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目を開けて窓を見ると、とっくに日が暮れていたようだ。しんしんと静かに雪が降っているのが、闇夜の中に白がゆらゆら落ちていたので分かった。静かすぎる夜の暗闇に、今の自分ひとりでは心細い。ひとりにして欲しい気も、誰でもいいから側にいてもらいたい気もした。
ファンヒーターが左右にゆっくり揺れていて、部屋の空気を暖めていた。省吾先生が眠っている間に設置してくれたのだろう。彼の心遣いに、ファンヒーターよりも温かい何かがこみ上げて来た。
手に持っていたはずのスマホがない。焦って辺りを見渡すと、昭和時代に作られたであろう古い学習デスクの上に置かれていた。
画面を確認すると、物凄い量のメッセージや着信履歴が入っていた。その中に、私に会話を聞かれた事も今の私の状況も知らない資さんからの、いつもの優しい言葉とハートのスタンプがある。
普段と変わらない恋人のそれを見た瞬間、粉々に砕けた心の残骸が悲鳴をあげた。昨日までの私なら、嬉しくてすぐに返信したであろうそれから目を背ける。誰からのメッセージや着信に応える気になれず、そっとスマホの電源を落とした。
「彩音ちゃん、起きてる?」
「はい、起きています!」
スマホを見ないように、目をぎゅっと閉じて顔を手で覆っていると、廊下から遠慮がちに小さくノックされた。
恋人だと思っていた彼よりも、今日会ったばかりの人たちのほうが温かい。数か月もの間一緒にいた人よりも、数分話しただけなのに、今、私が側にいたいのは彼ではない何も知らない人たちだと思うのはなぜだろうか。
普段よりも泣き虫になった目を指で拭いドアを開けた。
私を見上げたおばあちゃんが、私の泣きはらした目を見て眉をハノ字に下げる。何も聞かずやんわりとした笑顔で、夕食に誘ってくれた。
磨き上げられた光沢のある一枚板のテーブルには、私と省吾先生、おばあちゃんと省吾先生のおじいちゃんである大先生に、そして若先生が座って鍋を囲んでいる。
私が座るとちょうど椅子と同じ人数になった。おそらく、この椅子は省吾先生のお母さんの場所なのだろう。その人がいない事を不思議に思っていると、事情があっていないと省吾先生が教えてくれた。
大先生や若先生は何事もなかったかのようにポーカーフェイスだ。けれど、おばあちゃんがすごく悲しそうな顔をしたので、話題にしないほうがいいのかもしれない。
ちらっと省吾さんを見ると苦笑しているから、それ以上は深く聞かずにスルーする事にして正解だったみたいでホッとした。
「彩音ちゃん。まだお腹いっぱい? 豆腐がいいか?」
びっくりしたのは、とにかく男の人三人とも、大きな口を開けて、まるでバキュームのようにお鍋の具材を胃に落としていく事だった。お父さんもお兄ちゃんも食べる方だと思っていたけれど、大食い選手権では彼らには敵わないだろう。
そんな中、省吾さんはあれこれ私に世話を焼いてくれて、バランスよくとんすいに入れてくれる。
はふはふと、アツアツのお鍋を口に入れながら、手で口を隠していると、「彩音ちゃんって、いい所のお嬢さんかな?」と大先生が聞いて来た。
「い、いえ……。その、私……」
無意識に、”お上品ぶったぶりっこ”だと馬鹿にされる動作をしてしまい、慌ててお箸を置いて肩を竦める。笑われるかからかわれるかと思いきや、彼らからは思ってもみなかった反応をされた。
「じいちゃん、そんな答えにくい事聞くなよ。いいじゃないか、彩音ちゃんはとてもきれいなお箸の持ち方や食べ方してるんだから!」
「いや、だから聞いたんだが……」
「ははは、父さんも今どきそんな事を聞くなんて野暮野暮。そんな事聞くから昭和のじいさんたちは嫌われるんだ。彩音ちゃんも気にしなくていいからね」
「ふふふ、でもほんっと綺麗に食べてくれると見ていて気持ちがいいし嬉しいわ。省吾にも見習ってほしいくらいよ」
大学では「美味しければ、食べ方なんてどうでもいいじゃない」と完全に冷やかされた食べ方なのに、ここの人たちは褒めてくれた。ここまで褒められると、なんだか胸がこそばゆくなる。
「ほら、彩音ちゃん、白菜がいい? エノキ? あ、肉も食べて」
省吾先生が、そう言いながら次々入れて来る。大勢で過ごす夕食は楽しすぎて、ひとりぼっちのあのアパートに帰りたくなくなってしまうほど幸せな時を過ごした。
翌朝目が覚めると、昨日海の底を歩いているかのように重かった体が軽くなっていた。多少無理をしても食べて良かったと思う。
学習机に置かれたままのスマホをちらっと見る。未練がましく、彼から私を心配していたり好きだと書かれたメッセージがないか電源を入れようとして思い直す。
先生たちのおかげで楽しいひと時を過ごせたとはいえ、昨日の朝に彼が言っていた事は勘違いや夢などではないし、傷ついたのも現実だ。私が聞いていないから出した、あの言葉こそが彼の本心なのだと、未練を断ち切るように一晩ですっかり乾いたカバンに放り込んだ。
家に帰る準備をしていると、足元の地面が今にも崩れ落ちそうな瓦礫のような気になる。もしかしたら、家の前にいるかもと思うと、怖くて足が竦み手が震えた。
初めて出来た好きだった恋人に失恋どころか、最初からセフレ扱いされていただけだなんて。資さんとはもう関わりたくなくなった。なのに、まだ恋しくて会いたいなんて思う自分がもっと嫌でたまらない。
アパートの前に、私の心を揺さぶり完全に壊そうとするあの人がいませんようにと祈りながら、省吾さんの運転する車でアパートに向かったのであった。
ファンヒーターが左右にゆっくり揺れていて、部屋の空気を暖めていた。省吾先生が眠っている間に設置してくれたのだろう。彼の心遣いに、ファンヒーターよりも温かい何かがこみ上げて来た。
手に持っていたはずのスマホがない。焦って辺りを見渡すと、昭和時代に作られたであろう古い学習デスクの上に置かれていた。
画面を確認すると、物凄い量のメッセージや着信履歴が入っていた。その中に、私に会話を聞かれた事も今の私の状況も知らない資さんからの、いつもの優しい言葉とハートのスタンプがある。
普段と変わらない恋人のそれを見た瞬間、粉々に砕けた心の残骸が悲鳴をあげた。昨日までの私なら、嬉しくてすぐに返信したであろうそれから目を背ける。誰からのメッセージや着信に応える気になれず、そっとスマホの電源を落とした。
「彩音ちゃん、起きてる?」
「はい、起きています!」
スマホを見ないように、目をぎゅっと閉じて顔を手で覆っていると、廊下から遠慮がちに小さくノックされた。
恋人だと思っていた彼よりも、今日会ったばかりの人たちのほうが温かい。数か月もの間一緒にいた人よりも、数分話しただけなのに、今、私が側にいたいのは彼ではない何も知らない人たちだと思うのはなぜだろうか。
普段よりも泣き虫になった目を指で拭いドアを開けた。
私を見上げたおばあちゃんが、私の泣きはらした目を見て眉をハノ字に下げる。何も聞かずやんわりとした笑顔で、夕食に誘ってくれた。
磨き上げられた光沢のある一枚板のテーブルには、私と省吾先生、おばあちゃんと省吾先生のおじいちゃんである大先生に、そして若先生が座って鍋を囲んでいる。
私が座るとちょうど椅子と同じ人数になった。おそらく、この椅子は省吾先生のお母さんの場所なのだろう。その人がいない事を不思議に思っていると、事情があっていないと省吾先生が教えてくれた。
大先生や若先生は何事もなかったかのようにポーカーフェイスだ。けれど、おばあちゃんがすごく悲しそうな顔をしたので、話題にしないほうがいいのかもしれない。
ちらっと省吾さんを見ると苦笑しているから、それ以上は深く聞かずにスルーする事にして正解だったみたいでホッとした。
「彩音ちゃん。まだお腹いっぱい? 豆腐がいいか?」
びっくりしたのは、とにかく男の人三人とも、大きな口を開けて、まるでバキュームのようにお鍋の具材を胃に落としていく事だった。お父さんもお兄ちゃんも食べる方だと思っていたけれど、大食い選手権では彼らには敵わないだろう。
そんな中、省吾さんはあれこれ私に世話を焼いてくれて、バランスよくとんすいに入れてくれる。
はふはふと、アツアツのお鍋を口に入れながら、手で口を隠していると、「彩音ちゃんって、いい所のお嬢さんかな?」と大先生が聞いて来た。
「い、いえ……。その、私……」
無意識に、”お上品ぶったぶりっこ”だと馬鹿にされる動作をしてしまい、慌ててお箸を置いて肩を竦める。笑われるかからかわれるかと思いきや、彼らからは思ってもみなかった反応をされた。
「じいちゃん、そんな答えにくい事聞くなよ。いいじゃないか、彩音ちゃんはとてもきれいなお箸の持ち方や食べ方してるんだから!」
「いや、だから聞いたんだが……」
「ははは、父さんも今どきそんな事を聞くなんて野暮野暮。そんな事聞くから昭和のじいさんたちは嫌われるんだ。彩音ちゃんも気にしなくていいからね」
「ふふふ、でもほんっと綺麗に食べてくれると見ていて気持ちがいいし嬉しいわ。省吾にも見習ってほしいくらいよ」
大学では「美味しければ、食べ方なんてどうでもいいじゃない」と完全に冷やかされた食べ方なのに、ここの人たちは褒めてくれた。ここまで褒められると、なんだか胸がこそばゆくなる。
「ほら、彩音ちゃん、白菜がいい? エノキ? あ、肉も食べて」
省吾先生が、そう言いながら次々入れて来る。大勢で過ごす夕食は楽しすぎて、ひとりぼっちのあのアパートに帰りたくなくなってしまうほど幸せな時を過ごした。
翌朝目が覚めると、昨日海の底を歩いているかのように重かった体が軽くなっていた。多少無理をしても食べて良かったと思う。
学習机に置かれたままのスマホをちらっと見る。未練がましく、彼から私を心配していたり好きだと書かれたメッセージがないか電源を入れようとして思い直す。
先生たちのおかげで楽しいひと時を過ごせたとはいえ、昨日の朝に彼が言っていた事は勘違いや夢などではないし、傷ついたのも現実だ。私が聞いていないから出した、あの言葉こそが彼の本心なのだと、未練を断ち切るように一晩ですっかり乾いたカバンに放り込んだ。
家に帰る準備をしていると、足元の地面が今にも崩れ落ちそうな瓦礫のような気になる。もしかしたら、家の前にいるかもと思うと、怖くて足が竦み手が震えた。
初めて出来た好きだった恋人に失恋どころか、最初からセフレ扱いされていただけだなんて。資さんとはもう関わりたくなくなった。なのに、まだ恋しくて会いたいなんて思う自分がもっと嫌でたまらない。
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