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 ひとりっきりの部屋は、どことなく広くて寒い。昼間は、皆がいてくれるから忘れられる様々なことが次から次へと浮かんで来てわたくしを苛んだ。


※※※※


『今すぐ出ていけ』

『婚約は破棄だ』


 侯爵が訪れた春を満喫しているかのように、すがすがしく満面の笑顔で言い放つ。苦難を乗り越えて念願が成就したと感激を胸いっぱいにして、元凶であるわたくしに、冷たく色々な言葉を投げつけて来た。

 耳を塞いでも、その言葉は容赦なくわたくしの中に入って来て切りつける。
 その表情を見たくなくてうずくまって目をぎゅっと閉じていても、笑い声と、わたくしへの嫌悪の顔がくるくると表情を変えて周囲を回り嘲笑った。

(いや、やめて……。大人しく出ていったじゃない。もう、酷いことを言わないで! どうして? 私だってあなたの娘のはずなのに……。あの子と何が違うの? 髪が白いから? 魔力がないから? ああ、そうか……、そうだったわ……侯爵にとっては、わたくしは忌み子、不貞の子。ああ、産まれてきて、ごめんなさい……)





 暁色の光の中、ラドロウと彼が愛を交わし合っていたあの光景が、大きくなり責め立てる。

(どうして? なんで? なぜ、あの子なの? あの子はどうして、いつもわたくしの大切なものを奪っていくの?) 

 わたくしの大切な物を一つ残らず持って行った妹の、まんまとしてやったわ、と言わんばかりに面白そうに笑う表情が、甘く棘のある言葉と共に降りかかる。




『ラドロウ様、大変お似合いですわ。こちらはいかがでしょうか。流行のものに金糸をあしらっていますの。侯爵家の後継者のあなたなら、いえ、これは、あなたにしか着こなせませんわ』

 お母さまがわたくしのために成人までの間契約しているデザイナーも、妹のためだけにドレスを作っている。

(お母様の娘はわたくしなのに。その子じゃないわ。どうして、どうして? ああ、昔から、本当は妹のためだけにドレスを作っていたのね……)




 ラドロウが愛しいと、大きな手で彼女の頭に手を当てた、その左の薬指にあるピジョンブラッドが、日の光を浴びて一際輝いている。

(クアドリ様……、その指には真珠の指輪をはめていたのに、間違えてしまったの……?)

 唇が、これ以上はないほどくっつきあい、離れる度に2人を繋ぐ銀のかけ橋が途切れる前に再び重なった。

(いや、いや……。その指に白以外を纏わないで……。クアドリさま、どうか、この白い髪が嫌なら一生帽子をかぶります。なんなら全て切って剃りますから。だから、どうか……。ほんの少しでいいの、わたくしを見てください……。妹を、そんな風に蕩けた瞳で見ないで……お願い、大事そうに抱きしめて唇を近づけないでください……)

 窓から見える、その景色がどんどん遠ざかる。なのに、彼の甘い瞳だけは、やけにはっきりとクローズアップされ、わたくしの目を通して心に大きくそれを刻み付けた。





『あーら、お姉さま、お姉さまにはコレは勿体ないわぁ。ふふ、ぜーんぶ貰ってあ・げ・る』
『ねぇ、クアドリ様ったら、とっても優しくて……。お姉さまが羨ましいわ? でも、お姉さまには勿体ないわぁ。ふふふふ、彼も貰ってあ・げ・る』

(息が出来ない。苦しい……誰か、助けて。ううん、このまま……どうか……、もう、何も、なんにも、ききたくない……みたくないの……)


 ラドロウの高笑いが渦を巻き、それに飲み込まれて濁流にのみ込まれた。




※※※※



 目が覚める。体が重くてだるい。体中に気持ちの悪い汗が流れ、生地がそれを吸って気持ち悪くべっとりへばりついてた。

「また……嫌な夢……」

 目が覚めるとほとんどその夢の内容は覚えていない。けれども、どんな内容だったのかは、この目で見て来た過去だから見なくても分かった。

 毎日のように眠りたくないと思っていても、ほんの一時間にも満たない時間が、わたくしを悪夢に誘う。

 もうあんな光景は目にすることはないというのに、リアルな悪夢は、どっどと心臓を無理に動かす。気持ちが悪い。口を抑えて洗面所に駆け込んだ。

「う……」

 もともと食が細い上に、最近は半分も食べることができていない。とっくに空っぽになっている胃の中のものがぱっと洗面所に落ちた。

 咽が渇き、粘膜が不味い酸のような味を齎していた。側にあるコップでうがいをした。

「うぅ……」

 洗面所の縁を掴んだ指にあるアクアマリンを、暗闇の中じっと見つめる。すると、辛かった心が、一瞬で彼の色に染まり楽になる。でも、苦しい。

(クアドリ様……うう、クアドリ、さま……)

 父も妹もいらない。ただ、あの人だけがいればいいのに。

 叶わない夢を求めて、鏡に移った自分を見る。そこには、げっそり頬が痩けて青ざめたわたくしがいた。

(そんな、これが今のわたくし?)

 毎日鏡を見ていた。だから、自分の姿は知っていたはずなのに、今始めて痩せこけた姿を認識する。

(嘘、多少痩せたとは思っていたけれど、これほどだなんて……)



『ほら、食えよ』

 もうお腹がいっぱいなのに、甘いものや、プロテインバーを口に放り込むぶっきらぼうな彼を思い出す。



『アイリスったら、また食べてないわね? 全くもう……そうだわ、アイスコーヒーを飲みに行きましょう!』

 手を優しくとられ、マニーデさんに連れて行って貰った喫茶店でアイスコーヒーを頼む。アフォガートのコールドバージョンのように、生クリームとアイスクリーム、クッキーやチョコがこれでもかと乗せられたそれは、一口で胸焼けがしそうだった。でも、飲んでみると、案外するするお腹に入り、全部食べると彼女がにっこり笑ってくれたのである。



『アイリス、リーモラが作ったんだが、弁当を食べるか?』

 リーモラの優しい笑みを思い出す。学園に戻ってからも、ハリー先生を通して気を配ってくれている。

(そっか……そっか……みんな、人間だから過保護過ぎるんじゃなくて、本当に倒れそうだったんだわ……)

 ざりざりと、不揃いな尖った岩を大きな滝が勢いよく削りとり滑らかにしていってくれるような、そんな気がして、いつの間に頬にたくさんの塩気のある水のカーテンがかかっていた。

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