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水色の章
#1
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◇◇◇◇
寒い冬の日だった。
いつも遊んでいる公園は、一面真っ白な雪で覆われていて、お気に入りの砂場は雪の下に埋まり、滑り台の梯子の上にまで足を踏み入れたら足が埋まってしまうのではないかと思う程に雪が盛り上がっていた。
こんなに寒い日なんだから、本当はコタツに入ってぬくぬくとしていたかったが、家の外から大声で自分を呼ぶ友人の声と母親の『子供は風の子なんだから外で遊んでらっしゃい』という言葉によって外に出ることになってしまったのだ。
母親に手伝って貰いながら、出来る限りの厚着をして真っ白な世界へと足を踏み出した。
公園に来てみれば、兄弟と思われる2人の子供だけがいて何をする訳でもなくくっついて暖をとっていた。
きっと彼らも母親に外に出されたのだろう。そう思うと名も知らない彼らに少しだけ親近感を覚えた。が、初対面の子に気軽に声をかけれるような性格ではなかったため、少し離れたところから、彼らの様子を見ているだけで終わった。
ボスッと鈍い音とともに背中に軽い衝撃を受ける。
顔だけ振り返れば、少し離れたところに友人の姿があった。
友人の足元には、5、6個の雪玉が無造作に置かれていて、友人が自分に向かって雪玉を投げてきた事は明白だった。
「何ぼうっとしてんだよ」
友人は笑って言う。
のそのそと体を動かして体ごと友人の方を向く。
分厚いトレーナーの上にこれまた分厚いモコモコとしたジャンパーを着て、毛糸の帽子に手袋、何重にも巻かれたマフラーをしている体はいつもの倍は重く感じたし、雪の為履いている履き慣れない長靴のせいで体を動かすことが一苦労である。
そんなコチラの様子を快活に笑ってみている友人は、薄手のコートに申し訳程度に巻かれたマフラーと手袋という軽装備でとても身軽そうである。実際、先程からしゃがんで雪玉を取る動きに苦労している感じはまるでなさそうだった。
友人の方を向くと、こちらの視界の中に、友人の姿以上に目を引く物が映った。思わずそれをジッと見てしまうと、友人は一瞬キョトンとした顔をしたあと、こちらの視線を追いそちらを見る。そして、「あー」と気の抜けた声を出すのだった。
視界に映るのは高い壁だった。
特異区と一般区を隔てる壁だ。
その壁にある申し訳程度の門が、今開かれており、その中に子どもが2、3人くぐって行くのが見て取れた。
彼らが…今年の特異体質者か…。
とその様子を見つめる。
彼らから少し離れた所にいる大人達は、きっと彼らの親や知人だろう。
誰も彼らを引き止める様子はなく、ただ姿を見つめている。
彼らはこれから…特異体質者として壁の内側で生きることになるのだ。親からも見捨てられて…。
「おい…」
かけられた声にハッとすれば、思いの外近くに友人の整った顔があった。
色素の薄い栗色の瞳が呆れたようにこちらを見ていた。
「今からそんな不安そうな顔してどうすんだよ」
「だって…もしも…」
「俺達が測定を受けるのは2年も先のことなんだぞ」
「そうだけど…」
友人は困ったように形のいい眉を寄せる。
「別に特異体質者になったからって死ぬわけじゃないだろ。今では国がキチンと支援してくれて、援助金やら物資をくれてる。壁の向こうがどうなってるかは知らないけどスーパーとかゲーセンみたいな娯楽施設もあるって話じゃないか。何不自由なく暮らせるさ」
「そうかもね…でもさ…」
「でも?」
「もしも、オレが特異体質者になっちゃったら…友達では居られなくなっちゃうだろ…?」
友人は瞳が落ちてしまうのでは?と思う程に目を見開いた。そして、心底可笑しそうに笑った。
「そんなくだらない事気にしてたのか?」
「くだらない事って…」
フフフと笑う友人。
心底笑い終えたあと、友人はとても優しい笑みを浮かべた。
「例えお前が特異体質者になったとしても俺はお前の友達だよ」
「…ほんと?」
「ああ、約束するよ」
指切りするか?と右手の手袋を脱いで小指を立てた手を差し出してくる。
こちらも慌てて手袋を脱いで手を差し出す。
指を絡める前にオレも口を開く。
「オレも約束する。陽翔(はると)が特異体質者になったとしても、ずっとずっと友達だよ」
陽翔はまた目を見開いて、とてもとても嬉しそうに笑う。
「ありがとう、奈月(なつき)」
絡んだ指は、先程まで雪を触っていたのだから冷たい筈なのに、すごく暖かく感じた。
覚えてる。
それは、とても幸せだったときの記憶。
そして…
果たせなかった約束をしたときの記憶。
「奈月!」
かけられた声と体の揺れる感覚に目を開けた。
「やっと起きたか、自習だからって寝るなよ。苦労しながらこっちは課題やってるっていうのにさ」
不満げに隣に座る級友が言った。
あぁ、そうだった。
今は学校で、授業中で。
でも、自習で、課題を終えて暇で暇でしょうがなくて、外を眺めている間に眠ってしまったのだろう。
「ごめん、奏音(みなと)。起こしてくれてありがとう」
「あんまりぐっすり眠ってたから起こすのは悪いと思ったんだけどな。…お前、うなされてたから」
心配そうな奏音の青と黒の瞳がオレを見ていた。
奏音はハーフで、片目だけ外人のような青い瞳をしたオッドアイの持ち主だった。
「そっか…うなされてたか…」
「あぁ。また夢見てたのか?前言ってた友達の」
「うん…」
オレは視線を外に向けた。
秋も終わりに近づいて、木々の葉はほぼほぼ落ちてしまっている。空は雲で覆われて太陽の姿は見る影もない。
そんな中、不気味なまでに存在感を主張する高い高い壁。教室の窓からはその忌々しい壁が見えた。
「あの壁を見てると…どうしても…な」
「そうか」
奏音が言ったのはそれだけだった。多分、気を遣ってくれたのだろう。
あの日、あの約束をした日から10年の月日が流れた。
今までに何度、同じ夢を見ただろう。
でも、それは仕方がないことだ。
コレはオレの罪なのだから…。
「なぁ」
奏音が課題のプリントにシャープペンシルを走らせながら顔も上げずに声をかけてきた。
「ん?」
「お前はさ、悪魔って信じるか?」
「は?」
思いの外素っ頓狂な声が出て、数人の級友がオレたちの方を見る。
それに慌てながら、声を小さくして奏音に言う。
「信じるわけないだろ」
「じゃあ、残っている文献とかについてはどう考える」
「昔、ちょっと頭のおかしい人がいて、妄想して書いただけさ」
「あんなに沢山の文献をか?」
「頭のおかしい人が複数人いたってだけだろ」
奏音はシャープペンシルを置いて、オレを見た。
「でも、もしさ。本当に悪魔がいて、文献通り呼び出した人間の願いを叶えてくれるとしたら?」
「…」
「そうしたら、お前のその後悔も無くなるんじゃないのか?奈月は霊感レベルAだしさ。レベルBの俺よりは呼び出せる可能性高いだろ」
それは…確かにそうかもしれない。
そう思った。もしも、悪魔が本当に存在して願いを叶えてくれるなら…。
「まぁ、居るわけないけどな」
と奏音は笑ってまたシャープペンシルを握った。
まるで、さっきまでの話は無かったように真剣に課題に取り組む奏音を見ながらも、オレの頭の中は先程までの話のことでいっぱいだった。
そして…ある日。
文献に沿って書いた魔法陣から現れたソイツを見てオレは尻餅をついた。
ソイツの姿は人間によく似ていた。
短髪の金色の髪をした背の高い男。
しかし、口元から覗く鋭い歯や背中から生える黒々とした翼が、ソイツが人間をじゃない事を教えてくれていた。
ソイツは閉じられていた眼を開けて、瞼の奥から現れた澄んだ海のような水色の瞳でオレを見た。その視線とオレの視線が交わった。
◇◇◇◇
久々に人間界に召喚された水色を出迎えたのは、無様に尻餅をついてこちらを見る黒髪の特に目立った特徴があるわけじゃない男だった。
「俺を呼んだのは、お前か?」
問いかけると男はわなわなと口を震わせた。
「ほんとに出た…」
「何言ってんだ、お前」
「日本語喋ってるし…」
「おい、お前」
水色の声など聞こえていないように独り言を言う男。
それに次第にイライラしていた水色は男に近づき、その顔に自身の顔を近づけた。
「おい」
「うわぁ!?」
男は尻餅をついた状態でズリズリと後ろに下がった。
「質問に答えろ、人間。お前が俺を呼んだのか?」
男はコクコクと壊れたおもちゃのように頷いた。
「お前、名前は?」
「え?」
「な・ま・え」
男は水色を見上げて、ためらいながら口を開いた。
「立花(たちばな)…奈月…」
「そうか、奈月。俺を呼んだって事は何か願いがあるんだろ?」
「あぁ」
水色はすっと目を細めた。
「なら、願いを言え。願いを1つだけ叶えてやる。その代わり…」
「命を取る…とか?」
奈月が顔を歪めた。
水色は眉を片方だけ上げる。
「別に今はお前の命なんていらねぇよ」
あとで、黒の器が見つかったら命を使わせてもらうけど。と水色は頭の中で呟いたが、口には出さなかった。
「俺達、悪魔の目的のために協力してほしい」
「…協力?」
「なぁに、難しいことは頼まない。ちょっと俺が動きたいときに案内を頼みたいだけだ」
黒の器を探すにはどうしても人間の協力が必要不可欠である。長年、人間界に来ていない悪魔にとっては、今の人間界は未知の場所なのだから。
「そんな事でいいの?」
「あぁ、だから早く願いを言いな」
水色が言うと奈月はしばし思案するようにうつむいた。
「どうした?」
「あのさ…その願いって言うのは、本当に何でも大丈夫なのか?」
「と、言うと?」
「例えばさ、ある人が望みもしないのに手に入れちゃった力をきれいサッパリ無くすとか」
「…どういう意味だ?」
聞けば奈月はやや早口で話しだした。
『霊感』というものが人間にはあり(それが俗に言う『魔力』である事を水色はすぐに気づいた)、強すぎる霊感を持つ者には特異な体質が現れること。
奈月の友人にその特異な体質が現れてしまったこと。
そして、その友人の特異な体質を無くしてあげたいと奈月が思っている事を水色は知った。
「お前、そんな事お願いする気か?」
「え?」
「普通さ、悪魔呼び出して何か願うって言ったら自分の為に願うだろ。なんで、他人の為にお願いしようとしてるんだ?」
「他人の為に何かしたいと思うことは普通にあるだろ?」
水色は首をひねった。他人を思いやるなどという心を持ち得ない水色にとって奈月の話は全く持って理解できなかった。が、本人がいいと言うのであれば水色が口を出すことではない。
願いを知りさえすれば、契約を結ぶのに支障はないのだから、
「ま、お前がそう言うならいいけど」
「…できるの?」
奈月の言葉に水色は顔を思いっきりしかめた。
その様子に奈月は血の気が引いたように白い顔をしてオドオドし始める。
「オレ…まずい事言った?」
「いや。そうじゃない。お前の願いだが…叶えられるかどうか今はわからない」
「え?」
「そんな願い、今まで聞いたことがないからな。試したことが無いことを出来るとは断言できない。お前の友人本人にあって出来るか試してみないとな」
「…」
その答えに奈月は困ったような顔をした。
「そんな顔するな」
水色は心外だというのを隠さない声で言う。
「下級の悪魔なら無理かもしれんが、俺は高位の悪魔だからな。今まで、叶えられなかった願いは無い。お前の願いだって試してみないとわからないとは言ったが出来ないとは言ってないだろ」
「…そうだね」
奈月はほんの少しだけ表情を和らげた。
「もしも、叶えられないとわかったら契約はちゃんと破棄するか、別の願いを叶えてやる。だから、安心しな」
「うん」
「よし。じゃあ、本契約といこう」
水色は自身の背にある翼を伸ばし、バサリと羽ばたかせた。数枚の羽が抜け落ちる。
「立花奈月。貴殿の願い、この悪魔がしかと聞いた。絶対、とは言えぬが出来うる限り貴殿の願いを叶える努力をすると誓おう。我と契約を結んでくれるか?」
先程までとは違う水色の真剣な声に奈月はコクリと唾を飲んだ。
「…結ぶよ」
少々かすれた奈月の言葉に水色は満足そうに笑った。
「ならば、奈月。俺に名を付けろ」
「え?」
「俺達、悪魔には固有の名がない。契約したときに契約主から名を貰うことで契約が完了する。だから、俺に名を付けろ。どんなものでも構わない」
「どんなものでも構わないたって…」
と奈月は困ったように首をかしげて、「うーん」と唸り声を上げる。
何をそんなに悩んでいるのか水色にはやはり理解できなかった。
だが、悩んでいるのを止める気はなく奈月が口を開くのをただジッと待つのだった。
水色にはまるで理解できなかったが、奈月はとてもとても悩んでいた。
悪魔とはいえ、自分以外のものに名前をつけることなんて奈月にとっては生まれて初めての体験である。変な名前など付けたくはなかった。
どうしようか、と考えていたとき頭の中に浮かんだのは初めて悪魔と会い、その瞳と交わった時の事。
あの瞳を見た時、まるで海のような水色だと奈月は思ったのだ。
「海…」
「あ?」
唐突に呟かれた奈月の言葉に水色は声を出した。
「君の名前。海みたいな色の目をしてるから…海。どう?」
どう?と聞かれても、水色は自分の一時的な名前になどさして興味がなかった。だから、どんなものでも構わないと水色は言ったのだ。
そもそも。
「なんだ?海って」
水色は海というものを知らなかったから、余計に興味を持てなかった。
「海、知らないの?」
「あぁ」
「そっか…悪魔だものね。君の瞳と同じ色で…とても綺麗なんだよ」
「へぇ、ま、どうでもいいさ。名前はそれでいいんだな?」
「うん」
水色はまたバサリと羽を揺らした。
「ならば、貴殿と契約を結ぶ限り、我は自身を『海』と名乗ろう。これで、契約は完了だ」
水色改め海は羽の片方を伸ばし、奈月の手首に触れた。
すると、奈月の手首に黒く輝く輪が現れた。
それは、契約完了の証であった。
「これから、よろしく。海」
と奈月は笑みを浮かべて言った。
よろしくも何も契約を結んだ以上共に過ごすことは決定事項なわけだし、この契約が終わるのは奈月の願いを叶えられなかった時か(無論、高位の悪魔を呼び出せる人間は少ないので、叶えられないとわかったらすぐにでも違う願いで契約を継続させるが)、黒の力を器に移し奈月の命を奪った時である。と海は思う。
馬鹿な人間だ。最後まで悪魔に利用されるとも知らずに…。
海は言葉に出さずに頭の中で呟いた。
「そちらこそよろしく、奈月」
その命がなくなるまで…。
そう頭の中で付け足しながら、海は言った。
その日、一人の人間と悪魔の間に契約が結ばれた。
そして、運命の歯車が少しだけ動き出した。
寒い冬の日だった。
いつも遊んでいる公園は、一面真っ白な雪で覆われていて、お気に入りの砂場は雪の下に埋まり、滑り台の梯子の上にまで足を踏み入れたら足が埋まってしまうのではないかと思う程に雪が盛り上がっていた。
こんなに寒い日なんだから、本当はコタツに入ってぬくぬくとしていたかったが、家の外から大声で自分を呼ぶ友人の声と母親の『子供は風の子なんだから外で遊んでらっしゃい』という言葉によって外に出ることになってしまったのだ。
母親に手伝って貰いながら、出来る限りの厚着をして真っ白な世界へと足を踏み出した。
公園に来てみれば、兄弟と思われる2人の子供だけがいて何をする訳でもなくくっついて暖をとっていた。
きっと彼らも母親に外に出されたのだろう。そう思うと名も知らない彼らに少しだけ親近感を覚えた。が、初対面の子に気軽に声をかけれるような性格ではなかったため、少し離れたところから、彼らの様子を見ているだけで終わった。
ボスッと鈍い音とともに背中に軽い衝撃を受ける。
顔だけ振り返れば、少し離れたところに友人の姿があった。
友人の足元には、5、6個の雪玉が無造作に置かれていて、友人が自分に向かって雪玉を投げてきた事は明白だった。
「何ぼうっとしてんだよ」
友人は笑って言う。
のそのそと体を動かして体ごと友人の方を向く。
分厚いトレーナーの上にこれまた分厚いモコモコとしたジャンパーを着て、毛糸の帽子に手袋、何重にも巻かれたマフラーをしている体はいつもの倍は重く感じたし、雪の為履いている履き慣れない長靴のせいで体を動かすことが一苦労である。
そんなコチラの様子を快活に笑ってみている友人は、薄手のコートに申し訳程度に巻かれたマフラーと手袋という軽装備でとても身軽そうである。実際、先程からしゃがんで雪玉を取る動きに苦労している感じはまるでなさそうだった。
友人の方を向くと、こちらの視界の中に、友人の姿以上に目を引く物が映った。思わずそれをジッと見てしまうと、友人は一瞬キョトンとした顔をしたあと、こちらの視線を追いそちらを見る。そして、「あー」と気の抜けた声を出すのだった。
視界に映るのは高い壁だった。
特異区と一般区を隔てる壁だ。
その壁にある申し訳程度の門が、今開かれており、その中に子どもが2、3人くぐって行くのが見て取れた。
彼らが…今年の特異体質者か…。
とその様子を見つめる。
彼らから少し離れた所にいる大人達は、きっと彼らの親や知人だろう。
誰も彼らを引き止める様子はなく、ただ姿を見つめている。
彼らはこれから…特異体質者として壁の内側で生きることになるのだ。親からも見捨てられて…。
「おい…」
かけられた声にハッとすれば、思いの外近くに友人の整った顔があった。
色素の薄い栗色の瞳が呆れたようにこちらを見ていた。
「今からそんな不安そうな顔してどうすんだよ」
「だって…もしも…」
「俺達が測定を受けるのは2年も先のことなんだぞ」
「そうだけど…」
友人は困ったように形のいい眉を寄せる。
「別に特異体質者になったからって死ぬわけじゃないだろ。今では国がキチンと支援してくれて、援助金やら物資をくれてる。壁の向こうがどうなってるかは知らないけどスーパーとかゲーセンみたいな娯楽施設もあるって話じゃないか。何不自由なく暮らせるさ」
「そうかもね…でもさ…」
「でも?」
「もしも、オレが特異体質者になっちゃったら…友達では居られなくなっちゃうだろ…?」
友人は瞳が落ちてしまうのでは?と思う程に目を見開いた。そして、心底可笑しそうに笑った。
「そんなくだらない事気にしてたのか?」
「くだらない事って…」
フフフと笑う友人。
心底笑い終えたあと、友人はとても優しい笑みを浮かべた。
「例えお前が特異体質者になったとしても俺はお前の友達だよ」
「…ほんと?」
「ああ、約束するよ」
指切りするか?と右手の手袋を脱いで小指を立てた手を差し出してくる。
こちらも慌てて手袋を脱いで手を差し出す。
指を絡める前にオレも口を開く。
「オレも約束する。陽翔(はると)が特異体質者になったとしても、ずっとずっと友達だよ」
陽翔はまた目を見開いて、とてもとても嬉しそうに笑う。
「ありがとう、奈月(なつき)」
絡んだ指は、先程まで雪を触っていたのだから冷たい筈なのに、すごく暖かく感じた。
覚えてる。
それは、とても幸せだったときの記憶。
そして…
果たせなかった約束をしたときの記憶。
「奈月!」
かけられた声と体の揺れる感覚に目を開けた。
「やっと起きたか、自習だからって寝るなよ。苦労しながらこっちは課題やってるっていうのにさ」
不満げに隣に座る級友が言った。
あぁ、そうだった。
今は学校で、授業中で。
でも、自習で、課題を終えて暇で暇でしょうがなくて、外を眺めている間に眠ってしまったのだろう。
「ごめん、奏音(みなと)。起こしてくれてありがとう」
「あんまりぐっすり眠ってたから起こすのは悪いと思ったんだけどな。…お前、うなされてたから」
心配そうな奏音の青と黒の瞳がオレを見ていた。
奏音はハーフで、片目だけ外人のような青い瞳をしたオッドアイの持ち主だった。
「そっか…うなされてたか…」
「あぁ。また夢見てたのか?前言ってた友達の」
「うん…」
オレは視線を外に向けた。
秋も終わりに近づいて、木々の葉はほぼほぼ落ちてしまっている。空は雲で覆われて太陽の姿は見る影もない。
そんな中、不気味なまでに存在感を主張する高い高い壁。教室の窓からはその忌々しい壁が見えた。
「あの壁を見てると…どうしても…な」
「そうか」
奏音が言ったのはそれだけだった。多分、気を遣ってくれたのだろう。
あの日、あの約束をした日から10年の月日が流れた。
今までに何度、同じ夢を見ただろう。
でも、それは仕方がないことだ。
コレはオレの罪なのだから…。
「なぁ」
奏音が課題のプリントにシャープペンシルを走らせながら顔も上げずに声をかけてきた。
「ん?」
「お前はさ、悪魔って信じるか?」
「は?」
思いの外素っ頓狂な声が出て、数人の級友がオレたちの方を見る。
それに慌てながら、声を小さくして奏音に言う。
「信じるわけないだろ」
「じゃあ、残っている文献とかについてはどう考える」
「昔、ちょっと頭のおかしい人がいて、妄想して書いただけさ」
「あんなに沢山の文献をか?」
「頭のおかしい人が複数人いたってだけだろ」
奏音はシャープペンシルを置いて、オレを見た。
「でも、もしさ。本当に悪魔がいて、文献通り呼び出した人間の願いを叶えてくれるとしたら?」
「…」
「そうしたら、お前のその後悔も無くなるんじゃないのか?奈月は霊感レベルAだしさ。レベルBの俺よりは呼び出せる可能性高いだろ」
それは…確かにそうかもしれない。
そう思った。もしも、悪魔が本当に存在して願いを叶えてくれるなら…。
「まぁ、居るわけないけどな」
と奏音は笑ってまたシャープペンシルを握った。
まるで、さっきまでの話は無かったように真剣に課題に取り組む奏音を見ながらも、オレの頭の中は先程までの話のことでいっぱいだった。
そして…ある日。
文献に沿って書いた魔法陣から現れたソイツを見てオレは尻餅をついた。
ソイツの姿は人間によく似ていた。
短髪の金色の髪をした背の高い男。
しかし、口元から覗く鋭い歯や背中から生える黒々とした翼が、ソイツが人間をじゃない事を教えてくれていた。
ソイツは閉じられていた眼を開けて、瞼の奥から現れた澄んだ海のような水色の瞳でオレを見た。その視線とオレの視線が交わった。
◇◇◇◇
久々に人間界に召喚された水色を出迎えたのは、無様に尻餅をついてこちらを見る黒髪の特に目立った特徴があるわけじゃない男だった。
「俺を呼んだのは、お前か?」
問いかけると男はわなわなと口を震わせた。
「ほんとに出た…」
「何言ってんだ、お前」
「日本語喋ってるし…」
「おい、お前」
水色の声など聞こえていないように独り言を言う男。
それに次第にイライラしていた水色は男に近づき、その顔に自身の顔を近づけた。
「おい」
「うわぁ!?」
男は尻餅をついた状態でズリズリと後ろに下がった。
「質問に答えろ、人間。お前が俺を呼んだのか?」
男はコクコクと壊れたおもちゃのように頷いた。
「お前、名前は?」
「え?」
「な・ま・え」
男は水色を見上げて、ためらいながら口を開いた。
「立花(たちばな)…奈月…」
「そうか、奈月。俺を呼んだって事は何か願いがあるんだろ?」
「あぁ」
水色はすっと目を細めた。
「なら、願いを言え。願いを1つだけ叶えてやる。その代わり…」
「命を取る…とか?」
奈月が顔を歪めた。
水色は眉を片方だけ上げる。
「別に今はお前の命なんていらねぇよ」
あとで、黒の器が見つかったら命を使わせてもらうけど。と水色は頭の中で呟いたが、口には出さなかった。
「俺達、悪魔の目的のために協力してほしい」
「…協力?」
「なぁに、難しいことは頼まない。ちょっと俺が動きたいときに案内を頼みたいだけだ」
黒の器を探すにはどうしても人間の協力が必要不可欠である。長年、人間界に来ていない悪魔にとっては、今の人間界は未知の場所なのだから。
「そんな事でいいの?」
「あぁ、だから早く願いを言いな」
水色が言うと奈月はしばし思案するようにうつむいた。
「どうした?」
「あのさ…その願いって言うのは、本当に何でも大丈夫なのか?」
「と、言うと?」
「例えばさ、ある人が望みもしないのに手に入れちゃった力をきれいサッパリ無くすとか」
「…どういう意味だ?」
聞けば奈月はやや早口で話しだした。
『霊感』というものが人間にはあり(それが俗に言う『魔力』である事を水色はすぐに気づいた)、強すぎる霊感を持つ者には特異な体質が現れること。
奈月の友人にその特異な体質が現れてしまったこと。
そして、その友人の特異な体質を無くしてあげたいと奈月が思っている事を水色は知った。
「お前、そんな事お願いする気か?」
「え?」
「普通さ、悪魔呼び出して何か願うって言ったら自分の為に願うだろ。なんで、他人の為にお願いしようとしてるんだ?」
「他人の為に何かしたいと思うことは普通にあるだろ?」
水色は首をひねった。他人を思いやるなどという心を持ち得ない水色にとって奈月の話は全く持って理解できなかった。が、本人がいいと言うのであれば水色が口を出すことではない。
願いを知りさえすれば、契約を結ぶのに支障はないのだから、
「ま、お前がそう言うならいいけど」
「…できるの?」
奈月の言葉に水色は顔を思いっきりしかめた。
その様子に奈月は血の気が引いたように白い顔をしてオドオドし始める。
「オレ…まずい事言った?」
「いや。そうじゃない。お前の願いだが…叶えられるかどうか今はわからない」
「え?」
「そんな願い、今まで聞いたことがないからな。試したことが無いことを出来るとは断言できない。お前の友人本人にあって出来るか試してみないとな」
「…」
その答えに奈月は困ったような顔をした。
「そんな顔するな」
水色は心外だというのを隠さない声で言う。
「下級の悪魔なら無理かもしれんが、俺は高位の悪魔だからな。今まで、叶えられなかった願いは無い。お前の願いだって試してみないとわからないとは言ったが出来ないとは言ってないだろ」
「…そうだね」
奈月はほんの少しだけ表情を和らげた。
「もしも、叶えられないとわかったら契約はちゃんと破棄するか、別の願いを叶えてやる。だから、安心しな」
「うん」
「よし。じゃあ、本契約といこう」
水色は自身の背にある翼を伸ばし、バサリと羽ばたかせた。数枚の羽が抜け落ちる。
「立花奈月。貴殿の願い、この悪魔がしかと聞いた。絶対、とは言えぬが出来うる限り貴殿の願いを叶える努力をすると誓おう。我と契約を結んでくれるか?」
先程までとは違う水色の真剣な声に奈月はコクリと唾を飲んだ。
「…結ぶよ」
少々かすれた奈月の言葉に水色は満足そうに笑った。
「ならば、奈月。俺に名を付けろ」
「え?」
「俺達、悪魔には固有の名がない。契約したときに契約主から名を貰うことで契約が完了する。だから、俺に名を付けろ。どんなものでも構わない」
「どんなものでも構わないたって…」
と奈月は困ったように首をかしげて、「うーん」と唸り声を上げる。
何をそんなに悩んでいるのか水色にはやはり理解できなかった。
だが、悩んでいるのを止める気はなく奈月が口を開くのをただジッと待つのだった。
水色にはまるで理解できなかったが、奈月はとてもとても悩んでいた。
悪魔とはいえ、自分以外のものに名前をつけることなんて奈月にとっては生まれて初めての体験である。変な名前など付けたくはなかった。
どうしようか、と考えていたとき頭の中に浮かんだのは初めて悪魔と会い、その瞳と交わった時の事。
あの瞳を見た時、まるで海のような水色だと奈月は思ったのだ。
「海…」
「あ?」
唐突に呟かれた奈月の言葉に水色は声を出した。
「君の名前。海みたいな色の目をしてるから…海。どう?」
どう?と聞かれても、水色は自分の一時的な名前になどさして興味がなかった。だから、どんなものでも構わないと水色は言ったのだ。
そもそも。
「なんだ?海って」
水色は海というものを知らなかったから、余計に興味を持てなかった。
「海、知らないの?」
「あぁ」
「そっか…悪魔だものね。君の瞳と同じ色で…とても綺麗なんだよ」
「へぇ、ま、どうでもいいさ。名前はそれでいいんだな?」
「うん」
水色はまたバサリと羽を揺らした。
「ならば、貴殿と契約を結ぶ限り、我は自身を『海』と名乗ろう。これで、契約は完了だ」
水色改め海は羽の片方を伸ばし、奈月の手首に触れた。
すると、奈月の手首に黒く輝く輪が現れた。
それは、契約完了の証であった。
「これから、よろしく。海」
と奈月は笑みを浮かべて言った。
よろしくも何も契約を結んだ以上共に過ごすことは決定事項なわけだし、この契約が終わるのは奈月の願いを叶えられなかった時か(無論、高位の悪魔を呼び出せる人間は少ないので、叶えられないとわかったらすぐにでも違う願いで契約を継続させるが)、黒の力を器に移し奈月の命を奪った時である。と海は思う。
馬鹿な人間だ。最後まで悪魔に利用されるとも知らずに…。
海は言葉に出さずに頭の中で呟いた。
「そちらこそよろしく、奈月」
その命がなくなるまで…。
そう頭の中で付け足しながら、海は言った。
その日、一人の人間と悪魔の間に契約が結ばれた。
そして、運命の歯車が少しだけ動き出した。
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