二度と自分の前に現れてほしくないと、きゅっと唇を結んで、カンソの姿が見えなくなったはるか向こうを見つめた。

 ふぅっと一息ついたあと、隣にいるダンパーに向き合う。自分よりも頭ふたつ分は大きなダンパーを見上げた。
 彼は微笑みながら、どこまでも優しい光をともした眼差しをパネルに向けていた。聞きたいことなどがいろいろあるだろうに、何も言わない彼の優しさを感じて胸がきゅっと苦しくなる。

「ダンパーさま、お騒がせいたしまして申し訳ございません」
「あいつが二度と来ないように少々手を打っておきましょう。この数日で、私の個人資産が、100年以上前から銀行に、どういった理由かは不明ですが、当時の約束通りの権利分の金額がずっと振り込まれていたのがわかったのです。普通なら、私が行方不明になってから数年で口座も凍結されるはずなのですがね。おそらく、おざなりに振り込みを続けていただけでしょう。なにわともあれ、それを元に様々なことができそうですよ。それに、ダイレクトも力になってくれますから、安心してくださいね」
「まあ、それはなんといいますか。100年以上も、ですか。ダンパーさまの身の上を考えると、手放しに喜んでいいのかわかりませんが、あなたにとって良いことがあってよかったです。何から何までありがとうございます。わたくし、何も出来ない自分が情けなくて……」
「何を言うのです。あなたがいるから、私は今の世情を知ることができるのです。それに、過去からの旅人である私に、毎朝あなたが笑顔でおはようと言ってくれることが、どれほど心の慰めになっているか」
「ダンパーさま、わたくし、優しいダンパーさまに出会えて良かったと感謝しております」


 彼には、何度もピンチを救って貰っている。将来の不安もないように力を貸してくれるダンパーに出会えて良かったと心底思う。

 心の底からの想いを込めて感謝の気持ちを伝えながら、心の中にポツンと芽生えた小さな感情が、少しずつ膨らんでいくのを自覚するのであった。
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